出典:https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4494426/001_pa011.pdf
【要約】
本稿は、ナーガールジュナ(150~250頃)の著した『中論頌』(Madhyamakakalika)の論理構造に関して若干の考察を試みたものである。この論書は、『般若経』を始めとする大乗経典の理論的支柱として、それが後代に与えた影響は計り知ない。以降の大乗仏教運動を今日に至るまで、その理論面から支えていくことになったのは、他ならぬこの『中論頌』である。
ところでこの論書の中心は「空」(sunya)ということにあり、その概念は従来の部派仏教の哲学論理を大きく変化させた。しかし同時に、それはまた仏教内部の部派やインド六派哲学との論争を惹き起こすことにもなったのである。ここでは、「同一律」を否定することによって成立する「空」の論理構造を、『中論頌』そのものの言説(vyavahara)を通して検証し、その論理が切り開いた独特の地平と、またその論理みずからが含んでいる陥咋とを跡づけようとする。
すなわち、1、『中論頌』を、「形而上学」を退けようとしながらそれ自身「形而上学」になってしまったものとして捉え、これを言説と観念の関係という観点から批判する。
2、『中論頌』の思想的意義を、仏教思想の体系そのもののなかに認めるのではなく、その外部との〈日常的言語表現〉つまり「言説」(vyavahara)による対話の可能性において見る。以上の立場を取って本稿は展開される。
序
「大乗仏教」の最も基本的な論書とも見なされるナーガールジュナ(Nagarjuna、龍樹、150~250頃 )の『中論頌』には、後代数多くの註釈書が書かれ、その真意についてさまざまに論じたものが残されており、ほぼそれらの解釈に従って『中論頌』は理解されてきたといえる。しかしその解釈も『中論頌』を解明するよりは、むしろ誤解や混乱を生じさせているとも言えるほどに、『中論頌』の語っていることとは異なっているように見える。山口瑞鳳氏は、その論文「仏教における観念的実在論の排除ー「空」は「零」でも「無限小」でもないー」の冒頭において、今日にいたるまでの仏教学を批判して、次のように述べている。
今日の仏教学では、研究者さえも仏教が基本的に観念論を説くものと理解している。尤も、仏教の歴史の中でいくつもの観念論が説かれて来たから、それらに気を奪われると、観念論が仏教の本流であると錯覚しがちになるであろう。大きな流れを追うだけでも、刹那滅論、唯識説、如来蔵思想、チャンドラキールティや中国華厳哲学で説かれる相互縁起(相依性)など、どれをとってみても観念論に終始していて、諦観の智を得るために現象世界を凝視して、知覚されているものの原因としての在り方を、本当の意味で「如実」に吟味したものはない。ほとんどが知覚経験の結果である空間的表象から抽象し、構築された静止的な観念論のみを言薬を通じて指向の対象として、議論しているだけである。
この氏の指摘を踏まえつつ、ここでは、過去の註釈書に従って論じるという従来の仏教学研究とは方法を異にして、直かに『中論頌』そのものの論理構造の問題点を考察してみようと思う。あらかじめ断っておかなくてはならないが、この論考の意図するところは、『中論頌』によって目指されているものが、そのことを敢えて批判的に捉えることによってしか、その全貌あるいは可能性を現さないのではないか、という点にある。すなわち『中論頌』は逆説としての論書と見なければ、その主旨の根本には近づきえないのではないか、というのがこの論考の眼目である。
『中論頌』は通常言われているように、いわゆる西洋的な形式論理学からすれば、その根幹をなす三本柱であるところの「同一律」「矛盾律」「排中律」のいずれをも否定するところに成り立つものである。而してここでは特にその「同一律」についての問題点を中心に据えて、それを拡大してみることによって生ずる意外性の出現可能性を示そうと試みる。そのことによって一般的に仏教の、殊に大乗仏教の根本を成すと考えられている「空」「中道」「涅槃」「如来」さらに「法」「等々の概念についての捉え方もまた、大きく異なったものになるのではないかと思われるからである。しかしそのことによって仏教の体系のその後の展開がすべて無化されたり否定されたりするわけでない。ただこの論考では『中論頌』の論理をその論法に従えば従うほど別様な場に導かれる可能性が出てくることを強調しておきたいのである。
異なる文化のもつ論理構造を論ずる場合、それが言語によって表されたものであればあるほど、その言語構造および意識構造にまでそれは深く関わる問題であり、単純な比較や類推を行うことには慎重でなければならない。
それは実はほとんど不可能なことでもあろうが、しかし敢えてここでは、トポス(場所)を共有しうるものをもって〈論理〉と考えるならば、『中論頌』のすべては論じられないにせよ、その一側面を浮かび上がらせることは出来るように思われる。
本論考においては以上の点に留意しつつ、「同一律」すなわち「AはAである」という論理の基礎の基礎ともいうべきその一点に絞って、『中論頌』に接近しようとする。
『中論頌』においては「無自性・空」(nil)Svabhava•sunya)というように、この「AはAである」が根本的に否定されるのであるが、そこで起こる疑問は、それが必ずしも彼の意図している結論には向かわないのではないか、ということなのである。すなわち、彼は「無自性・空」をもって「縁起」を説き、さらにそれを「中」と言うのであるが、その「空」をもってただちに「中」とすることに対する疑問である。そしてその疑問は同時に、「二諦説」的に世界を捉えることにも繋がってくる。つまりここにおいて彼は自らの論理の可能性を自らで捨て去ってしまっているのではないか、ということである。そのことの論証のために、その関連の箇所には『中論頌』からの引用を掲げるが、しかし『中論頌』は全体が極めて有機的に連関しており、特定の一部分だけを切り取ってくることは許されず、常に全体との関係のなかで読まれなければならない。
では何故先のような帰結に導かれてしまうのであろうか。その理由を考えてみるに、それは彼の言語の捉え方それ自体に深く関わっている問題であるように思える。そしてそれを明らかにするためには、『中論頌』に記された言語をいくら具に検討してみても十分とは言えず、むしろそれを支えている彼の思考の動きそのものに着目しなければならない、と考える。
