以下の内容の転記先:
https://zenken.agu.ac.jp/research/0405/12.pdf
■禅は絶他者に関するあらゆる分別を排除する
・仏は日常生活のありふれたものの中にひそんでいるのです。
⇒それをあるがままに受け取るのです。
⇒現実肯定のコンセプトが出てくる。
⇒道元禅師のことばに眼横鼻直というのがある。
⇒眼が横にあって鼻がまっ直ぐにあるというあたりまえのことをいっている。
⇒どうしてそうなっているかということは誰も解らない。
⇒偉大な神秘ということはこういうものいう。
⇒この視点から無知である私は禅について学んでみる。
注)インド哲学における視点
ブッダ: 仏教では、絶対的な存在を否定し、無常や縁起の教えを重視します。ブッダは悟りを通じて真理を見出し、ロゴスに相当する概念として「ダルマ(法)」を説きました。ダルマは宇宙の法則や真理を意味し、個々の存在がそれに従っているとされる。
注)華厳(けごん)とは:仏教の一派であり、大乗仏教の一つである華厳宗の教え。華厳経(けごんきょう)という経典に基づいており、その教えは「大宇宙の真理」や「仏性の普遍性」を強調している。
「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」と音写される。毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と概念的に同一の仏である。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
【華厳の考え方の特徴】
- 大宇宙の真理:華厳経は、宇宙の全てが仏性を持ち、すべてのものが仏であると説いている。この考え方は、すべての存在が相互に関連し合い、一つの大きな仏性の体系の一部であるというもの。
- 仏性の普遍性:すべての人間や物質は仏性を持っており、その仏性を開花させることができるとされている。この考え方は、すべてのものが悟りを得る可能性を持っていることを示唆している。
- 無量義:華厳経は、宇宙の無限性や無量義を強調している。すべてのものが無限に存在し、無限に変化するという教え。
- 絶対平等:すべての存在は絶対平等であり、差別や優劣の概念は存在しない。すべてのものが平等に存在し、平等に尊重されるべきだとされている。
華厳の考え方は、宇宙の真理や仏性の普遍性を強調し、すべての存在が平等であり、無限に変化するという深い教えを持っている。
■禅の伝統は釈迦(ブッダ)に始まる
◆現実に禅の文化が現れたのは
歴史的・社会的な事情に促されて、又は呼応して出てきた。
ユーラシア大陸における一つの大きな転換期、変革の時代に現れてきた。
それは古代帝国が崩壊していったその波に呼応して出てきた。
・西洋では
⇒古代ローマ帝国(紀元476年)が蛮族に荒らされて崩壊し、
⇒中世(初期中世:500年~1000年、中世盛期:1000年~1300年、後期中世:1300年~1500年)の社会が成立。
⇒一方、キリスト教が広まり、僧院が作られて行く。
・シナでは
⇒漢の大帝国(紀元前206年~紀元220年)が崩壊してその後に蛮族が侵入。
⇒歴史では五湖十六国の乱など
⇒その後に禅宗が盛んになってきた。
注)後漢の衰退(25年~220年)、三国時代(魏・呉・蜀)、西晋、五胡十六国と東晋、南北朝時代にかけて国が混乱(混乱の原因として地方豪族の存在)し、
約350年続いた分裂時代を終わらせたのが隋の文帝。彼は589年に南朝の陳を滅ぼして中国を統一し中央集権体制の仕上げを行った。
この350年間に西方から伝わった仏教、また民間から発展した道教が文化が中国社会に影響を与えた。
仏教の隆盛に伴い、敦煌・雲崗・龍門などでは、石窟、石仏、仏画が盛んに作られ、描かれた。これらはインドのガンダーラ・グプタ様式や、中央アジアの様式に影響されている。
五胡の君主たちは、自らが仏教徒となると共に、仏教による民衆教化を図った。
【この時期の仏教特徴】
- 仏教の普及と寺院の建立:
- この時代、多くの仏教寺院が建立された。特に洛陽を中心に900以上の寺院が建てられ、1万人以上の門下生が集まった。
- 重要な仏教僧の活動:
- 仏図澄(ぶっとちょう)や鳩摩羅什(くまらじゅう)などの名僧が活躍し、仏教の教えを広めた。彼らは翻訳活動や教義の普及に努め、中国仏教の基礎を築いた。
- 仏教と国家の関係:
- 仏教は国家とも密接に関わり、時には国家の軍事行為に協力することもあった。また、仏教僧はスパイや使者として利用されることもあった。
- 仏教の社会的影響:
- 仏教は囚人や逃亡者、女性や子供など、社会の様々な層に影響を与えた。仏教寺院は避難所や教育の場としても機能し、社会的な役割を果たした。
五胡十六国時代(304年~439年)は仏教が中国社会に深く根付く重要な時期であった。
・インドでは
⇒同じ変化がほぼ同じ時代に現れている。
⇒中央アジアの蛮族がインドを侵入。
⇒グプタ王朝(320年~550年頃)の偉大な帝国を崩壊させた。
⇒その優雅な文化がここに消滅した。
⇒インドに侵入した蛮族はサンスクリット語でフーナという。
⇒東洋史でいう匈奴のこと。非常に狂暴で残酷な王であった。
⇒例えば、トーラマーナという匈奴の王は野蛮の限りを尽くしたそうである。
⇒匈奴の軍隊が攻めてくることは鳥の鳴き声で分かると言われている。
⇒匈奴の軍隊が通った後は屍骸が山をなして、それに鳥が群がり啄(ついばむ)。
⇒だから鳥が寄って来るのを見ればフーナの軍隊がやってくるのが分かるという。
⇒それからイスラムの軍隊が入ってきてインドを統一するまで500年~600年間は
⇒インドは四分五裂の状態になる。
⇒中央アジアの蛮族がちょっと動くとこちらの蛮族が押され動くという具合に
⇒それぞれプッシュされながら民族移動をしていったのである。
⇒つまり、ユーラシア大陸の中央部で大きい民族移動が行われた。
・西の方に行った連中は
⇒アッチラ(Attila:五世紀)の行動に見えますように、
⇒ローマに侵入して荒らし廻り古い文化を破壊したわけである。
⇒このようにして古代ローマ帝国は崩壊した。
⇒そして人々は拠り所を失ってしまった。
⇒優れた人々は現世の何物をも諦めてキリスト教に入っていった。
⇒そのような動きの中から僧院が出てきたわけである。
注)グプタ王朝:インドの黄金時代とも呼ばれ、文化、科学、経済が大いに発展した。
- 経済の発展::農業が主要な産業であり、商業も活発でした。特に、インドと中東を結ぶ貿易路が重要な役割を果たした。
- 文化の繁栄::文学、音楽、美術が花開き、サンスクリット語が公式言語として広く使われた。この時代には、詩人クーティリヤや医学者チャラカが活躍した。
- 科学と技術の進歩::数学、天文学、医学などの分野で大きな進歩があった。例えば、アーリヤバティーヤ(紀元前476年 – 紀元後476年)が「シュリーハリシュチャンドラ」を著し、インドの数学の基礎を築いた。
- 宗教の多様性::ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教などが共存し、宗教的な寛容さが見られた。
グプタ王朝の時代は、インドの歴史において非常に重要な時期であり、その影響は現代にまで続いている。
■古代帝国が崩壊すると
古い宗教の伝統も跡絶える。
ことにシナの場合には古い時代、隋、唐の教学というものが一度跡絶えてしまい経典も無くなる。
仏教の学問が衰えてくるのである。
◆経典に頼らない仏教
⇒文字に捉われないで仏教の信義をじかに掴むことによって
⇒自身で実践するという形の仏教が現れて参りました。
⇒それが禅だったのある。
⇒インドのグプタ王朝(紀元320年~550年頃)の崩壊期、大体五世紀の終わりから六世紀の始めにかけての期間に
⇒達磨大師(不明)はシナに禅を伝えられた。
・禅の出現
⇒ユーラシア大陸における世界史的な大きな流れの中に出てきたことを意味する。
⇒それは西洋におけるキリスト教の確立、ことにその僧院の確立とちょうどパラレルになっている。
⇒西洋ではその頃モナステリ(修道院)が作られた。
⇒禅は混乱期の中で広がった宗教であるから、
⇒少なくとも初期においては政治権力の保護というものを受けていません。
⇒あの達磨大師と梁の武帝(464年から546年)との対談ー本当か嘘か知りませんがーが伝えられている。
⇒これは達磨大師が梁の王朝から何らかの保護を受けていなかったことを示している。
⇒武帝は多くの塔や寺を建てた事を大変威張っていた。
⇒ところが大師はそれを無功徳とやったのです。
⇒このように禅は混乱期に広まっていったのである。
