釈迦(ブッダ)誕生前後のインド社会

■インダス文明の概要

◆インダス文明

・世界四大文明の一つ

紀元前2600年から紀元前1800年頃にかけて、現在のインド、パキスタン、アフガニスタンのインダス川流域で栄えた。

⇒この文明は高度な都市計画、独自の文字、そして高度な技術を持っていたことで知られている。

Source: 後藤健「インダスとメソポタミアの間」in『NHKスペシャル四大文明インダス』日本放送出版協会 (2000/08). p. 187.

出典:https://www.nagaitoshiya.com/ja/2001/indus-valley-civilization-collapse/

主な特徴

  • 都市遺跡:インダス文明の代表的な都市遺跡には、モヘンジョ・ダロやハラッパーがある。これらの都市は、道路や排水溝、下水道、倉庫等が整備され、計画的に建設されていた。
  • 標準的な計量単位長さを図る計量棒(均一な間隔で刻まれている)で道路建設、標準化された石の重もりを使用して交易や商取引を行う、体積を測るための標準化された容器を使用して農産物や液体の取引を行う。これにより、取引の公平性が保たれ、社会全体の信頼性が向上した。
  • インダス文字:インダス文明の遺跡からは、印章と呼ばれる石に刻まれたインダス文字が発見されているが、まだ解読されていない。
  • 高度な技術:インダス文明は、農業、工芸、交易(水路の利用を含む)など多岐にわたる高度な技術を持っていた。特に、焼きレンガを使用した建築技術や、精巧な陶器、金属加工が発展していた。

   モヘンジョ・ダロ遺跡      大浴場             下水道

インダス文字    儀式で使用された陶器 ペルシャ井戸の歯車 左記井戸から灌漑区画畑        
          紀元前2600–2450年         

主な出典:http://takibisociety.web.fc2.com/pages/report/indusCivilization.html

衰退の原因

インダス文明の衰退については、いくつかの説があるが、確定的な原因はまだ解明されていない。主な説としては、気候変動による砂漠化、河川の流路変更、外部からの侵略などが挙げられている一方、ある日突然崩壊、消滅したとの説もある。

インダス文明は、その高度な技術と計画的な都市設計で、現代でも多くの驚きと学びを提供している。

世界最古モヘンジョ・ダロの下水処理システム     日本最古の下水処理施設

 まだ近代的な下水処理施設がなかった時代の日本では、し尿を溜めて農業用の肥料として利用し、生活排水や雨水はそのまま川などに流していました。しかし、幕末~明治期になると、東京の人口が増えてし尿や生活排水も増加。その影響で衛生環境が悪化し、虎狼痢(コレラ)などの伝染病も流行したため、下水道の整備が必要となりました。

 1884年(明治17年)に作られたのが「神田下水」です。これは現在のJR神田駅付近に約4kmにわたって敷設され、一部は今でも稼働しています。さらに1922年(大正11年)には、日本初の近代的な下水処理施設である「三河島水再生センター(三河島汚水処分場)」が作られました。同センターは、下水道分野では初となる国の重要文化財に指定されています。

