④-4. 5分の照射でがんが消滅する…三木谷浩史が「おもしろくねえほど簡単だな」と唸った光免疫療法の新しさ~PRESIDENT Onlineの記事を転記~

日本人医師が偶然発見した奇跡の治療法

出典:https://president.jp/articles/-/74483

理論上、9割のがんに効くとされる「光免疫療法」が注目を集めている。「夢の治療法」はどこが新しいのか。開発者で、アメリカ国立がん研究所(NCI)主任研究員の小林久隆さんに取材した芹澤健介さんの著書『がんの消滅 天才医師が挑む光免疫療法』(医学監修:小林久隆、新潮新書)より紹介する――。(第1回)

革命的と言われる治療法の開発者は日本人

9割のがんに効く治療法がある。

そう聞いたらどう思われるだろうか。

光免疫療法。

そんな夢みたいな、と思われるかもしれないが、日本ではすでに実用化されている。2020年9月、厚生労働省から正式に承認を受け、楽天メディカルが普及に尽力中だ。

2011年に論文が発表されるやそのインパクトは医学界を超えて広がり、論文段階にもかかわらず、わずか2カ月後に時のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマは年頭の一般教書演説で取り上げた。論文発表から10年も経たない異例の早さで日本は世界に先駆けて承認した。

この「革命的」とも「ノーベル賞級」とも言われる治療法の開発者は、小林久隆という日本人医師だ。渡米二十余年、全米最大・最古の医学研究機関、米国国立衛生研究所(NIH)で終身の主任研究員を務める。

天才と呼ばれる。

新聞も雑誌も「情熱大陸」も「ガイアの夜明け」も小林を取り上げた。一見、どこにでもいる普通の日本人の「おじさん」だ。酒をたしなみ、ともすれば関西弁のダジャレが口を衝き、アイドル好きでカラオケも歌う。関西人らしく、「人前に出たら一回は笑いをとりたい」とも口にする。

だが小林が開発した光免疫療法の原理は素人でも理解できるくらいシンプルで、安全で、鮮やかだ。楽天グループCEO三木谷浩史はこう言った。

「おもしろくねえほど簡単だな」

・がん細胞だけを狙う「光免疫療法」とは

光免疫療法は「第五のがん治療法」として注目を浴びる中、2020年9月に承認、12月に保険適用を果たすわけだが、まずは光免疫療法のざっくりとした仕組みはこうだ。

小川が出会った「奇妙な現象」のメカニズムは実にシンプルである。光免疫療法はがん細胞だけを狙い、物理的に、「壊す」のだ。がん細胞と特異的に結合したIR700(光感受性物質)が、近赤外線を当てられると化学反応を起こし、がん細胞を破壊する。これだけだ。

後の研究で詳しくわかったことでは、IR700は近赤外線を照射されると化学変化を起こして結合している抗体の形状を物理的に変化させる。その際、がん細胞に無数の穴を空け、穴から侵入した水ががん細胞を内部から破裂させるのだ。

この「がん細胞だけを狙い、物理的に殺す」という点が光免疫療法の重要な特徴だ。この仕組みはのちに詳しく見ていくことにする。

原理はシンプルだが、もちろんここには最先端の科学技術が詰まっている。

どうやってがん細胞にだけIR700をくっつけるのか? なぜ近赤外線を使うのか? 特定のがんにしか効かないのではないのか? そもそも、画像診断の研究をしていたはずの小林が、なぜ治療へと研究の舵を切ったのか?

・これまでの治療法との違い

その根底には、小林のサイエンティストとしての、そして医師としての、深い知見と哲学が宿っているのだが、詳細を見る前に、なぜこのシンプルな光免疫療法が「ノーベル賞級」と言われ、がん治療の「第五の治療法」と呼ばれるほどに注目されたのかを見ておこう。

「第五の」と言うくらいであるから、これまでに「第四」までが治療法として認められてきた。長らく「三大療法」とされてきたのが「外科療法(外科手術)」「放射線療法(放射線治療)」「化学療法(抗がん剤治療)」である。「第四の治療法」と呼ばれるのが本庶佑京都大学特別教授が開発に携わり、2018年にノーベル医学・生理学賞を受賞したことで知られる「がん免疫療法」だ。