⇒いわば民族的な宗教として伸びていったわけです。
⇒そして最初のうちは禅僧はイティネラントつまり遍歴の修行僧として生きたのですが、
⇒ある時期から禅堂が作られるようになった。
⇒共同生活を行うようになった。
⇒志を同じくする者が集まって人里離れた所で共に住むようになった。
⇒以前は放浪者的性格を禅はもっていたのですが、
・第四祖の道信(580年~651年)の頃から
⇒禅は偉大な生活の転換を行ったわけであります。
⇒道信は30年間程度一箇所の山で修行を行い、帝王の召しにも応じることもなく、彼の回りには常に500人の僧が共にいたそうである。
⇒大勢の僧が共に一箇所に住むことはやがて制度化されるようになる。
⇒そこで僧たちの生活形態が変わって参ります。
⇒人里離れた山間で僧院が作られたそうです。
⇒そうすると村里に出て行乞をすることができなくなるから
⇒自然と僧たちは自給自足の生活を行わなければならなくなった。
⇒これは大きな転換であります。
出典:右図)https://www.mafengwo.cn/i/1134247.html
・インドの生活を見る
⇒修行僧が共同で住むヴィハーラというのは精舎と申しますが、
⇒あれは大都市または村落から『遠からず近からず』所に建てることになっていた。
⇒その理由は托鉢・乞食によってお坊さんは暮らしていますから、
⇒托鉢に行けなくなるからです。
⇒また市内の雑沓(ざっとう)地域では修行の障りになります。
⇒そこで村落から『遠からず近からず』といういい方になるのです。
⇒インドまたは東南アジアでは全部そういう形態をとっている。
・シナの禅宗では
⇒道信(580年~651年)以後山の中で共同生活をやるようになり、
⇒托鉢に行けないですから山中で自分達だけの独立した生活をします。
⇒そこで自ら田を耕し木を切り家を建てるというようなことをお坊様がするようになる。
⇒ここでは僧侶が生産に従事し勤労を尊重することなる。
⇒申すまでもなくこれが禅門の作務(さむ)です。
⇒この作務が南アジアの僧院にはありません。
⇒例えば今日のタイ、ビルマなどの大きな寺院があり多くに僧侶が住んでいますが、
⇒労働は全部俗人の寺男がやります。
⇒お坊様はただじっと座禅するだけです。
⇒お坊様が労働に従事することは戒律で禁止されている。
⇒これはおそらくジャイナ教あたりから承けているのだと思います。
⇒ところがシナの禅院では
⇒禅定を修することと並んで労働と経済活動が現れてきたのです。
⇒これは西洋の僧院の出現と丁度パラレルになっています。
・道信(580年~651年)が出るちょっと前に西洋では
⇒エジプト人であるパコミウス(292年頃~346年)という人が
⇒大凡四世紀の初めに最初のキリスト教の修道院を作りました。
⇒そして農業労働に従事したのです。
⇒それ以前のキリスト教の行者は
⇒柱の上にじっと座って神を念じたり、荊の上に寝転んで体から血を流したりする行者がたくさんいました。
⇒ところがパコミウス(292年頃~346年)の頃から違ってきたわけである。
⇒禅の方でも教団の生活規定ができてきます。
⇒それが清規(しんぎ:=行動規範)というのです。
⇒百丈懷海(えかい)禅師(749年~814年)によって組織化されたものがとくに知られている。
注)東山法門:菩薩戒の精神に基づく生活規範、観法を中心とする修行法、それらによる「悟り」の獲得の三つが一体と見徹された。それはインド仏教とは異なる新たな「三学」の主張であつた。
注)道信:“菩薩戒法(大乗の菩薩が受持する戒。悪をとどめ、善を修め、人々のために尽くすという三つの面をもつ)”を創制し、禅宗の戒律革命を開始した。
【印度(仏教)の戒律によれば】
“淨戒を持する者は販売交易に従事してはならず、田宅を構えてはならず、人民奴婢畜生を畜養してはならず、一切の播種や諸財宝はこれを遠ざけること地獄の火の如く、また草木の伐採や、土を耕し地を掘ることは許されない。
これらの規定は、一つには財富による欲心の発生を防ぎ、二つには労動の過程で殺生を犯すこと免れるためであり、一定の合理性はある。
しかし、これらの規定はまた仏教の独立自主の精神を阻害して、経済上の非独立性が精神上の依賴性を養う可能性があり、これは仏教にとっては一種のディレンマとなる。
【印度仏教の特色が色濃い頭陀行(ずだぎょう・乞食をしながら各地を巡り歩いて修行すること)】
頭陀行戒は禅宗の独立精神を体現しており、官府の制約を受けず、世俗に汚されず、卓然自立して、仏教の純粹性を保持するに益があった。
頭陀行はまた自由自在な風格をも具えており、環境に左右されず、己が欲に煩わされず、依法乞食し、心に選択なく、“住むに再宿せず”、一地に留まらないものであった。
当時の中国での成功は期しがたかった。頭陀行は自修には適するが、化衆には不利であり、或いは自利に偏重し、利他には不足がある、これが最大の問題であった。
【印度と寒冷な北方中国では自然環境が大きく違う】
頭陀行を実践するしても、過酷な寒冷地では非常な耐久力と精神力を要し、誰もが慧満(雪巖)のように雪地荒冢に住むことができるわけではなかった。
中国の現実の環境には適合しない頭陀行を堅持することは、早期の禅宗を苦境に置き、一方では官方の打撃迫害を受け、他方では他の仏教宗派の排斥を受けて、ほとんど継続が困難な情況に陥った。
【改革なしでは生き残れないという峻厳な現実に直面】
禅宗は道信以前にも数多くの試行を繰り返し、困境からの脱出を図っていた。
四祖道信は久しい研鑽を経て、毅然として禅宗の戒規に対する重大な改革を行い、農禅一体の新モデルを樹立し、これに相応して菩薩戒規を制定した。
【伝統的戒規の打破】
播種、開墾、草木伐採等は禅宗で最も従事することの多い労動であり、これらに対する伝統的戒規による規制を打破するには、大乘仏教の実相観と実相懺が必要であった。
一切諸法、性は本と空寂、執著すべからず、但し心の染著する無くんば、即ち煩惱及び諸妄惑罪悪は除かれむ、因って肝要なのは「心淨」である。
因って播種等の活動時において求利の心なく、傷害の意なければ、法の為にして食の為ならず、道を謀りて貧を謀るにあらず、「犯戒」にはあたらない。
【共同労動】
禅宗の経済的基礎を形成したのみならず、労動修行合一の新たな禅修方式を産み出した。
労動の中で修行し、修行の中で労動することは、世俗的労動を神聖化することになり、修行の重要な手段となった。
この意義は極めて大きい。マックス・ウェーバー(韋伯)の指摘によれば、プロテスタンティズムの禁欲主義が労動の合法化問題を解決したのは、労動を禁欲と修行の手段とみなし、労働を神意にかなう天職とみなしたことにより、それが資本主義制度の誕生を促進し、社会の生産力と社会の財富の大きな発展をもたらした。
禅宗も同樣にして労動の合法化問題を解決し、寺院経済および社会の財富の增加に貢献した。プロテスタンティズムのような作用を及ぼすことはなかったが、その意義を軽んじることはできない。
注)大乘仏教における「実相観」と「実相懺」:仏教の教義や実践において重要な概念。
実相観(じっぞうかん):仏教における実相(真実の姿)を理解し、その実相を観じることを指す。これは、現実の世界が仮のものであり、真の実相は無常であるという理解に基づいている。この観点から、人々は現実を見つめ直し、仮象を超えた真実を見ることを目指す。
実相懺(じっぞうざん):実相を悟り、その悟りをもとに懺悔と修行を行うことを指す。懺悔とは、過去の過ちや罪を認め、それを悔い改めることであり、修行とは、その懺悔を通じて自己を成長させ、仏道に向かうための努力を意味する。
出典:https://president.jp/articles/-/42220?page=6
http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/bukyoframe.html
【【大乗仏教のアウトライン】】
大乗仏教は他者の救済と慈悲の実践を重視
- 目的:他者の救済を重視(利他行)。
- 修行方法:六波羅蜜の実践(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若)。
- 広がり:中国、朝鮮、日本(北伝仏教)
<大乗仏教の特徴>
大乗仏教は、初期仏教(上座部仏教)とは異なり、より広範な救済を目指す教えとして発展した。
- 普遍的な救済:大乗仏教は、すべての生きとし生けるものの救済を目指します。出家者だけでなく、在家者も含めた一切の衆生の救済を掲げています。
- 菩薩の道:菩薩(Bodhisattva)という概念が重要で、菩薩は自らの悟りを求めるだけでなく、他者の救済をも目指します。菩薩は修行を通じて他者を助けることを重視します。