出典:https://www.sawada-construction.jp/blog/column/147004

■アーリア人(印欧語族の民族)の北インド侵入とバラモン教の形成

◆アーリア人

・居住地域

⇒中央アジアで牧畜生活を営んでおり、

『火・風・雷・太陽』といった自然要素とその絶大なエネルギーを神格化して崇拝するようになり

これがバラモン教の起源になる

⇒アーリヤ人の宗教は、捧げ物や生け贄を火で燃やす儀式を行い、神に祈って幸せを願うというものであった。

紀元前1500年頃、彼らは南下してカイバル峠を越え、インド北西部のパンジャーブ地方へ侵入した。

⇒先住民が持つ農耕文化を学び、アーリヤ人の生活基盤は牧畜から農耕へと移行

・ガンジス川流域に移動

紀元前1000年頃には再度移動を開始

ガンジス川流域の方が、パンジャーブ地方よりも農業に適した土地だったから

※人口増加と気候乾燥化で牧草地不足になり、インドに侵入したという説がある。

出典:https://gusyakensekaishitankyu.com/?p=2264 

古代インドのアーリア人によって広められた宗教

バラモン教は、

⇒ヒンドゥー教の前身とされている。

バラモン教の主な教え

  1. 自然神崇拝:バラモン教は多神教であり、自然の力を神格化して崇拝した。主要な神々には雷神インドラ、火神アグニ、天空神ヴァルナなど。
  2. ヴェーダ:バラモン教の聖典は「ヴェーダ」と呼ばれ、リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダの四つのヴェーダから成り立つている。これらのヴェーダは、神々への賛歌や儀式の方法を記したものである。
  3. 輪廻転生とカルマ:バラモン教では、魂が生まれ変わりを繰り返す「輪廻転生」の概念があり、現世での行い(カルマ)が次の生に影響を与えるとされている。良い行いは良い結果を、悪い行いは悪い結果をもたらすと信じられている。
  4. 解脱:輪廻の苦しみから解放されるために「解脱」を目指すことが重要とされた。解脱を達成することで、魂は輪廻のサイクルから抜け出し、永遠の平安を得ると信じられている。
  5. カースト制度:社会はバラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(農民・商人)、シュードラ(隷属民)の四つのヴァルナ(階級)にわかれており、バラモン(司祭者)が最上位の階級として宗教儀式を司った

バラモン教はその後、仏教やジャイナ教の誕生に影響を与え、最終的にはヒンドゥー教へと発展していった。
【ヴァルナによって、人々の身分・階級が厳密に分けられた古代インド(紀元前1500年~紀元前1000年頃)社会】

このような社会状況の中で、インドの人々の間に強く広まっていったのが、「輪廻(りんね)」の思想。

人は、生まれてから、病(やまい)の苦しみ、老いの苦しみを経て、死に至る
死んだ後は、すぐにまたどこかで何かに生まれ変わり、同じ苦しみを味わう。
それを、過去から未来永劫まで、際限なく繰り返していかなければならない

この輪廻から逃れることを解脱(げだつ)という。
解脱するには、出家して修行をし、悟りを開くことが必要だと考えられていた

出典:https://www.nhk.or.jp/kokokoza/sekaishi/contents/resume/resume_0000000680.html?lib=on

◆バラモン教の歴史

  • 紀元前1500年頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされる。
  • 紀元前1000年頃、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる
  • 紀元前700年から紀元前400年にかけて、バラモン教の教えを理論的に深めたウバニシャッド哲学が形成される
  • 紀元前500年頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性がはっきりと示されるしかしそれに反発して多くの新しい宗教や思想が生まれることになる現在も残っている仏教やジャイナ教もこの時期に成立した
    • 新思想が生まれてきた理由として、経済力が発展しバラモン以外の階級が豊かになってきた事などが考えられるカースト、特にバラモンの特殊性を否定したこれらの教えは特にバラモンの支配をよく思っていなかったクシャトリヤ(王侯・武士)に支持されていく
  • 1世紀前後、地域の民族宗教・民間信仰を取り込んで行く形でシヴァ神やヴィシュヌ神の地位が高まっていく。
  • 1世紀頃にはバラモン教の勢力は失われていった。
  • 4世紀になり他のインドの民族宗教などを取り込み再構成され、ヒンドゥー教へと発展、継承された

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%95%99

自然神崇拝の主要な神々としの雷神インドラ

紀元前13~12世紀に編纂されたというインド最古のバラモン教の聖典である『リグ・ヴェーダ』

⇒『リグ・ヴェーダ』は神々の栄光ある事績と絶大な権威(能力)を讃える讃歌集であり、

⇒古代インドのバラモン階級(聖職者階級)の人々は、“戦勝・栄光・富裕・幸福・長寿(無病息災)”などが実現するように神々の恩恵・加護・奇跡を祈っていたようである。

主神の雷神であるインドラは、古代インドにおいて最もポピュラーな神の一人であり、神々に捧げられた讃歌『リグ・ヴェーダ』の全1200編の讃歌の中で約4分の1がインドラについて書かれたものである。

