空海は真言宗の開祖ではない! 歴史の捏造・改竄の彼方で、民衆との絆を生きた聖者の真実がいま甦る~阿部 龍一(ハーバード大学東アジア言語文化学部教授・ハーバード大学ライシャワー日本研究所教授)転記~

真実の空海は、真言宗の開祖でもなければ、権力に取り入る狡猾な策士でもない! 「空海文書」の捏造・改竄を暴き、封印された最古の伝記に基づいて、民衆と共に歩んだ聖者の姿を描き出す、ハーバード大学教授による前代未聞・忖度無用の空海論!(『空海の思想』から一部抜粋して掲載。)

■空海と民衆を結ぶ太い絆

空海(七七四─八三五)について書かれた本は数多く出版されており、この類稀な仏教者に対する人々の興味の高さを示している。私が空海の思想についての新たな一冊(『空海の思想』)を書いたのは、空海の仏教者、宗教者としての、さらに人間としての魅力の真髄が、今までの出版物では見逃されてしまっていると思ったからだ。

その魅力を一言で言えば、それは空海と民衆を結ぶ太い絆だ。空海の密教の思想とその実践は一般民衆に焦点を当てたものであり、空海が仏教者として成し遂げた成果は民衆の支えがあって初めて可能になった。

空海入滅翌年の承和三年(八三六)五月に空海の筆頭弟子によって書かれた最古の伝記によると、空海は唐留学から帰国した大同元年(八〇六)から高野山で入滅するまでの三〇年間に、数万にのぼる人々に密教の入門儀礼を授けて、彼らと師弟関係を結んだ。彼ら弟子たちのほとんどは地方の国衙(こくが)の文官や武官、朝廷の下級官僚とその家族、さまざまな宗や寺院に属する下級の僧尼など、歴史に名を残さなかった人々だ。

空海が大唐帝国から日本に伝えた密教が日本で根付いたのは、天皇個人の庇護、公卿の援助や、大寺院の建立などより、何よりも空海の弟子となったこれら多くの一般人が、空海をそして彼の密教を支えていたからだ。よく知られている四国讃岐地方の満濃池の修復も、空海が歴史上初めて一般人に門戸を開いた学校(綜芸種智院)を創設したのも、このように彼と民衆との親密な関係の延長上で可能となった事業だ。

<参考情報>

出典:空海の多様性:④わが国初となる私立大学の教育論~編集工学視点:松岡正剛氏の発想を手助けにして~/一部抜粋

 わたくし空海はかねてから、学問を目指す者であれば、身分に関係なく誰でもが自由に学べる開かれた教育の場がつくれないかと思っていて、そのときは

「儒教」(人としての徳性と、家族と社会における人間関係の教え)

「仏教」(人はなぜ生きるのかと、人々の幸福に奉仕するための諸行為の実践の教え)

「道教」(自然の道理にしたがって生きると身体と精神の教え)

の三教科を兼ねそなえて学べる総合学院にしたいと願っていた。

 あるとき、そのことを皆の前でお話しすると、前述の藤原三守卿がわたくしの計画に賛同され、即座に千金にも値する個人の屋敷を学園用地としてお使いくださいと申し出られた。不動産契約などまったくなく、自らの慈悲の行為として、未来ある若者たちを育てるためにその土地と家屋のすべてを寄付されたのである。

 わたくしの願いはこのようにして、実現に向かうこととなった。
 現実のものとなった学園計画を進めるにあたって、わたくしは校名を考え、「綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)」と命名した。(この意味は、この学園でもろもろの学問を総合的に学ぶ機会を得た若者たちが、自らの教養の畑を耕し、そこに知恵の種を蒔き、その種がよく耕やかされた土壌によって、りっぱな芽を出すことを願っての名である)

 さて、以下はこの学校での教育理念とその教科、教科を教える教師の人材、それに運営方法等について示したい。

1 総合教育の論拠
 『九流』(きゅうりゅう:古代中国の学者が説く九つの思想)
  一、陰陽家(いんようか):万物の生成と変化は陰と陽の二つによって起こされると
    する思想。
  二、儒家(じゅか):孔子によって体系化された人の徳性、仁・義・礼・智・信と人間
    関係の倫理によって社会秩序が保たれるとする思想。
  三、墨家(ぼくか):儒教に対抗する思想。上下の公平を唱え、他国への侵攻を否定し、
    賢者の考えにみながしたがうことによって得る平等主義の思想。
  四、法家(ほうか):社会を治めるのは儒教の仁義礼などでなく、法律であると説く思想。
  五、名家(めいか):名<言葉>と実<実体>との関係を明らかにしようとする論理学思想。
  六、道家(どうか):老子によって説かれた自然の道理にしたがって生きようとする思想。
  七、縦横家(じゅうおうか):巧みな弁舌と策略で、相手を説き伏せる外交術の思想。
  八、雑家(ざっか):儒家、道家、法家、墨家などの諸思想を照らしあわせて取捨した
    思想。
  九、農家(のうか):農業の技術を伝え、農耕を勧め、衣食住を充足することを本分とし
    て生きる思想。
 『六芸』(りくげい:古代中国の六つの基本教養)
  一、礼:礼節
  二、楽:音楽
  三、射:弓術
  四、御:馬術
  五、書:文学
  六、数:数学
  以上の中国の思想と学芸は個人が世間を渡るための舟や橋であり

 『十蔵』(じゅうぞう:インド仏教哲学の説く十種のこころの段階による社会学)
 『五明』(ごみょう:インド仏教者が修得しなければならない五つの学芸)
  一、工巧明(くぎょうみょう):工芸・工学技術、天文暦学
  二、医方明(いほうみょう):医学と薬学
  三、声明(しょうみょう):言語と文法学、文学
  四、因明(いんみょう):論理学
  五、内明(ないみょう):仏教学
 以上のインドの仏教者が学ぶ社会学と諸学芸とこころの学問(内明)は、社会生活全体の
 幸福に資するものである
。

 だから、過去においても、現在にあっても、未来にわたっても、知恵のある仏教者は世間のあらゆる学芸を学びそれらを修得するとともに、仏教の教えによって慈悲のこころによる他者への施しを自覚し、その屈託のない行動力と学芸による人文・自然の(今日でいう科学)技術を用いて、善導のための各種施設を築き、土木・治水事業を行ない、田畑の恵みのために気象をとらえ、医療と福祉により人々を救い、その言葉と声により人々を癒し、言語力により異国の文化を導入し、論理力によりまちがった考えを論破する。
 料理にも、すっぱい・にがい・あまい・からい・しおからいの五つの味があるように、一つの味ではご馳走はできないし、音楽も、五音階(古代中国の音階、ド・レ・ミ・ソ・ラ)の一つの音のみで、妙なる調べを奏でることはできない。
 人が身を立てるのも、国を治めるのも、悟りの世界に楽しむのも、世間の多くの学芸に通じていなければ、その目的を広く達成することができないものなのだ。
 そのような訳で、そのことを理解し仏教に初めて帰依された欽明天皇以来の歴代の天皇と大臣たちにより、多くの寺院が建立され、仏教の教えが日本国に広まるようになったのである。

 しかしながら、寺院の僧侶は経しか唱えず、世間のすぐれたといわれる学者は中国の書物のみを読みふけっている。彼らは儒教・仏教・道教の書物のすべての学問を知ろうとする気概なく、まして、社会づくりに役立つ五明の学問の書には触れることもないという情けない実状である。

 そこで、わたくし空海は、この綜芸種智院を設立し、広く三教の書物を蔵書し、それらを教えることのできる才能ある多くの先生を招きたいと思う。どうか、三教の広い学問の光が、この混迷の闇の世界を照らしますように、そして、教わる者のこころの段階(個人の能力レベル)にあわせて、それぞれの教育馬車が用意され、それらに学生と教師が乗り、くつわを並べて広大な知の庭を駆けて行けますように。

3 教育成立の条件
 『論語』にいう、「人はおもいやりの美風のあるところに住むべきであり、わざわざそうでないところを選んで住むことは、賢い人のすることではない」と。また同じ書に、「人はおもいやりのあるところに住み、よき人間関係を築き、さらにすぐれた人格を形成し、学問に励まなければならない」と。

 『大日経』では、「仏教者として人々を導く師になるには、まず、あらゆる学問と芸術を学び、その知識を高めるべきである」と。

 『十地論』では、「知恵のはたらきを実践する者は、まず、五明のあらゆる学芸を学び、それらの真理に通じていなければならない」と説いている。

 だから、善財童子(ぜんざいどうじ)は、真理を求め、南インドの百十の都市を巡り歩き、教師となる五十三人の人々を訪ねて教えを乞い、常諦菩薩(じょうたいぼさつ)は、一つの都市の中で人々のおもいやりに助けられ、その慈悲の施しに常に涙しながら真理の道を求めつづけたという。