これらの治療法とどこが違うのか。

・他の細胞が傷付く

標準治療における従来の「三大療法」と免疫療法の何が大きな違いなのかを見ていこう。

それぞれの治療法にメリットとデメリットがある。

「外科療法(外科手術)」は、がん細胞を完全に切除できれば体内からがんを消すことができ、「最も直接的かつ根治の可能性が高い」と言われる。

その一方で、当然のことながら、正常細胞も傷つける。どんな天才外科医でも、細胞レベルで選り分けて、がん細胞だけを取り除くことは不可能だ。大腸がんや早期の胃がんなどで内視鏡や腹腔ふくくう鏡を使うなど患者の負担が少なく済む手術もあるが、開腹手術や開頭手術となると術後の負担も大きい。臓器や体の部位を温存できないことももちろんありうる。

がんは成長すると原発巣、つまり元の発生場所から周囲の組織に浸潤したり、血液やリンパ液の流れに乗ってほかの臓器やリンパ節に転移する。そのため原発の腫瘍を切除するだけでなく、転移の可能性がある箇所も取り除く必要が出てくる。これを「郭清かくせい」と言うが、がん細胞の取りこぼしがないよう、マージンを大きく取っておくのが一般的だ。

がんの進行により、切除箇所を広げる術式を「拡大手術」と言うが、80年代に医師となった小林によると、「腹腔鏡手術が普及する90年代までは、身体の中がほとんど空っぽになるような拡大手術を受けた患者も少なくない」とのことだ。

・放射線治療のリスク

「放射線療法(放射線治療)」は放射線(高エネルギーX線、電子線、陽子線、重粒子線、α線、β線、γ線など)でがん細胞のDNAを傷つけて死滅させる治療法だ。体を切らずに治療できる。治療中の痛みもなく、体への負担が比較的少ない、外科手術が難しい場所にあるがんでも有効、などといった利点がある。

とはいえがん細胞を殺すほどの放射線を照射するので、がん細胞の周囲の正常細胞もダメージを受ける。近年ではよりピンポイントに照射ができるようになったが、それでもがん細胞だけに照射するのは不可能だ。

照射によって患部周辺の幹細胞が死滅してしまえば、がん細胞が死滅した後も組織を再生させることができず、いわば「焼け野原」のような状態が残ってしまう。

また、放射線感受性が高い免疫細胞などはほぼ死滅することになり、免疫機能は低下せざるを得ない。全身のだるさや吐き気といった副作用を伴うことも多い。同じ場所に再発した場合は、初発の際に照射した放射線量を考慮すると、定められた耐容線量を超えてしまうため再び放射線治療を受けられないことがほとんどだ。

・抗がん剤の副作用

「化学療法(抗がん剤治療)」は、外科手術では治療できない血液やリンパのがんも治療できる、体内に広く分布するがんに対応できる全身療法である、といったメリットがある。がんの増殖を抑えたり、転移や再発を防ぐ効果もあるとされる。

だが、抗がん剤の作用はがん細胞にだけ及ぼされるわけではない。正常細胞にも働いてしまう(分子標的薬を用いたがん薬物療法は後述する)。副作用をゼロにすることも困難だ。代表的なものだけでも吐き気、脱毛、倦怠けんたい感、頭痛、めまい、発熱、悪寒、発汗、疼痛とうつう、しびれ、麻痺、患部の腫れ、むくみ、咳、口内炎、食欲不振、高血圧、血尿、頻尿、下痢、皮膚障害などなど。

抗がん剤の祖は毒ガスと言われる。事実、日本初の抗がん剤「ナイトロミン」は第一次世界大戦の際にドイツ軍が使用したマスタード・ガス(イペリット)を起源としている。「毒をもって毒を制す」とでも言えばよいのだろうか、抗がん剤はその強い毒性でがんを攻撃する。その毒が正常細胞に影響すれば、「がんを叩く」という主作用以外の作用が起きてしまうのもいわば当然だろう。

・がん免疫療法との違い

また、がん細胞に抗がん剤に対する耐性がついてしまうことがある。その場合、その抗がん剤はもう使えなくなる。数週間で耐性ができることもあり、再発しても使えない。

原因の多くは、がんが変異することにある。がん細胞は正常細胞の100~1000倍の頻度で遺伝子に変異を蓄積していく。結果的に、過酷な環境を生き抜いたがん細胞だけが増えていき、投与できる抗がん剤の選択肢も減っていく。