- 空(くう)の教え:万物が本質的には無常であり、独立した永続的な自己を持たないことを指します。この「空」の概念は、大乗仏教の中心的な教義の一つです。
- 大乗経典:大乗仏教には独自の経典があり、代表的なものには『般若経』、『法華経』、『浄土三部経』、『華厳経』などがあります。
- 如来蔵思想:すべての衆生が仏性を持ち、修行を通じて仏となる可能性があるとする教えです。
- 地域的な広がり(北伝仏教):大乗仏教は、インド、中央アジア、中国、朝鮮、日本などの国々で広く信仰されている。
【【上座部仏教のアウトライン】】
上座部仏教は個人の修行と戒律の遵守を重視
- 目的:個人の悟りを目指す(自利行)。
- 修行方法:戒律を厳格に守る。
- 広がり:スリランカや東南アジア(南伝仏教)
<上座部仏教の特徴>
釈迦の教えを忠実に継承し、厳格な戒律と個人の修行を重視する仏教の一派で、スリランカで大成した。
- 戒律の重視:上座部仏教では、出家者(比丘)に対する戒律が厳格に守られている。これはセックスしない、酒を飲まない、金銭に触れないなど、227の戒律が含まれている。
- 個人の修行:上座部仏教は、個人が修行を通じて悟りを開くことを目的としている。これは、大乗仏教が他者の救済を重視すうのとは対照的である。
- パーリ語仏典:上座部仏教は、パーリ語で書かれた仏典を使用し、これを通じて釈迦の教えを伝えている。
- 口伝の伝統:仏典は「読む」書物というよりも「詠む」書物として、声を介して身体に留める伝統が培われている。
- 地域的な広がり(南伝仏教):上座部仏教は、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、スリランカなどの国々で広く信仰されている。
上座部仏教は、釈迦の教えを純粋な形で保存し続けることを目指しており、その厳格な戒律と個人の修行を重視する姿勢が特徴。
・丁度これに対応するものとして西洋においては、
⇒イタリアの聖ベネディクトが
⇒大凡五世紀の終わりから六世紀にかけて幾多の修道院を作って規定を設けています。
⇒西洋の修道院の戒律もやはり勤労と生産に関する問題を含んでいた。
⇒修道院で牛を飼いミルクを絞り草を刈ったりしている。
⇒大体この頃から始まっているのです。
⇒また修道院で作ったということも歴史的な事情に由来している。
⇒かれはイタリアに住んでいたのですが、蛮族が侵攻略奪してきた時のことを慮ばかって高い断崖の上に僧院を建てた。
注)モンテ・カッシーノ:ベネディクト会の初めての修道院(529年)が築かれた(イタリアのカンパニア州)
出典:Wikipedia(モンテ・カッシーノ)
⇒当時の修道僧は、当時の世俗のありかたではもう駄目だということで自分達の手で僧院を作った。
⇒やはり世俗には様様なことがあるから自分達だけで静かなやすらいと修行の場所を作りたいということであの僧院を建てられのではないでしょうか。
⇒修道院を訪れるますとあまり装飾もなく簡素でひっそりしりています。
⇒ちょうど永平寺などの山の中の禅寺と同じです。
⇒カソリックの寺院などに参りますと聖者の像などはありますが、民衆的な感じする。
⇒ところが奥に籠って修行に勤める修道僧の生活は違います。
・民衆の宗教は東洋も西洋もはどんど同じ
⇒聖者の像は仏教の菩薩の像に対応する。
⇒またお燈明を上げること、お線香をともすこと、香を焚いて身に薫ずることまで同じです。
⇒お数珠ですが、インドから西洋にもたらされた。
⇒西洋ではロザリオといいます。
⇒また合掌の習慣ももともは西洋にはなかった。
⇒キリスト教はユダヤ教から出てきたが、
⇒ユダヤ教の礼拝はラバィと呼ばれ、ユダヤ教の坊様がテントを張って天空を仰いで高らかに声を上げ手を広げて行います。
⇒砂漠の宗教ですから天を仰いで神を讃えるだけなのである。
⇒ところがヘレニズム世界にこの宗教が入ってきますと、
⇒ちょうどそこにはインドなど東方からの文化が伝えられていましたので、
⇒その影響を受けてカトリックなどはいつの間にか合掌を取り入れしまったのです。
⇒これはみなインドないし東洋の影響なのです。
⇒今申しましたのは民衆的な形態であります。
⇒聖者たちは修道院の中で世俗から遠ざかって静かな生活をしたのです。
⇒この点はシナの清規でもですし、永平清規を読みましても世俗から離れた生活が規定されています。
出典:左図)https://butsuzou.themedia.jp/posts/7717652/ 右図)https://www.louvre-m.com/collection-list/no-0010 下図)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
◆民衆に近づく禅院や修道院
⇒世間の人は中世は一様だったとみていますが、決してそうではありません。
⇒中世自体の中に徐徐に変化が現れています。それは東西ともに同じです。
※中世(初期中世:500年~1000年、中世盛期:1000年~1300年、後期中世:1300年~1500年)の社会が成立。
⇒その一つとして最初の修道院や禅院は深山幽谷にありましたが、
⇒それがだんだん町の人人に近づいてきます。
⇒その転換をなす動きはわが国では瑩山禅師(1268年~1325年)、ヨーロッパでいえばクリーニの修道院になるでしょう。
⇒能登(輪島市)の総持寺は交通は不便だったとおもいますが、門前町を持っています。
⇒クリーニはフランス東部の小都市で、そこにはベネディクト会の修道院があったのです。
⇒ところがそこでは手工業が行われていました。クリーニ・レースというのはそこから始まりました。
※曹洞宗大本山総持寺(横浜市):1911年(明治44年)に輪島市より移転。2024年10月2日訪問。
⇒ここを揺籃の地として修道院の改革運動が始まって次第に広がり、フランス国境を越えてイタリア・スペイン・イギリス・ドイツ・ポーランドに延びていきました。
⇒このようにキリスト教を奉ずるすべての国にその影響が及んでいきました。
⇒そこでクリー二の教団では世俗の兄弟とか外の兄弟とか呼ばれる仲間が作られています。
⇒瑩山禅師の場合にも民衆に禅の感化が及ぶようになってきます。
⇒年代の上でも両者は相応しているのです。
⇒インドについて考えてみると、これに対応するものはシャンカラ(700年~750年)に由来するとこの不二一元論のヴェーダーンタ学派でしょう。
⇒シャンカラが道元禅師(1200年~1253年)に対比されるべきことはいえるのですが、
⇒瑩山禅師(1268年~1325年)に対比される人をどこに求めてよいかわからないが、
⇒ラーマーヌジャ(1017年~1137年)をあるいはもってきてもよいのではと思います。
⇒もちろんピッタリとは合わない点があります。
⇒ラーマーヌジャはシャンカラを攻撃しましたが、
⇒瑩山禅師は道元禅師を非難されたことはありません。
⇒シャンカラに由来する本山は深山幽谷の中にあるシュリンゲーリで、非常な山奥です。ちゅど高野山のような所です。
⇒途中はなかなか大変でして普通の人はとてもお参りもできない所です。
⇒ところがラーマーヌジャ系統のお寺があるのは南インドのマドラス(チェンナイに改名)の近くにあるカーンチープラという港町で、だれもがすぐにお参りできる所です。
⇒つまりヴェーダーンタの哲学が民衆的になったようなものである。
注)ラーマーヌジャが登場した時代:11世紀頃の南インドには、二つの大きな思想潮流があった。
一つはウパニシャッド思想を受け継ぐヴェーダーンタの一元論哲学であり、
他は、アールワール(聖頌者)と呼ばれる詩人たちによって広められたヴィシュヌ神へのバクティ(信愛)を説く一神教の宗教思想である。
ラーマーヌジャは、両思想の綜合を試み、これに成功して一派を形成した。その宗派は、シュリーヴァインシュナヴァ派と称する。
ブラフマンと最高神の同一視、ウパニシャッドの行法である想念と民間信仰のバクティの同一視に、ヴェーダーンタ哲学と一神教信仰の融合統一への志向を窺うことができる。
出典:https://www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/04/1983_10_hikaku_%2010_matsumoto.pdf
注)ヴェーダーンタ:インド哲学の主要な学派の一つで、特にウバニシャッドの教えに基づいている。『ヴェーダーンタ』という言葉は、サンスクリット語で『ヴェーダの終わり』を意味し、ウバニシャッドを指すこともあり、ヴェーダーンタの基本概念はウバニシャッドと同じで『梵我一如』の概念。
主要な学派
- アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論): シャンカラによって提唱され、ブラフマンとアートマンの究極的同一性を強調します。
- ヴィシシュタ・アドヴァイタ(制限不二一元論): ラーマーヌジャによって提唱され、ブラフマンとアートマンの同一性を認めつつも、個々の魂の独立性も認めます。
- ドヴァイタ(二元論): マドヴァによって提唱され、ブラフマンとアートマンの二元性を強調します。
注)輪廻の解脱:人は、生まれてから、病(やまい)の苦しみ、老いの苦しみを経て、死に至る。死んだ後は、すぐにまたどこかで何かに生まれ変わり、同じ苦しみを味わう。それを、過去から未来永劫まで、際限なく繰り返していかなければならない。
この輪廻から逃れることを「解脱(げだつ)」という。
解脱するには、出家して修行をし、悟りを開くことが必要だと考えられていた。
出典:https://www.nhk.or.jp/kokokoza/sekaishi/contents/resume/resume_0000000680.html?lib=on
◆瑩山禅師はこれに対比できると思う
⇒シナの禅宗においても十三世紀に入ってから真実からの諷誦が行われるようになった。
⇒大悲呪、楞厳呪などが読まれるようになります。
⇒また俗信仰の傾向も顕著になったようです。
⇒瑩山禅師の包容的態度に注目をすれば、同時代のインドのヴィドャーラニャと対比できるかも知れません。
⇒からは立派な聖地や無類の大寺院を建てています
⇒シュリンゲーリの本山(深山幽谷な場所)は
⇒ヴィドャーラニャ以前はほとんど何もなかった。彼の時に至って大いに発展しました。
⇒田島柏堂先生の研究によって明らかされたことですが、
⇒瑩山禅師の門流の通幻寂霊禅師(1322年~1391年)や実峯良秀禅師(?~1405年)などは
⇒民衆のための活動をいろいろなされています。
⇒橋をかけ井戸を掘り灌漑事業を行い民衆に利益をはかっておられます。
注)聖徳太子の社会福祉施設
・四天王寺を建て、
⇒社会救済事業の最初の試みとして悲田院など四院の施設を設けた。
出典:左図)https://www.shitennoji.or.jp/shotokutaishi.html 四天王寺
注)道昭:遣唐使の一員で653年に唐に渡り、玄奘三蔵に師事して法相宗の教えを学んだ。帰国後、法相宗の教えを広めるたに尽力した。
道昭の晩年には全国に遊行しながら各地で土木事業を行った。特に橋や道路の建設に力を入れ、多くの地域でインフラの整備に貢献した。
道昭の土木事業は、彼の宗教的な活動とともに、地域社会の発展にも大きな影響を与えた。
【行基は薬師寺(法相宗)にて教学(唯識)を学ぶ】
法相宗は玄奘三蔵が開いた仏教の一派で、その教えは『唯識』。唯識とは、すべての現象は心の働きよって生じるという仏教の哲学。玄奘三蔵はこの教えを中国に持ち帰り、弟子の慈恩大師によって法相宗として体系化された。
・唯識と行基の社会事業への深い繋がり
- 唯識の学びと実践:行基の社会事業は、『唯識』の「心の働きが現実を作る」という考え方に基づいている。具体的には、行基は人々の苦しみを取り除くはために、心の働きが重要であると考えた。
- 貧民救済・インフラ整備:社会事業を通じて、人々の生活を改善しようとした。これらの活動は、唯識の「利他行」(他人のためにっ行動すること)を実践するものであり、他人の苦しみを取り除くことで自分自身も幸福になるという考え方に基づいている。
行基の活動は、唯識の教えを具体的な形で実践したものであり、彼の社会事業は唯識の理念を体現していると言える。
【社会事業の資金提供者:地域の豪族】
資金提供者:橋や道路の建設、治水工事などの土木工事は、地方の豪族の資金提供によって支えられていた。これにより、農業生産力の向上とその成果を生かす商業(物流)の発展が促進された。
民衆の生活環境の改善:行基の活動は、豪族の土地も潤す結果となり、彼の教えに従う民衆が増加した。
(出典:https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h25/hakusho/h26/html/n1111c10.html)
注)忍性律師(にんしょうりつし)
鎌倉後期の真言律宗の僧(1217年~1303年)で、一時、四天王寺の別当をしていた。
忍性は、奈良の北部般若坂のところにも、ハンセン氏病患者の収容施設を建てた。
北山十八間戸(きたやまじゅうはつけんど)という。
■北山十八間戸の位置と再現施設
・その後の忍性律師の活動方面
⇒東(関東)へ下って、諸方でたいへんな活動をした。
⇒例えば、鎌倉の大仏の近く桑ヶ谷では療病舎を建てた。
極楽寺の山門 極楽寺の井戸(粥を施すために使用) 桑ヶ谷療養所跡
※桑ヶ谷療養所跡は大仏と長谷寺の間にひっそりと石碑が建立されていた(2024年6月26日訪問)
注)叡尊(えいそん):真言律宗の僧侶であり、忍性の師。叡尊は鎌倉時代中期に活躍し、戒律の復興や社会福祉活動に尽力した。叡尊は西大寺を拠点に活動し、貧民や病人の救済にも力を注いだ。
忍性は叡尊の教えを受け、同じく貧者や病人の救済に尽力した。彼らの活動は、当時の社会に大きな影響を与えた。
注)真言律宗の開祖:平安時代初期の弘法大師空海は真言宗の創始者であり、真言律宗の教義の基礎を築いた。しかし、真言律宗として形を整えたのは叡尊。叡尊は戒律の復興と社会福祉活動に力を入れ、真言律宗を復興した。
注)真言宗:創始者は弘法大師空海。
- 教義: 密教の教えを基にしており、特に即身成仏(生きたまま仏になること)を重視する。密教の儀式や真言(マントラ)を唱えることが特徴。
◆瑩山禅師は禅僧の心得を述べておられますが、
⇒その中で明らかに世俗を肯定する立場示しておいでになります。
⇒また、教義的にみますと
⇒正法眼蔵(道元禅師の著作)には否定的表現が多いのですが、これはシャンカラに似ている。
⇒シャンカラはウパニシャッドの「そうではない。そうではない」の思想を受け継いで、
⇒絶対者は結局ことばでは表現できないもので「そうではない」と否定的にいう外ないと主張しています。
⇒西洋では同時代にドイツを中心として神秘家が現れています。エックハルト(1260?~1327年)、タウラー(1300年頃~1361年)、ロイス・ブルーク(1293年~1381年)などの人はシャンカラと非常に似ています。
⇒エックハルトの文章をあるインド人の学者が一つ一つサンスクリットをあてはめていますが、まるでシャンカラの文章を読んでいるような感じがします。
⇒このようなことが禅僧の場合にもいえると思います。
⇒西洋でも真理を否定的に表現する仕方は古くからあります。アレキサンドリアのクレメンス(150年頃~215年頃)は否定の道といことをいっています。
注)アレクサンドリアのクレメンス:2世紀の人物で、初期キリスト教を代表する神学者の一人。エジプトのアレクサンドリアで活躍したためこの名で呼ぼれるが、エジプト出身ではなくギリシャのアテネの出身と考えられている。
クレメンスの思想の特徴
ギリシャ哲学と文学がキリスト教へ人々を導くために存在したと考え、その思想的な遺産をキリスト教へ継承しようとしたことにある。特にロゴス=キリストであるとした「ロゴス・キリスト論」は、ギリシア思想とキリスト教神学を結びつけた。
注)ロゴス(logos):古代ギリシア哲学において「言葉」「理性」「論理」などを意味し、さまざまな文脈で使われてきた。
古代ギリシャ哲学におけるロゴス
- ヘラクレイトス: ヘラクレイトスは、ロゴスを宇宙の根本原理とし、すべてのものが変化しつつもロゴスによって秩序づけられていると考えた。
- ソクラテスとプラトン: ソクラテスは対話を通じて真理を探求し、プラトンはロゴスを理想的な形而上学的実体と結びつけた。
キリスト教におけるロゴス
ヨハネの福音書: 新約聖書のヨハネの福音書では、ロゴスは神の言葉として描かれ、「初めに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。言は神であった」と記されている。ここでロゴスはイエス・キリストを指し、神の啓示としての役割を果たす。
インド哲学における視点
ブッダ: 仏教では、絶対的な存在を否定し、無常や縁起の教えを重視します。ブッダは悟りを通じて真理を見出し、ロゴスに相当する概念として「ダルマ(法)」を説きました。ダルマは宇宙の法則や真理を意味し、個々の存在がそれに従っているとされる。
注)ダルマ:仏教の中心的概念であり、私達の信仰と人生に大きな影響を与える。
- 仏陀の教え:
- ダルマはブッダ(釈尊)の教えを指す。
- 真理と法則:
- サンスクリット語の「dharma」は「保つこと」「支えること」を意味し、それより「法則」「正義」「真理」「最高の実在」「宗教的真理」の意味にもなる。
- ダルマは、人生と宇宙の法則を示し、私たちが歩むべき道を指す。
◆さらに言語表現の面で注目すべき現象は
⇒東西ともに古くからの古代国家の古典語を放棄していることです。
⇒道元禅師以前の南都北嶺の「ゆゆしき学匠」たちの残したものはすべ漢文でした。
⇒西洋ではラテン語で書かれたのです。
⇒ところがそれに対する反逆が中世の神秘家によってなされました。
⇒かれらはゲルマン言語を用いてキリスト教の真理と思うところを書き、同時にカソリックのオーソドックスな教義からかなり外れたことを唱えています。
⇒エックハルトの教義は異端として弾圧を受けました。
⇒とにかくこのように民衆のことばであるドイツ語で書くことをわけです。
⇒日本では平安末期からにかけて仮名法語が現れ始めました。
⇒法然上人(1133年~1212年)の一枚起請文、親鸞上人(1173年~1263年)の和讃、それから道元禅師(1200年~1253年)の正法眼蔵などはすべて和語で書かれています。
※2024年5月23日 知恩院訪問(源空=法然上人)
⇒インドでも大体この時代から南インドの聖者たちはサンスクリット語ではなくタミル語やテルグ語で多くの宗教詩を残しています。
⇒ベンガルにおけるサハジャ仏教というのがあります。サハジャとは生まれつき仏性をもっていることを意味します。
⇒日本天台の本覚法門ということになりましよう。
⇒このサハジャ仏教がベンガル語で伝えられています。
⇒シナについてはくっくりと線を引くことは難しいのですがやはり変化は見られます。
⇒古い時代の禅とは違った傾向が宋代以降現れきます。
⇒宋代以前の禅宗はインドに直結しています。
⇒内容が論理的・体系的で、例えば達磨大師に帰せられる二入四行論をお読みになれば分かるように実にインド的なのです。
⇒ところが宋代以降の禅宗は全然違います。
⇒抽象的用語は無くなり、民衆のことばで書かれていますから
⇒日本人には非常に読みづらいものになっています。
⇒碧厳録や無関門を二入四行論と比較してみると全然違っています。
⇒このような語録が著されたのはゲルマンの神秘家や鎌倉仏教の指導者と同時代です。
⇒インドの場合も同じでして、ヒンズーイズムでタントラの宗教というのがありますが、シナの語録のような謎めいた表現が多くでてきます。
◆次に思想の面を考える
・禅の根本的立場は
⇒不立文字(ふりゅうもんじ)というこになりますが。
⇒禅宗ぐらい多くの書物を残している宗派も外にありません。
⇒では「不立文字」というのはどういうことかと申しますと、
⇒命題の形では教えを説かないということです。
⇒固定のドグマ(教義)を立てないから
⇒自由自在いくらでもことば用いるのです。
⇒直指人心というのは、
⇒真理をじかに捉える、自分で直接体験するのです。
⇒西洋でこれに近いものはアンゲリウス・シレシウス(1624年~1677年)が挙げられます。
⇒彼は見性と同じことをいっているのです。
⇒「若しもキリストがペテレヘムに四回生まれたとしても、彼が汝の内に生まれないならば、汝の魂はやはり絶望的である。
⇒ゴルゴタの丘の十字架は汝の魂を救わないであろう。汝自身の心の内の十字架のみが汝自身を完成することができる」。
⇒著者不明のテオロギア・ゲルマニカの中では「われわれであること、自己であること、またわがものということが、実は真の実在からわれわれを疎外させるのである」といっています。
※同書には否定的表現が続々とでてきまして道元禅師を思い出させる
⇒この表現は全く仏教の無我説を思わせるものがあります。
⇒これはサンスクリットパリニルヴリタに当たります。
⇒禅家の身心脱落に対比できると言えます。
⇒また、わがものという観念が残っている限りは愛は実現しないというところは大乗の菩薩の智慧と慈悲を思わせます。
注)「不立文字」(ふりゅうもんじ):禅の修行や教えを文字に書き表すことを避ける考え方のこと。
禅の教えは、言葉や文字では伝えきれない深い意味や体験を持っている。そのため、禅の教師や修行者は、文字に頼らず、実際の体験や直感を通じて学ぶことを重視しする。
この考え方は、禅の本質が言葉によって捉えられるものではなく、実践と内面的な覚醒を通じて理解されるべきだという信念に基づいている。不立文字の概念は、禅の教えが普遍的であり、個々の経験や洞察を尊重することを示している。
注)身心脱落(しんじんだつらく):禅の修行において重要な概念。
この言葉は、道元禅師(Dōgen Zenji)が提唱したもので、「身」と「心」の執着やこだわりから解放されることを意味する。簡単に言うと、自己の身体や心に対する執着を捨て、真の自由と悟りを得ることを指している。
道元禅師は、「身心脱落」を通じて、真の自己を発見し、宇宙の一部としての自己を認識することができると教えた。これは、禅の修行者が日々の座禅(坐禅)や修行を通じて達成しようとする重要な目標の一つである。
・禅では自分の本性を轍見するために座禅を修するわけです。西洋では瞑想です。
⇒英語ではMeditateとContemplateという言葉があります。この違いはアメリカ人などに聞いてみますと、
⇒Meditateは心の働きをなくすることで
⇒Contemplateは何か一つの対象をじっと思う事だといいます。これはインドのディヤーナのことです。
⇒禅はこころから来たのです。
⇒この意味は「思う」というほどの意味です。
⇒インド一般の意味は、何かを心の中でじっと思いつめることです。
⇒後の禅の用語で申しますと有相の禅です。
⇒ところがシナに伝わった禅の見解では無念無想を目指すことが強調されます。
⇒道元禅師によりますと、
⇒無念無想になろうと思ってそれにしがみついてはいけない、
⇒妄想が起きたら妄想をしてそのままあらしめよということです。
⇒また、ヨーガということばがあります。
⇒英語のYokeと語源的に同じことばです。
⇒一つのものに心を集中するというのが最初の意味だったでしょう。
⇒ヨーガ・スートラなどになると「心に働きをなくすこと」が理想とされるようになってきます。
⇒仏陀の教えの四諦の中の滅はサンスクリットやパーリ語でニローダといいます。
⇒これは心の乱れを制することです。
⇒心の抑制ができると煩悩は無くなります。
⇒シナの人はこの点に注目をして滅と訳しました。
⇒またその究極のものをインド人では空といいますが
⇒禅では無いということばを用います。
⇒『無』字の公案が後代の禅では重要視されましたが、
⇒西洋でもエックハルト(神秘家:1260?~1327年)も神は無であるといっています。
⇒禅で悟りをしばしば燈明に譬(たと)えるますが、エックハルトも人間の霊魂のもっとも内的な本質を輝きと呼びます。
⇒究極の境地に至りますと、
⇒個人の作意ではなく、
⇒人間の内に行われる神の作意が顕れるのです。
⇒神は魂の内に本質を宿すということもいっています。
⇒道元禅師にもそのような教えがあります。
⇒正法眼蔵生死の巻に「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにこれにしたがいもてゆくとき、ちからもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ仏となる」とあります。
⇒つまり修行は初めは苦しいものですが、究極のところに至ると楽しいものになるのです。
⇒安息に満ちた光明となるです。
⇒西洋ではイギリスの神秘家の中にそれをみることができます。
⇒「無知の雲(The Cloud of Unknown)」という書物が近ごろ注目されるようになりました。
⇒禅の修行について道元禅師が説かれたことが「無知の雲」と非常に似ています。
⇒イギリスというと経験論の哲学だけした知られていないのですが神秘主義の宗教家もいたわけです。
⇒アンゲリウス・シレシウス(1624年~1677年)はいいます。
⇒「キリスト教徒よ。あらゆるものから離れて死に、それによって貧困の精神を体得した人は、みごとに死んでいるのである。」
⇒それから禅定を修した人が究極の境地に至ってヴィジョンを見ることも東西に見られます。
⇒しかしヴィジョンというもは本物ではない。
⇒本当の真理はありふれたところにある。
⇒道元禅師の教えの中に大神通と小神通が説かれています。
⇒身体の毛穴から水を出すとか火を吹くのは小神通であり、
⇒偉大な神通はわれわれが毎日朝起きて息をし、飯を喫し、茶を喫し、歩を働き眠るというあたりまえのことだといっておられます。
