■中世の神秘思想
・大乗仏教の<空>の思想を理論づけた
⇒ナーガールジュナおよびその後の中観派(ちゅうがんは)の思想は、
⇒<世界思想史>を
⇒「古代思想」「普遍思想」「中世思想」「近代思想」の四段階ととらえたときに、
⇒<中世>に位置づけられる(わたくしのいう<世界思想史>については『中村元選集「決定版」別巻一『古代思想』三ページ以下を参照。またこの四段階の区分法については、同書四〇ページ以下を参照)。
⇒ここで<中世>というのは、
⇒ほぼ普遍的宗教の興起したのち、近代的思想の始まるまでの時期をいう。
⇒政治史的社会史的視点からみるならば、
⇒古代末期の「世界国家」または「普遍的国家」の消失から「近代国家」の出現に至るまでの中間の時期であるということができよう。
⇒西洋でいえば、ほぼキリスト教が興起し、ローマ帝国が崩壊し、教権の支配が確立し、のちに宗教改革が起こるまでの時期をいう。
⇒東洋諸国でも、年代的に多少のずれはあってもこういう意味での<中世>を限ることはできるであろう。
・中世において
⇒新たに形成された社会的基盤の上に宗教の権威が確立した。
⇒まず聖典が定められ、
⇒それが権威をもって後の時代に伝えられた。
⇒それが註解され説明されて、神学・教養学成立し、中世の主流となった。
⇒まず早くは、西洋ではアウグスチヌス(354-430年)、南アジアではブッダゴーサ(415-450年ころ)、北方仏教(大乗)ではヴァスバンドゥ(世親:320-400年ころ)がほぼ同時代である。
⇒この時代以後学派が成立した。
⇒インドではバラモン教の系統ではいわゆる六派哲学、仏教のほうでも諸哲学学派において根本の原典がつくられ、それらが後の学者によって解釈敷衍(ふえん)された。
⇒中国では後漢以後こういう傾向が現れて、鄭玄(じょうげん:127-200年)は儒学の典籍を註解し、王弼(おうひつ:226-249年)は老子をそれぞれ独自の立場で註解した。
・ところでこれに対立するものとして、
⇒西洋では否定神学とよばれるものが成立した。
⇒その顕著な現われはキリスト教神秘主義の源流であるディオニシウス・アレオパギタに帰せられる『ディオニシウス偽書』である。
⇒この書の著者は、
⇒神についての積極的言説から成る肯定神学が第一の道であるのに対して、
⇒それは、第二の道である高次の否定神学によって補われなばならず、
⇒それによって超本質的な光のうちに神秘的に沈潜し神と合する恍惚境にはいる第三の道が開けると主張した。
⇒この思想は中世の神秘家に深い影響を及ぼした。
⇒アジアにおいて、
⇒ちょうどそれに対応するものとして、
⇒われわれは空の理論を説いた大乗仏教の神秘家たちに眼をむけねばならない。
■<空>ー実体の否定
・大乗仏教、ことにナーガールジュナは、
⇒もろももろの事象が相互依存において成立しているという理論によって
⇒<空>の観念を理論的に基礎づけた。
⇒この実体を否定する<空>の思想に対して
⇒西洋では全面的な実体否定論はなかなか現われなかった。少なくとも一般化しなかった。
⇒アリストテレスの<実体>の観念が長年月にわたって支配していたのであるから。
⇒それは当然のことであろう。
⇒この点でラッセルの<実体>批判は注目すべきである。
⇒かれは西洋で長年月にわたって優勢であったアリストテレスの<実体>の観念を手厳しく批判している。
・「『実体』という概念は、
⇒真面目に考えれば、さまざまな難点から自由ではあり得ない概念である。
⇒実体とは、
⇒諸性質の主語となるもので、そのすべての性質から区別される何物かである、と考えられている。
⇒しかし諸性質をとり去ってみて、
⇒実体そのものを想像しょうと試みると、
⇒われわれはそこに何も残っていないことを見出すのである。
⇒この問題を別な方法で表現すれば、
⇒ある実体を他の実体から区別するものは何であるか、ということになる。
⇒それは、性質の相違ではないという。
⇒なぜなら実体の論理によれば、
⇒諸性質の相異ということは、当の諸実体の間に数的多岐性を前提していることになるからだ。
⇒したがって二つの実体は、それ自身どのようにも区別し得ることなしに、
⇒ただ単に二つでなければならないという。
⇒それではどのようにしてわれわれは、それらのものが二つであることを見出し得るのであろうか?