<参考情報>
■『空』を例える
・口の中にツバが出来れば、自然とツバを飲み込む(下図の右側)
⇒そのツバを一旦コップに出して、それを飲み込む事は出来ない(下図の左側)
⇒「ツバ」そのものは変わらない

・中道
⇒汚いツバ (縁によって外に出た)vs 綺麗なツバ(縁によって口の中にある)と名付けられているに過ぎない。

⇒本体がない(固定的に永遠に存在する本体はない)
⇒つまり実体がない=空
⇒ツバはツバである(名付けられた汚いツバ 、 綺麗なツバに実体はない)
⇒つまり両極(名付けられた)を排した(執着から離れる)のが
⇒それが中道である
⇒無自性=空

出典:サブタイトル/「龍樹菩薩の生涯とその教え(縁起=無自性=空=中道)」~2022年度 仏教講座⑪ 光明寺仏教講座『正信偈を読む』の転記~
故に、ここでは『中論頌』の表面に概念や命題として現れるものを彼が「空」と称するところのものとの相互的な照らし出しによって相共に対象化する試みが行われなければならない。『中論頌』の「 言説」(vyavahara)自体に語らせるという方法では、その問題の所在に直接触れることは困難であると判断する。
そのためにここで採られる構成は、彼が積極的に打ち出そうとする「空」や「中」というものと、逆に否定的な意味合いをもって語られる「極」や「戯」というものをあらためて検討することによって、その当初の座標系を転換せしめようとするものである。それを先ほど述べた「同一律 」の問題を基軸として、この論考の中心において論じる。
さてそのようにして辿り着こうとする主題、ここに逆説的に立ち現れてくる主題が「形而上学的問題の可能性」というものである。しかしここで注意したいのは、それが「形而上学の可能性」とは似て非なるものであるという点である。実際はその反対であり、本論考においては、ナーガールジュナは「形而上学的問題」を排した故に、また別の「形而上学 」を無意識的に作り上げたものとして、また『中論頌』は「形而上学」を排そうと試みながら、みずから「形而上学」に陥ったものとして捉えられる。
そしてさらに、その「可能性」ということも、決して無条件でそうであるというわけではなく、「不可能性」との際どい閲ぎ合いが、それへのばねとなるのだという認識の上に置かれている。
しかし何故このような主題が主題たりうるのであろうか。それは次のように答えることが出来るだろう。こ の「形而上学 」をめぐる議論のうちに、押し留めがたい意識の状態があるのであり、その非決着のうちに必然性があるからである、と。「あるがまま」を容易に「あるがまま」とは認めない、その認めないことを「迷い」とも認めない、そのような、いわば偶然性と紙一重のところに成立する思想の必然性があるからである、とそれ故にこそ、この主題は、彼の「帰謬論証」(prasanga)という方法によっても消滅せず、対説一切有部、対ニャーヤ学派の枠を大きく越えて、ゴータマ・ブッダはもとより、ソクラテスやカント、そして現代哲学において議論の集中する「同一性」と「差異性」の問題とも呼応して
いるのである。
例えばM・フーコー『言莱と物』、J.デリダ『エクリチュールと差異』、G・ドゥルーズ『差異と反復』等々における「言説」と「権力」の関わり、否、過去にさかのぼって、日本中世の仏教者たちの置かれた時代の状況の中にも、この基本構造は見え隠れしながら、それら思想のうちに喚起されていたはずである。
ただ、彼の場合、この問題の所在について極めて早い時期に、かつ極めて鮮やかに、そして自覚的にそれを白日のもとに晒しえたことが、その後の仏教論理学の隆盛を促したのである。そのことはまた本論考にも―つの観点を提供する。がそれは、彼が説くような「戯論寂滅」ということではなく、言菓が絶えずこちらによって捉えられると同時に、こちらもまた言菓によって捉えられるその時と場を確認する、という方向においてである。
■ 一
『中論頌』(Madhyamakakalika)の著者ナーガールジュナは、如何なる意図をもってこの論書を作成したのであろうか。当時は、説一切有部、経量部などの部派仏教教学が隆盛を極め、また一方、いわゆる正統バラモン各学派の哲学体系は、六派哲学として形成されつつあった。
そして彼が拠り所とした大乗仏教は、般若経経典の多くをすでに成立させてはいたが、しかし未だなお、そこには他の諸教学に見られるような哲学的・論理学的体系が乏しく、「教団」(sanga)を「教団」として維持し、発展させていくためにはどうしても、他教団との論争に耐えうるだけの体系を整える必要に迫られていた。
そこで彼は、『中論頌』を始めとする一連の論書を対論者たちとの論戦の中で作成していき、またそれは自ら自分たちの思想的基盤をも明らかにすることともなったのである。論争は取りも直さず言築による思想の角逐であり、そのためには何よりもまず言菓というものが何であるのかを見極め、それを厳密に定義して置かなければ始まらない。彼はこのことをよく理解していた。
『中論頌』はそれ故に、言菓について始まり、そして終わる、と言っても過言ではない。と言うのは、彼はこの論書において、対論者たちがその根拠とするところの言葉の概念性が無実体であることを次々に、そしてまた悉く暴露し、破砕するからである。そこでは、対論者の有する言莱=概念=実体という基盤の上に構築された論理の体系は、その極まるところにおいて自己矛盾をきたすように導かれていく。彼は自らは、このとき「言菜」の彼岸に立って、「言策」が循環運動をして、同語反復に陥るの
を見ているのである。
■ 序
滅することなく、生ずることなく、断滅ではなく、
常住ではなく、同一ではなく、異なることなく、
来ることなく、去ることのない
戯論が寂滅し吉祥なそのような縁起を説かれた
正覚者にもろもろの説法者のうちの最もすぐれた人として敬礼する。


不生亦不滅 不常亦不断
不一亦不異 不来亦不出
能説是因縁 善滅諸戯論
我稽首礼仏 諸説中第一
(※この「序」は『中論頌』の冒頭に骰かれ、しかも論全体の主張の核心部分を成すものでもあるので、参考までにサンスクリットの原文と鳩摩羅什による漢訳とを併記する。)
<参考情報>

出典:サブタイトル/仮名/仮の働き:三時否定のからくり~龍樹の八不と思考の次元化より転記(渡辺明照 大正大学講師)~
一・1
もろもろの存在はどこにおいても、いかなるものでも、自身からも他者からも両者からも無因からも、生じたものとしてあることはない。
