■中道
■三諦偈
・中観派の思想において
⇒中または中道という概念がきわめて重要な位置を占めている。
⇒『中論』の原名は東北目録(No3824)によれば
⇒Mādhyamika-śāstra(マードヤミカ・シャーストラ)ともいわれている。
<参考情報>
『中論』のサンスクリット語原名は Mūlamadhyamaka-kārikā(ムーラマディヤマカ・カーリカー)
⇒ナーガールジュナ(龍樹)によって著された中観派の根本的な哲学書であり、仏教思想における「空(śūnyatā)」の概念を体系的に論じたものです。以下にその構成と主要な内容を簡潔にまとめます。
⇒全体は 27章 から成り、それぞれが特定の哲学的主題を扱っています。代表的な章は以下の通りです:

・中心思想:空(śūnyatā)
⇒ナーガールジュナは、すべての現象が「縁起」によって成立しており、独立した実体(自性)を持たないと主張します。この「空」の理解は、以下のような論理によって支えられています:
中道(madhyamā-pratipad):常見(永遠不変)と断見(完全消滅)の両極端を避ける中庸の立場。
四句分別(catuṣkoṭi):肯定・否定・両方・どちらでもない、という四つの論理的可能性を用いて、言語や概念の限界を示す。
二諦説:真理には「世俗諦(慣習的真理)」と「勝義諦(究極的真理)」があり、空はこの両者を統合する視座である。
・哲学的意義
⇒『Mūlamadhyamaka-kārikā』は、
⇒唯識派や瑜伽行派とは異なる視点から、
⇒仏教の根本的な教義を再解釈し、後のチベット仏教や東アジア仏教に大きな影響を与えました。
⇒特に「空」の理解は、禅や華厳思想にも深く関わっています。
出典:Microsoft Copilpt
・重要な中道という語が
⇒『中論』においてはただ1回でてくるのみである。
⇒すなわち「四つのすぐれた真理の考察」という第ニ四章の第一八詩に言及されているのみである。
⇒われわれはこれを手がかりにして考察を進めなければならない。
⇒「どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。
⇒それは仮に設けられたものであって、
⇒それはすなわち中道である」(第一八詩)
⇒とあり、これをクマーラジーヴァは、
⇒「衆因縁生の法、我即ち是れ無なりと説く。
⇒亦た是れ仮名(けみょう)と為す。
⇒亦た是れ中道の義なり」
⇒と訳しているが、中国では後にこれが多少変更されて、
⇒「因縁所生の法、我即ち是れ空なりと説く。
⇒亦た是れ仮名(けみょう)と為す。
⇒亦た是れ中道の義なり」
⇒という文句にして一般に伝えられている。
⇒天台宗も三論宗も後者を採用しているし、
⇒なた後者のほうが原文に違うことなくよくその意味を伝えている。
⇒この詩句は中国の天台宗の祖とされる慧文(えもん)禅師によって注意されるに至った。
⇒そうして天台宗によってこの詩句は
⇒空・仮(け)・中の三諦を示すものとされ、「三諦偈(さんたいげ)」とよばれるようになった。
⇒すなわちその趣旨は、
⇒因縁によって生ぜられたもの(因縁所生法)は空である。
⇒これは確かに真理であるが、
⇒しかしわれわれは空という特殊な原理を考えてはならない。
⇒空というのも仮名であり、
⇒空を実体視してはならない。
⇒故に空をさらに空じたところの境地に中道が現れる。
⇒因縁によって生ぜられた事物を空ずるから非有であり、
⇒その空をも空ずるから非空であり、
⇒このようにして「非有非空の中道」が成立する。
⇒すなわち中道は二重の否定を意味する。
⇒ほぼこのように中国以来伝統的に解釈されてきた。
⇒しかし、この天台以後の解釈がはたしてナーガールジュナの原意を得ているであろうか。
⇒すでにわが国においてもこの疑問をいだいた学者もあったが、
⇒やはり結局は天台の解釈に従うべきであるとされている。
■原文による原意の考察
・中国以来の伝統的解釈と無関係に『中論」を研究した
⇒スチェルバッキー、インドのP・L・ヴァイディヤ、同じくN・ダットなどの二、三の学者は
⇒この詩句はたんに、
⇒縁起・空・仮名・中道という四つの概念の同一であることを意味していると考え、
⇒三諦の思想に言及していない。
⇒そこでわれわれは、原文および諸註釈などによってその原意を考察する必要がある。
⇒まず最初の「因縁所生の法、我即ち是れ空なりと説く」の原文は、