「第四の治療法」とも言われる「がん免疫療法」にも触れておこう。

がん免疫療法とは「患者の免疫力を高めてがん細胞への攻撃力を強化する治療法」だ。

標準治療でも、免疫細胞が作るインターフェロンやインターロイキンといったタンパク質を投与して免疫細胞を活性化する治療法を「サイトカイン療法」と呼んだり、膀胱ぼうこうがん治療に使われる「BCG膀胱内注入療法」を「膀胱がん免疫療法」と呼んだりして、がん免疫療法の一種とする場合もあるのでややこしいが、国立がん研究センターの区分では、現在、保険適用となっているがん免疫療法は次の2つだ。

・「がん免疫療法」はまだ発展途上

「免疫チェックポイント阻害薬」を使うものと「エフェクターT細胞療法」(キメラ抗原受容体=CARの遺伝子を用いるCAR-T療法)である(ネットで検索すると大量に出てくるこれ以外の「○○免疫療法」は保険外診療、つまり自由診療なのでご注意を)。前者はがん薬物療法の一種とも言える。

「免疫チェックポイント阻害薬」はがん細胞を攻撃する免疫細胞のいわばブレーキを外し、CAR-T療法はその数を増やす。いずれにせよ「免疫の力を強める」治療法だ。まだ治療の対象となるがんは限られており、免疫チェックポイント阻害薬を使えるがん種でも効果が出るのは2割ほどというのが現状だ。

どちらも免疫細胞ががん以外の場所でも活性化しすぎることで重症化したり死亡したりするといった重篤な副作用の例も報告されている。患者自身の免疫細胞の性質に左右される面もあり、まだまだ発展の途上にあると言っていいだろう。

・光免疫療法は「がん細胞だけ」を狙える

では光免疫療法のメリットとはなんだろうか。

まずオバマの言葉を借りれば、光免疫療法は「がん細胞だけを殺す」ことだ。

従来の三大療法はどうしても正常細胞を傷つけてしまう。

どんな天才外科医でもがん細胞だけを摘出するのは不可能だ。どれだけピンポイントに放射線を当てようと、がん細胞の周囲の正常細胞も傷ついてしまう。抗がん剤治療は、ざっくり言えば「毒」をもってがんを制する治療法だ。がんだけでなく正常細胞にも「毒」の影響が出てしまう。

がん免疫療法はがん細胞を直接殺すわけではない。がん細胞を殺す免疫細胞を活性化するものだ。

光免疫療法は、近赤外線照射のスイッチを押せば、がん細胞だけが狙われ、選択的に壊される。

・何度でも治療ができる

次に、これは「がん細胞だけを殺す」ことと同義とも言えるが、「体への負担が少ない」点がメリットだ。つまり、何度でも治療することができる。

医学的には「低侵襲」という言い方をするが、人体には安全な薬剤を体内に注入し、安全な光を照射し、がん細胞が選択的に殺せるなら、体への負担はないはずだ。しかも、治療後には正常細胞が残る。がんがあった場所は元のきれいな状態に戻るに違いない。

それに対して、外科手術を行って切除した臓器や組織が戻ってくることはないし、切開したところは傷痕として残るかもしれない。放射線治療は当てられる線量が決まっており、放射線を浴びた通常の組織は元に戻らないことがある。抗がん剤治療の場合、がん細胞に耐性ができる場合があり、これも投与できる上限が決まっている。

最後に、「汎用はんよう性の高さ」だ。

本章の冒頭で、「がん細胞の表面には他の正常細胞にはないタンパク質が多数、分布している。がん細胞を移植されたマウスの体組織内に、このタンパク質とだけ(特異的に)結合する物質を送り込んでやれば、がん細胞にだけその物質がくっつくことになる」と述べた。この〈物質〉は免疫学では「抗体」と呼ばれる。後に触れるが、光免疫療法は抗体医薬の原理でがんだけを攻撃する。

・原理的には9割のがんをカバーできる

この抗体が特異的に結合するタンパク質(免疫学では「抗原」)は、一般には「腫瘍マーカー」として知られている。がんの種類によって作られるタンパク質が異なるため、がんの診断の際に利用されている。

EGFRというタンパク質は、多くのがんに発現する。頭頸部けいぶがん、皮膚がん、卵巣がん、乳がん、肺がん、胃がん、すい臓がん、胆管がん、大腸がん、子宮がん、膀胱がんなどだ。