二・1
まずすでに去ったものは去らない、まだ去らないものも去らない、すでに去ったものとまだ去らないものを離れて現に去りつつあるものも去らない。
二・3
現在去りつつあるもののうちに、実にどうして去るはたらきがありえようか、現在去りつつあるもののうちに二つの去るはたらきは成り立たないからである。
ここで問題にされるのは、特に二・3に顕著なかたちで現れている、「法」(dharma)すなわち概念性を実体と見なすか否かの議論である。ここに示されるている「去りつつあるもの」と「去るはたらき」とを区別しつつそれらを実体的な概念と見なす説一切有部の考え方に対し、彼はそのような認識のあり方を厳しく排している。
『中論頌』という論書を書くに際して、彼の本意は常にその運動の外にあって、言莱はそれ故、対論者と論争するための不可避の条件である、という以上のものではありえず、同一の言葉による論戦であるように見えても、実は、彼はすでに言莱を捨てたところから始めている。
端的に言えば、この論書において彼は一 言も語ってはいないのである。言葉はすべて相手方に属していて、しかも同時に相手のその拠って立つべき論理的根拠の足もとを突き崩す仕組みに作られている。つまり対論者の言葉だけを使用してそれが「戯論」(prapafica)にすぎないことを明らかにしていくのである。
では彼は、そうすることによって、何を示そうとするのか。おそらく彼は何も示そうとはしていない。むしろ積極的に「何も示さない」ということを示そうとしている。そして何も示さないことで何かを示そうとしている。
それではその「何か」とは何か。しかし彼はそれ以上のことを語らない。彼は何も語らないのである。「言説」(vyavahara)それ自体において何ひとつ説明することなく、ただ黙って示している姿のみが、そこには浮かび上がってくる。それはゴータマ・ブッダの「無記」の実践にも通じているのであろうか、彼もまた、言葉による認識は言葉による存在しか開示しない、ということを知悉していた。
言築による認識が不可能な存在に対しては言葉は無力である、ということを。彼は、言莱の概念性
の首尾一貫性や自己完結性に基づく自己充足を撃ち、その概念が存在の実体であるかのように見なすことを否定する。彼はその当然の帰結として「存在」(bhava)という言葉をも究極的には認めない。
それは「空」だからである。「一切法」(sarvadharma}J)は「空」であり、言葉のなかに現われるあらゆる現象、あらゆる存在、あらゆる運動は悉く滅せられる。そして「一切」が「寂滅」したところに現れるものに彼の眼差しは向けられている。しかも彼は日常的言語表現(vyavahara)によってそれを示す。「一切法」は「滅」することがないのだ、「一切法」が「滅」するゆえに「一切法」は「滅」することがないのだ、ということを。
三・4
何ものも見ていないとき、見るはたらきは決して存在しない、見るはたらきが見るというならば、どうしてこのことが妥当するだろうか。
三・5
見るはたらきが見るのではない、見るはたらきでないものが見るのでもない、実に、見るはたらき(の論破)によって見る主体(の論破)もまた説明されたと理解されるべきである。
三・6
見るはたらきを欠いても、欠かなくても、見る主体は存在しない、見る主体が存在しないから、見られるものも見るはたらきも、ともに存在しない。
四・8
論争がなされたときに、空性によって論破をなす人がいるならば、その人にとってはすべてが論破されていないのであり、すべては論証さるべきことと等しいことになる。
言菓(sabda)は存在し、かつ存在しない。その定義自体の中にすでに自己矛盾・自己撞着を含んでいる。それ故、言莱によって表される以上、そのことは次のように言う他ないのである。すなわち「不生亦不滅」であると。

『中論頌』冒頭の「八不の偶」は、そうすれば決して奇異でも何でもない、至極当たり荊のことを言 って いるにすぎない。言築をもって、つまりそれが示すところの概念をもって語ろうとすれば、おのずからそうなるのである。彼は常にひとつのことを繰り返して言う。「戯論 」(prapafica)つまり言説的展開から離れよ、と。言葉に囚われたものにはその背後に広がる、より深い真実の世界が隠されてしまう。
言莱の栢桔を振り解いてその真実に直に触れなければならない。彼のこの「八不の偶」に表されるような「四旬分別」の方法は、形式論理の否定という点では、ヴェーダ、ウパニシャッドに窺えるものとその発想の方法において全く異質のものではない。むしろ彼等が抱いた存在の無限性・永遠性への希求、信頼と極めて近いとさえ言いうる。しかしながら、ただ一点 、言築のもつ概念性に「信」を置くのか置かないのか、という点においてその差異は一挙に拡がってしまうのである。
ヴェーダ聖典以来の流れを汲む正統バラモン諸派は、言薬のもつ固有の威力を信じ、その.一つ―つが確実な実体をもって世界の根源的実体であるところの「梵」(brah‐man)と連関している。しかし他方は、言築という障墜を取り払ったところに開示される、より直接的で直観的な究極性としての「空」へと導かれる。一方が自身の内なる「我」(atman)と宇宙の最高存在「梵」とに実体性を認めるのに対し、他方はそのいずれをも「無我・空」として、それにいかなる実体性を持たせることも断固退ける。このように、そこには最高存在も自己存在もともに言葉の概念性のもたらす綾にすぎない、とする強い批判が込められているのだとも言えよう。
しかしながらその二つの相はそれほど異なっているとは言えず、どこか同一物の表と裏を眺めているようなところがある。何故であろうか。それは正統バラモンの存在の思想に対し、仏教のそれが「空」の思想であることに由来するにせよそれらは正反対の方法を取りながらも同一のものに対する「合一」の思想であるからに他ならない。
存在という円環、この悪しき円環からの脱却である。ここにおいて、存在に留まることは「迷い」であり、存在を超出することが運動の止滅であり「悟り」と考えられる。