 尚、儀式ごとにその崇拝の対象(神)が異なる。

  • ヴィシュヌ神:世界維持の神・慈愛の神(毘盧遮那)
  • シヴァ神:創造と破壊の神(大自在天)
  • ブラフマー神:神学的哲学の根元(梵天、大日如来)
  • インドラ:雷神・天空神(帝釈天)

※古代インド神話にも雷神インドラだけではなく風神ヴァーユという神が存在している。

出典:https://www.sanjusangendo.jp/statue/fujinraijin/ (三十三間堂)

※日本風に変化した(仏教に帰依した)雷神・風神像(鎌倉時代)

仏教の成立

クシャトリヤ(王侯貴族・武士階層)やヴァイシャ(商人・農民階層)の勢力拡大

⇒バラモン優位の支配体制が揺らいでヴェーダ時代が終焉を迎えると、

紀元前5世紀頃にはジャイナ教と仏教が成立し

マガダ国王の保護を受けた仏教は

カースト制度の批判や人間が平等に救済されることを説き

被支配階級の支持を集めた。

◆バラモン教と仏教の根本的な違い

因果の道理

⇒バラモン教は無し:宇宙創造神話

仏教は有り:「すべての結果には必ず原因がある」。この因果の道理を認めると、宇宙を創造した神がいた場合、「その神の原因は何ですか?と聞くと答えられない

※仏教では、宇宙を創造した神もなければ、宇宙の始まりもない。
無始無終むしむしゅう」といわれ、世界は始まりのない始まりから、終わりのない終わりへ続いている。

仏教では、因果の道理にもとづいて、諸法無我を前提として私たちが輪廻する迷いの根本原因を明らかにし、それをなくすことによって、生死輪廻から離れ、未来永遠の幸せになることを教えられている。

※因果の道理によって、「」も含めて、固定普遍の実体というものはないことが分かった。これを諸法無我(しょほうむが)といい、一切に実体はないということ

・階級 対 平等

⇒バラモン教は激しい身分制(男尊女卑)四つのヴァルナ(階級)にわかれている。バラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(農民・商人)、シュードラ(隷属民)。

※この身分差別は、生きている間は、変えることができない。異なる身分の人とは食事も結婚もできまない。この4つの身分には、職業によるたくさんの階級差別があるが、職業も変えることはできない

IT産業はカースト制において階級外(想定外の産業)になるため、新たな社会成功へのパスポート

⇒仏教は平等:このような厳しい身分差別の社会にあって、すべての人は平等であると教えられている。

■ブッダ誕生後の普遍的な宗教として仏教を保護した二大帝王

◆(Ⅰ)アショーカ王(紀元前三世紀)

アショーカ王が現れてその範型を示している

⇒全インドをのみならず近隣の地域を統一した歴史的事実はよく知られている。

かれは仏教を信奉し、仏教が国教的な地位を獲得し、やがて世界宗教として諸国に広がる基礎がつくられた。

インドにおける仏教の発展

【発展

・マウリヤ朝のアショーカ王(紀元前304年~紀元前232年)が出て、インド全体をほぼ統一し古くからのバラモン教的遺制を除去するために仏教を保護し、その布教に尽力した。

それによって仏教は国教ともいうべき地位を占め、インド全体に広まった

⇒アショーカ王は、仏教の普及と人々の幸福を追求するため法(ダルマ)に基づく政策を推進した

※アショーカ王の柱には下記のような碑文(道徳的訓戒に近い)

  • 生き物を大切にし無駄に殺さないこと
  • 宗教対立しないこと
  • 親の言うことを良く聞くこと
  • 年上は敬うこと
  • 礼儀正しくすること
  • 嘘をつかないこと
  • 僧侶や精神的探求者に敬意を払うこと
  • 弱い者イジメしないこと