⇒鈴木正三という人は「破吉利支丹」の中でキリスト教批判をしています。
⇒明治維新以前の仏教者でキリスト教批判を理論的に行った人は少ないのですが、
⇒その中でキリスト教で奇蹟を説くがそれは決して宗教の証ではないといっています。
⇒本当の宗教には珍しいことは何もない。
⇒奇蹟などはこの国では狐や狸のやることである。
⇒本当の宗教とはありふれたところに神秘を見出すことである。
⇒これが偉大な神秘だというのです。
⇒道元禅師のことばに眼横鼻直というのがありますが、眼が横にあって鼻がまっ直ぐにあるというあたりまえのことをいっています。
⇒どうしてそうなっているかということは誰も解らない。
⇒偉大な神秘ということはこういうものいうのです。
⇒西洋またはイスラムの方でも、例えばシェイク・アブドウラ・アンサールがでて次のようなことばを残しています。
⇒「空駆けることが奇蹟ではない。いやしい蠅さえ飛ぶことができる。橋をからず舟によらないで川を渡ることが奇蹟だろうか。鳥や犬でさえよくこれをなす。
⇒されど苦悩する人々を救うこと、これが心の強き人が行うべきことである。」
⇒このように奇蹟を排斥することは西洋にも古い時代からあったわけです。
⇒ボエチウス(480年~525年頃)は「哲学の慰め」の中で狂信的・迷信的なものを排して、この世にあること、その賜物を感謝することを説いています。
⇒また「無知の雲(The Cloud of Unknown):イギリスの神秘家」では「これらすべての苦しみの中にありながら、かれは”存在せぬ”ことを望みはしない。
⇒なぜならば、そんなことをしたら悪魔の凶器となり神をこばむことになるだろう。ただ存在していること、生きていることを好むのだ。
⇒かれが存在することが意義あり賜物であることについて、かれは心からなる十分の感謝を神に捧げるのである。」
⇒このイギリスの神秘家は”言及する”ことを避けて”暗示する”という傾向をとっています。
⇒神は何であるかはいえない。神は何でないかということについて遥かに多くのことを知ることができる。
◆このような立場から道徳が成立しうるかという問題がつぎにでてくる。
・西洋の神秘家は人間の本性は善あり清らかであることを認めている。
・大乗仏教では本来自性清浄ということを申します。
⇒人間の内には仏性があり、現に生きている人がどうであろうと、内には清らかな仏性が存在するというのです。
⇒白隠禅師も「衆生本性仏なり」といっておられます。
⇒エックハルト(神秘家:1260?~1327年)は「神の本質は善の衣の下に覆われている」ことをいっています。
⇒キリスト教は罪を説くとよくいわれますが、
⇒しかし神秘家の立場は違います。
⇒人間の本性は清浄であるという前提に立っています。
⇒もともとキリスト教の中には二つの対立があったのです。
⇒ペラギウス(345年頃~420年)とアウグスチヌス(350年~430年)の対立です。
⇒二人の対論でアウグスチヌスが勝ち、ペラギウスの思想は異端とされていましったのです。
⇒しかし彼の思想は西洋思想史から完全に消されたわけではないのです。
⇒アウグスチヌスは罪の意識を強調しましたが、
⇒ペラギウスは人間の性は善であるという立場をとったのです。
⇒だから西洋にも仏教的思想がいろいろあるのです。
⇒それが異端として弾圧されたわけです。
⇒東洋人は異端に対して寛容でありますが西洋人は違います。
⇒この問題を追究しますと人間に通ずる普遍的理法があるかどうかとい問題に突き当たります。
⇒仏教ではダルマということをいいます。
⇒三世に通じ十万に行きわたるダルマがあるはずだと考えます。
⇒ところがキリスト教の考え方は多くの学者が説くようにキリストに始まるのです。
⇒それ以外の宗教は場合によっては禁止されるわけです。
⇒この考え方はカソリックやプロテスタントの学者の解釈を通じて伝えられてきたのです。
注)ニケ―ア公会議(325年)の開催理由:当時、キリスト教内ではイエス・キリストの神性についての解釈が分かれており、これが教会内の対立を引き起していた。
特に、アリウス派とアタナシウス派の間で激しい論争があり、アリウス派は「イエスは神ではなく、神に従属する存在」と主張し、一方でアタナシウス派は「イエスは神と同質である」と主張していた。
コンスタンチヌス帝は、ローマ帝国の統一と安定を図るために、キリスト教の教義(ドグマ)を統一する必要があると考え、その為、全教会の代表者を集めて会議を開き、最終的にアタナシウス派の主張が正統とされ、アリウス派は異端とされた。
この会議の結果、ニカイア信条が採択され、キリスト教の基本的な教義が確立された。
※映画「ダ・ヴィンチ・コード」の中でこの会議のシーンがある。
コンスタンチヌス帝の洗礼(ラファエロ作) ニケーア公会議(キリスト教の解釈の統一)
出典:左図)Wikipedia コンスタンティヌス1世 右図)https://gusyakensekaishitankyu.com/?p=16197
・初期のキリスト教にはもっと違った思想がいくつもありました。
⇒とくにアレキサンドリアの教父の書いたものをご覧になると面白いと思います。
⇒クレメンス(2世紀の人物)とかオリゲネスなどの人はキリストの道はロゴスであることを主張しています。
⇒ロゴスは何もキリスト教だけに現れるはずのものではないといいます。
⇒つまりキリスト以前にキリスト教があったということをいっています。
⇒クレメンスは仏陀に言及して、
⇒インド人の間では仏陀を信じているものがいるが、
⇒その仏陀の教えはロゴスに基づいて現れるというのです。
⇒だからキリスト以前に真理を説いた人が多くいるのであり、
⇒最後に出たのがイエスであったというなるのです。
⇒こんな考え方においては異端というものはなくなります。
⇒宗教的真理を説いた人を歴史的人物としてのキリストだけに限る考え方は維持できなくなりましよう。
⇒だからさきに挙げた「キリストがたとえこの世に千回現れてこようとも」という表現もでてくるわけです。
⇒禅で無功用ということを申しますが、
⇒この境地になることだと思います。
⇒チベットの詩人ミラレーバ(1040年~1123年)も「正しさということは信者の直接の目的というよりはむしろ悟りの副産物である」といっています。
⇒そこで現実肯定の考え方が出てくるのです。
注)アレキサンドリアの教父であるクレメンスの解釈
世界の根本にロゴス(logos)がある
これはダルマ(法)と非常に似ているが、宇宙の真理であるロゴスが現れて聖者になる。
その現れがキリストだという。
キリスト以前にもロゴスが現れがあり、ロゴスを明らかにした人がいる。
たとえばソクラテスがそうであり、ヘラクレイトスがそうである。
それから、インドではBoutaという偉い聖者がいたと書いてある。
キリストという一人の人を特別に偉くみるのではなくて、
偉大なロゴスというものがあって、
その現れだという解釈で、非常に仏教的である。
こういう思想(ロゴスの現れが聖者)は、
後代のキリスト教によると、異端、邪教として退けられてしまうが、
初期にはそういう思想があった。
【クレメンスの思想の特徴】
ギリシャ哲学と文学がキリスト教へ人々を導くために存在したと考え、その思想的な遺産をキリスト教へ継承しようとしたことにある。特にロゴス=キリストであるとした「ロゴス・キリスト論」は、ギリシア思想とキリスト教神学を結びつけた。
注)ロゴス(logos):古代ギリシア哲学において「言葉」「理性」「論理」などを意味し、さまざまな文脈で使われてきた。
【古代ギリシャ哲学におけるロゴス】
- ヘラクレイトス: ヘラクレイトスは、ロゴスを宇宙の根本原理とし、すべてのものが変化しつつもロゴスによって秩序づけられていると考えた。
- ソクラテスとプラトン: ソクラテスは対話を通じて真理を探求し、プラトンはロゴスを理想的な形而上学的実体と結びつけた。
【キリスト教におけるロゴス】
ヨハネの福音書: 新約聖書のヨハネの福音書では、ロゴスは神の言葉として描かれ、「初めに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。言は神であった」と記されている。ここでロゴスはイエス・キリストを指し、神の啓示としての役割を果たす。
【インド哲学における視点】
ブッダ: 仏教では、絶対的な存在を否定し、無常や縁起の教えを重視します。ブッダは悟りを通じて真理を見出し、ロゴスに相当する概念として「ダルマ(法)」を説きました。ダルマは宇宙の法則や真理を意味し、個々の存在がそれに従っているとされる。
注)ダルマ:仏教の中心的概念であり、私達の信仰と人生に大きな影響を与える。
