④-3.人間とがんとの戦いに終止符をうてるか…「がん細胞だけを狙って殺す」希望の光免疫療法とは? そのメリットとは?~集英社オンライの記事を転記~

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『がんの消滅』#2

日本人の死因1位は1981年から変わらずがん(悪性新生物)だ。2021年の厚生労働省の統計によると、死因1位のがんの26.5%は、2位の「高血圧性を除く心疾患」の14.9%を大きく引き離す。日本人は2人に1人ががんになり、4人に1人はがんで死ぬ時代、「9割のがんに効く」と言われる「光免疫療法」は従来と治療法とは何が違うのだろうか。『がんの消滅:天才医師が挑む光免疫療法』 (芹澤健介[著]/小林久隆[医療監修]、新潮新書)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

標準治療

がん治療ではしばしば「標準治療」という言葉を耳にする。私たちが「がん」と診断された時、まず最初の選択肢として示されるのがこの標準治療だ。

国立がん研究センターの公式サイトによれば「科学的根拠に基づいた観点で、現在利用できる最良の治療であることが示され、ある状態の一般的な患者さんに行われることが推奨される治療」とされている。

誤解が多いが、厚生労働省の承認を得、公的医療保険、いわゆる健康保険が適用されただけでは「標準治療」と呼べない。この後、さらに充分な科学的データを積み重ね、その分野の医師たちが学会で検討、作成した「診療ガイドライン」に掲載されたものが「標準治療」となる。

光免疫療法はこの途上にある。

一方に「先進医療」という言葉もある

こちらは、やはり国立がん研究センターによれば「医療技術ごとに、実施者、治療対象、治療法とその実績、医療安全など、厚労省の基準を満たし、かつ、実施承認を受けた医療機関でのみ行われる医療」のことだ。

厚生労働省の承認を得て、診察・入院・検査代は保険適用となるが、医療技術料は全額自己負担となる。

これらと一線を画すのが「自由診療」だ。

身近なものでは健康診断やワクチンの予防接種、歯医者さんで銀歯でなく新素材を使う場合などがそうだが、日本未承認の抗がん剤や治療法を扱うクリニックで行う診療もこれに当たる。

公的医療保険の適用とならないので、診察・入院・検査代も全額自己負担となる。

現代の私たちはインフォームド・コンセントが義務化された時代を生きている

インフォームド・コンセントとは、治療に当たって医師の充分な説明と患者の同意が必要とされるプロセスのことで、患者の自己決定権を保障するものだ。

医療法によりその義務が明文化されている。

そんなの当たり前でしょと思うかもしれないが、導入以前は医療は患者のものというより医師のもの、治療方針は医師が決定するものだった。

逆に言えば現代は、患者が自分でどの治療を選ぶのか決めなければならない。

「標準治療」で行くのか、

その途上にある光免疫療法を選ぶ手もあるのかもしれないし、

「先進医療」の可能性や

「自由診療」に賭ける人もいるかもしれない。

がん治療は複雑だ。

がんの種類は多様、がんが発生する臓器によって治療法も違えば、生存率も異なる。

患者の体質も一様でなければ、

どこの病院でもまったく同一の治療やサポートが受けられるわけでもない。

その人にだけ効くがん治療法というのもあるのかもしれない

いずれにせよ私たちはがんと診断されて初めて、

自分のがんにはどんな治療法が最適なのか、

どこの病院を選べばいいのか、

そうした膨大な情報が溢れる現実に直面する

選択するのは自分だ。自ら調べねばならず、かといって無限に情報収集を続けていられるほど時間的余裕があるわけでもない。「名医」を扱う書籍や雑誌、テレビ番組が多数存在するのはそうした理由からだろうし、困り果てて怪しげな民間療法や口コミに頼りたくなってしまうのも無理はないのかもしれない。