⇒「どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く」とある。
⇒『中論』においては一般に縁起と空とは同義であるから、
⇒ここでもそれを意味しているのであろう。
⇒このことはチャンドラキールティの註からみても明らかである(『プラサンナバダー』503ページ)。
⇒故に中国以来の解釈のように、
⇒因縁によって生ぜられた諸法を否定して空を説いたのではなく、
⇒縁起を肯定して、その縁起と空との同義であることを主張しているのである。
⇒次に「亦た是れ仮名と為す」の原文は
⇒「それは仮に設けられたもの(仮名)である」とあり、
⇒「それ」が空をさすことはチャンドラキールティの註からみて明らかである(同書504ページ)。
⇒しかしながらこの文句の意味は、中国以来の解釈のように、
⇒「空亦復空(くうやくぷくう)」(「空もまた否定されねばならない」の意)の意味を説いたのではなく
⇒空と仮名とが同義であることをいうにほかならない。
⇒チャンドラキールティの註によると、
⇒空がそのまま仮名であるとともに、また仮名がそのまま空の意味である。
⇒空をさらに空ずるという説明はみられない
⇒(ただ、漢訳では「仮名」という語に「不空」という意味を認めうると考えて、
⇒『中論』本文において空を仮名とみなすのを、
⇒非空を空ずるという趣旨であると解するのである。
⇒おそらく翻訳者クマーラジーヴァ、あるいはかれを助けた人々がすでにこのように考えていたのであろう)。
・さらに傍論であるが、右(上記)の説明は注目すべきものである。
⇒仮名とは詳しく訳せば
⇒「縁(よ)って施設(せせつ)せられたこと」であるが、
⇒右(上記)チャンドラキールティの説明によれば、
⇒たとえば一つの車はその車の各部分である車輪などが集まることによって形成されているのであって、
⇒各部分を取除いたならば、
⇒車というものはどこにも認められないというのであるから、
⇒これこそまさしく小乗の有名な析空観(しゃつくうかん)である。
⇒このような説明はすでに原始仏教聖典の中に存する(『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』四五巻、大正蔵、二巻、327ページ中)。
⇒また。『大智度論』四二巻においても、
⇒『般若経』の「一切の名字に住すべからず」という句を註釈する箇所で
⇒やはり車の喩をもって同様に析空観を説いている(大正蔵、二五巻、364ページ下)。
・従来三論宗・天台宗の説明によると
⇒小乗の空観は析空観であり、
⇒大乗の空観は体空観または即空観であるといわれている。
⇒このようにチャンドラキールティの註や『大智度論』に析空観の説明がある以上、
⇒必ずしも中国の解釈が絶対的なものであるとはいえないということが明かである。
・最後に「亦た是れ中道の義なり」の原文は
⇒「それはすなわち中道である」とあるが、
⇒チャンドラキールティの註によると「それ」とは空をさしている(同書504ページ)。
⇒空がすなわち中道であり、
⇒中国一般の解釈のように空を空じた境地に中道が現れるのではない。
⇒では何故に空がそのまま中道といわれるのか、
⇒という理由をみると、
⇒すなわち自性上不生なるものは「有」であるということができない。
⇒また自性上不生なるものは無くなるということがないから、「無」ということもできない。
⇒「不生」と「空」とは同義であるから、
⇒したがって空は有と無という二つの極端(二辺)を離れていることとなる。
⇒故に空は二辺を離れた中道である(同上)、ということになる。
■空・仮名・中道は縁起の同義語
・従来中国においては空も一つの極端(一辺)とみなされていたが、
⇒インドの中観派においては
⇒空は有と無という二つの極端を離れた中道である。
⇒中国においては「非有非空の中道」が説かれるが、
⇒チャンドラキールティの註によれば必ず「非有非無の中道」であり、
⇒「非有非空の中道」という説明では出てこない。
⇒元来インドの中観派にとっては「非有非空」とは意味をなさない概念である。
⇒有は無と対立しているのであって
⇒決して空と対立するものではない。
⇒また空は実有と対立するけれども
⇒決して有と対立することはない。
⇒われわれは「空」と「無」とを区別し、
⇒また「有」と「実有」とを区別する必要がある。