そして同時に存在は否定されるべきものになる。存在の「一切」は「苦」と観ぜられる。存在が悪しきもの、迷妄、と判断されるとき、「真如」(satya)は自身の「内」あるいは「外」に求めなければ見出せぬものとなる。「真如」は存在の表面からは隠されたものとなるのである。そして、肯定的手段ないしはまた否定的手段を駆使することによってその隠れたものを見出そうとするこの発想は、おのずから自身を「自然」(tathata「如来」「あるがまま」)へと向かわせる。それは不完全なものであると同時に完全ななものへ到るべき唯一の契機と考えられるからである。そして求められる完全なものとは、その不完全なものの中にこそ現れている、という再考がなされる。すなわち「自然」は「一切」あるいは「無」の現れに他ならない、ということになる。つまりここにおいても否定と肯定とが相反する姿を取りながら互いに紙一重のところで相重なるものであるということができよう。換言すれば、それは「自然」を「迷い」の存在、「虚妄」の存在と観じつつも、「梵」あるいは「仏」(buddha)という無上性との連関において再び受容され、同一化されるものとなるのである。
七・34
あたかも幻のように、あたかも夢のように、あたかも蜃気楼のように、そのように生が、そのように住が、そのように滅が説かれる。
二三・8
色・かたち・音声・味・触られるもの・香りものはただそれだけのものであり、蜃気楼のかたちをもち、陽炎や夢のようなものである。
二三・9
これらの幻人のようなもの、また映像に等しいものにおいて、どうして不浄とか浄とかが成立するであろうか。
そこでは全否定が容易く全肯定に、全肯定が全否定に転位しうる構造を内包すると言わなければならない。「自然」を「空」と見るものは「空」ゆえに否定し、あるいは一方「空」ゆえにこれを肯定する。そのため「自然」に対し、それが微々たるものであろうとも何らかの抵抗を持つことは困難となるのである。「諸行無常」(sabbesankhala anicca、パーリ語)である故に、元より確実なものなど認めないからである。「自然」は「自然」という概念化に遮られ、「死」と「生」とは究極的に同一と見なされる。また反対に、全てを否定する故に、全てが肯定されるという構造が、表裏一体の関係としてここには見出される。
■ 二
では、ナーガールジュナが『中論頌』で行っていることは、果たしてこの反転の構造を抜け出ていくための方途を示すこと足りえているのであろうか。彼が批判しようとしている対論者と、その論理の展開において、どこに決定的な差異が見出せるであろうか。
その対立の中心的論点は、前述したように、概念が実体であることを認めるか否か、ということにあったのであるが、彼の論法は、その論法自体の鋭さにもかかわらず、この構造そのものを脱するべき道を示しえてはいないように思われる。彼の議論もまた、存在そのものに関わらない以上、否、「言莱」に関わることが取りも直さず「世界」に関わることである、という認識の仕方も含めて考えても、この差異は極めて大きいと言っても、より広い枠組のなかにおいてはほとんど何も変わっていない、と言えるのである。
なぜなら、円環は依然円環であるに留まり、「自然」はあくまでも「自然」であり続けるからである。彼は「自然」を「迷い」としながらも、それに背くことはないし、それを「空」なるものとしながらも、そのこと自体を批判することはない。「自然」を脱却することを志向することはあっても、それに手をかけて変じようとは決して考えない。彼にとっては認識することがすべてなのである。しかも彼においては、迷い」から「悟り」への認識は無限の距離を保ちながらも、紙一重であり、瞬間的である。「空性」(sunyata)の認識が「悟り」とされる因は、彼ひとりに帰されるべきではないかもしれない。それはまたゴータマ・ブッダの悟ったとするその内容にまで及んでくる問題であり、またその後形成された仏教教団の中において次第に絶対的なものに昇華されていく経緯の中で、彼にもその影響が及んでいる、と言 ったほうがよいのかもしれない。
言葉の実体性を疑い、批判した彼が、その観念性から自由ではありえなかったのは何故か。あるいはゴータマ・ブッダの思惟したこと、その内容と実践が無意味となることはなくとも、しかしそれをもってゴータマ・ブッダが「悟った」と、どうして断言しうるのか。橋爪大三郎氏はそのような仏教教団とその経典テキストがインド社会とどのように関係したかについて、ことに『般若経』が果たした意味について次のように述べている。
般若・阿弥陀・法華・華厳.といった一群の経典は、個別の思想的奥行きもさることながら、互いに引照しあい、反響しあい、侵入しあうことで、特異な効果をうみだすテキストの全体なのだ。その効果
に捉えられると、ひとは、インド社会が単一の「拡大されたサンガ」にほかならないとみえてくる。(中略)まずすべてのテキストの根底に、般若経の層が横たわる。般若経の法=空の立場は、インド社会に内属しつつ、その社会生活のルールを効力停止する(と称する)ものだった。このようことを可能にし
ているのは、二重語法の文体である。/この般若経の言説は、社会生活のルールだけでなく、(二重語
法に拠らない)あらゆる経典の言説の効を、ついでに遮断してしまう。小乗の仏説にせよ、アビダルマ
にせよ。そのうえで、すべての言説を二重語法のうえに組みなおす。いったん二重語法(般若経)に侵
入されたテキストは、任意の立言の隣りに、(陽子・反陽子の関係に立つような)反対立言を(視えない
字で)書きこまれてしまったのと同じである。
確かに、橋爪氏の指摘の通り『般若経』の法=空の思想は、その「二重語法」をもってインド社会の言説秩序の中に「侵入」し、その内側から「効力停止」してしまうようなものであった。そして一見したところ言説(vyavahara)の秩序に従うかに見えながら、それ自体を無化することを方法論的には目指していたのである。
しかしまたここにおいて、その「反対立言」は、それが「視えない」「反対立言」であるということによって、その「効力停止」の如何もいかようにでも「視えない」「効力停止」となる他ないのではないか、という疑問が起こる。
釈迦が到達した考えは、非常に深い洞察をもっていたにせよ、それが目指されるべき唯一の究極的あり方であるとする保証は果たしてありうるのかということである。ゴータマ・ブッダは、いわゆる「仏教」のその第一歩を踏み出したのであるが、その後の仏教史は彼の思惑を逝かに超えた勢いをもって、その教義体系を整えていった。しかしそれはあくまで彼の「悟り」が無上のものであることを脅かすものではなかった。これは、大乗経典は仏説であるから「真如」なのではなく、「真如」であるから仏説なのだ、とする考えも含めて、である。