・実際には『実体』とは、
⇒さまざまな出来事を束にして集める便宜的方法に過ぎない。
⇒それは、その諸生起がひっかかっているはずの単なる空想上の吊りかぎに過ぎない。
⇒地球がよりかかるための象を必要としないように、
⇒それらの諸生起も実際には吊りかぎを必要としてはいない。
⇒地理的な地域という類似の事例にあっては(例えば)「フランス」というような語が単なる言語的便宜であり、その地域のさまざまな部分を超越して「フランス」と呼ばれるような事物は存在しない。
ということは誰にだって理解できるのである。
⇒同じことが、「スミス氏」にも当てはまる。それは、多数の出来事に対する一つの集合的な名称なのである。もしわれわれが、それ以上のものだと解釈すれば、それはまったく知り得ない何物かは必要でなくなるのである。
⇒一言にしていえば、『実体』という概念は
⇒形而上学的な誤謬であり、
⇒主語と述語とから成る文章の構造を、世界の構造にまで移行させたことにその原因があるのだ」(『西洋哲学史』市井三郎訳、上巻、205ページ)
・かれは<実体>という観念は成立しないというものである。
⇒この議論は
⇒ナーガールジュナやアーリヤデーヴァの実体批判にちょうど対応するものである。
⇒ヘレニズム時代の西洋に<空><空性>に対応する観念を見出そうとするならば、
⇒諸法実相(事物の真相)の異名である実際(bhūta-koṭi)がPleroma(full, perfect nature)に相当し、kenomaやPhiloのvacuuがこれに相当するであろうといわれている。
⇒さらに<空>に体甥するものを西洋中世に求めるならば、「神の沙漠」、ロイスブルータ(1293-1381年ころ)の「怠惰な空虚」、エックハルト(1260-1337年)の言った「何人も落ち着くことのできない静かな曠野(こうの)」「赤裸なる祈り」「神に至らんとする赤裸なる志」ーそれは完全な自己帰投によって可能となるのであるが、ーまたロイスブルークやタウラー(1300-1361年)の説くはかりなき深淵などであろう。
⇒この「深淵」は、
⇒自己否定と自己滅却に専念せる人々によって心から歓迎された。
⇒これは仏教の「無我」の教えに相当するものである。
■絶対の否定
・インドで『リグ・ヴェーダ』以来、ことにウパ二シャッドにおいて
⇒絶対者は否定的にのみ把捉されうると説いていた。
⇒これはとくに般若経典が繰り返し説くところであるが、
⇒ナーガールジュナはこの点を『中論』で明言している。
⇒「心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである」(第一八章・第七詩)
⇒古代西洋の哲学者たちは実体を何らかの意味で承認していたけれども、
⇒究極の実体は概念作用をもって把捉することができないという見解は、
⇒非常に古く、おそらくナーガールジュナ(2世紀中頃)からあまり遠く隔られない時代に現れている。
・新プラトン派およびグノーシス派の思想形態、
⇒殊にプロフロスやダマスキオスのような後代の新プラトン主義者たち、
またそれらがキリスト教的な形態をとったものとしてオリゲネースやディオニシウス・アレオバギタなどの諸著作がそれである。
⇒とくに後者の『神秘神学』は『般若心経』のキリスト教版であるとさえいわれている。
⇒ウイリアム・シェームズの指摘した事実であるが、
⇒ディオニシウス・アレオバギタは、絶対の真理を否定的なことばでのみ叙述した。
⇒何となれば万有の原因は霊魂でもなく、知性でもなく、また説いたり考えたりすることのできないものなのである。
⇒絶対者は、
⇒数もなく、順序もなく、大いさもない。
⇒その中には、微小性、平等、不平等、相似、不相似は存在しない(ーまさに般若経典の文句であるー)。
⇒ディオニシウスはこれらの限定をすべて否定する。
⇒それは、真理はそれらの上にあらねばならぬ。
⇒絶対者を認識する否定的方法が、
⇒ニコラウス・クザーヌス、ジォルダノ・ブルーノーなどによって唱導されたことも、これに関連して考慮されねばならない。
・究極の原理としての<空>に対応する思想を、
⇒古代中国にも見出すことができる。