HER2(ハーツー)というタンパク質は、乳がんや胃がん、すい臓がん、胆管がん、膀胱がんなどで発現が見られる。

こうしたタンパク質(抗原)はすべてのがん患者で同様に発現するわけではないのが難しいところだが、この抗原に合わせて抗体を変えてやれば、がんの種類ごとに抗体がIR700をがん細胞のもとに運んでくれ、がんを殺すことができる。原理的には、9割のがんをカバーできるのだ

・4~5分の照射で施術は終わり

つまり光免疫療法は「がん細胞だけを狙って殺す」「何度でも治療できる」「9割のがんをカバーする」ということになる。

光免疫療法が広く実用化されたら、そんな未来が待っているのだ。

がん検診でがんと診断されたとする。自分のがんが光免疫療法のカバーする9割のがんだということがわかり、光免疫療法での治療を選択したとする。

私たちはまず病院に行き、IR700を含む薬剤を点滴される。薬が患部に充分に行き渡る時間が必要だが、その間はただ待っていればいい。その上で医師の元に行き、患部に近赤外線を照射してもらう。強い光で細胞を焼くわけではないのに、がん細胞は照射の瞬間から壊れ始める。3センチ程度のがんであれば4~5分の照射で施術は終わるだろう。その後は体内に残った薬剤と壊れたがん細胞の排出を待つだけだ。

さらに普及が進めば、私たちはがん検診すら必要なくなるかもしれない。定期的に病院に行って薬剤を飲み、近赤外線の照射を受けておけば微小なうちにがんを退治できる。

芹澤健介(著)、小林久隆(医学監修)『がんの消滅 天才医師が挑む光免疫療法』(新潮新書)

そんな未来が来たならば、それは私たちががんという病から解放されることを意味しないだろうか。

かつて結核は「死の病」だった。

だが医学の進歩はその恐怖の記憶を遥かな過去に追いやった。

がんはどうだろう。

光免疫療法は実際にがん細胞を殺し、消滅させるだけでなく、私たちの「がんの記憶」さえ消すかもしれないのだ。それは「がんの消滅」と言ってもいいのではないか。

■父のがんを治すのには間に合わない…それでも三木谷浩史が光免疫療法に自腹で7億円を支払ったワケ~PRESIDENT Onlineより転記~

イーロンは人類を火星に送る、僕は人類のがんを治す

出典:https://president.jp/articles/-/74569

アメリカ国立がん研究所(NCI)主任研究員の小林久隆さんによる、がん細胞を狙い打ちする革新的な「光免疫療法」が注目を集めている。この療法の薬剤を手掛けるのは三木谷浩史氏率いる楽天メディカルだ。なぜ三木谷氏は最新のがん治療に関わるようになったのか。ライターの芹澤健介さんの著書『がんの消滅 天才医師が挑む光免疫療法』(新潮新書)より紹介する――。(第2回)

余命3カ月の父に三木谷がやったこと

三木谷は三木谷で懸命に治療法を探していた。

父の良一がすい臓がんと診断され、医師からは「余命3カ月」と宣告されていた。

すい臓がんは、いまだに極めて生存率の低いがんだ。5年生存率は約11%、10年生存率となると約6%とも言われる。自覚症状が少なく、臓器が胃の裏にあるため検査でも見逃されがちだ。進行も早く、気づいた時にはリンパ節や他の臓器に転移していることもしばしばだという。

良一は日本金融学会の会長も務めた経済学者で、神戸大学で長く教鞭を執り、同大学の名誉教授となっている。三木谷は良一の第三子で末っ子だ。

三木谷はよく知られているように、いまや日本一の規模を誇るインターネット・ショッピングモール「楽天市場」だけでなく、金融、通信、旅行といった事業やサービス群をも運営する巨大な「楽天経済圏」を生み出した。そればかりかプロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルス会長兼球団オーナーであり、サッカーJリーグのヴィッセル神戸会長でもある。個人資産は5000億円を超えるとも言われる日本屈指の実業家だが、父にはことあるごとに相談してきたという。