 したがって、教育の条件が整えられるには
 一に、真理を求める者がおもいやりのある環境に居ることができて<処>
 二に、そこに、五明(工学・医学・語学・論理学・仏教学等)の学問あり<法>
 三に、そこに、五明の学問を教える有能で人徳のある多くの先生がいて<師>
 四に、学ぶ者と教える者が教育に専念できるようにすべての者の衣食が保障される<資>

が必要である。これらの四つが備わって教育は成立する。
 ですから、この、処・法・師・資の四つの条件を充たした学校を創設し、その門戸を開き、民衆の中の多くの好学の若者の芽を育て、その豊かな人材によって社会を導きたいのである。

■「覚り」とは命あるものすべてと差別なく結ばれること

 空海が常に一般民衆を第一に考えて彼の思想を鍛え上げ、それを実践したのは、それがマンダラが図示する仏教の覚りの在り方に基礎付けられていたからだ。

 マンダラには仏菩薩のみでなく、さまざまな善神や悪鬼、凡人の男女、鳥獣虫魚、怪獣、魑魅魍魎の類まで、仏教が「衆生(しゅじょう)」と呼ぶ命あるものたちすべてが描きこまれている。それは密教を含めた大乗仏教では、あらゆる衆生の心の奥底に既にブッダと同じ覚りがあり、誰でもその覚りを得ることができると考えられているからだ。覚りを開くとは、我々の内奥にある覚りを包み隠してしまう、自己中心の日常意識の呪縛から精神を解放することで達成される。(胎蔵マンダラ)

<参考情報>

   金剛界曼荼羅            胎蔵界曼荼羅

 言い換えれば「私が覚りを開く」と考えて修行すれば、必ず失敗する。覚りとは「私」を常に最優先させる自己中心の世界認識を離れて、命あるものたちすべてと自分は平等であり、常に縁起の関係性で差別なく結ばれていることを認識することだ。それは自我という閉じた排他的な意識を改革して、家族や友人をはじめとする他者に向かって常に開いた開放系の意識を持つことだ。

 その意識改革によって他者の悲しみも、苦しみも、喜びも、自分自身のものと感じ取れるようになって、無私の、無我の、密教では大我と呼ぶ大慈大悲に満ちた生き方をすることだ。それがマンダラ上で善神も悪鬼も、凡人も鳥獣虫魚も、すべての衆生が覚者である仏菩薩のネットワークに連なり、それに参加するさまが描かれている理由だ。

■差別なき縁起の世界を図示する「マンダラ」

 一般に「密教」というと、何か秘密めいた仏教だという印象がある。しかし空海によれば、密教は「如来秘密」と「衆生秘密」という、二つの秘密を明らかにする教えだという。

 如来秘密とはすべてのブッダが共有する覚りの究極にある秘密であり、

 衆生秘密とは衆生の心の奥底にはすでに仏菩薩の覚りが備わっているが、それは通常の自我中心の意識では知ることができない、という秘密だ。

 密教はこの二つの秘密が実は一つであることを明らかにする教えであり、その教えを図説したものがマンダラが示す仏菩薩と全衆生がネットワークで結ばれた姿だ。(金剛界マンダラ)

<参考情報>

   金剛界曼荼羅            胎蔵界曼荼羅

空海は二年半に及ぶ唐留学中に当時世界第一と謳われた国際都市の長安で、密教の第一人者だった師に出会い、その師からマンダラの世界に導き入れられる密教の入門儀礼を受けた。それによって自らも密教の師として認められて日本に帰国した。

師が別れに当たって空海に与えた言葉は「早く故国に帰って密教を広めて、民衆の幸福を増進してあげなさい」だった。

だから空海が唐留学後の後半生で、民衆を第一に考え、常に開いた人間関係や組織を志向し、生まれ、階級、貧富の差などで差別することがない社会の建設を、密教を実践することで目指したのは当然だ。それは何よりも自らが体験したマンダラの世界が示す思想を深め、実践してゆくことだった。

■捏造・改竄された「空海文書」

 では差別のない、開かれて豊かな人間関係を理想とするマンダラの思想に根ざし、民衆との絆を最重要視した空海の思想と生き様の真髄が、なぜ従来の空海に関する書物では見逃されていたのだろうか。

今までに書かれた空海に関する書物は「伝記研究」と「教学研究」の二つに大別される。まず「伝記研究」についてであるが、空海滅後から七〇年ほどが経過した一〇世紀の初頭に、真言宗が東寺を中心とした宗派組織として形成された。それと前後して平安初期の真言僧によって、空海の遺言書や空海関連の公式文書などと偽った、大量の捏造文書が作られた。

これら偽造文書の目的とするところはすべて一致していた。東寺を中心として一〇世紀初頭に形作られた真言宗派組織の成立は、空海自身が生前から望んでいたものであり、それを可能にするために、いかにも空海が朝廷に対してさまざまな根回しや術策を巡らして、自らの死後も真言宗が存続してゆくことを計画していたかのように、空海の伝記を改竄した。

現在一般に広く信じられている空海が真言宗を創設したという妄説が作られたのもこの頃だ。このような故意の書き換えを一度外して歴史的事実を突き詰めると、空海は真言宗を開宗しなかったし、自らの密教を一宗派に限定して組織する意図も持っていなかった。空海と真言宗はイコールで結ばれない。

それは空海自身が唐で学んだ密教が一宗派組織よりずっと大きな、南アジアから東南アジア、中央アジア、中国へと広がり、アジアの仏教圏のほぼ全部の民衆を引きつけていた大乗仏教の新しい胎動だったからだ。

空海はこの汎アジア的な広がりを持つ密教をそのまま日本に伝え、その仏教の新しい魅力を日本の民衆に直接届けようとした。

その証拠に、空海は自分が大唐帝国で学び日本に移入して実践していた密教を「金剛乗」「真言乗」と呼んだ。それは彼が学んだ密教が、観音信仰、浄土信仰、法華信仰など、民衆に受け入れられていた大乗仏教の形と習合した密教だったからだ。

それを一宗一派に限定してしまう「真言宗」という呼び方を、空海は一度も使わなかった。その理由は「真言宗」と呼ばれるような密教は、中国の仏教史を通して一度も成立したことがないからだ。

それとは対照的に、従来の空海の伝記に関する書物は、平安初期に真言宗派組織成立に伴って歪曲されてしまった空海伝記に基づいた記述が現在まで踏襲されている。これによって空海の伝記は彼と天皇、特に嵯峨天皇との深い同盟や、朝廷の有力貴族、大寺院の高僧との協力関係ばかりが話題の中心になって綴られるようになった。同時に空海の、そして彼の密教の歴史的真実を知るために最重要な、空海と一般民衆との絆が無視され続けた。

真言宗が密教の文化的遺産を大切に保全してきたことは大いに評価されるべきだ。しかし空海入滅からわずか数十年以内に行われた、彼の生き様の歴史的事実を変更・隠蔽してしまう上書きも、そのまま批判・検討されることなく宗派内の伝統として後世まで伝承されてしまったのは、残念な歴史の皮肉としか言いようがない。

■偽りの歴史に基づいた「空海教学」

もう一方の空海の「教学的研究」はさらに遅れて、平安末期の院政期になって初めて勃興した。それは空海滅後の平安期の真言僧が、天皇や有力貴族の注目を集める新奇な密教儀礼を唐から移入するのに夢中になり、それを朝廷を中心にした上流社会に広めて権力者たちとつながることで、宗派の勢力を増大させることばかりに注意を向けていたからだ。

当然空海の著作は長い間顧みられることがなかった。主要著作である『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』の結論部や『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』の巻頭詩にさえ欠文があるのはそのためだ。空海の著作目録が初めて作成されたのも院政期だ。つまり空海滅後三世紀ほどを経て、ようやく空海がどのような著作を作ったかが真言宗学者によって定められた。

空海の著作目録が定められると、彼の著作をどう解釈すべきかを探究する学問、「空海教学」の研究もそれに引き続きこの頃に始まった。しかし当時の真言学僧は空海の著作を院政期までにすっかり宗派組織が固まった「真言宗」の枠組みに収めようとする解釈法を採った。これは当時の真言学僧が、空海によって真言宗が設立されたという偽りの歴史を、そのまま信じていた誤謬から出た残念な結果だ。

