■空の論理は何をめざしているのであろうか。
・空の思想は伝統的な用語では「空観(くうがん)」とよばれている。
⇒空観を理論的に基礎づけたナーガールジュナは、
⇒多くの著作を残しているが、それらのうちで最も有名な、また最も特徴的なのものは、
⇒『中論』とよばれるものである。
⇒かれの他の著書である『大智度論』(仏教百科事典とよぶにふさわしい)、
⇒『十住毘婆紗論(じゅうじゅうびばしゃろん)』(『華厳経』十地品(じゅうじぼん)の註釈書)などは、
⇒それ以前に『中論』の成立を予想しているし、
⇒また理論的にもそれらの著書は、『中論』を背景としている。
⇒『中論』はナーガールジュナの代表的著作とみなしてさしつかえない。
■虚無論者と解された中観派
・『中論』の思想は、
⇒インド人の深い哲学的思索の所産の中でも最も難解なものの一つとされている。
⇒その思想の解釈に関して、
⇒近代の諸学者は混迷に陥り種々の批評を下している。
⇒そもそもナーガールジュナが何らかの意味をもった立言を述べているかどうかということさえも問題とされているのである。
・中観派を評して、
⇒ベルギーのL・ドゥ・ラ・ヴァレ・プーサン、ドイツのP・ドイセン、インドのS・ダスグプタらの学者は虚無主義(Nihilism)であるといい、
⇒ドイツのM・ワレーザー、イギリスのA・B・キースなどは否定主義(Negativism)であるといい、
⇒ドイツのO・フランケはさらに最初期の仏教を含めて否定主義であると主張する。
⇒これらの解釈に対し、ロシアのTh・スチェルバッキーはむしろ相対主義(Relativism)であると批評し、フランスのR・グルッセーがこれに賛意を表している。
⇒また出発途上の記号論理学に大いに興味をもっていたポーランドのS・シャエルは、「中観派は哲学史上最も徹底した唯名論者(der radikalste Nominalist)である」と批評した。
⇒さらに中観派を幻影説(docetism)ときめつける学者(たとえば姉崎正治博士)もあり、
⇒全く諸説紛々として帰一するところを知らぬ状態である。
⇒しかしながらインド学者一般の態度をみると、中観派を虚無主義であるとみなす人が多いように思われる。
⇒中観派は、何となく気味の悪い破壊的な議論をなす虚無論者であると、という説は、
⇒近代になって初めて唱えられたのではない。
⇒すでに古代インド一般にいわれていたことであり、
⇒これに関してはスチェルバッキーがその事実を指摘し集録しているから(『仏教におけるニルヴァーナ(涅槃)の観念』35-39ページ)、いま再出する必要はないであろう。
■仏教内の評価
・独り仏教外の諸派がこのように解していたのみならず、
⇒仏教内においてさえも中観派は虚無論者だとみなされていた。
⇒古代インドにおける伝統的保守的仏教(いわゆる「小乗仏教」のうちでも代表的な哲学派である説一切有部(せついっさいうぶ:概して「有部」という)は
⇒中観派を目して「都無(とむ)論者」(一切が無であると主張する論者)と評しているし、
⇒またそれと並んで有力な学派であった経部(きょうぶ)も、ヴァスバンドゥ(世親(せしん)320年ころー400年ころ)の著である小乗仏教の教理を体系的に叙述した『倶舎論(くしゃろん)』、
⇒およびそれに対するサンスクリット文註釈からみると、
⇒「中の心を有する人」は「一切の法体皆非なりと撥する」人であり、
⇒「一切は無なりという執」に陥っているから、
⇒輪廻の個人的主体(補特伽羅(ふとがら))を認める犢子部(とくしぶ)という学派と並んで、
⇒仏教内における二つの異端説のうちの一つであるときめつけている
⇒(ヴァスバンドゥが『倶舎論』を著わした場合の真意については古来種々に議論されているが、
⇒サンスクリット文註釈を残したヤショーミトラ(称友)よれば、「われわれは経部の学者である」といい、
⇒またヴァスバンドゥは経部に味方しているとしているから、ここでは経部の立場に拠っているものとみておく。
⇒そして以下経部の説を参照し対比する場合、年代は後ろになるが、便宜上『倶舎論』によってもさしつかえないと思う)。
⇒さらに中観派と同じ大乗仏教に属する他の一派であるヨーガ行派からの非難も少なくない。
・いずれの極端にもとらわれないで中道を説くところの中観派が、