出典:https://jp.mangalamnepal.com/2020/08/Ashoka-the-Great.html

<法(ダルマ)について>

・ダルマは仏教の中心的概念であり、私達の信仰と人生に大きな影響を与える。

  1. 仏陀の教え:
    • ダルマはブッダ(釈尊)の教えを指す
  2. 真理と法則:
    • サンスクリット語の「dharma」は「保つこと」「支えること」を意味し、それより「法則」「正義」「真理」「最高の実在」「宗教的真理」の意味にもなる。
    • ダルマは、人生と宇宙の法則を示し、私たちが歩むべき道を指します。

 尚、同王は他の諸宗教も援助した。

出典:https://www.eonet.ne.jp/~kotonara/v-buttou-1.htm

注)サーンチー(Sanchi、: साञ्ची Sāñcī):大仏塔や寺院跡、アショーカ王の石柱跡などの仏教建築群や、精緻な仏教彫刻で知られる仏教遺跡である。この遺跡からは、紀元前3世紀から紀元後12世紀にかけての仏教建築や仏教美術の興亡を知ることができる。

<商業資本家との相互関係(win・win)を築いたアショーカ王>

・象徴としての『古代ローマの通貨』がアショーカ王の時代の仏教遺跡から出土

⇒アウレウス(金貨)、デナリウス(銀貨)、セステルティウス(青銅貨)、ドゥボンディウス(青銅貨)、アス(銅貨)等。

⇒サーンチーのストゥーパ遺跡から出土。サーンチーはインドの中部のマディヤブラデーシュ州に位置し、アショーカ王が建てた仏教遺跡の一つ。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC

・商業資本家たちが果たした重要な役割

特に海外との交易が活発に行われた。

⇒アショーカ王の時代、インドはすでに広範な交易ネットワークを持っており、これはアラビア半島、東アフリカ、東南アジア、さらに地中海地域までが含まれていた。

⇒商業資本家たちは、これらの地域との交易を通じて、香辛料、宝石、織物、象牙などの高価な商品を輸出し、同時に金、銀、ワイン、オリーブ油などを輸入していた。

・交易を奨励したアショーカ王の時代の主な政策と交易モデルの原型構築

治世下でインドの経済は大いに繁栄した

政策は交易路んお安全を確保し、商人たちが安心して活動できる環境を整えることに重点を置いた

また、アショーカ王の仏教への改宗とその教えの広まりも、交易ネットワークを通じて他の地域に影響を与えた

◆貿易風を利用した海上交易

マウリヤ朝(アショーカ王)の衰退後のサータヴァーハナ朝

デカン高原からインド洋沿岸までを支配する大国へと成長

出典:https://gusyakensekaishitankyu.com/?p=8302

◆(Ⅱ)クシャーナ朝のカニシカ1世(144年~171年)

マウリヤ朝は、アショーカ王(紀元前304年~紀元前232年の死後、急速に衰退。
紀元1世紀頃には、「クシャーナ朝」がインダス川流域を支配していた。

仏教の保護者としても知られ

彼の治世下でガンダーラ美術が発展し、初めて釈尊(ブッダ)の像、仏像がつくられた

出典:左図)https://butsuzou.themedia.jp/posts/7717652/ 右図)https://www.louvre-m.com/collection-list/no-0010 下図)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99

インダス川の上流域は、中央アジアとつながる東西交易の重要な拠点でした
そのため、大乗仏教は、中央アジアを経て中国へ、そして、朝鮮半島、日本にまで伝わった。

出典:https://www.kawai-juku.ac.jp/spring/pdf/text201958-535673.pdf

しかし、“出家した者のみが救われるという考えは、利己的である”という批判が出始めます
その考えのもとに生まれたのが、大乗仏教でした

分かれた理由と時期

主に仏教の教えや戒律の解釈の違い

釈迦(紀元前563年~紀元前483年頃)の死後、

弟子たちは釈迦の教えをどのように解釈し、実践するかについて

紀元前3世紀(紀元前300年~紀元前201年)頃に意見が分かれた

仏教の教えを広く大衆に広めることを目指した大乗仏教

仏教の戒律を厳格に守ることを重視する上座部仏教に。

⇒この分裂は『根本分裂』と呼ばれている。

出典:http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/bukyoframe.html

※【大乗仏教のアウトライン】

大乗仏教は他者の救済慈悲の実践を重視

  • 目的:他者の救済を重視利他行
  • 修行方法:六波羅蜜の実践(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若)。
  • 広がり:中国、朝鮮、日本(北伝仏教