世界中で治療法を探してみたが

親子の対談を収めた『競争力』(講談社)には三木谷の次のような言葉が見える。

「私は子どもの頃、利かん坊で、成績もいい方ではなかったが、父はいつも温かく見守ってくれた。校風が合わず、私立の中学から転学する時も、私の考えを尊重し、サポートしてくれた。一橋大学を卒業して研究者になるかビジネスマンになるか悩んだ時や、日本興業銀行(現みずほ銀行)を辞める時、楽天を創業する時、TBS(東京放送)を買収しようとした時など、人生の岐路に立たされた時、私は必ず神戸にある実家を訪ねて父に相談し、示唆を受けてきた」

そんな父のために、三木谷は専属の医師団まで結成して最善の医療を模索していた。

「小林先生に会う半年ほど前のことでしたね、父のがんが見つかったのは」三木谷は言う。

「進行がすごく早くて……化学療法から始まって、重粒子線治療もやりましたし、そのコンビネーションもやりました。最終的には、抗体にイットリウムという遷移金属の放射性同位元素をつけた治療法も試しました。最先端の治療をほぼぜんぶ試した形です。それから、世界中のありとあらゆる病院を回りました。コロンビア大学、スタンフォード大学、ハーバード大学、パリ大学……世界中、いろんなところに行って調べたけれども、今のところ、すい臓がんに有効な治療法はないと言われたんです。

お医者さんによっては、もう何もしないで自然に任せておくのが本人のためだと言う人もいて。でも、僕は諦めが悪いのでがんの本を買い漁って、手に入る論文を端から端まで読んで、何かあるはずだ、絶対にいい治療法があるはずだと思っていたんです。当然、素人の自分の力だけでは無理なので、お医者さんの先生に集まってもらって、いろんな治療法を探していました。もう完治は難しいと言われても、なんとか延命させてあげたいなと思って」

小林と三木谷をつないだ不思議な縁

小林のいとこ新保哲也が声をかけてきたのはそんな頃だった。

「これは本当に縁だと思うんですよねえ」と三木谷は振り返る。新保のワッフル・ケーキの店「R.L」は楽天市場の創業期から出店していたのだ。

「楽天市場ができた時からの同志のような存在で、いやあ、三木谷さん、お父様のお話を聞きましたと言うわけですよ。新保さんにはヴィッセル神戸のオフィシャルスポンサーもしてもらっていて、サッカーが好きだった私の父とも交流があったんです。その彼が、実は私のいとこがアメリカでがんの研究をしているので、一度会ってみませんかと言うんですね。聞けば、光でがんを治す治療法だと」

光でがんを治すと聞いても「あまり信じていなかった」と言うが、小林が帰国するタイミングで小一時間ほど時間が取れそうだった。東京・虎ノ門のホテルオークラのステーキ店で小林と会うことにした。

それが2013年4月のことだった。

「おもしろくねえほど簡単だな」

ステーキ店でひと通り光免疫療法の話を聞いた三木谷は「なるほど」と呟いたまま、しばらく動かなかった。

「正直に言えば、おもしろくねえほど簡単だなと思ったんですよ。動物実験の画像やいろんなデータを見せてもらったんですが、メカニズムは非常にシンプルで、自分としては、何て言うのかな、なるほど、これは人間でもワークしないはずがない、効かないはずがないと思いました。否定のしようがないと思ったんです。

小林先生とはじめてお会いした時は時間もあまりなかったので、いくつか質問をしただけでしたけど、それから3日後だったかな、もう一度話を聞く場をセッティングしてもらいました」

シンガポールに渡っていた小林に三木谷から連絡があった。

「小林先生がアメリカに帰る前にもう一度東京で会えますか」と。

小林は「何の用件だろう」と思ったという。小林が羽田空港に着く時間に合わせて当時品川シーサイドにあった楽天本社社長室での会合がセッティングされた。今度は三木谷の医師団が同席していた。

医師のひとりとして同席していた岡田直美はこの日のことをよく覚えていると言う。岡田は放射線医学総合研究所や量子科学技術研究開発機構で医長として活躍し、現在は独立して都内でがん専門のクリニックを開業している医師だ。

この治療で時代が変わる

部屋に通された小林が挨拶もそこそこに鞄からノートパソコンを取り出し、始めた光免疫療法のメカニズムの説明はほんの15分くらいだった。だが岡田はその内容に衝撃を受けたという。