『中論頌』の著者といえども、この陥穿から免れているとは言い難い。彼のうちにある無上の観念は涅槃」であり、「如来」であり、「縁起」であり、「空」である。
そしてそこへ至る道として「輪廻」「迷い」「煩悩」から「解脱」「悟り」への構図が描かれる。彼の思想を一言で表わそうとすれば、ものごとの「あるがまま」を見よ、ということになろう。「如来」とはそういう意味であるし、また「自然」というのもそういうことであるからである。ここにおいて、彼の極めて鋭利な論法は、しかしながら、あくまで言菓の領域にのみ留まり、決してその域外に出るものではない、と言わなければならない。それは「自然」という言菓の実体性・概念性を穿つものではあっても、「自然」そのものと関わるものではなく、それとぴったりと重なり合一すべきものとして現れる。
そのような合一思想は、一神教的宗教をも含んだ宗教思想、哲学思想の多くに現れてくるものであるが、それは彼の思想の中にも同様に見られるものである。
ただし彼においては、個的実体が絶対的実体と合一するというものではなく、逆に、「無我」が「空」と合一する、とされる点で、極めて独特である。文明はある程度の規模を有するようになるに従い、その中に様々の傾向、形態の思想を孕むようになる。そしてそれはまた極端から極端へ、その論理の自己運動性によって推し進められていく。このことはインド思想においてもまた見られる現象である。「見える」ということは「在る」ということであり、「在る」ということは「正しいこと、善いこと」であるとする、いわば素朴な実在論が、やがて「見える」ものは本当に「在る」のか、という疑問を差し挟まれるようになり、今度は、「在る」ということが「見える」ということから限りなく離れていき、「 見える」ものは、実はすべて仮象である、とする別のもう一方の極端へと突き進んでいくのである。
そしてナーガールジュナに至るや、その最大の論敵と見倣した説一切有部の掲げる概念性の実在をも否定することとなる。
しかしこの両者において「見える」ものが直ちに「在る」ことを意味しない点では一致している。感受される世界が即座に意識される世界ではない、というこのズレは、「自然」過程からの「 自然」白体の違和であり、異化である。説一切有部は感受されるままの世界を放櫛した後、綿密に分析され意識化された世界を再構築するが、彼はそれをも「般若」(prajfia)に対して「虚妄分別」として退けるのである
。それによって彼は、世界を、概念化・体系化する意識 ・言語の魔から解き放ったのだが、その放った方向は、仏教の論脈の中に限定されていた、と言わなければならない。
七・29
まさしく、一切のものの生起が起こりえないのであるから、/そのときには同様に、一切のものの消滅
することも起こりえない。
一一・1
始めもなく終わりもないものに、どうして中があろうか、/それ故にここでは前も後ろも同時も成り立たない。
一三・3
もろもろのものには無自性が存在する、変化することが見られるからである、/無自性が存在することはない、なぜならもろもろのものには空性があるからである。
一三・4
もし自性が存在しないとするならば、変化することが何ものに存在するだろうか、/もし自性が存在しないとするならば、変化することが何ものに存在するだろうか。
一三・7
もし不空の何ものかが存在するなら、空である何ものかが存在するであろう、/不空であるものは存在しない、どうして空なるものが存在するであろうか。
すでにゴータマ・ブッダは繰り返し、ものの実相を見よ、と説いたが、そこには本質主義的傾向が認められる。
だが、「見える」ということは「見えない」ということと独立してあるのではなく、相互補完的な関係のなかにある。すなわち、「見える」故に「見えない」のであり、「見えない」が故に「見える」のである。一切が「見える」ということは「一切が「見えない」ということでもある。さらにこのことは「在る」と「無い」ということとも関係してくる。「在る」ことも「無い」こともそれぞれに全体概念でありながら、「在る」とは、「無いのではない」、「無い」とは、「在るのではない」というように、単独では定義することの出来ない相互に依存しあうものである。「あるがまま」を「あるがまま」に「見る」ということは、「あるがまま」が「あるがまま」には「見えない」ということを前提にしているとも言いうるのである。
彼が、その批判の対象にしたバラモン哲学のニャーヤ学派、ヴァイシェーシカ学派や、また仏教内部の説一切有部などの思想、絶対的に「常住不変」の形而上学的実体を予想させる思想や概念性、「法」のみを実体と認める思想が、『中論頌』で言われるように、ひとつの極端な行き方であるならば、その同じ地平において彼の「 一切」の「法」的実体を否定する「空」思想もまた、別のひとつの極端として、同様のことが言えるであろう。すなわち、それぞれが相互に自らを「中」において捉えているのである。形而上学的実体を「在る」とすることからも、「無い」とすることからも離れ、形而上学的在り方、「法」をも、「在る」「無い」の議論そのものから否定した彼は、また自らの立場をも「極」(anta)に晒す
ことになる。そして同一地平と見られたそれぞれの「極」が、その内側から見られた場合、そこには大きな方法上の相違があることに気付かされる。どこまでも微細に、実体の、あるいは概念性の精緻さや体系的整合性を説明しようとする対論者が、いわば「極」を目的、到達点と見ていたのに反して、彼はその「極」をむしろ方法と化したのである。
自ら「極」に立とうとすることは、ある意味では立つべき立場を持たないということであり、さらに言い換えれば、方法のみをその拠り所とすることだ、と言える。
対論者の方法をその方法によって瓦解させるのが彼の方法である。それは、全体の相互の連関の中においてしか「在る」「無し」は論じえないものであり、いかなる実体も概念もそこから抽出して、切り離し、単独で「見る」ことは出来ない、とするゴータマ・ブッダ以来の「縁起」(pratityasamutpada)という考え方である。この、ものごとをいわば関係の相において見る、という方法は、一定の抽象水準を保ちながら、全体と個を同時的に見渡す。
そこでは、全体の中に個を見極めることも、個の中に全体を見極めることも、ともに許されない。なぜなら全体は個と等しくも等しくなくもないからである。常に全体と個の認識は同時的であって 、「不即不離」の関係におかれている。これはまた、それぞれの個どうしについても言えることである。