⇒したがって非有非無である空はまた中道ともよばれる。
⇒こういうわけで空、仮名、中道は皆縁起の同義語である。(同右)
・またチャンドラキールティは他の箇所において
⇒「このように我と諸法との同一を説く人々は誰でも、
⇒常住と断滅を離れた、縁りて仮説されたことを意味する最上にして深遠な縁起の本性を見ない」(同書214-215ページ)
⇒というから、チャンドラキールティは中道と仮名と縁起とを同義にみていたにちがいない。
・以上は主としてチャンドラキールティの註釈について検討してみたのであるが、
⇒さらに他の註釈についてみても同様のことがいわれる。まず『無畏論』をみるに、
⇒「我れは因縁生のものを空なりと説く。これは縁りて施設せられたるものなるが故に、因縁生(縁起)ならざる如何なる法もあることなし」(『無畏論』国訳、166ページ)。とあるから、
⇒天台宗でいうような三諦の説はどこにもみえず、
⇒これらの諸語を同義とみなしている。
⇒また『般若灯論釈』も同様に解しているし、また『大乗中観釈論』の解釈は難解でよく読めないが、同様に解してさしつかえないと思う。
⇒残るところはピンガラの解釈であるが、
⇒この部分の解釈の中に「空亦復空」という文句は
⇒ここに限らず他の部分においても説かれていることであり、
⇒この詩句と本質的関係があると読むべきほどのものであるかどうかは疑問である。
⇒かつ空と無とは厳重に区別する必要があるのに、
⇒クマーラジーヴァはśūnyatā(空)を「無」と訳すこともあったから、
⇒「無」と「空」の問題に関してはクマーラジーヴァの訳を典拠として議論を立てることは不可能である。
⇒さらにナーガールジュナの他の著書についてみても上述の議論はいよいよ確かめられる。
⇒『廻諍論(えじょうろん)』の最後の詩句をみると、
⇒「空と縁起と中道とを同一の意義をもったものだと説き給うた、かの無比なる仏に敬礼し奉る」
⇒といってこの三概念の同義であることを明確に断言している。
⇒故に天台の解釈が
⇒ナーガールジュナの原意に適合していないことはいよいよ明確である。
⇒さらに『大智度論』における説明や『入大乗論』におけるこの第一八詩の引用からみても、このことは確かめられると思う。また『大智度論』にある、
⇒「因縁生の法、是れを空相と名づけ、また中道と名づく」
⇒という詩句の原文が、もしもこの第一八詩と同一であったならば、
⇒クマーラジーヴァ自身もこの四つの概念を同義と考えていたことが明らかである。
・次に三論宗の解釈をみるに、
⇒嘉祥大師吉蔵自身が三諦の考えをもっていたことは確かであるが、しかし上述の思想もそのまま伝えている。
⇒『中論疏』の、三諦偈に対する註釈をみると、四つの解釈が示されている。
⇒そのうち、初めの三つは天台の解釈および今日一般に述べらている解釈に近いが、
⇒第四の解釈は必ずしもそうでない。
⇒さらにまた嘉祥大師吉蔵がこの第一八詩を多少書き換えて伝えているところががる。
⇒それによると、「中論の所説のごとし。因縁所生の法、我即ち是れ空なりと説く、即ち是れ仮名なり、即ち是れ中道なり」(『二諦義』上巻、大正蔵、四五巻、85ページ中)とあるから、
⇒この詩句に三諦の思想を読みこんでいなかったことがわかる。
⇒嘉祥大師吉蔵は一般に一つのことに対して種々なる解釈を下す傾向があるから一概に断定することはできないが、
⇒とにかく、空と仮名と中道とが共に縁起の同義語であるということを一方においては承認していたことは明らかであろう。
■インドと中国の解釈の相違
・要するに第二四章の第一八詩に関して
⇒後世中国においては三論宗(嘉祥大師吉蔵等)も天台宗も種々複雑な説明を試みるに至ったのであるが、
⇒インドの諸註釈によってその原意を探るならば、
⇒縁起、空、仮名、中道の四つの概念が
⇒同趣意のものであるということを説いたにはかならず、
⇒後世におけるように空をさらに空じた境地に
⇒中道が現れると考えたのではないということが明らかである。
⇒もちろんわれわれは中国仏教思想の独自の意義を認めるにやぶさかでない。
⇒ただわれわれとしては、中国仏教における解釈が
⇒インドのものと違うということを指摘するのである。
⇒そこでここに二つの問題が残る。
⇒まず第一に「中道」の意味を、
⇒中国の解釈から切り離して、
⇒さらに深く考察する必要がある。
⇒第二にいわゆる「三諦偈」に空見を攻撃する思想が含まれていないとするならば、