⇒ヨーガ行派のスティラマティ(安慧(あんね)、470ころ-550年ころ)によれば、
⇒一つの極端説に固執する極端論であると考えられ、
⇒またその教えが日本に伝わったダルマパーラ(護法、530-561年)によれば、
⇒「唯識(ゆいしき)の理に迷謬せる者」であり「非有を執している」と批評され、
⇒ジナプトラ(最勝子、550ころー600年)らの著した『瑜伽師地論釈(ゆがしじろんしゃく)』によれば、
⇒「空見に著(ちゃく)している」といわれている。
⇒このように後期のヨーガ行派からは少なからず攻撃されていたのである。
⇒中観派は無を説いたとして、各派から排斥されているのであるから、
⇒近代の諸学者が、
⇒中観派は虚無論者である、と批評するもの一応理由があるように思われる。
<参考情報>

出典:http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/bukyoframe.html

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出典:https://www.koumyouzi.jp/blog/902/
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出典:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1861
■有・無を排斥する『中論』
・ところがこのような解釈はきわめて困難な問題に遭遇する。
⇒『中論』はけっして「無」を説いているのではない。
⇒その理由の一つとして『中論』の本文である詩句の中においては有と無との二つの極端(二辺)を排斥している、という事実を示しうる(たとえば、第五章・第八詩、第九章・第一二詩、第一五章・第六詩、第七詩、第一〇詩、第二三章・第三詩、第二四詩、第二五詩)。
⇒ナーガールジュナは「有」を否定するとともに、「有」がない以上、当然「有」と相関関係にある「無」もありえない、と主張する(たとえば、第五章・第六詩、第一五章・第五詩)。
⇒さらに有と無との二つを否定する以上、
⇒当然事物の常恒性を主張する見解(常見)と事物の断滅を主張する見解(断見)とを排斥せねばならぬことになる(たとえば、第一五章・第一〇詩、第一一詩、第一七章・第二〇詩をこの中に数えることはピンガラ(青目(しょうもく))の註釈にしたがう。それについては『橋本芳契博士還暦記念論文集』のうちの拙稿参照)。
・『中論』において排斥されているこの「断見」の方がむしろ虚無論(Nihilism)とよばれべきものであり、
⇒現にそういう意訳をしている学者もある(S・ダスグプタ『インド哲学史』第一巻、143ページ。同書によれば断見がニヒリズムであり、これを排斥する中観派もニヒリズムであるというから、
⇒この二種のニヒリズムを区別する必要があるといわねばならない)。
⇒故に『中論』自身は虚無論を排斥しつつあるにもかかわらず、
⇒『中論』の思想は虚無論を説いていると批評するのは果たして正しいであろうか。
⇒反対し対立する諸学派からそのような批評を受けたというのは、それなりに理由があることであろうが、
⇒著者であるナーガールジュナの立場からみるならば、
⇒それは明確に誤解であるといわねばならぬ。
⇒『中論』は無や断見を排斥しているから、
⇒『中論』はたんなる無(Nihil)を説いているのではないことはほぼ推察しうる。
・さらに後代の中観派の学者チャンドラキールティ(月称、600-650年ころ)が『中論』に対して書いた註釈『プラサンナバダー』についてみるとこのことは一層明瞭である。
⇒チャンドラキールティは中観派と虚無論者を区別すべきであるという。
⇒「中観派は虚無論者である」と批評する反対派に対して、
⇒「虚無論者たちと中観派とのあいだには区別が存在するであろう、と昔の師が説いた。
⇒だから相手の所論に対して帰謬(きびゅう)論法で誤謬を指摘することは、もうやめておこう」(369ページ)と答えている。
⇒では、何故に中観派は虚無論者ではないのであろうか。
⇒また『中論』はいったい何を説いているのであろうか。
⇒まず第一に『中論』の中心思想を明らかにし、それに関連して『中論』における重要思想を解明したい、というのがこの部(ナーガールジュナの思想)の目的である。