彼はここで「極」的立場、立場なき立場に立 つことによって、自らを「無自性」とし、関係化させたのである。つまり対論者の概念をさらに概念化することによって 、その実体性を無化したのである。そしてその方法は、と言えば、それは「縁起」による「同一律」の否定、ということになろう。彼は「縁起」という二頂に概念化された超概念に基づいて、対論者と共有する仏教思想の構造を、まさに構造ごとその地平を異にするところへ超越せしめ、「空」化したのである。
ゆえに説一切有部などの対論者の言う「涅槃」や「如来」という用語を使用しながらも、それらは彼においては何ら「法」的実体を有するものではなく、議論の極限まで推し進められた末に不可避的に引き起こされる無矛盾性の崩落そのものを意味している。「涅槃」も「如来」も、「空」ゆえに否定され、その「空」もまた「縁起」するものとして否定されるのである。いわば議論がそれみずからに耐えずしてその議論の対象もろともに消滅するのが、この「極」という場なき場である、と言えよう。
■ 三
『中論頌』の作者ナーガールジュナは、この「極」という方法を、「一切」に普遍化してみせる。「一切」を「極」的な現れとして見る。説一切有部との論争においても、彼は決して真 っ向から対立するような姿勢は取らず、むしろ相手の論理の流れを忠実に辿っていき、その論理の当然の帰結として、相手が踏み込まなかった地点まで進むのである。そしてその方法は、対論者の立場がいかなるものであっても、その立論が、その指向する方向に従って倒されるものであることを明らかにする。
そこでの対論者の有する種々の概念や論法は、無実体化され、そのもとの場には概念的把握を許さない世界が、不可能を不可避的にともなった無数の方向性をもって開示される、というのが彼の切り拓いた最も重要な論理的可能性であるように思われる。つまり彼にとっては論敵を倒すということよりも、あらゆる立論が、最終的にはその拠って立つべき根拠を自らのうちには有しえない故に不可能に陥る、ということが明らかにされるまさにその瞬間に垣間見せる世界の相こそが、はるかに深い意味をもっていた。何とも名指ししようのない、単なる「あるがまま」といった姿を逝かに超えた「ありうる」世界をかろうじて「如来」と呼ぼうとしたのである。
この「ありうる」世界は、決して「ありえない」世界と無関係ではない。また、そこに開かれた世界は、自身の「内」「外」をも超える次元をもっている。それはあたかも「同一律」によって繋留されていた「あるがまま」の「法」的世界のみならず、「縁起」的世界をも破砕しかねない契機ではあった。しかしながら彼は、この「同一律」の否定を「空」と観ずることによって、一切の形而上学的論議を「虚妄分別」であると退け、またそれを「戯論」と称することによって、再び「縁起」という唯一無二の関係性の中へ帰っていくのである。すなわちこれによって、無限の多元性を孕むところの可能態を放棄して、一元的方向性をもつ「空」の観念に収敏させていったと言える。
それは自ら持ちえた方法の可能性を、仏教思想、さらにまたインド思想全般のもつ基本的理念の枠組みの中において、歴史的、社会的、地理的条件との関わり合いの中で生み出された当然の帰結ともいえるかたちで統一したものとも言えよう。彼自身にも予想しえなかったような思想の可能性の出現に対して彼は自らこれを閉ざしたのである。彼は、アリストテレスの論理学にみられるような「矛盾律」「排中律」を悉く否定し去った上に、その大前提とも言うべき「同一律」にまで矛先を向けた。だがそこで、タウトロギア(同語反復)的に成立していると認識されてきた世界の体系性を、「諸行無常」の「あるがまま」という前提のもとに「空観」してしまったのである。
ジャイナ教で言われる「スヤードヴァーダ」(条件的命題)に言寄せて言うならば、彼は確かに一面から見れば、実相を鋭く言い当てているが、また逆に、「存在」を早急に「空」と断じている、とも言える。「戯論」を「空」の論理に一元化することによって、自身の『中論頌』もその「戯論」のひとつに加えたのである。ゆえに彼の難点は、その論法にあるのではなく、その論法から導き出される結論にあるのでもなく、暗黙の了解のうちにあるいわば最高概念に「一切」をもって一気に飛び越えてしまうその仕方にあるのだ、と言わねばならない。言い換えれば、問題点は『中論頌』のなかにあるというよりも、『中論頌』の成立以前の彼の意識のなか、および『中論頌』の言説の外にある、と言う方がむしろ適切である。
逆に言えば、彼の論法は、彼自身ことごとく退けようとした「観念」に依然支配されているということである。そしてそれは言薬が概念としてのみ批判される際に、常に起こりうる問題でもある。概念を空無化することによって彼は、自らの観念が絶対に論破されないとする地点を見出した、と同時に、反面その自らの観念を自身によって検証する手がかりを失ったのである。つまり無言のまま自らの観念をその言説の発語以前の「意言 」(manojalpa)に保つことによって再び宗教的「信」へと帰入する。そしてその「信 」とは勿論、ゴータマ・ブッダの説く「仏」であり、また大乗経典の語る「空」へと向けられるものであったことは言うまでもない。
『 中論頌』における問題点は、この「信」の側から光を当てなければ浮かび上がってはこないだろう。というのは『中論頌』がいかに哲学論争書の観を星していようと、根本的には宗教の書であるからである。「信」は、この場合、「般若」あるいは「覚」と言い換えることもできようが、それを前にするとき、この概念をめぐる言語論争はほとんど論争にはなっていない。なぜならその論争が直接相手の思惟形式を脅かすものではないからである。また、自身の思惟形式も危険に晒されることはない。双方が一
元化された観念の内側に留まっているゆえに、いわば上昇と下降とを逆転したかたちで「無上性」の高みから形而上学的問題を見下ろしている格好になっているからである。