「自分の求めていたがん治療法がそこにあった、ようやく見つけた、という感じがしました」と岡田は言う。

「あの時、小林先生の話を聞いていて、大げさではなく、あ、ひとつの時代の幕が上がると思ったんです。光免疫療法は、化学治療や放射線治療や免疫治療というような、これまで別々の縦割りだったものをすべてまとめて横割りにしたような治療法で、それこそがん治療のパラダイムシフトが起こると直感しました」

三木谷は言う。

「確かこの時は、すい臓がんには効くのかとか、副作用のこととか、いろいろ質問をしたと思います」

小林は三木谷の質問は素人レベルではなかったと言う。

「お父様ががんになられて相当に勉強されたのがわかりました。聞いたら英語の論文なども読まれていたらしいので、もう途中からは研究者レベルでの会話になっていたんじゃないかと思います」

三木谷は小林と話していてこう感じたという。

「がんの治療法を求めて世界中を回りましたが、探していたものが足元にあったという感覚ですよね。ただ、この時話を聞いてわかったのは、残念ながら、うちの父親はやはりタイミング的に少し遅かった。がんの進行も早かったですし、当時はまだ光免疫療法も動物実験のフェーズでしたから。承認されるまでには間に合わないだろうと」

2度目の会合はこうして終わった。

医療の素人だから気付いたこと

三木谷は小林を送り出してから岡田や他の医師たちに光免疫療法の実現可能性を訊ねた。医療関係の研究者の友人や化学療法を専門としている知人の内科医にもメールや電話で感想を求めた。「方向性としては悪くないが、動物実験でうまくいっても、人でとなるとそれほど有効ではないだろう」というのが大方の見方だった。

「否定的な意見を言う人たちにその理由を聞くと、人体のシステムはマウスより複雑だから、とかだいたいそんなことですよね。ただ、僕にはそうは思えなかったんですよ。医療に詳しくない素人だからこそだと思うんですけど、いや、これは効くはずだと思ったんです。

この光免疫療法という治療法は、がんを細胞単位でマーキングして、光エネルギーで破壊するというロジックですよね。人の細胞だろうがマウスの細胞だろうが効き方は変わらないはずだと。逆に言うと、マウスでワークしたのなら、人間でワークしない理由が合理的に説明できなかったんです」

翌日、国立がん研究センターでの講演を終えた直後の小林に「先生がアメリカに帰る前に先生のホテルでいいから、もう一度会えますか」と再度連絡が入った。

初めて顔を合わせてから1週間で3度の会合に小林も戸惑っていた。巨大グループを率いる三木谷のスケジュールは分刻みのはずだ。1週間で3回も同じ人間と会うなど通常、考えられないだろう。

「そしたら、やってみますか」

小林の泊まるホテルの会議室に医療ベンチャーの人々を伴って現れた三木谷は、会合が終わるなり廊下に出た小林にこう言ったという。

「どのくらいかかりますか?」

治験の第I相試験にいくらくらいかかるのかということだった。

光免疫療法の場合、治験で「IR700とセツキシマブの複合体(のちに「アキャルックス」と名づけられる)」と「近赤外線照射装置(のちに「バイオブレードレーザシステム」と名づけられる)」の承認を得ることが必要だ。万が一、第I相試験で重篤な副作用が出たり、何らかの不具合が見つかったりすれば即刻治験は中止される。そして、治験の際に患者にかかる費用はすべて治験を行う側が負担しなければならない。

「フェーズ1では10名ぐらいの患者さんを集めて治験を行おうと思うんですが、その場合、どうしても600万か650万くらいのお金がかかってしまいます」

「それはドルですか?」と三木谷が聞く。

「はい、円だとざっと7億円か8億円くらいになると思います[当時は1ドル=120円]。患者さん1人につき、だいたい3000万円から5000万円かかるというイメージですね」
「なるほど……」

そう言ってほんの2、3秒考え込んだ後、三木谷はこう言った。

「そしたら、やってみますか」

ひとりの天才だけでは世界は変わらない

思いがけない言葉が、思いのほか軽い調子で返ってきたことに驚いたのを小林は覚えている。

「小林先生、やりましょう、治験」
「え?」
「お金は私が出します」

小林は息を飲んだという。「まさかそういう話になるとは」思っていなかったからだ。

「もちろんうれしかったですよ。あのお金のおかげでその後、研究は一気に5段6段飛び越えて進んだんですから。でも何よりね、三木谷さんにこちらを信用していただけたことがうれしかった」