⇒老子はいう。
⇒「道はつねに何事もしない。だが、それによってなされないことはない」(『老子』第三七章)
⇒そこで<空>の観念と老荘思想の「虚無」との関係が問題となる。
⇒仏教が中国に移入されたころの指導者は、『空」と「虚無」とを同一視して考えていた。
⇒ただし中国で仏教が盛んになると、
⇒仏教を老荘思想に近づけて説く必要がなくなったので、
⇒仏教徒たちのあいだでは「虚無」という語はおのずから使われなくなった。
<参考情報>
◆古代インドのアーリア人によって広められた宗教
・バラモン教は、
⇒ヒンドゥー教の前身とされている。
【バラモン教の主な教え】
- 自然神崇拝:バラモン教は多神教であり、自然の力を神格化して崇拝した。主要な神々には雷神インドラ、火神アグニ、天空神ヴァルナなど。
- ヴェーダ:バラモン教の聖典は「ヴェーダ」と呼ばれ、リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダの四つのヴェーダから成り立つている。これらのヴェーダは、神々への賛歌や儀式の方法を記したものである。
- 輪廻転生とカルマ:バラモン教では、魂が生まれ変わりを繰り返す「輪廻転生」の概念があり、現世での行い(カルマ)が次の生に影響を与えるとされている。良い行いは良い結果を、悪い行いは悪い結果をもたらすと信じられている。
- 解脱:輪廻の苦しみから解放されるために「解脱」を目指すことが重要とされた。解脱を達成することで、魂は輪廻のサイクルから抜け出し、永遠の平安を得ると信じられている。
- カースト制度:社会はバラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(農民・商人)、シュードラ(隷属民)の四つのヴァルナ(階級)にわかれており、バラモン(司祭者)が最上位の階級として宗教儀式を司った。
バラモン教はその後、仏教やジャイナ教の誕生に影響を与え、最終的にはヒンドゥー教へと発展していった。

出典:https://www.nhk.or.jp/kokokoza/sekaishi/contents/resume/resume_0000000680.html?lib=on
◆バラモン教の歴史
- 紀元前1500年頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされる。
- 紀元前1000年頃、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる。
- 紀元前700年から紀元前400年にかけて、バラモン教の教えを理論的に深めたウバニシャッド哲学が形成される。
- 紀元前500年頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性がはっきりと示される。しかしそれに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになる。現在も残っている仏教やジャイナ教もこの時期に成立した。
- 新思想が生まれてきた理由として、経済力が発展しバラモン以外の階級が豊かになってきた事などが考えられる。カースト、特にバラモンの特殊性を否定したこれらの教えは、特にバラモンの支配をよく思っていなかったクシャトリヤ(王侯・武士)に支持されていく。
- 1世紀前後、地域の民族宗教・民間信仰を取り込んで行く形でシヴァ神やヴィシュヌ神の地位が高まっていく。
- 1世紀頃にはバラモン教の勢力は失われていった。
- 4世紀になり他のインドの民族宗教などを取り込み再構成され、ヒンドゥー教へと発展、継承された。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%95%99
出典:サブタイトル/釈迦(ブッダ)誕生前後のインド社会
<参考情報>
■インドにおける「業」の思想とはどのようなものであろうか。
その点について略説すれば、インドにおいては、釈尊の時代になって、バラモン教の教義として、業の思想に基づく輪廻転生説が説かれるようになり、カースト制度(階層的身分差別)が確立されていくのである。