彼の最大の難点は、この部分にこそある。すなわち、「仏」の「無上性」への「信 」という自己否定的自己規定をまさに「無上」なる観念の中に解消せしめることによって、対論者の「概念」を突き崩しながらも観念的にはしつかりと調和を保っている、そのところにである。と言うことは、さらに言うならば、彼は言築を離れているどころか、むしろそのなかに自足しているのだ、ということになるのかも知れない。なぜなら彼の方法が、言莱を、そのもの自らが有する運動によって極限へと導くことで自己崩壊せしめ、その概念の実体性を消滅させるものであった以上、例えば、たとえ「無自性 ・空・不去不来」を唱えようと、当然 、言葉そのものの内実、それがどこから発されどこへ解消していくかの自己反省を迫られるものであり、その「言説」(vyavahara)のなかに自らの言語認識をも明かるみに引き出さないではおかないものであるにもかかわらず、自らは言語表現の背後にあり続ける、という方法的自己撞着を犯し、かつ、そのままで「無上性」に自己規定するという二重の方法的矛盾を犯している、と言わねばならないからである。そして、この二重になされた自己矛盾が、それをそうとは感じさせない彼の「言説」の方法だったのである。
しかしこのような方法に立つ限り、『中論頌』がいかに極限を指向しようとも、「戯論」の空転は免れ得ないのである。彼は対論者を難詰しながら、自らもまた言語表現において空転していることに変わりはない。その空転が「一切」を「不生亦不滅」にし、「不常亦不断」にし、「不一亦不異」にし、「不来亦不去」にするのである。これはちょうど六師外道と呼ばれた者の一人、パクダ・カッチャーヤナが「人を殺しても刃が七要素の間隙を通過するだけである」と言ったのに似ていないこともない。つまりこれは「刃が七要素の間隙を通過する」ことをもって「人を殺す」と称するところの言莱の位相を違えた言い回しであって、これと同様のことを彼も行っているため、その方法の帰結としての「八不の倶」は、それが語られる水準のズレを問題にしない限りは、それに続く様々の議論を子細に詮索してみても、根本的な批判は不可能である。
ナーガールジュナの論法に従って、彼の描いた言説の上を共に滑走していくのではなく、彼がそれによって対論者を転倒させたかに思わせつつ、自らは決して自身の言菓を語ることなく、「無上性」の極みから再び「あるがまま」の「自然」へと舞い降りようとするその二重性こそが問題にされなければ、決して論破されることはないと豪語する『中論頌』が書かれた場を見失うことにもなりかねないだろう。それが本稿において中心的に論じられる所以でもある。逆説的に言うならば、『中論頌』は論破できないのではなく、論破する必要がないのである。何故ならそれはすでに系を閉じてしまっているからである。すなわち論理的・方法的に首尾一貰性を持ち、貰徹性をもつが故に、破綻せざるを得ないのである。言説の論理的一貰性が、なんら枇界の認識を支える根拠であるという保証はないのであって、その点で、彼はその空隙から世界の「実相」と呼ぶべきものを垣間見た、とは考えられても、対論者に対して自身を「論破できない」と主張した瞬間、その空隙によって生ずる世界を認識する契機もまた、対論者という対象への注視に替えられてしまったのである。
■ 四
『中論頌』の著者が、その他ならぬ『中論頌』によって可視させたのは、あくまでもひとつの論争の様態なのであり、そこには飽くことを知らぬ言薬への志向が働いているのを見ることができる。そしてまたそれが一見いかに過激なまでの論法を駆使したものであり、それによって対論者の論理が否定されるのを見ることができるにしても、彼が志向するものは、「不断不常」「不一不異」の関係においてある言築である。すなわち、「同一律 」の否定によるところの、言菓であって言莱ではないものである。そしてそこでは、言葉は沈黙を介在させなければならず、沈黙も言菓の介在とは無縁ではありえない。
ここに至って、彼には、ある決定的な媒介が欠落しているように思われる。つまり彼は、その方法の不徹底さゆえに、言莱と沈黙との「縁起」を把握しえず、両者を媒介している自らの場を見出すことなく、一気にその過程を超越してしまうのである。そしてその「空」化された状態の中で、言葉は「あるがまま」の沈黙に同化され、「一切法」が「無自性・空」であるということが断じられるのである。
言い換えるならば、『中論頌』は言莱と理念の二極分解的自己同一性の観を星しているとも言える。それは同時に「形而上学的問題」を排した故に、また別の「形而上学」を作りあげているのである。というのは、この『中論頌』が自ら「縁起」を断ち切ったところの言薬と理念との間の論脈の中にしか、思想が現れる場はないからである。逆に、思想というものを言菓や理念には解消しえない存在論的違和の総体として捉えるならば、『中論頌』の相互連関的構造が同一平面上で成立し、かつ同一平面上でしか崩壊しえないものであるゆえに、つまりその「縁起」観ゆえに、「空」という理念もそれらを表裏一休化する以上の認識には達しえないものである、と言わなければならない。『中論頌』の論理の絶対的な強みは、阿時にその決定的な弱点ともなっている。
二四・8
二つの真理に依存してもろもろのブッタの法は説かれた、世間の理解としての真理と、また最高の真理としての真理とである。
二四・9
この二つの真理の区別を知らない人々は、ブッタの教えにおける深遠な真実義を知ることがない。
二四・10
言語慣習に拠らなくては究極の真理を説くことはできない、究極の真理に到達しなくてはニルヴァーナは体得されない。
二四・11
不完全に見られた空性は智慧の鈍いものを破滅させる、あたかも不完全に捕らえられた蛇、または不完全になされる呪術のごとく。
二四・12
それゆえ鋭い者たちにはその法が領解され難いことを考えて法を説こうとする聖者の心はやんだ。
「世俗諦」からも「勝義諦」からも自由ではありえなかった彼にとっての「仮」すなわち言語の虚構性は、いつもその両者をともに肯定するか否定するかの場としてしか立ち現れることができない。しかもそのことによって彼は両者の「中」も同時に認識しえたと判断するのである。しかし彼にとって予想しうる「中」もまた同一水準の限定を被っているのだ、という認識はそこではなされない。それは先に述べたように、自らの自らに対する違和と、言葉という絶えず共有性を帯びているものに対する違和とを相対化しえないことと軌を一にしている。
すなわち彼は言策を共有された沈黙へと繰り込み続けるしかないのである。そしてそのことをもって対象化とは正反対の方向を目指すものである、とするのであるが、それは異化されたものを異化し返す運動に他ならず、たとえその「涅槃」(nirvfu:la)においてさえも彼は彼自らの沈黙からは自由ではありえない。つまり彼自らが「般若 」(prajiia)によって達し得たと「信」じる境地はまさに境地に他ならず、その共有性に依る「悟り」と引き換えに、彼は「同一律」へと回帰する他はないのである。
