NN2-5-7.『中論』:『論争の意義』~否定の論理の目的としての<縁起>の解明~

■『中論』の目的

・以上「八不」(「不生、不滅、不常、不断、不一、不異、不来、不去」という八種の否定)をてがかりとして

⇒簡単に『中論』における否定の論理を検討したのであるが、

⇒このように『中論』が種々なる否定の論理によって

⇒<法有>の主張を排斥しているのは一体何を目的としていたのであろうか。

⇒かんたんにまとめていえば、その最後の目的は、

⇒もろもろの事象が互いに相互依存または相互限定において成立(相因持)しているということを明らかにしょうとするのである。

⇒すなわち、一つのものと他のものとは互いに相関関係をなして存在するから、

⇒もしもその相関関係を取りさるならば、

⇒何ら絶対的な、独立なものを認めることはできない、というのである。

⇒ここで<もの>という場合には、

⇒インドの諸哲学学派が想定するもろもろの形而上学的原理や実体を意味しうるし、

⇒また仏教の説一切有部が想定する<五位七十五法>の体系のうちもろもろのダルマ(法)を含めて意味しうる。

⇒何であってもよいのである。

⇒たとえば『中論』の第二章(運動の考察)において、

⇒去るはたらき、去る主体、去っておもむくところを否定したあとで、

⇒ピンガラはいう。

⇒「かくのごとに思惟観察せば去法(去るはたらき)も去者(去る主体)も所去処(去っておももくところ)も、

⇒これらの法は皆な相因持す。

⇒去法に因って去者有り。去者に因って去法有り。この二法に因らば則ち去るべき処あり。

⇒定(さだ)んで(決定的に)有りと言うを得ず、定んで無しと言うを得ず」(大正蔵、三〇巻、50ぺージ下)

■縁起を明かす『中論』

・この<相因持せること>を別の語で「縁起」とよんでいる。

⇒チァンドラキールティの註によると、

⇒「不来不去なる縁起の成立のために、世間に一般に承認された去来の作用を否定することを目的として」、

⇒第二章における否定の論理が説かれているという(『プラサンナパダー』92ページ)。

⇒故に不来不去を説くのは実は縁起を成立させるためなのである。

⇒また不生不滅を主張するのも、「不滅などによって特徴づけられた縁起」(同書12ページ)を明らかにするためであり、

⇒また、不一不異を説くのも、「不一不異なる縁起の法を解せしめんがための故に」(『般若灯論釈』七巻、大正蔵、三〇巻、84ぺージ上、86ページ下)である。

⇒また不常不断は最初期の仏教以来縁起の説明において常に説かれていたことでありーっこれは後に説明するー、

⇒いま『中論』において不常不断なる縁起が説かれているのもすこしも不思議ではない。

⇒したがって八不(「不生、不滅、不常、不断、不一、不異、不来、不去」という八種の否定)は縁起を明かすために説かれていることであるから、

⇒チァンドラキールティは、

⇒「論書(『中論』)の闡(せん)明すべき目的は、不滅等の八つの特徴によって特徴づけられた縁起である」(『プラサンナパダー』3ページ)と断言している。

⇒八不がそのまま縁起なのである。

⇒このように、『中論』における否定の論理が

⇒ことごとく縁起を明かすために述べられているのであるから、

⇒『中論』全体が縁起を明らかにしている、という推定が確かめられたこととなる。

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