すでに述べたように、空海は自著作で自らの密教を「真言宗」ではなく、「金剛乗」や「真言乗」という言葉で呼んだ。

金剛乗も真言乗も極めて密教的な要素の強い「大乗」仏教を示す言葉だ。つまりマンダラに代表されるような密教図像、金剛杵(こんごうしょ)などの法具を用いた儀礼、真言を唱えつつ行う瞑想法などの密教的要素を豊富に含んだ大乗仏教が、空海が「金剛乗」「真言乗」などと呼んだ、アジア全域の仏教社会に広まっていた密教だ。

例えば、南アジア、スリランカでは密教的な観音像や金剛手菩薩像が発見されている。

東南アジアではインドネシアの有名な仏教遺跡ボロブドールの立体マンダラが注目される。これは密教と釈迦信仰、舎利信仰、文殊や普賢菩薩の信仰が混ざり合ってできている。

ホータンなど中央アジアシルクロードのオアシス都市周辺からは、毘盧遮那仏や千手観音などの壁画が見つかっている。

中国大陸の事例は数多いが一例を挙げれば、舎利信仰で有名な法門寺の八重舎利容器には金剛界と胎蔵マンダラの図柄が線刻されていて、釈尊の舎利信仰と密教が習合していたことを示している。

また日本でもすでに奈良時代に唐招提寺の千手観音像や、東大寺お水取りの本尊である二月堂の十一面観音像などに代表される密教的観音の信仰が広まっていた。

空海が本格的な密教を移入する前に、それを受け入れる素地がすでに作られていた。

だから空海の密教は中国仏教の伝統的な教理についての学派である「三論宗」「法相宗」「天台宗」「華厳宗」などの「宗」よりも、ずっと大きなカテゴリーに属していた。

しかも仏教の新たな胎動としての密教は、教学よりも儀礼や瞑想を含む実践に重きを置いていた。唐で流行していた密教が、すでに人々に広く受け入れられていた大乗仏教の実践である浄土教、観音信仰、法華経信仰などとも習合し、唐の社会に根付いていたのはそのためだ。

つまり空海は自らの密教を一宗派の枠組みに収められるような、狭い仏教だったとは考えていなかった。

この極めて広範にわたる仏教の新たな胎動だった密教を、院政期の真言学僧が「真言宗」という一宗派の教学の枠組みに押し込めようとしたのだから、さまざまな無理や問題が起こるのは当然だ。例えば彼らの教学は「真言宗」が他宗より優れていることを理論的に証明することばかりに特化した。しかしそのような机上の空論をいくら作り上げても、「民衆の幸福を増進してあげなさい」と、空海が師から受け継いだ目的を達することにはならない。宗派的な「空海教学」の研究も空海と民衆との絆を見えなくしてしまった。

<参考情報>
出典:空海の多様性:⑥『十住心論』第十住心(マンダラ)を読む~編集工学視点:松岡正剛氏の発想を手助けにして~/一部抜粋

■密教の教え-空海著『十住心論』第十住心(マンダラ)を読む

◆導入

転記先URLは以下

https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/kitao/post-270.html

第十住心 マンダラ

 人間は第一住心の生存欲を意識することから始まり、その思考能力よって人間中心主義の思想を発達させてきた。

その間、ナーガールジュナによって考察された相対性の論理による諸相の存在の否定、すなわち空(くう)は、

空海によって実在する万象を含む絶対空間の空(くう)として肯定されるが、

論理によっては世界の真理を説明することができないとしたナーガールジュナの哲学的帰結により思想の階梯はこの段階で崩壊してしまった。

◆特異点

出典:https://www.youtube.com/watch?v=Fc0Caf6-GGw&t=3262s&ab_channel=%E6%9D%B1%E5%A4%A7TV%2FUTokyoTV

注)仏教では世界の創造を説かない:したがって造物主も認めない。

万物は縁によって生じ、縁によって滅す(縁起説)。

ものの発生には必ず本がある。

いかなるものも無からは生じないのだから、本にもまたその本がある。

では原初の本は何か。

もちろん誰かが造ったのではない。

原初の本が生じたのだとすれば、それはどうして何から生じたのか。

だからそれは「生じた」のではない。

だが生じたのでなければ、なぜ諸般のものはある(ようにみえる)のか。

結局、生じたとか生じないとかを問えない原初の、思量を越えた事態を「本不生」といい、

それを阿字で表して「阿字本不生(あじほんぶしょう)」というのである。

<参考情報:空海の死生観-生の始めと死の終わり-(土居先生講演より転記:仏陀と大乗仏教&密教の見取り図)より一部抜粋>

・万物の根源は、

万物自体がそこにあるように、やはり宇宙そのものであろう。

そして万物の母なる宇宙は、やはり生命を生み育む母のように慈愛に満ちているであろう。

それは現代物理学が描くような暗黒の冷たい物質空間ではない。精神的・霊的存在であるわれわれを生み出した宇宙が、そのようなものであるわけがない。

されば、かくのごとき母なる宇宙を仏とみなして何の不思議もない。さらにそれを最高の尊称として大日如来と呼ぶことも。

かくて阿字は宇宙仏たる大日如来の象徴となる。

阿字を観想し、阿字を胸中におさめることは、自身と大日如来との本質的・本源的同一を体感することにほかならない。

上記参照先:https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/miyasaka/post-12.html 阿字観の方法と意義

注)阿字本不生:密教の根本教義の一つで、「阿」の字が宇宙の根源を象徴し、本来不生不滅、すなわち永遠に存在するという意味を持つている。

そこで、第十住心において空海は言語による論理を超える多角的な表現メディアとして

 (1)「形象」:万象の色・かたち・動きによるすがた<大マンダラ>

 (2)「シンボル」:事物・事象の象徴性とそのことによる差別化と意味化<三昧耶(サンマヤ)マンダラ>

 (3)「単位」:文字と数量による意味の編集<法マンダラ>

 (4)「作用」:物質のはたらき/人の行動<羯磨(カツマ)マンダラ>

 の四種があることを示し、それらのメディアによって、世界の”すがた”とその”はたらき”の本質を伝達することができると提唱した。

そのメディア<マンダラ>によって表現された真実の世界が第十住心なのである。

 空海の作成したマンダラには、胎蔵マンダラと金剛界マンダラがあり、前者は五つのいのちの力(生命力・生活力・身体力・学習力・創造力)によって発揮される根源的なそれぞれの五つの知が展開する生命世界のすがた図であり、後者はそれらのすがたをもつものが行なうはたらきを九つに分類して示す図である。

 その図によって世界の本質が無量に開示する。だからこの第十住心はすでに思想を超えている。

   金剛界曼荼羅          胎蔵界曼荼羅

■第十住心を読む

転記先URLは以下

https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/kitao/new-21.html

9世紀前半の淳和天皇の時代に、各宗にそれぞれの宗義を書いて差し出すように勅命があった。それに答え、空海(インド伝来の密教第八祖であり、真言宗の開祖)が執筆したのが『十住心(じゅうじゅうしん)論』十巻である。

 十巻の内、九巻目までが一般思想・哲学・宗教の歴史的発展の種々相を示し、

その頂点の十巻目にインド伝来の最新仏教、すなわち密教の教えを説く。

その教え、第十住心「秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん)」の大意の章は、以下のような記述から始まる。

 「秘密荘厳住心(生命のもつ無垢なる知)」とは、すなわちこれをつきつめていえば、自らの心の根底に目覚め、ありのままに存在する自らのすがたを知ることである。

ありのままに存在しているすがたは、いわゆる「胎蔵マンダラ」図に示されるところであり、

自らの心の根底の目覚めは、いわゆる「金剛界マンダラ」図に示されるところである。

 また、このようなマンダラ図には、生命のもつ無垢なる知が形成する世界を、

 (1)イメージ(色・かたち・うごきによる心象、絵図)によって表現する「大マンダラ」

 (2)シンボル(各仏尊を象徴する持物、つまり事物・事象の全体の中での象徴性)によって表現する「サマヤ(三昧耶)マンダラ」

 (3)単位(仏尊・仏格を表す種字、つまり世界の構成要素や事象の概念の元となる文字・数字という単位)によって表現する「法マンダラ」

 (4)作用(物質代謝・行為・作業・所作・立体展示物)によって表現する「カツマ(羯磨)マンダラ」

の四種類があり、

<参考情報:空海の死生観-生の始めと死の終わり-(土居先生講演より転記:仏陀と大乗仏教&密教の見取り図)より一部抜粋>

それぞれの表現によって、

 (1)イメージはすべての対立を超越する最高の存在を示し

 (2)シンボルは一切が不二であることを示し

 (3)単位は世界の真理を示し

 (4)作用は物理的なはたらきを示す

とある。

 このような四種類のマンダラによって表現される世界は無限であり、その数量は大地の砂や、大海の水のように量(はか)り知れないとも記す。

 (大意は次のように以下つづく)