<大乗仏教の特徴

大乗仏教は、初期仏教(上座部仏教)とは異なり、より広範な救済を目指す教えとして発展した。

  1. 普遍的な救済:大乗仏教は、すべての生きとし生けるものの救済を目指します。出家者だけでなく、在家者も含めた一切の衆生の救済を掲げています
  2. 菩薩の道:菩薩(Bodhisattva)という概念が重要で、菩薩は自らの悟りを求めるだけでなく、他者の救済をも目指します。菩薩は修行を通じて他者を助けることを重視します。
  3. 空(くう)の教え:万物が本質的には無常であり、独立した永続的な自己を持たないことを指します。この「空」の概念は、大乗仏教の中心的な教義の一つです。
  4. 大乗経典:大乗仏教には独自の経典があり、代表的なものには『般若経』、『法華経』、『浄土三部経』、『華厳経』などがあります。
  5. 如来蔵思想:すべての衆生が仏性を持ち、修行を通じて仏となる可能性があるとする教えです。
  6. 地域的な広がり(北伝仏教):大乗仏教は、インド、中央アジア、中国、朝鮮、日本などの国々で広く信仰されている。

上座部仏教のアウトライン

上座部仏教は個人の修行と戒律の遵守を重視

  • 目的: 個人の悟りを目指す(自利行)。
  • 修行方法:戒律を厳格に守る。
  • 広がり:スリランカや東南アジア(南伝仏教

<上座部仏教の特徴>

釈迦の教えを忠実に継承し、厳格な戒律と個人の修行を重視する仏教の一派で、スリランカで大成した

  1. 戒律の重視:上座部仏教では、出家者(比丘)に対する戒律が厳格に守られている。これはセックスしない、酒を飲まない、金銭に触れないなど、227の戒律が含まれている。
  2. 個人の修行:上座部仏教は、個人が修行を通じて悟りを開くことを目的としている。これは、大乗仏教が他者の救済を重視すうのとは対照的である。
  3. パーリ語仏典:上座部仏教は、パーリ語で書かれた仏典を使用し、これを通じて釈迦の教えを伝えている。
  4. 口伝の伝統:仏典は「読む」書物というよりも「詠む」書物として、声を介して身体に留める伝統が培われている。
  5. 地域的な広がり(南伝仏教):上座部仏教は、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、スリランカなどの国々で広く信仰されている。

上座部仏教は、釈迦の教えを純粋な形で保存し続けることを目指しており、その厳格な戒律と個人の修行を重視する姿勢が特徴。

出典:https://sekainorekisi.com/glossary/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%A9%E7%BE%8E%E8%A1%93/https://sekainorekisi.com/glossary/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%A9%E7%BE%8E%E8%A1%93/

注)ガンダーラ美術(=ギリシャ仏教美術):紀元前後にヘレニズムの影響を受けたバクトリア(現在のアフガニスタン北部からイラン東部)地域のグレコ・バクトリア王朝で、ギリシャ彫刻の手法を用いて写実的な仏像や菩薩像が作られ、仏像崇拝の流行が起こった

ガンダーラ仏像の特徴は、螺髪が波状の長髪で、目の縁取りが深い容姿でそびえ立つ姿がまるで西洋人のように見える。着衣の皺も深く刻まれて、自然な形状である。作品はほとんどがレリーフ(浮彫)であり、多くがストゥーパ基壇の壁面に飾られた。ガンダーラ彫刻はクシャーナ朝のカニシカ1世(144年~171年)の治世において多くの発展を遂げた。ガンダーラから始まった仏像彫刻の技術は、インド本土はもちろん、中央アジアを経て、中国大陸・朝鮮半島・日本にまで伝わった。

※仏像は、大乗仏教の発達とともに盛んになっていき、弥勒菩薩(みろくぼさつ)や阿弥陀如来(あみだにょらい)など、さまざまな仏の像が生まれた。