三木谷は言う。

「インターネットの存在を知った時、ああ、これが世界を変えると思いましたが、何かが世界を変える時って、ひとりの天才がいるだけではダメで、ほんとにいろんなことが組み合わさらないと奇跡って起きないんです。

光免疫療法はもちろん小林先生という天才がいないと誕生しなかった治療法ですが、いろんな人が関わって初めてできるものなんだと思います。途中から参加した僕の役割はお金を出すことだった。資金援助することでプロジェクトを前に進められる」

なぜ出資することを決めたのか

意地悪な質問だが、それは光免疫療法にビジネスとしての可能性を感じたということだったのだろうか。

「うーん、ビジネスというか、エンジェル投資家といったところですかね。多少カッコをつけさせてもらえば、フィランソロフィーというやつでしょうか」

フィランソロフィー(philanthropy)とは、従来であれば「慈善活動」や「社会奉仕事業」、あるいは「チャリティー活動」などと訳されていたが、近年ではビル&メリンダ・ゲイツ財団に代表されるように、起業家などが社会貢献のために個人資産を投じて行う支援活動を指すことが多い。何のために資産を増やすのか、なぜ事業でお金を儲けるのか、そのことに思いを致すからだろうか。

電気自動車メーカー、テスラ社のCEOイーロン・マスクは個人資産が20兆円とも言われ、世界一、二を争う資産家だ。彼は民間宇宙開発企業スペースX社の共同設立者でもあるが、同社は「人類を多惑星種にする」ことを使命に掲げ、人類の火星移住計画をぶち上げている。マスクはこうも語る。

「この宇宙は何なのかを探る。他の生命がいるのか、とかね。私たちはどうやってここに来たのか。生きる意味とは何だろう。銀河系を探索すれば、これらの疑問を見つけられるのではないか。とてもエキサイティングだよね」(朝日新聞「GLOBE+」より)

日本屈指の実業家が働き続けるワケ

三木谷はこう言う。

「僕は、イーロンに対抗するわけじゃないですが、人類を火星に送るより、がんを治すことを目標に据えました。父親ががんになったことをきっかけに、少しでもこのプロジェクトを押し進めていくことができたらいいなと思ったんです」

三木谷ははっきりとした意志を感じさせる口調で言葉を継いだ。

「僕は今、お前はなぜ働くのかと聞かれたら、もう僕個人のこととかは割とどうでもよくて、人類社会の発展のためだと考えています。社会にどれだけ貢献できるかというのが大きな理由なんですね。人類が抱えている問題を解決する方向に僕の資産が使えたらいいなと。そういうことのために必死に働いているんだなと思うんですよね。

だからビジネスとしての儲けうんぬんより、自分の家族ががんになったことで、がん患者さんやその家族のお手伝いをしたいと思うようになったんです。これはまあ、父のおかげというか、運命だったのかなと思っています」

そしてほんの少し目を伏せてこう言った。

「それに、親父もきっと、がんばれって言ってくれる気がするんです」

三木谷の父・良一はこの3度目の会合から7カ月後の2013年11月、83歳で他界している。

600万ドルはポケットマネー

「三木谷さんからやってみましょうという提案があった時、その600万ドルは楽天からではなく、三木谷さん個人のポケットマネーだったんです。これは簡単なお金ではないなという意識が当時からかなりありましたね」

芹澤健介(著)、小林久隆(医学監修)『がんの消滅 天才医師が挑む光免疫療法』(新潮新書)

3度目の会合の後、小林は三木谷の目の前ですぐさまアスピリアンのCEOミゲル・ガルシア=グズマンに連絡を入れている。アメリカで治験ができるようになった、ミスター・ミキタニがお金を出してくれるそうだと伝えると、ガルシア=グズマンも絶句していたそうだ。

ともあれ経済的なバックアップを得たことで、光免疫療法は動物実験から人間に対する臨床試験へと準備を重ねていくことが可能となった。

「スポンサーとしての三木谷さんは非常に心強い」と小林は言う。

「彼が本気なのが分かりますし、首尾一貫してブレないから。やらしい気持ちで“ちょっと儲けてやろう”と片手間でやってるのとは違います。こないだも、ぼくはこのプロジェクトに命をかけてますなんてメールがきました」