⇒空見の排斥、すなわちいわゆる「空亦復空」をどのように解釈するべきか。
⇒以下、この二つの問題を考えてみたい。
(次章:NN2-4.『中論』:『空の考察』~中道の意義~(龍樹:中村元著より転記)にて記載)
<参考情報>
例:空観思想(=中道:龍樹/ナーガールジュナ)を基盤にして
『天台思想』





出典:サブタイトル/華厳経と華厳思想 No.2(法界縁起)~吉田叡禮(臨済宗妙心寺派牟禮山観音寺住職)転記~
<参考情報:Google chrome AI回答>
三諦(さんだい)
天台宗で説かれる「空諦(くうたい)」、「仮諦(けたい)」、「中諦(ちゅうたい)」の三つの真理を指します。
- 空諦::一切のものは実体がない、空であるという真理です。
- 仮諦::一切のものは、因縁によって仮に存在しているという真理です。
- 中諦::空でもなく、仮(有)でもない、空と仮を共に受け入れる中道の実相を示す真理です。
天台宗では、これらの三つの真理はそれぞれ別々に存在するのではなく、互いに融け合い、一念の中に全てが顕現している「円融三諦(えんゆうさんだい)」として説かれます。
<参考情報>
【隋時代(581年~618年)に生まれた天台宗】

天台宗の起源と発展
- 創設者:天台宗は、智顗(ちぎ:538年~598年))によって創始された。智顗は天台山(浙江省天台県)に住み、そこで教えを広めた。
- 教義:天台宗は『法華経』を根本経典とし、五時八教や一心三観などの教義を発展させた。これにより、仏教の教えを体系的に整理し、多くの信徒を引き付けた。
- 本尊:特定の本尊はない。一般に多くの寺院では釈迦牟尼仏(法華経に説かれるお釈迦様)を本尊としている。他に阿弥陀如来や薬師如来を本尊とする寺院もある。
天台宗の影響
- 国家との関係:天台宗は隋の第2代皇帝煬帝(ようだい)の帰依を受け、国家の庇護のもとで発展した。智顗(ちぎ)は天台山に国清寺を建立し、天台宗の中心地とした。
- 文化的影響:天台宗は中国の仏教文化に大きな影響を与えた。特に、禅宗や華厳宗など他の仏教宗派にも影響を与え、その教義は広く受け入れられた。
<参考情報>
■天台智顎(ちぎ:538年~598年)
・真実の仏教を求めて – 天台宗を開く
天台大師は今から1400余年前に霊山天台山にこもられ『法華経』の精神と龍樹の教学に基づき 教理と実践の二門を兼備した総合的な仏教を確立され、新しい中国独自の仏教、真実の仏教である天台宗を開かれました。
隋晋王広(煬帝)の尊崇篤く、隋代第一の学匠として「智者大師」の号を賜わり、 わが国では高祖天台智者大師とお呼びし、篤く尊崇され、伝教大師(最澄)により伝えられた。
・天台三大部
48歳の時、陳の皇帝に請われて天台山を下山、 金陵の名刹光宅寺で『法華経文句』を開講されました。 その後、陳は隋により滅ぼされ、首都金陵も戦場となります。 大師は戦乱を避け故郷の荊州に帰郷されました。 ここで玉泉寺を建立され、『法華玄義』と『摩訶止観』を 講説されました。これらは天台宗の聖典として弟子の章安灌頂により筆録され、天台三大部と称されています。
出典:http://www.shiga-miidera.or.jp/doctrine/tendai/index.htm 三井寺
日本への伝播
- 最澄の役割:日本では、平安時代に最澄(伝教大師:767年~822年)が唐に渡り、天台宗の教えを学んだ。帰国後、比叡山に延暦寺を建立し、日本における天台宗の基盤を築いた。

出典:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO18258790Z20C17A6AA2P00/
※堂内は外陣と中陣、内陣に分かれる天台仏堂特有の形式をとる。僧侶が祈りをささげ、本尊の秘仏、薬師如来を安置する宮殿(くうでん)が置かれた石畳の内陣は、中陣より約3メートル低い。つまり中陣にいる一般参拝者と同じ高さに、本尊がある設計になっている。
同寺総務部の礒村良定主事は「天台宗では人間はだれでも仏になることができる、と説いている。参拝者が見上げるのではなく、本尊と対等にすることでそれを表している」と話す。
天台宗は、中国仏教の中でも特に体系的で深遠な教義を持つ宗派として、歴史的に重要な位置を占めている。


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