■中観派の流れ
・ナーガールジュナは『般若経』に説かれている空の思想にもとづいて、思想を体系化した。
⇒その派は空観(くうがん)、中観(ちゅうがん)などとよばれ、
⇒ナーガールジュナは中観派の祖であるといわれる。
⇒この学派の基本は『中論』である。
⇒またナーガールジュナは八宗(はつしゅう)の祖とも称せられる。
⇒それはかれが後世大乗仏教の多数の流れに対して、多かれ少なかれ影響を残しているからである。
⇒かれの後世の影響を細部にわたって組織的にここに述べることは不可能である。
⇒以下、まず中観派の流れについて簡単に概説しよう。
<参考情報>

出典:https://hapbooks.com/post/%E9%BE%8D%E6%A8%B9%E3%81%A8%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE/
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注:八宗
・中国八宗と呼ぶ場合の八宗は、唐代の法相宗・禅宗・密宗・法華宗・天台宗・三論宗・律宗・華厳宗のことを言う。
・日本八宗:現代では、天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗をさす。
■中国・日本で
・ナーガールジュナの思想の流れは中国にも伝えられた。
⇒それは、クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)の翻訳によるナーガールジュナの著作『中論』『十二門論』およびアーリヤデーヴァの『百論』にもとづく宗派として成立した。
⇒それは三論宗とよばれる。
⇒この派の大成者は嘉祥大師吉蔵(かじょうだいしきちぞう:549-623年)である。
⇒かれは安息(パルチア)出身の人であったが、
⇒『華厳経』と『法華経』の思想をふまえつつ、
⇒中国思想の地盤の上にユニークな思想を展開した。
⇒しかし唐の中盤ころ(766年ー826年)までにはその力は衰えた。
・日本にはナーガールジュナの伝統は、
⇒やはり三論宗として伝来した。
⇒それは高句麗出身で、吉蔵の弟子であった慧灌(えかん)が625年(推古三三)年に来日して伝えたものである。
⇒かれは元興寺(げんごうじ)において三論宗をひろめた。
⇒その弟子には福亮(ふくりょう)や智蔵などがいたが、
⇒平安時代の末(平安時代後期は、白河上皇が院政を始めた応徳3年(1086)から、源頼朝が鎌倉幕府を開いた建久3年(1192)までの約 150 年間)には密教と融合しておとろえてしまった。
⇒なお、中国において成立した、以上の三論の上に『大智度論』を加えて教理の基本とした四論宗ーころはのちに三論宗に融合してしまったーも同様の流れに属するものである。
・また『中論』や『大智度論』などをもとにして、
⇒空・仮・中の三諦円融、一心三観にはじまる教理をもつ天台宗ー智顗(ちぎ)によって大成されたーも
⇒ナーガールジュナの思想にもとづくといよう。
・またナーガールジュナの著した『十住毘婆沙論』の浄土教関連の部分は、
⇒後世の浄土教の重要なささえとなり、
⇒またさらに密教も『華厳経』などの影響を受けているが、
⇒ナーガールジュナの思想の延長の上に位置づけることもできよう。
⇒このように、ナーガールジュナが後世に与えた影響はきわめて大きいものがあった。
<参考情報>
■空観思想(=中道:龍樹/ナーガールジュナ)を基盤にして
『天台思想』





出典:サブタイトル/華厳経と華厳思想 No.2(法界縁起)~吉田叡禮(臨済宗妙心寺派牟禮山観音寺住職)転記~
<参考情報:Google chrome AI回答>
三諦(さんだい)
天台宗で説かれる「空諦(くうたい)」、「仮諦(けたい)」、「中諦(ちゅうたい)」の三つの真理を指します。
- 空諦:一切のものは実体がない、空であるという真理です。
- 仮諦:一切のものは、因縁によって仮に存在しているという真理です。
- 中諦:空でもなく、仮(有)でもない、空と仮を共に受け入れる中道の実相を示す真理です。
天台宗では、これらの三つの真理はそれぞれ別々に存在するのではなく、互いに融け合い、一念の中に全てが顕現している「円融三諦(えんゆうさんだい)」として説かれます。
<参考情報>
概念(戯論)からの解放
また空の立場からは、ものごとは役割に応じて名前が変わるので、いま仮に「空」ということばで「ものごとは空である、すなわち固有の本質を持たない」と表現しているが、「空」という表現そのものが究極(=勝義)であるわけでもない、とも言います。
つまり、本来は言語表現されえない、いいかえれば、概念によって間接的に指し示すことはできても、「空であること」は直接に体得されることが期待されるということです。
とはいえ、ブッダの悟りであるその勝義的な真理(第一義諦)が人々に理解されるためには、「空」などの世間の言語表現が必要不可欠で、それを世俗真理(世俗諦)とも呼びました。
もとより、事物に固有の本質はないが、そこに固有の本質があるかのような錯覚はある。それが錯覚にすぎないこと気づかせるために、「空」という否定的な響きのある言葉が選びとられたとナーガールジュナは言います。
ただし、空が正しく理解されるというのは、錯覚を錯覚であると気づくこと、それによって煩悩の根源に巣くう概念化(戯論)という心のはたらきから解放されることを意味しています。
出典:サブタイトル/龍樹(ナーガールジュナ)~大乗仏教の基盤を整えた空観(=中道)/大乗仏教徒が安心して修行できる根拠をザックリ知る~中項目:■空とは何でしょう? ―中観派(ちゅうがんは)の教えを学ぶ/第16回 愛宕薬師フォーラム(東京大学教授 斎藤 明 先生)
<参考情報>
■時間概念が否定
因果論や縁起論はもちろんのこと、カントの認識論も、ヘーゲルの自己展開する弁証法も崩壊させるような根本的問題を突きつけることになる。
まず、観時品では直接的に「時相の不可得」と言い、「時有るべきや」と反語的に時間把握の不可能を言っているが、このことをもう少し具体的に展開している去来品で検討してみよう。
時間論と言えば多くの論者がこの去来品を取り上げるものの、已去(過去)と未去(未来)については明快に否定できるのだが、「去時」、即ち「去りつつある時」の「現在」については、どれもこれもその説明に難渋している。ところが先の思考の次元化を適用すると、これについての次のような解き方が可能となる。
過去や未来がたとえ無であったとしても、その名前や概念が成立していること自体が重要であり、
概念や名前、即ち「仮名」があることによって「現在」も把握できる、ということである。
しかもそのような「仮名」という空虚な趣をもつ過去や未来によって立てられた「現在」だから、結局、その「現在」も空虚である、という論証の仕方である。
同時にそれが意味するところは、たとえそれらが「仮名」だとしても、現在が過去と未来の繋がりの上に立てられている限り、そしてその限りにおいては現実的なのである。
つまり施設された仮名によって現在も「有る」と言われるとともに、単に仮名によって「現在」は成立しているのだからそれは空虚なものである。
これが龍樹の「戯論」という語の背後に隠れている「仮名」の積極的意味であると思われる。
つまり、「現在」は、有でもない無でもない、且つ、有でもあり無でもある、という論理によって成立する現実的なものなのである。それ故。「観時品」の第六偈に言うように、物に因るが故に時間が存在するとされ、物が無とされれば時間も無だとされるのである。
出典:サブタイトル/仮名/仮の働き:三時否定のからくり~龍樹の八不と思考の次元化より転記(渡辺明照 大正大学講師)~