 『大日経』にいう、

 「さとりとは、ありのままの自らの心を知ることである」と。

まさにこの一句が無量の意味を含む。竪(たて)には、十重の意味の浅い深いを顕(あら)わし、横には、塵(ちり)のように広くて多い数を示す。

 また、「心に浮かぶ欲望と快・不快、それとその延長上にある思念・思想は、生命の有する知のもろもろの発達段階が秘めているところである。わたくしがいま、それらをことごとく開示する」。

というが、これが竪の説である。

 つまり、雄羊(おひつじ)のような性欲だけの暗い知から、順次に暗き知に背を向け、明るい知へと一歩一歩上昇する段階である。この段階はざっと十種ある。

 その十種とは、

 第一住心:生存欲

 第二住心:倫理心<善と徳>

 第三住心:真理<神/哲学>

 第四住心:無我

 第五住心:因果

 第六住心:唯識(ゆいしき)

 第七住心:空(くう)と中道

 第八住心:客体と主体の不二

 第九住心:あるがままの世界

 第十住心:生命のもつ無垢なる知によって形成される世界<マンダラ>

の十住心のことである。

 また、いう、

 「また次に、さとりの世界を正確に論述しようとするものは、知覚の対象が際限のないものであることを知るから、知覚を有する身体も量り知れないことを知る。身体の量り知れないことを知るから、生命のもつ無垢なる知の量り知れないことを知る。無垢なる知が量り知れないものであることを知るから、そのまま生きとし生けるものも量り知れないことを知る。生きとし生けるものが量り知れないことを知るから、そのまま自然の器(うつわ)は量り知れないことを知る」と。

 これはつまり横の意味である。生きとし生けるものの自らの意識(神経)は量り知れず、意識の無限の全体像を捉えることができないから、その意識は絶えず混乱し、混乱から目覚めることも、知ることもない。だからブッダは、生きとし生けるものの器量にしたがって、それなりにあるがままのさとりを開示されるのだ。

 (唯識思想によれば)意識は対象があって生じるから、それらを起こしているのが前五識(頭頂葉・後頭葉:視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の各知覚と姿勢・運動)と第六意識(前頭葉:思考・意志・感情)であるとし、知覚の対象がなければ、自我も存在しないとする説<無我>と、知覚を因とし、意識を果とする説<因果論>が、まず唱えられる。これが六識説である。

 次にそれらを文脈として、第七マナ識(言語野と側頭葉:言語と判断・記憶)が生じ、作用主体と作用による相対性の論理となり、物事の存在を論理的に証明しようとするが、相対性をはずしたところに個々の存在はなく、空(くう)の思想に至る。また、主体と客体とは同じであるとの認識、第八アーラヤ識(大脳辺縁系と視床下部:食欲・性欲・群居欲などの情動と呼吸・睡眠)に至る。これらを八識説とする。

 これらの意識の根源に第九アマラ(=無垢)識を置き、論理を超越したところの生命の実在に目覚めるのが九識説。

 そうして、その先に、無垢なる知そのものを形成する生命情報意識、ケンリツダヤ(フリダヤ)識が唱えられ、十識説となる。

 究極の仏典である『大日経』にも、生命のもつ無垢なる知の量り知れないはたらきと、そのはたらきによって維持されている量り知れない身体が説かれている。

 このような身体と知の究極を知るのは、とりもなおさず生命のもつ無垢なる知のちからとはたらき<秘密荘厳住心>の在りどころを明かすことである。

 だから、『大日経』にいう。

 「もしも、ブッダが生命のもつ無垢なる知の世界の境地に入ったならば、自らの生命と生命のもつ知のちからとそのはたらきをまのあたりにし、生命のありのままのすがたと、汚れのない知のちからと、そのちからが発揮する堅固な徳性と一体になる」と。

 このように、生命のすがたと、その生命のもつ無垢なる知のちからと、知のちからのはたらきは量り知れない。

 それらの一つひとつが、それぞれにイメージとシンボルと単位と作用による表現能力をそなえている。

 (その表現能力によって)生きとし生けるものすべてが、生命のありのままのすがたである無量の身体動作<身密:しんみつ>と、

無垢なる知のちからの無量の表現・伝達<語密:ごみつ>と、

知のはたらきとなる無量の想念・慈悲<心密:しんみつ>との三つの行ないをもつことになる。

1 法マンダラ心(文字が表わす世界の本質)

 真言とは、生命のもつ無垢なる知のちからが無量の文脈とコミュニケーションを秘めそなえるところ<語密>から、名づけたものである。梵語によって直接いえば、マンダラである。(密教の教科書『菩提心論』を記した)龍猛(りゅうみょう)菩薩これを秘密語と名づけている。

 かりに語密の真言の真理の教えについて、文字の真理を顕(あき)らかにすると、次のようになると「大日経」にいう、

 「真実の言葉の真理の教えとは、どのようなものであるか。説いていう」

-以下、悉曇文字(しったん:梵字の字母)のそれぞれに依託して、言葉の真実の意味が列挙される。

 例えば、「ア」字は一切諸法本不生(ほんぶしょう)の意(およそ人間が最初に口を開くときの音は、みな「ア」の音声がある。

もし「ア」の音声を離れるならば、すべての言語はない。

だから、「ア」字はもろもろの音声の母体であり、またもろもろの文字の根本とする。

このようなことから、存在するもののすべては「ア」字にすでにあったものであるから、本来生起しないという意味)を表わすとする類(たぐい)がつづく。

 (中略)

 これらの類の字母の一つひとつの字音が、また十二種に音韻変化し、生命のもつ無垢なる知のちからとはたらきを示す言葉になる。そのちからとはたらきの数は量り知れない。

 このことを、『大日経』にいう、

 「ブッダは、生命のもつ無垢なる知のなす世界に入ったならば、ただちに真実の言葉をもって、生命の所作(知のはたらき)を示される」と。

 また、いう、

 「無垢なる知に目覚めた慈悲ある者たちよ。わたくし(ブッダ)の話す真実の言葉のはたらきは広大であり、生命世界の多様な種の境界を越えて、そのありのままの真理を示し、すべての生きとし生けるものをみな歓喜させるのである」と。

 また、いう、

 「(ブッダは)生命のもつ無垢なる知のちからとはたらきの量り知れないことを知るから、無心の相互扶助(慈・悲・喜・捨)の目覚めを得て、正しい完璧なさとりに至り、

 (1)物ごとの道理と非道理を知る知力。

 (2)生きとし生けるものの過去・未来・現在の因果と果報を知る知力。

 (3)生きとし生けるもののそれぞれの器量を知る知力。

 (4)生きとし生けるものの才能を知る知力。

 (5)生きとし生けるものの種々の欲求を知る知力。

 (6)生きとし生けるものの種々無数の性(さが)を知る知力。

 (7)一切の求める道の至るところを知る知力。

 (8)生きとし生けるものの過去を知る知力。

 (9)生きとし生けるものの宿命を知る知力。

 (10)実存の知力。

の十の知力をそなえ、煩悩と認識的存在と死と生存欲求を超越し、たくましく、生きとし生けるものに説法されるのである」と。

 また、「ア」字の五種の音韻変化を基礎として生命のもつ無垢なる知は表現され、言葉となる。

すなわち、この字より発声された言葉が展開して、すべての説法となるのだ。つまり、「ア」字は法を説く者であると同時に法を聴く者である。

 すなわち、要素・概念を示す単位、すなわち文字・数字をメディア(媒体)として、真理が明らかにされるのだ。

 これが法マンダラのすがたであり、生命のもつ無垢なる知のちからが真実の言葉・文字を用いて、共に生けるものを真理の世界へと導くのだ。

 文字メディアだけでもこのようなはたらきをするのだから、他のメディア(イメージ・シンボル・作用)のはたらきも想像できよう。

2 四種マンダラ(四種のメディアによって表わされる世界の本質)

 いま、この『大日経』には、このような量り知れない四種類のマンダラのありかと、それらによって、世界の本質を説く利益とを明かす。

 ここで明かされるのは尽きることのない、究極の知のありかである。

 だから、経にいう、

 「あるとき、ブッダは生命のもつ無垢なる知のちからから成る、広大で堅固な世界の本質が開示している中で目覚められた。するとそこには、あらゆる生命の知のちからが繰り広げるはたらきのすべてが集まっていたのである」と。