彼は、その方法の開いて見せたところの世界の可変的多元性を再び収束・統一した像にまで還元してしまった結果、彼の言葉の差延は、「AはAではない、なぜならAはAだからである。」という以上にはなりえなかったのである。そしてそれはまた同時に、「存在」を「あるがまま」というこれもまた無条件的にはありえないところへと閉じ込めることにもなった。彼は「存在」をその「在る」「無し」ではなく、「存在」そのものを、「存在」の根拠というものをなお「信」じているのである。そのことは彼が『廻諄論(論争の超越)』(Vigrahavyavartani)において述べたことと同様であろう。この、特にニャーヤ学派を想定して議論された論書には、否定論証の方法論が説かれているが、それは「空」を説く自らの「言説」(vyavahara)が決して「空」に陥らない、否、「空」を否定しないようなあり方を説くのである。彼はよく論じられるような虚無思想の持ち主では決してない。言語的世界を突き詰めれば「世界」(lokadhatu)が観ぜられると信じる人であったのである。
しかし世界は、ナーガールジュナ自らが『中論頌』の「言説」の外部を「言説」化するのでなければ、対論者の「言説」を否定することによって自らもまた否定されざるを得ない。あるいは、弟子のアーリヤデーヴァ(聖天)が、論争の末に実際に殺されたのも、思想的角逐ゆえにというよりも、言語的世界だけが「空」転した末の結果ではなかったか。それは対論者との異質性よりも同質性の方より強調している。さらにまた後の「中観派」内部に起こる「帰謬論証派」(prasangika)と「自立論証派」(svatantrika)との論争にしても、その論法がいかに精緻を極めようとも、そこで語られる言語的水準の論脈は『中論頌』の位相のうちに留まるものであるといってよい。しかも先の山口氏の指摘にもあるように、その議論の内容を後退させながらである。氏は、バーヴァヴィヴェーカ(清弁)とチャンドラキールティ(月称)を挙げて、その観念論的、実在論的な解釈を、次のように批判している。
竜樹の後に出て、中観自立論証派の祖師と見られている清弁の哲学的知見は、(中略)「経部中観」とも呼ばれるように、部派仏教的見解に戻 ったものであり、実践家の温和な説教と言えても、哲学的知見とすれば、現象を見つめる鋭さのない凡庸なものであった。そこには、『中論』が説いた「四句不生」に
よる「刹那滅」否定の論理や、「四句否定」による潜在的因果の継流する〈今〉の動的な表現はもとより、『八千頌般若経』で過去と未来の境を移行する〈今〉に「相」による対象的変化も、主体的分別もないと明言された教えさえも、先験的事情として理解された跡がない。ただ知覚された世界をそのまま対象的実在と認めたもので、知覚を成立させている「現在」に虚構の滞留を見る疑念が全く抱かれなかった。
今一人の月称についても(中略)、『中論』の注釈『プラサンナパダー』を見ても、冒頭から「四句否定を「八不」として個別の否定の意味で捉え、竜樹が主体的側面と対象的側面とから潜在的因果の継流する〈今〉を表わし、その性格と表現形式まで規定してみせたのを台なしにしている。
この指摘は確かに傾聴すべきであるが、氏においてもナーガールジ ュナは依然、絶対的な位置にあ
って、その思想自体批判の対象にはなっていないように思われる。そこでは「あるがまま」の現象を「対象的実在」と捉えることを拒否しながらも、「潜在的因果の継流する〈今〉を「不生不滅」の「あるがまま」の相で捉えようとする発想においては、対立者であるところの部派仏教を根本的に超えたとは言えないのではあるまいか。
最後にもう一度確認しておくべきことは、
『中論頌』が「形而上学 」を排そうと試みながらむしろ「形而学的問題」そのものを排し、自ら「形而上学」になった、ということである。ここで問題」とよぶのは勿論単に物事の正誤を決定し、命題化・定式化する、ということを意味してはいないのであって、むしろそれは、すでに繰り返してきた違和そのものを指している。そしてそれはゴータマ・ブッダやナーガールジュナを問わず、「一切」と言いえない以上「非存在」( abhava)をも想定されたものとして立ち現れてくるものであり、そこにおいては可能性は不可能性をも包摂するものとして同時に想定されている。ゆえに「形而上学的問題」は人間の語り出すことをもって「一切」であるとすることのできないものでありながら、しかし人間によってしか語られない以上それは逆説的にしか語りえないものである。すなわち「 形而上学的問題」とは、その可能態ゆえに(にもかかわらず)可能なのである。そしてそこにおいては沈黙もまたひとつの「極」端にすぎないのである。
「形而上学」が最高概念という観念から逃れられないように、「空性」という「形而上学」は、その概念を否定しえても、その概念を非概念化するところの観念に「一切」の対立を超越しようとすればするだけ、その意思に反して自己限定を加えるという結果に陥ることになる。そしてそれはまた反転し 、「如来」は本質をもたず「無自性」(nil).svabhava)であるとする本質主義的方法にもつながっている。
それゆえ「如来」にしても「世界」にしても「夢」や「幻」のなかで「迷悟一如」 「生死一如」を観ずることによって「悟り」に達するとする「不一不異」の「縁起」をもって「一切」とするそれ自体の「法」とは、二重に自己矛盾的な一種の無矛后性を示すことによってしか言い表せないことになる。その点においても『中論頌』の論理は徹底さを欠いているのであり、自らの論理の「 真如」なることそれ自体を証明できないし、かと言って、対論者を論破することによっても自ら の「 真如」を証明しているとは言えないのである。逆に言うならば、『中論頌』が他から論破されない、ということはまさに『中論頌』もまた決して他を論破しえない、ということを自ら示しているに他ならないのである。
故に『中論頌』を、「戯論の消滅」を説いたものとしてその「言説」どおりに解釈して評価することはできない。それほどに『中論頌』は、その意図とは裏腹に逆説に満ちたものある。と言うより、彼の想定した論理的逆説をはるかに上回って、その逆説的可能性は秘められている。もしそうでないとすれば、ナーガールジ ュナは、依然として「八宗の祖師」として、また『中論頌』は、「大乗仏教第一の論書 」として捉えられ、やはり依然として仏法僧「三宝 」(triratna)の下に納まる他ないのである。