- 仏陀の教え:
- ダルマはブッダ(釈尊)の教えを指す。
- 真理と法則:
- サンスクリット語の「dharma」は「保つこと」「支えること」を意味し、それより「法則」「正義」「真理」「最高の実在」「宗教的真理」の意味にもなる。
- ダルマは、人生と宇宙の法則を示し、私たちが歩むべき道を指す。
◆禅は絶他者に関するあらゆる分別を排除する
・仏は日常生活のありふれたものの中にひそんでいるのです。
⇒それをあるがままに受け取るのです。
⇒禅問答の表す真理はきわめて簡単自明なものになっています。
⇒無関門の中のことばに、「はっきりしたことがうっかりされるもの。あかりは火である。ご飯の火をつけよ。」とありますが、
⇒ここで平常の心つまり平常心が道であるということがいわれていると思います。
⇒エックハルト(神秘家:1260年?~1327年)は「神が初めに宇宙を創造したというけれど、
⇒初めとは何のことだ。初めとは永遠の今のことだ。この今である。」ここと今ということだ。
⇒「ここ」と「今」ということとはそれ自身神なのである。
⇒永遠において昨日も明日もない。そこには現在する今がある。千年前の出来事、千年後の出来事が現在の内にある。」
⇒これらの表現は華厳の表現にも通じるものがあります。
⇒このような絶対のものは限定することができない。
⇒そこでもっとも単純な概念である『有』として規定されます。
⇒シャンカラ(700年~750年)の哲学ではブラフマンは『有』であるといわれています。
⇒エックハルト(神秘家:1260年?~1327年)によると「有は神であり、神は有を授ける」と表現されています。
⇒だからシャンカラの『有』は静止的・普遍的でありますが、
⇒エックハルトの「有」は永遠の内に生きることでした。神はそれ自身において生きる過程なのです。静止的な「有」ではない。
⇒ところで道元禅師の立場では時と有を同置するわけです。
⇒「時すでにこれ有なり。有はみな時なり」といわれているように、
⇒いかなるものもその本質においてはその瞬間の時間に外ならないのです。
⇒悟りを開くということも時間に外ならないのです。
⇒「発心・修行・菩薩・涅槃と現成する、すなわち有なり。時なり。」ということです。
⇒これに相応する思想として日本ではハイデガー(1889年~1976年)をもってきます。
⇒しかしハイデガーは近代思想のジグザクの思想の過程から出てきました。
⇒道元禅師(1200年~1253年)は中世の人です。
⇒わたくしは中世の世界で対比すべきだと思います。
⇒その点でアンゲリウス・シレシウスが適当だと考えます。
⇒「世俗の時間の内において永遠性というものを経験することができる。わずらいなしにわずらい、
⇒その人にとって昨日は今日の如くであり、今日は明日と同じになる。
⇒あらゆる事物にひとしく尊ぶ人は常に時間の中に帰る。
⇒久しい永遠の中の欲するがままの状態の中に入るのである。
⇒永遠は時間であり、時間は永遠である。
⇒われわれが両者を別のものとするのでないならば。」このように歴史的・社会的なバック・グランドもよく似ている。
⇒だから道元禅師はシレシウスなどに対比すべきだと思います。
⇒むろんシレシウスの思想は異端的であります。
⇒破門はされませんでしたが明らかに異端思想といえるでしょう。
⇒西洋思想史の中にはこのようなものは非常に少ないのです。
◆わたくしの趣旨
・禅といえども人間が生み出した宗教文化
⇒これは必ず人類に普遍的なものをもっているに違いないというものであります。
⇒しかし、一方では禅は決して外の文化圏に見られないものでもあります。
⇒これは東洋の生み出した独自のものであります。
⇒その独自なものはどこに求めることができるか、
⇒それは西洋なり西アジアの相似た思想と比べてみることであろうかと思います。
⇒その違いを明確にすることによって禅の独自性というものが明らかになるだろうと考えています。
⇒相応するとか似ているといことはすぐに言えます。
⇒どこが違うかということになると
⇒かなり参究する必要があります。
注)華厳(かごん)とは:仏教の一派であり、大乗仏教の一つである華厳宗の教え。華厳経(かごんきょう)という経典に基づいており、その教えは「大宇宙の真理」や「仏性の普遍性」を強調している。
【華厳の考え方の特徴】
- 大宇宙の真理:華厳経は、宇宙の全てが仏性を持ち、すべてのものが仏であると説いている。この考え方は、すべての存在が相互に関連し合い、一つの大きな仏性の体系の一部であるというもの。
- 仏性の普遍性:すべての人間や物質は仏性を持っており、その仏性を開花させることができるとされている。この考え方は、すべてのものが悟りを得る可能性を持っていることを示唆している。
- 無量義:華厳経は、宇宙の無限性や無量義を強調している。すべてのものが無限に存在し、無限に変化するという教え。
- 絶対平等:すべての存在は絶対平等であり、差別や優劣の概念は存在しない。すべてのものが平等に存在し、平等に尊重されるべきだとされている。
華厳の考え方は、宇宙の真理や仏性の普遍性を強調し、すべての存在が平等であり、無限に変化するという深い教えを持っている。
注)ヴェーダーンタ:インド哲学の主要な学派の一つで、特にウバニシャッドの教えに基づいている。『ヴェーダーンタ』という言葉は、サンスクリット語で『ヴェーダの終わり』を意味し、ウバニシャッドを指すこともあり、ヴェーダーンタの基本概念はウバニシャッドと同じで『梵我一如』の概念。
アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論): シャンカラによって提唱され、ブラフマンとアートマンの究極的同一性を強調する。
注)ハイデガーの思想:哲学の中でも特に存在論と解釈学の分野で非常に影響力がある。彼の思想の中心には、存在と時間の概念がある。ハイデガーは、存在は「存在すること」そのものであり、それは常に変化し続けると考えた。彼は「存在は存在すること」(”Being is Being”)という言葉でこの考えを表現した。
また、ハイデガーは「存在の本質」についても深く探求した。彼によれば、存在は常に「存在すること」であり、それは人間の経験や認識とは異なるものです。この考え方は、彼の有名な著作「存在と時間」(”Being and Time”)に詳しく記されている。
さらに、ハイデガーは「存在の解釈」についても重要な視点を提供した。彼によれば、私たちの経験や認識は、存在そのものを解釈することによって成り立っている。つまり、私たちの世界観や価値観は、存在の解釈に基づいて形成されるということ。
■インド哲学における視点
ブッダ:仏教では、絶対的な存在を否定し、無常や縁起の教えを重視します。ブッダは悟りを通じて真理を見出し、ロゴスに相当する概念として「ダルマ(法)」を説きました。ダルマは宇宙の法則や真理を意味し、個々の存在がそれに従っているとされる。
■真空の揺らぎ
◆特異点
出典:https://www.youtube.com/watch?v=Fc0Caf6-GGw&t=3262s&ab_channel=%E6%9D%B1%E5%A4%A7TV%2FUTokyoTV
注)仏教では世界の創造を説かない:したがって造物主も認めない。
万物は縁によって生じ、縁によって滅す(縁起説)。ものの発生には必ず本がある。いかなるものも無からは生じないのだから、本にもまたその本がある。では原初の本は何か。もちろん誰かが造ったのではない。原初の本が生じたのだとすれば、それはどうして何から生じたのか。
だからそれは「生じた」のではない。だが生じたのでなければ、なぜ諸般のものはある(ようにみえる)のか。
結局、生じたとか生じないとかを問えない原初の、思量を越えた事態を「本不生」といい、それを阿字で表して「阿字本不生(あじほんぶしょう)」というのである。
万物の根源は、万物自体がそこにあるように、やはり宇宙そのものであろう。そして万物の母なる宇宙は、やはり生命を生み育む母のように慈愛に満ちているであろう。
それは現代物理学が描くような暗黒の冷たい物質空間ではない。精神的・霊的存在であるわれわれを生み出した宇宙が、そのようなものであるわけがない。
されば、かくのごとき母なる宇宙を仏とみなして何の不思議もない。さらにそれを最高の尊称として大日如来と呼ぶことも。
かくて阿字は宇宙仏たる大日如来の象徴となる。阿字を観想し、阿字を胸中におさめることは、自身と大日如来との本質的・本源的同一を体感することにほかならない。
上記参照先:https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/miyasaka/post-12.html 阿字観の方法と意義
