ブッダとナーガールジュナの中道思想:山本和彦著より転記

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■ はじめに

 『スッタニパータ』(経集)の最古層である第四章「八つの詩頌の章」と第五章「彼岸に至る道の章」のなかには、ブッダ(仏陀)の金口直説が残されている。そこに見られるブッダの中心思想の一つは、中道である。中道とは両極端の否定であるナーガールジュナ(龍樹)は、ブッダの中道思想を受け継ぎ、『根本中頌』を著した。難解な『スッタニパータ』と『根本中頌』は、両方を重ね合わせると意味が浮き上がってくる。そのとき、『根本中頌』は『スッタニパータ』の註釈書のように見えてくる。それゆえ、ナーガールジュナは第二のブッダと呼ばれている。ブッダにはナーガ(龍)という異名もあり、ナーガールジュナはブッダの思想だけでなく、称号も受け継いでいる。『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』と『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』の解脱への道は、ブッダによって中道という涅槃への道となった。そしてブッダの中道を、ナーガールジュナは受け継ぎ『根本中頌』を著した。本論文では、ブッダとナーガールジュナの中道思想を考察する。

■ ウパニシャッド文献の「再生しない」
 ブッダ以前のウパニシャッド文献としては、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』と『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』が思想的に重要である。仏教用語が確立するまでの初期の仏典では、ウパニシャッドやジャイナ教などの用語が使われいた。たとえば意味は異なるが、『スッタニパータ』第五章のタイトルにもなっている「彼岸に至る道」(パーラーヤナ)という言葉は仏教独自の言葉ではなく、すでに前三五〇年頃のパーニニの『アシュターディヤーイー』などのなかに出てくる。

『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』の末尾は、このウパニシャッドの結論を述べている。

〔学生期に〕学問の師(アーチャールヤ)の家でヴェーダを学習し、残った時間で人生の師(グル)のために規定に従って祭祀を行う。家〔住期〕に清浄な場所で聖典読誦を行い、宗教的義務を備えた人間を育てる。

〔林住期と遊行期に〕すべての感官を自分のなかに引っ込める。〔すべての住期で〕神聖な場所以外では、すべての生き物を殺生しない。命ある限りこのように生活する。そのような人は、ブラフマンの世界に到達する。彼は再び戻ってこない。彼は再び戻ってこない。

 ここでの主題は、解脱への道である。命ある限り、四住期の規定を守って生きれば、解脱できることが述べられている。「感官を自分のなかに引っ込める」とは瞑想のことである。「再び〔この世に〕戻る(punar.vartate)は、再生の意味である。「再び戻ってこない」(na punar.vartate)とは生まれ変わってこない、再生しない、つまり解脱するという意味である。