 このことがどういうことかというと、そこにはあらゆる生命が秘めている無垢なる五つの知のちから

 (1)生命知:無垢なる知のちからとはたらきを生みだす生命の存在そのもの<法界体性智(ほっかいたいしょうち):真理の世界そのものの本性のもつ智>

 (2)生活知:清らかな呼吸・睡眠・情動を司る知<大円鏡智(だいえんきょうち):清らかな鏡に万象を映ずるように、一切万有をありのままに認識する智>

 (3)創造知:衣食住の生産と、その相互扶助を司る知<平等性智(びょうどうしょうち):あらゆる存在を平等なるものと認識する智>

 (4)学習知:万象の観察・記憶・編集を司る知<妙観察智(みょうかんざっち):あらゆる存在を差別あるものと認識する智>

 (5)身体知:運動・作業・所作・遊びを司る知<成所作智(じょうそさち):生きとし生けるものにはたらきかけ、救済し教化する活動的な智> 

と、それらの知を表現する四つのメディア

 (1)イメージ

 (2)シンボル

 (3)単位

 (4)作用

によって無尽の知のはたらきが開花していたのだ。

 ブッダというのは、このような生命のもつ無垢なる知のちからに目覚め、その無尽のはたらきを知る者のことである。そのことは『大日経疏(だいにちきょうしょ:大日経の注釈書)』に詳しく述べられている。

 無垢なる五つの知のちからは、

(胎蔵マンダラ中心部の)五つの如来として表わされ、

大日(だいにち)を中心に、四方に宝幢(ほうどう)・開敷華王(かいふけおう)・無量寿(むりょうじゅ)または阿弥陀(あみだ)・天鼓雷音(てんくらいおん)を配する。

(因みに、無垢なる知のちからを示すのが如来であり、その知のちからによって為すことのできるはたらきを示すのが菩薩であるから、四方の如来にはそれぞれにしたがう普賢(ふげん)・文殊(もんじゅ)・観自在(かんじざい)・弥勒(みろく)の各、菩薩が配される)

 また次に「如来(生命のもつ無垢なる知のちから)」が形成する世界の全体像は、イメージによって示すマンダラのすがたとなる。いわゆる胎蔵マンダラである。

出典:https://www.mikkyo21f.gr.jp/mandala/mandala_taizoukai/ 胎蔵界曼荼羅

 (また)「金剛(生命のもつ無垢なる知のちからのはたらき、つまり、生の活動原理)」は、

その活動原理をシンボルによって示すマンダラのすがたとなる。

出典:https://www.mikkyo21f.gr.jp/mandala/mandala_kongoukai/ 金剛界曼荼羅 

(また)「法界(世界の真理)」は、それらを単位によって示すマンダラのすがたとなる。

 (また)「加持(生命のもつ無垢なる知のちからの行ないによる加護)」は、それが物理的なはたらきと知との合一を計ることから、作用によって示すマンダラのすがたとなる。

 そうして、それらが示す多角的なマンダラのすがたによって、無垢なる知をもつ生きとし生けるもののそれぞれの身量が、量り知れないものとなり、虚空のような広大無辺の真理の世界と一体であることが明らかにされるのだ。

 だから、『大日経』にいう、

 「ブッダの身体(動作)と言葉(表現・伝達)と心(想念・慈悲)の平等なるはたらきは、生きとし生けるもののそれらとも同等であって、その身量は際限なく、言葉と心の量もまた際限ない」と。

 (中略)

3 金剛頂経の説(金剛界マンダラの説明)

 また、『金剛頂経』に説く、

 「あるとき、金剛界遍照(へんじょう)如来<もちろん、ブッダのことであるが、そのブッダのさとりを普遍化すれば、生命のもつ無垢なる知のちからの永遠の存在そのものであり、その知の輝きが世界をあまねく照らすので、その徳をたたえ、金剛界遍照如来という。つまり大日如来(密教の第一高祖*)>は、自らのもつ無垢なる五つの知の原理<一には生活知、二には創造知、三には学習知、四には身体知、五には生命知によって構成される原理である。

つまり、これが(金剛界マンダラの中心をなす)五方の如来となる。これを順に東方:アシュク・南方:宝生(ほうしょう)・西方:阿弥陀(あみだ)または無量寿(むりょうじゅ)・北方:不空成就(ふくうじょうじゅ)・中央大日(だいにち)として配する>よりなる生命の四種のありのままのすがた(法身:ほっしん)<一には生命としての存在そのもののすがた(自性法身:じしょうほっしん)、二には個体そのもののすがた(受用法身:じゅゆうほっしん)、三には遺伝の法則によって、個性をもって変化するすがた(変化法身:へんげほっしん)、四には多様な種としてのすがた(等流法身:とうるほっしん)を指す。この四種のすがたに竪(たて)と横との二つの意味をそなえる。横は自らの利益のため、竪は他のための利益である。もっと深い意味については、個々にさらに追究するとよい>に、生の本来有している根本の活動原理<金剛界>がある(と説かれた)。

 (そうして、以下、金剛界マンダラの主構造が明かされる)

 (まず)中央の金剛界遍照如来は、四つの完成された知のはたらき<ハラミツ菩薩>をもつ。

一には代謝性<金剛(こんごう)>、二には相互扶助性<宝(ほう)>、三には法則性<法(ほう)>、四には作用性<カツマ>の各、ハラミツ菩薩である。四親近(ししんごん)の菩薩という。

(次に)中央の金剛遍照如来(法身としての大日如来)が四方に顕現(けんげん)させた如来

は、それぞれに四つの菩薩(知のちからのはたらきの原則)をしたがえる。

 東方:生活知の原理<アシュク如来>は、存在<金剛サッタ>・自由<金剛王(おう)>・慈愛<金剛愛(あい)>・喜び<金剛喜(き)>の四菩薩。

 南方:創造知の原理<宝生如来>は、生産<金剛宝(ほう)>・光合成<金剛光(こう)>・相互扶助<金剛幢(どう)>・開花<金剛笑(しょう)>の四菩薩。

 西方:学習知の原理<無量寿如来>は、観察<金剛法(ほう)>・道理<金剛利(り)>・原因<金剛因(いん)>・伝達表現<金剛語(ご)>の四菩薩。

 北方:身体知の原理<不空成就如来>は、救済作用<金剛業(ごう)>・自身の保護<金剛護(ご)>・障害の打破<金剛牙(げ)>・無心の遊び<金剛拳(けん)>の四菩薩。

の十六大菩薩である。

<参考情報:東寺 立体曼荼羅配置図 21像>

(A)「如来」グループ(中央ゾーン)
如来とは”いのちのちから”の意。いのちのちからとは”知(根源意識)のちから”を示す。(根源意識とは、内外の神経細胞によって直接的に捉えた生存環境や接触対象からの自然で無垢な情報の集積とその処理から成るあるがままの意識。ヒトにおいては無心にして感得する知の恵みの意識)

 ①大日如来(中心位置)
「生命力」〔法界体性智〕自然界のいのちの存在とその輝きによる知のちからを示す。
②阿シュク如来(後方、右位置)
「生活力」〔大円鏡智〕清らかな鏡に万象が映じるように無心にして生活することのできる知のちからを示す。
③宝生如来(前方、右位置)
「創造力」〔平等性智〕自然と調和することによって、平等となるかたちを生みだすことのできる知のちからを示す。
④阿弥陀如来(前方、左位置)
「学習力」〔妙観察智〕あらゆる存在のありさまを観察し、その本質を共有することできる知のちからを示す。
⑤不空成就如来(後方、左位置)
「身体力」〔成所作智〕無心の行為によって、生きとし生けるものに敬意をもってはたらきかけ、その個体としての生の輝きを発揮する知のちからを示す。

関連情報先:本サブタイトルない ■東寺講堂二十一体の神仏に見る”生命圏”の構図より

(次に)生きとし生けるものは、知覚の鉤(かぎ)<金剛鉤(こう)菩薩>によって、外界をとらえる。そうして、キャッチした外界を神経の索(なわ)<金剛索(さく)菩薩>によってわが身に引き寄せ、そのイメージ(ホログラフィ)を記憶の鎖(くさり)<金剛鎖(さ)菩薩>につなぎ観察し、その判別によって、快・不快の鈴(すず)<金剛鈴(れい)菩薩>を打ち振る。これが四摂(ししょう:知覚の四段階プロセス)菩薩である。