業の思想とは、人間がこの世の生を終えた後、次の世でいかなる生を受けるかは、この世で為した行為、すなわち、業によって定まるという考え方であり、また、輪廻転生説とは、人間は単にこの世のみで滅びるのではなく、肉体の滅後において、この世でのそれぞれの行為(業)に従って次の世に生まれ変わるという考え方であり、そこには輪廻転生する主体としての我が実体として考えられている。
このようなやバラモン教における業の思想による実体論的な論廻転生説は、現在の人生を来世のための仮の世と考え、ひたすらより良き来世を請い願う生き方となり、一方では、現在世も過去世の業によるものであるとの諦めを生み、次第にカースト制度を定着させ固定化させていった。
このような実体論的発想に基づく業思想に対して、釈尊は、「縁起」の思想によって、輪廻転生する主体としての「我」の実体性を否定し、輪廻転生説を否定して、
「解説は不動であり、これが最後の生存である。もはや、生まれ変わること(輪廻の苦しみを受けること)はない、という智見が生まれた。」
と、その初転法輪を終えるにあたって語ったと伝えられている。
ここには、実体的に考えられる、生存の継続としての輪廻に流転する自己存在は成立しないという智見こそが、「縁起」における解脱の内実であることが示されている。
そして、その「業」についても、
「生まれによって卑しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって卑しい人ともなり、行為によってバラモンともなるのである。」
と説き、実体論的な輪廻転生説に基づく業思想を否定している。
このように、釈尊は「縁起」において、過去世における業の結果としての現在世への生まれを否定し、われわれの行為そのものの上に、行為者としてのわれわれの業の結果(業報)を見ていたのである。
すなわち、過去世の業の結果としての現在世という実体論的発想は何ら根拠のない構想(分別)でしかないと、「縁起」という智見によって確信した釈尊は、自らの行為の上に、そのようにしか行為せざるをえない自らの行為者としての責任を持ち、自らの現前の行為のただ中にあって自らの過去に目を向けるという、他律的でない自律的な業の思想に立っていたと考えられる。
このような釈尊の業思想を、龍樹は、先の第二例に説かれているように、「業」を行為と行為者との相互の関係性(相依相待)によって説明しつつ、「業」が実体的発想によって把握されることを否定しているのである。
釈尊は、「縁起」によって実体論的な業思想を批判したが、
釈尊亡き後の仏教は、次第にインド宗教において一般的であった実体論的な輪廻転生説を受け入れ、輪廻転生する主体としての「我」を否定した仏教の「無我」の立場を取りながらも、輪廻転生を可能にする「業」についての解釈を、それぞれの学説に基づいた独自の実体論によって構築していったのである。
それが龍樹によって批判されている阿毘達磨仏教における業論である。
龍樹は、以上の二十偈までにおいて、批判対象としての阿毘達磨仏教の業論を批判的な指摘を交えながら紹介した後、第二十一偈以下第三十三偈(「根本中論偈』の第十七章「観業果品」)において、輪廻に転生する実体化された業論を否定し、実体論的発想によらない業と果報との関係を説いているのである。
これら十三偈における龍樹の主張が、かれの「空」の思想において一貫している論理に基づいたものであることは、改めていうまでもないであろう。
龍樹の主張によれば、われわれの現前の行為(業)は、本来的には「縁起」であり、「自性」を持った実体的な存在の上に成立するものではないということである。もしそこに実体的な業を構想するならぱ、「多くの大きな過失」に陥ることは免れないという問題が、ここに指摘されているのである。
出典:サブタイトル/『業論』に対する龍樹の批判:小川一乗著より転記~釈尊の仏教を再確認し、そこに「生死即浬樂」という大乗仏教の原点を明にする~
■否定の論理
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