■東大寺の大仏は「盧舎那仏」(るしゃなぶつ)
◆盧舎那仏(るしゃなぶつ)
・大日如来(だいにちにょらい)と同一視されることがよくある。
⇒特に密教において、盧舎那仏は大日如来の別名として理解されている。
⇒大日如来は、宇宙の中心的存在であり、すべての仏の本質を表す仏とされている。
■東大寺 華厳宗総本山
出典:https://www.todaiji.or.jp/information/daibutsuden/
■般若心経全文の読み方
以下の転記先:https://www.engakuji.jp/shakyo/hannyasingyou-tonaekata/
ぶっせつまーかーはんにゃーはーらーみーたーし~んぎょう~
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたー
観自在菩薩行深般若波羅蜜多
じーしょうけんごーうんかいくーどーいっさいくーやく
時照見五蘊皆空度一切苦厄
しゃーりーしーしきふーいーくうくうふーいーしきしきそくぜー
舎利子色不異空空不異色色即是
くうくうそくぜーしきじゅーそうぎょうしきやくぶーにょーぜー
空空即是色受想行識亦復如是
しゃーりーしーぜーしょうほうくうそうふーしょうふーめつふーくーふーじょう
舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄
ふーぞうふーげんぜーこーくうちゅうむーしきむーじゅーそうぎょうしきむーげんにー
不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳
びーぜっしんいーむーしきしょうこうみーそくほうむーげんかいないしー
鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至
むーいーしきかいむーむーみょうやくむーむーみょうじんないしーむーろうしーやく
無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦
むーろうしーじんむーくーしゅうめつどうむーちーやくむーとくいー
無老死尽無苦集滅道無智亦無得以
むーしょーとっこーぼーだいさったーえーはんにゃーはーらーみーたー
無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多
こーしんむーけーげーむーけーげーこーむーうーくーふーおんりーいっさいてんどう
故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒
むーそうくーぎょうねーはんさんぜーしょーぶつえーはんにゃーはーらーみーたー
夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多
こーとくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだいこーちーはんにゃーはーらーみーたー
故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多
ぜーだいじんしゅぜーだいみょうしゅぜーむーじょうーしゅぜーむーとうとうしゅ
是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪
のうじょーいっさいくーしんじつふーこーこーせつはんにゃーはーらーみーたー
能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多
しゅーそくせつしゅーわつぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーはらそうぎゃーてー
呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦
ぼーじーそわかーはんにゃーし~んぎょう~
菩提薩婆訶般若心経
■真言密教とヒンドゥー教
◆空海とラーマーヌジャによる教義の比較(松本 照敬 氏の記事を転記)
出典:https://www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/04/1983_10_hikaku_%2010_matsumoto.pdf
【背景情報】
ヴェーダーンタ:インド哲学の主要な学派の一つで、特にウバニシャッドの教えに基づいている。『ヴェーダーンタ』という言葉は、サンスクリット語で『ヴェーダの終わり』を意味し、ウバニシャッドを指すこともあり、ヴェーダーンタの基本概念はウバニシャッドと同じで『梵我一如』の概念。
主要な学派
- アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論): シャンカラによって提唱され、ブラフマンとアートマンの究極的同一性を強調します。
- ヴィシシュタ・アドヴァイタ(制限不二一元論): ラーマーヌジャによって提唱され、ブラフマンとアートマンの同一性を認めつつも、個々の魂の独立性も認めます。
- ドヴァイタ(二元論): マドヴァによって提唱され、ブラフマンとアートマンの二元性を強調します。
◆Ⅰ.真言密教
・インドの様々な民間信仰を摂取して成立
⇒真言密教もヒンドゥー教も、同じインドの精神的風土から生じたものであるから、
⇒思惟形態が類似しているのは、むしろ当然のことであろう。
⇒しかしながら、ヒンドゥー教思想が、ヴェーダ聖典を権威として仰ぐバラモン教思想を母胎とし、
⇒真言密教がヴェーダの権威を否定する仏教思想の流れを汲むものであるならば、
⇒両者の教義は、本質的な差異が存在するはずである。
⇒わが国の真言宗の開祖・空海の教義(ドグマ)と、ヴェーダーンタ学派の根本聖典『ブラフマ・ストーラ』にはじめてヒンドゥー教の宗教的注釈を施したラーマーヌジャの教義(ドグマ)とを比較してみたい。
・ラーマーヌジャ(1017年~1137年)が登場した時代
⇒11世紀ころの南インドには、二つの大きな思想潮流があった。
⇒一つはウバニシャッド思想を受け継ぐヴェーダーンタの一元論哲学であり、
⇒他は、アールワール(聖頌者)と呼ばれる詩人たちによって広められたヴィシュヌ神へのバクティ(信愛)を説く一神教の宗教思想である。
⇒ラーマーヌジャは、両思想の綜合を試み、これに成功して一派を形成した。その宗派はシュリーヴァイシュナヴァ派と称する。
・一方、空海(774年~835年)は、
⇒わが国古来の山岳信仰によって修行し、中国から真言密教をもたらして両者を融合させた。
⇒かつまた、『金剛頂経』系統の思想と『大日経』の思弁とを融合して真言宗の教義を組織した。
⇒教義を総合的に組織して一宗の開祖となった両者の教義体系は、極めて類似している。
⇒空海は高野山に入定して信仰の対象となっているが、ラーマーヌジャも神の権化として崇拝されており、この点にも両者の類似性が認められる。
⇒類似した体系の中にある質的な相違点を探り、その相違をもたらす淵源についても考察してみたい。
⇒空海の教義については『即身成仏義』を、ラーマーヌジャの教義にちては、初作『ヴェーダールタサングラハ』を中心資料として用いる。
◆Ⅱ.ラーマーヌジャの生涯と教義
・宗教情勢
⇒六世紀から十世紀ころにかけて、南インドのタミル地方には、宗教詩人が多数あらわれ、各地の神殿を巡歴し、神殿前にして賛歌をうたい、法悦境にひたっていた。
⇒ヴィシュヌ教の系統では、こうした詩人たちのうち十二人を、とくにアールワール(聖頌者)と呼んで尊敬を払っている。中心的な人物はナンマールワールである。
⇒九世紀には、ナータムニという宗教家が、アールワール(聖頌者)たちの詩を集めて、『ナーラーイラディヴィヤプラバンダム』を編纂した。
⇒これは、タミル語によるヴェーダ聖典として尊ばれるところになり、タミル語とサンスクリット語を綜合した学派が興るところとなった。
⇒この教義は、プンダリーカークシャ、ラーマミシュラ、そしてナータムニの孫ヤームナ(966年~1038年)という順で継承されたと伝えられている。
⇒ラーマーヌジャは、ヤーナムの弟子シュリーシャイラプールナの妹を母として生まれた。はじめ、ヤーダヴァプラカーシャという名の学者に教えを受けていたが、ウパニシャッドの解釈をめぐって見解を異にしたため、その許を去ってヤーナムの高弟に師事しヤーナムの遺志を継いで、この派の教義を組織するところになった。
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