 (次に)生きとし生けるものは、物質によって癒される。香り<金剛香(こう)菩薩>・色彩とかたち<金剛華(け)菩薩>・光り<金剛灯(とう)菩薩>・潤い<金剛塗(ず)菩薩>。これが外の四供養(しくよう:四つの癒しの物質)菩薩である。

 (次に)生きとし生けるものは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚によってとらえた事象の快・不快を表わし、その大いなる情感を喜び<金剛嬉(き)菩薩>・装い<金剛鬘(まん)菩薩>・歌い<金剛歌(か)菩薩>・舞う<金剛舞(ぶ)菩薩>によって示す。これが内の四供養(しくよう:四つの癒しの演技行動)菩薩である。

 これらの三十七の根本となる無垢なる知のちから<如来>とはたらき<菩薩>を原理として、生きとし生けるものすべてが行ないを為し、無量無辺の世界に存在しているのだ。

 (中略)

 (また)五つの知(のちからを発揮する生命あるもの)は、その本体が固体(地)・液体(水)・エネルギー(火)・気体(風)・空間(空)の五つの粗大なる原質によって構成されたものであり、(それらの物質が集合してかたちを成し、エネルギーをつくり、生命を生みだしているから)そこに知の根源もある(物質が知を発揮しているのだ)。その物質のはたらきがしばらくも止むことがないとは、知のはたらきが絶え間ないことであり、その知のはたらきによって、自と他とを利益し、安楽ならしめるのであると。

 そうして、それらの無量の知が、身体と心にひそみ、生きとし生けるものの世界と、その生きとし生けるものが住む環境世界と、それらのものが共に相互扶助によって平等に生きている世界とにあまねく満ち、生命のもつ無垢なる知のちからのつとめ<身体動作と表現・伝達と想念・慈悲>は、いっときも止むことがないのだ」と。

*因みに、密教第二祖の金剛サッタ(こんごうさった)とは、生命のもつ無垢なる知に自らも目覚めた者であり、大日如来、すなわちブッダの教えの継承者たちのことである。その教えの数々は、やがて、ナーガールジュナ・ボディサッタ(龍樹菩薩)によって、空(くう)の論理『中論』として集約され、後世大乗仏教の多数の流れの基盤となる。その基盤上に密教も発展する。

4 法爾(ほうに:そのままの)自然(じねん)の法門

 問い。すでに第十住心「秘密荘厳心」のありかとするところ、および、かの身密・語密・心密の数量などを知った。いま、伝えるところの真言の教法は誰がつくったものなのか。

 答え。もろもろの法は自然にもともとあったものである。生命のもつ無垢なる知のちからというものも、もともと存在しているものである。それらの知のちからのはたらきによる人間の行ない(身体動作と表現・伝達と想念・慈悲)はつまるところ、みな等しく、そこから発せられる真実の言葉の相は、声字が永遠性をもつ。永遠であるから移らず、変化することがない。そのように、真言はありのままにもともと存在しているものであるから、つくられたものではない。もしつくられたものであるなら、それは生じたものになる。

 ものがもし生じるのならば、それは壊れるものである。現象は生起・保持・変化・消滅と移行するものであり、永遠性がなく実体をもたない(無我)。そのようなものであるならば、どうして、真実の言葉ということができるだろうか。だから、つくるものではなく、つくられるものでもない。たとえつくる者があっても、誰がそれを喜ぶだろうか。

 だから、この真言の相は、ブッダ(目覚めた者)が世に出ても、出なくても、またはすでに説かれ、またはまだ説かれず、または現に説かれていようとも、ありのままにもともと存在しているものは不変の理(ことわり)をもち、その本性と相は永遠である。だから、これは初めから定まったことである。生命のもつ無垢なる知のちからはありのままにもともと存在しているものであるから、それらが構成するマンダラの一つひとつの真実の言葉の相は、みなありのままのもの(法爾)であると。

 (中略)

5 真言の字門

 真言の教法とは、どのようなものなのか、説いていう。

 まず、基本的な字母(じも:インドの梵字の基本的な字音。根源となるのは四十七字)があり、それぞれの字に十二の音声の転換があって字を生じる。このそれぞれの十二字を本(もと)にして、一字で一音節、二字で一音節、三字で一音節。四字で一音節をなす字が展開する。すべてを合計すれば、一万字余りもある。

 この一つひとつの文字に、量り知れず限りない顕(けん:論理による教え)と密(みつ:実在による教え)との教義をそなえる。

 一つひとつの声、一つひとつの字、一つひとつの実相は、真理の世界をあまねく伝え、生命のもつ無垢なる知のちからのすべてのはたらきとなって、生きとし生けるものの器量にしたがって、論理による教えと、実在による教えを開示する。

 問い。梵字の字母は、世間の子供もみな読み習っている。この真言の教えとどのように異なるのか。

 答え。いま、世間で読み習っている悉曇章(しったんしょう:梵字の綴字法を説いたもの)というのは、本来は生命のもつ無垢なる知のちからそのものの言葉であったが、次々と伝授されて世間に流布している間に、字の真実の意義は、いまや失われてしまったものなのだ。世間で読み習っているのは、物の見かけから生ずる語(相)、夢想から生ずる語(夢)、妄想から生ずる語(妄執)、空想から生ずる語(無始)の言説に染まったものであり、真実の言説を得ない。もともとの字の意義の失われた言説は、すべてこれ妄語である。その妄語がいまや世間にはびこり、人びとを苦しめる原因となっている。

 もし、人びとが自らのもつ無垢なる知のちからより発せられる真実の言葉に目覚めるときは、あらゆる妄語から解放され、真理を得る。それは、(妄語を語ると迷いの闇に苦しみ、真実の言葉を語ると苦しみが除かれるように)言葉は毒にも薬にもなるといったことである。

 では、どのようにして、真実の言葉のありのままの意義を知るのか。

 「ア」字を例にとると、その五つの発声の違いによって、それぞれに、初めからそこに存在していること、静まり、際限のないことなどの意味が生ずる。

 また、「ア」字が展開して(つまり、言葉が展開して)、もろもろの真理の意味と、原因の意味と、結果の意味と、不二の意味と、生命のありのままのすがたの意味を説くことができる。すなわち、それらの意味を説くことこそが、言葉が生命そのものの存在を象徴していることの証しなのだ。

 また、「ア」字が展開して説かれる、生命のもつ無垢なる知の五つのちから、生命知・生活知・創造知・学習知・身体知も同じことである。

 これ以外の一つひとつの字義もまた、このようなことであり、生命のもつ無垢なる知のちからのもろもろのはたらきが、無量の雲のように湧きあがるから、限りない時間を費やし、一つひとつの字門の意味を説こうとしても、限りない時間はなお尽きてしまい、真言の実際の意味は説き尽すことができないのだ。だから、ありのままに字義を知ることである。

 (後略)

あとがき

 以前に『十住心論』のダイジェスト版を執筆したことがあるが、今回は、空海密教の核心となる第十住心「秘密荘厳心」のみを今日の視点から読み解いてみた。

 そこに展開されている十段階目の思想は、論理的文脈をすでに超えている。

 論理によっては存在を証明することができないと結論づけたのは、2、3世紀インドの仏教学者、ナーガールジュナ(龍樹)であったが、

その空(くう)の考察を踏まえて、

マンダラのイメージ・シンボル・単位・作用のメディアによって存在を証明しようとするのが、空海の思想の到達点である。

 精神世界の向上を論理と修行によって説くのが顕教、マンダラによって生命のダイナミズムを示し、実在する世界の真理に目覚めさせるのが密教であるが、現代思想のモダニズムとポストモダニズムの対比に似ている。

 今日の科学は、観察(イメージ)・分析(シンボル)・理論(単位)・技術(作用)を用いて文明を築き、生物学においては多様な種に共通する身体の仕組みと、その生態学によって自然界の秩序の原理を理解するに至ったが、一千年以前に、すでに空海はその思考方法に気づいていたのだ。

■「同行二人」の聖者

 空海の密教の思想を含めて、仏教思想は西洋哲学とは違う。それは頭で考えただけでは体得することができない。実際にその思想によって人がどう生き、それが実社会でどう機能するかが重要だ。本書『空海の思想』では、空海の思想が理論的にどんなものであったかだけでなく、それがどう彼によって実践されて民衆に影響を与えていたかを見る。