■仏教成立当初の思想と『中論』
・さらに『中論』の思想を理解するためには当然その歴史的背景が問題になってくる。
⇒歴史的関連を無視して一つの思想を理解することは不可能であるから、
⇒どのような系統を受けてこのような思想が形成されたかをみなければならない。
⇒これは大問題であるから全般的に論ずることはできないが、
⇒とくに二つの問題に最も重点をおいて考察したい。
・一つは仏教成立当初の思想と『中論』との関係である。
⇒『中論』は終始、有部・経部・犢子部(とくしぶ)・正量部(しょうりょうぶ)などの諸学派を攻撃し、その教理を批判して、これらの諸派と截然たる対立を示している。
⇒この事実をみて近代の研究者は、たいてい、大乗仏教は、従来の仏教とは全く異なったものであると理解している。
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出典:http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/bukyoframe.html
・たとえば戦前の西欧における隋一の中観派研究者であったスチュルバッキーは、
⇒従来の仏教、すなわちブッダによって説かれた教えは
⇒徹底的な多元論(radical pluralism)であり、
⇒これに対して『中論』などの大乗仏教は一元論(monism)であり、
⇒「同一の宗教的開祖から系統を引いていると称する新旧二派の間にかくもはなはだしい分裂を示したことは宗教史上他に例をみない事例である」と述べている(『仏教におけるニルヴァーナ(涅槃)の観念』36ページ)。
⇒それは大多数の西洋の学者の意見であり、
⇒一般に大乗仏教は「仏教」(Buddhism)であるかもしれないが、
⇒「ブッダ」(Buddha)の教え」とは非常に異なったものである、と考えられている。
⇒しかしながら『中論』を始めとし、一般に大乗仏教の経典や論書は
⇒みな自己の説がブッダの真意を伝えているものであると説き、
⇒しかも自説の存在理由をブッダの権威の下に力強い確信をもって主張している。
・もしも中観派の所説がブッダの教えと非常に異なるものであるならば、
⇒それでは何故に自説をブッダの名において説きえたのであろうか。
⇒この理由を西洋近代の学者は全く説明していない。
⇒以下『中論』の思想を考察する間に、この問題をつねに考慮しておきたい。
⇒もちろん、いまここでは原始仏教の文献から詳しく引用することは不可能であるが、
⇒すでにいろいろと研究がいくつも出ているから、それらを手がかりにして、ある程度言及することにしょうと思う。
■『般若経」と『中論』
・なお『中論』の思想の歴史的連関に関してもう一つの問題に注目したい。
⇒古来『中論』はもっぱら『般若経』の思想を解明するものであるといわれている。
⇒中国で空の思想を体系化し、三論宗を大成した中国の嘉祥大師吉蔵(かじょうだいしきちぞう:549-623年)も『中論』が『般若経」に基づいている理由として六つの項目を挙げて説明している(『中論疏(ちゅうろんしょ)巻一末)。
⇒さらにインドの諸註釈についてみても、『無畏論(むいろん)』『青目釈(しょうもくしゃく)』『プラサンナバダー』『般若灯論釈』などみな『般若経』をたびたび引用しているし、
⇒ことに『般若灯論釈』の最初では、『中論』が『般若経』に依拠すると書いている。
⇒またアサンガ(無著(むちゃく):310ころー390年ころ)は『中論』が般若思想の入門書であるとみて、いわゆる『順中論』(詳しくいえば、『順中論義入大般若波羅蜜経初品法門』)二巻を書いている。
⇒故に『中論』の思想が『般若経』に基づいていることは疑いないと思う。
・では『中論』はどのような意味において『般若経』に基づいているのであろうか。
⇒『中論』の中にあらわれる主要思想は『般若経』の中に求めうるであろうか。
⇒両者の思想に差別をつけることができるであろうか。
⇒一般に『般若経』と『中論』とはどのような関係にあるかが問題となる。
⇒『中論』の歴史的意義に関しては種々考究すべき問題があり、
⇒以下本論中においてもたえず諸派との関係を考慮して論及するつもりであるが、
⇒それらのうちでもとくにこの二つの問題には充分留意したいと思う。