そのためには空海の生きた歴史的事実を追い求めてゆく必要がある。それを書き換えて隠蔽してしまった従来の真言宗中心の空海の伝記と思想に関する記述を批判することも要求されるが、それは空海が生きた赤裸々な歴史的事実を明らかにするために必要な作業だからだ。宗派に対する批判自体が本書の目的ではない。空海がマンダラを中心とした密教について何を考え、それをどうやって自らの人生に生かしていったのかを追い求める。歴史的事実に基づいて空海の伝記研究と思想研究を結びつけるのが本書の狙いだ。

 それで浮かび上がる空海は、民衆との絆を一生大切にして生きた、人々の信仰を集める「同行二人」の聖者の姿に驚くほど似ている。中世以降に空海が伝説の聖人として広く信仰されたのは、空海が生きた歴史的事実に民衆との深い絆があったからだ。

空海 と南都仏教再考~阿 部 龍 一 転記~

出典:https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/50/1/50_1_253/_pdf/-char/ja 印度學 佛 教學 研究 第50巻 第1号 平 成13年12月

 空海 と南都 寺院 の関係 にっいては以前か ら堀池春 峰氏,櫛 田良洪 氏,三 崎良周氏,平 岡定 海氏らのす ぐれた研 究 により,奈良時代のいわゆる雑密が真言密教の成立の素地にとして重要であ ったこと,また,真言宗の隆盛をうけて,南都の諸大寺が密教化 していった過程が明らかにされている.。

 一方 で近年 で は吉 田和彦 氏や上 島享氏 な どが,仏 教 史学の立場 か ら平安 最初期の仏教 教 団の現状 を知 る上 で,空 海 の真 言宗 と最澄 の天 台宗一いわゆる 「平安仏教」一を中心 とした従来 の研究法 を批判 し,南 都 の仏教勢力 の重要性 の再確 認 を促す発表 を行 って い る.そ れ に よる と平安期 に入 ってか らも,国家が重要視 した仏教 の公式行 事 は興福寺維摩会,宮中御斎会,薬師寺最勝会,大安寺法華会な どいずれ も南都 の学僧 を中心 とした法会 で,こ れ らの法会 の論議や竪義 への出仕 が仏 教者 に とって も最 も名誉 あ るこ とと公 に認 め られ ていた.っ ま り平安期 を通 じて,真 言僧 や天 台僧 も国家 か ら重要 な役割 を与 え られ るために はこれ ら法会 への参加 が原則的 に不可 欠であ った.

 この様 な批判 に先行す る もの として,井 上光 貞氏や二葉憲香 氏 によ り,平 安遷都後 も,朝 廷 の律 令的体制 を維 持 しよ うとす るいわゆ る経 国的政策下で,約 一 世紀 にわた り南都大 寺院 の真言天 台寺院 に対 す る政治的,経 済 的優 勢が維持 されたこと,南 都六宗 の 「宗」組織 とは排他 的なセ ク トで はな く学術 的サー クルで あ り,その教義研究 は奈 良期で はな く平 安初期 ピー クを迎 えた こと,な どが既 に明 らかに され てい る.つま り時代 が奈 良か ら平安 へ移 ったか ら といって,即 座 に真 言
天 台の両 宗が主流 を 占め南都 の仏教 は歴史 の舞台裏 に退 いた とす る事 はできない.

 この事 は当然空海 と南都仏 教 との関係 につ いて も再考 を促 す.仏 事法会,教 学,政治 的影響力,経 済 力 な ど様 々な分 野で南都 の圧 倒的優勢 が続 いた状況下で,また それに もかかわ らず,空 海 の密教が正 当な仏教 のあ りかた として迅速 に受容 されて いった史実 はど う説明 され るべ きか.以 下 で は,平 安初期 に 日本で密教 が根付いた のは,一 つの閉鎖的宗派 として真言宗 が開基 され たか らではな く,む しろ空海 と奈 良仏教寺院 との協調 関係 による ところが大 きい とす る試 論 を提示す る.

 空海示寂ニケ月後 の承和三年(835)五 月五 日に高弟実恵 は師の入滅 とその事跡を長安青 龍寺 に伝 えるための書 簡 を したた めた.こ の資料 は従来 あま り注 目され ていないが,空 海 の伝 記的記述 としては最 古で最 も信頼 に足 るものではないだろ うか.こ の書簡 で実 恵 は次 の三点 を強調 す る.

1.空 海 の伝 えた密教 は当時の法師達 か ら新奇 の 目で見 られて,帰 朝後十年 間は真に理 解 され る ことが なかった.

2.し か しその後,僧 尼 や貴顕 の間で空海か ら潅頂 を受 けるものが増 え,そ の数 は数万 に登 った.つ い には天長皇帝 や平 城帝 も受潅 した.つ ま り潅頂 とい う密教儀礼 の実践 によ り空海 の密教 が人 々に受 け入れ られ ていった.

3.つ いに朝廷 は空海 を僧綱 の大僧都 に任 じ,こ れ によ り,空 海 は仏教教団の指導者 とな り,国 家や天皇 のための行事 を遂 行 した.

 現在 の一般 的空海論 では空海が世 に認 め られ るよ うになった原因 として帰 国直後か ら始 まった嵯峨天皇 と最澄 との交流 を挙 げるものが多い.し か し実恵 に よると,天 皇 との個 人的 な友好 も,ま た最澄 が空海 に弟子 の礼 を とって密教 を学 んだこ とも,そ れ らが直接真 言密教 の興隆 につ ながったわ けで はなか った.

 実慧の書簡で空海 に とって重要 な転換期 とされ る帰朝後10年 に当た る弘仁七年(816)の 七月,大 安 寺の勤 操が弟子達 を引 き連 れ て高雄 山寺で空海 か ら潅頂 を受けた.勤 操 は三輪 宗 を代 表す る学僧 で,当 時 は僧 綱 の律 師 と して,奈 良の教団の指導的立場 にあった.勤 操 はその後 数年で小僧都 か ら大僧都 へ と転 じ,淳 和帝か らは,平 安京 の西寺 の経 営 をまか されて い る.勤 操 と大安 寺僧 に対 す る潅頂は,そ の四年前 の高雄 山寺で の最澄 に与 えた潅頂 に比べ る と,資 料 も少な く,その詳細 を知 る ことはで きない.し か し,当 時 の勤操 の仏教教団 内の影響 力の大 きさを考 え る と,勤 操の受潅 が空海 の密教 が正 当なもの として認 め られ,南 都 の多くの僧尼 が密教 を学ぶ大 きなきっかけ となった こ とが考 え られ る.

 実際資料 で空海か ら潅頂 を受 けた ことが確 認で き る僧侶 の ほ とん どは奈良 の大寺 の住僧 だった.果 隣 と実 恵は空海 に入 門す る前 にすでにそれぞれ東大 寺の倶舎と大安寺 の法相宗 を背負 う人物 として知 られていた.東大寺三論宗 の円明は入唐八家 の ひ とりとして,実 恵の青龍寺 へ あて た書簡 を とどけてい るが,824年 に空海か ら伝法潅頂を受け,真 言僧が東寺長者 と東大寺別 当を兼任す る先例 を作 った.そのほか華 厳宗第七祖 の道雄 をは じめ,の ちに元興 寺別 当 となった道 昌,法 相 宗で室生寺 の再 興で知 られ る堅恵 さ らに東大寺僧 で も と東宮 の真如 法親王 な どが空海 か ら直接潅頂 を受 けて い る.こ れ らの僧 が密教入 団後 も南都 の寺院へ の所属を維持 しっづ け,ま た密教 と六宗 を兼修 してい た ことは注 目され るべ きで ある

 勤操 の高雄山寺 での受潅 か ら六年後 の弘仁 十三年(822),空 海 は東大寺 に潅頂堂 を建立 してい る.日 本 で最初 の,密 教儀 礼専用 の建築物 とな った潅頂 堂 は東大寺の東塔 と西塔 の中央,大 仏 殿の正面 に位 置 して いた と伝 え られ る.潅 頂堂 の建 立 は実際 に南都 で空海 か ら密教 の入 団儀礼 を受 ける事 の重要性が認識 され た結果 で あ り,東 大寺 を始 め奈 良の仏教寺 院 と空海の連帯 関係 が定 まった ことの しるし ととる こともで きよ う.

こ の年 は期 し くも最澄が入滅 し,そ れ に伴 い朝 廷が南都 と対立 していた延暦寺 の大乗 戒壇設立 に勅 許 を与 えた.

最 澄が南都 の受戒 を小乗 的 と非難 したの に対 し,

僧 綱 は最澄 の大乗 戒壇 を罰則規定 の ある寺 院法 で ある律 を無視 し,本 来個 々 の修行者 の倫理規定 であ る律 のみに よって教団 を運営 しようとす る無謀 な行為 として退 けよ うとした.

潅 頂 堂 の建立 は,戒 壇院 の鑑 真似来 の四分律 と梵網戒 の併修 の伝統 に密教 の三昧耶戒 受戒法 としての潅頂 を加 え,東大 寺 に仏教 の入 団機 能 の集 中を図 ったもの と理 解す る ことがで きる.

こ れ は空海 が密教 の入 団儀 礼 には,律 と顕教戒 の基礎 が必要で あ り,最 澄 の天 台教 団の密教実践方 法 に異議 を唱 え る意思表示で ある ともとれ る.

 二年後 の824年,空 海 は小僧都 に任命 され る.当 時 の僧綱 の任 官 には南都寺 院の強 い推 挙が必要 であ り,空 海 の律 師の努 めを経 ず して直接小僧都 とな り,三 年後 には大僧都 として国家の仏事法事 を管轄す る ようにな ったのは,全 く異例 であり,

最 澄 が桓武天皇 の篤 い支持 を背景 として も,僧 綱入 りを果 た さなか った事 とは対照 的で ある.

こ れ は東 大寺 に潅頂 堂が建立 された時点 か ら,空 海が既 に南都勢 力の一員 として活動 し,南 都 の教 団 に とっての空海の密教 の重要 性 を認 めていた証 しで あろ う.823年 に は朝廷 か ら東寺 を まか され て も,空 海 は密 教入団機能 の 中心 の潅 頂 堂 を東 大 寺 か ら移 す こ と はな か っ た.

空 海 の 最 晩 年 の活 動 の 成 果の 最 た る もの と して,密 教 儀 礼 で あ る後 七 日後 修 法 を朝 廷 の 年 中行 事 と して 定 着させ,ま た 宮 中 の建 築 物 と して 初 め て仏 教 儀 礼 専 用 の真 言 院 を御 修 法 の道 場 と して 建 立 させ た こ とが あ げ られ るが,御 修 法 は南 都 の学 僧 が執 行 す る御 斎 会 と相 輔的 機 能 を果 た す も の と して考 案 さ れ た もの で あ り,こ れ ら も南 都 僧 の協 力 と積 極
的 参 加 な しに は,実 現 で き なか っ た で あ ろ う.

 これ らの 考 察 を ま とめ る と,空 海 の もた ら した 真 言 密 教 が 平 安 初 期 の社 会 に急 速に 根 付 い た の は,そ れ が 当 時 の 仏 教 の主 流 で あ っ た奈 良 の寺 院 とそ の教 団 を 密 教受 容 の 母 体 と した か ら と言 え るで あ ろ う.

以 上 の よ うに密 教 が 受 容 され て い く歴史 的 過 程 を読 み か え る と,空 海 の 著 作 の新 しい 解 釈 の方 法 へ の展 望 も開 け るの では な い の だ ろ うか.

空 海 の主 な 著 作 の多 く,あ る い は ほ とん どは,南 都 の諸 大 寺や 六 宗 に属 す る者 た ち に密 教 の 知 識 の重 要 性 必 要 性 を訴 え る 目的 で 書 か れ た の では な い か とい う問 題 を提 起 して,こ の小 論 の結 論 に か え る

■■空海の思想とその実践~池間俊祐 転記~

出典:https://opac.ryukoku.ac.jp/iwjs0005opc/bdyview.do?bodyid=TD32014460&elmid=Body&fname=rd-bn-ky_038_012.pdf&loginflg=on&once=true

はじめに

 空海(七七四1八三五)に関する研究は、日本における真言密教の開祖としては勿論、文学的な観点からのものや美術的な観点によるものなど多岐にわたって、多くの蓄積がなされている。

 しかし、空海の仏教がいかにして人々を救済するのか、という観点でなされた研究は、そう多くない。一般的に真言密教は大乗仏教として位置付けられるが、空海の目指した仏教がいかに衆生の救済へと繋がるのか、ということはあまり論じられていないのである。

 しかし、唐で師事した恵果の死に際して、「早く郷国に帰り、以て国家に奉じ天下に流布して、蒼生の福を増せ」という遺言を受けた空海は、「闘期の罪、死して余り有りと蛾も」という自覚のもとに、二十年の留学期間を無断で短縮して日本へと帰った。そこに見られるのは空海の衆生救済の実践への意欲ではないかと考える。

 では、先行研究ではいかに捉えられているのであろうか。高木神元氏は、空海の真言密教が「人々の福を増」し、「祉を招く摩尼」であり、まさしく「福祉」をもたらす教えであったとし、その福祉の増進が満濃池修築や綜芸種知日院の創設にいたるのだとしている。

こうした空海の社会事業的な性格を持つ活動に注目する視点は、戦前の空海研究から存在する。守山聖府県氏は「仏教本来の面白から云ふたならば礼仏誦経と云ふことも大切であるが、それと同時に済世利民とか、鎮護国家と云ふやうなことも護法家として、また其の大法の伝承者として行わなければならない事である。」として、満濃池修築や益岡池碑銘撰末日を社会事業家としての空海の行跡とした。渡辺照宏氏・宮坂宥勝氏も、済世利民(衆生を済度して人民を利益すること)が空海の社会活動の理想であり、その結実が満濃池修築であったとしている。

 こうした先行研究の動向をみると、守山氏の論じた「社会事業家」としての空海像がまずあり、空海の生涯を論ずる際にはそれに沿うのがある種の常套手段となってしまっているようである。それは渡辺氏らが用いている「済世利民」という言葉が、空海の著述からは確認できず、先に引用した守山氏の一文がその恨拠となっていると考えられることからもあきらかである。こうした視点は、空海救済を「welfare」「well-being」であると論じる村上保脅氏にまで至る。

 それでは、このように社会事業的な活動から空海の救済を捉える先行研究の視点は適切なのであろうか。『日本紀略』弘仁十二年五月壬戊和を確認すると、空海が満濃池修築の別当に任じられたのは讃岐国司の奏上によるものであったことがわかる。工事を成功させるために、従事する人員を集めるだけの求心力を空海に期待しての奏上であり、これは空海の自発的活動と考えにくい。また、綜芸種智院の開創に関しては、長らく実在することが前提として論じられていたのであるが、近年になってその実態に関する疑義も提出されている。以上のことを考えると、空海による自発的な社会事業的な活動の実態は確認できないということになる。

 社会事業的な活動は、空海在世当時には僧俗を問わず行われていた。例えば最澄は東国教化の際、行客のために広済院・広縁院を開設している。天長五年(八二八)には、勤操らが行っていた貧者救済の文殊会が全国的な法会となっている。また、俗人が私財をもって窮民救済、交通整備、堤防修築などの活動をした例も多く見られる。そして国家も版給によって自活不能者の救済を行っているのである。こうした状況は、救済活動の対象となる人々、とくに貧者・窮民が当時多く存在していたことを示していると考えられる。それでは、空海の自発的な社会事業的活動が、実態を確認できないばかりか貧者・窮民の救済に向かっていないことはどう捉えるべきなのであろうか。

 こうした疑問を検討するためには、いったん社会事業から離れてみる必要があると忠われる。例えば、密教修法に注目してみるとどうであろうか。『遍照発揮性霊集』(以下『性霊集』)巻六「天長皇帝於大極殿屈百僧等願文」は空海が天長四年(八二七)に折雨修法を行った際の願文である。

この願文において、祈雨は「焼香散華」し、「三尊之霊」即ち三宝に祈るという、明らかな仏教儀礼の形式で行われている。しかし同時に、文章中には儒教からの引用が多く用いられでもいるのである。

例えば「願=段湯目以罪ν己」は『呂氏春秋』第九・季春紀に、「想=夏馬-而泣ν 人」は『説苑』に見える王の逸話をもとにした文である。この様に、仏教儀礼の為の願文でありながら、その発願の契機とされているのは儒教思想なのである。殿を建国した湯王、夏の始祖である禹(う)王が、ここでは理想の為政者の姿として捕かれており、人々の罪を自身の不徳に求める儒教的な為政者像を空海が受容していたことが窺える。また、文中の「故経云」以下の部分は『守護国界主陀羅尼経』(以下『守護経』)阿閤世王受記品第十の大意を取ったものであるが、「三網」、「五常」の語は原文には見られないものである。即ち、空海はこの願文の中に『守護経』を引く際、意図的に儒教の言葉である「三綱」、「五常」を用いたということになる。