その際、判断のひとつの材料になるのは

保険診療か自由診療かだ

保険診療と認められるためのハードルは高い。

自由診療とは異なり、国の承認を得なければならないからだ。

日本の大多数の医師や医療スタッフが

日々研鑽する主戦場はここであり、

この舞台に上がっているかどうかが

その治療法の信頼度も左右する面があることは否めない。

中でも「標準治療」と認められるには

長い歳月が必要とされることも記しておかねばならない。

こんなことをあらかじめ書いたのは、本書刊行の2023年時点では、

光免疫療法を名乗る自由診療のクリニックがあまりに多いからだ。

本書で扱う光免疫療法は

保険診療でしか受けられない。

「第五の治療法」と注目されるのもそのためである。

その点に留意して読み進めていただきたい。

「外科療法(外科手術)」のメリット&デメリット

では標準治療における従来の「三大療法」と光免疫療法の何が大きな違いなのかを見ていこう。
それぞれの治療法にメリットとデメリットがある。

「外科療法(外科手術)」は、がん細胞を完全に切除できれば体内からがんを消すことができ、「最も直接的かつ根治の可能性が高い」と言われる。

その一方で、当然のことながら、正常細胞も傷つける。どんな天才外科医でも、細胞レベルで選り分けて、がん細胞だけを取り除くことは不可能だ。

大腸がんや早期の胃がんなどで内視鏡や腹腔鏡を使うなど患者の負担が少なく済む手術もあるが、

開腹手術や開頭手術となると術後の負担も大きい。

臓器や体の部位を温存できないことももちろんありうる。

がんは成長すると原発巣、つまり元の発生場所から周囲の組織に浸潤したり、血液やリンパ液の流れに乗ってほかの臓器やリンパ節に転移する。

そのため原発の腫瘍を切除するだけでなく、転移の可能性がある箇所も取り除く必要が出てくる

これを「郭清(かくせい)」と言うが、がん細胞の取りこぼしがないよう、マージンを大きく取っておくのが一般的だ。

がんの進行により、切除箇所を広げる術式を「拡大手術」と言うが、80年代に医師となった小林によると、「腹腔鏡手術が普及する90年代までは、身体の中がほとんど空っぽになるような拡大手術を受けた患者も少なくない」とのことだ。

「放射線療法(放射線治療)」のメリット&デメリット

「放射線療法(放射線治療)」は放射線(高エネルギーX線、電子線、陽子線、重粒子線、α線、β線、γ線など)でがん細胞のDNAを傷つけて死滅させる治療法だ。

体を切らずに治療できる。治療中の痛みもなく、体への負担が比較的少ない、外科手術が難しい場所にあるがんでも有効、などといった利点がある。

とはいえがん細胞を殺すほどの放射線を照射するので、がん細胞の周囲の正常細胞もダメージを受ける。

近年ではよりピンポイントに照射ができるようになったが、それでもがん細胞だけに照射するのは不可能だ。

照射によって患部周辺の幹細胞が死滅してしまえば、がん細胞が死滅した後も組織を再生させることができず、いわば「焼け野原」のような状態が残ってしまう。

また、放射線感受性が高い免疫細胞などはほぼ死滅することになり、免疫機能は低下せざるを得ない。

全身のだるさや吐き気といった副作用を伴うことも多い。

同じ場所に再発した場合は、初発の際に照射した放射線量を考慮すると、定められた耐容線量を超えてしまうため再び放射線治療を受けられないことがほとんどだ。

「化学療法(抗がん剤治療)」メリット&デメリット

「化学療法(抗がん剤治療)」は、外科手術では治療できない血液やリンパのがんも治療できる、体内に広く分布するがんに対応できる全身療法である、といったメリットがある。

がんの増殖を抑えたり、転移や再発を防ぐ効果もあるとされる。

だが、抗がん剤の作用はがん細胞にだけ及ぼされるわけではない。

正常細胞にも働いてしまう(分子標的薬を用いたがん薬物療法は後述する)。

副作用をゼロにすることも困難だ。

代表的なものだけでも吐き気、脱毛、倦怠感、頭痛、めまい、発熱、悪寒、発汗、疼痛、しびれ、麻痺、患部の腫れ、むくみ、咳、口内炎、食欲不振、高血圧、血尿、頻尿、下痢、皮膚障害などなど。

抗がん剤の祖は毒ガスと言われる。事実、日本初の抗がん剤「ナイトロミン」は第一次世界大戦の際にドイツ軍が使用したマスタード・ガス(イペリット)を起源としている。「毒をもって毒を制す」とでも言えばよいのだろうか、抗がん剤はその強い毒性でがんを攻撃する。その毒が正常細胞に影響すれば、「がんを叩く」という主作用以外の作用が起きてしまうのもいわば当然だろう。

また、がん細胞に抗がん剤に対する耐性がついてしまうことがある。その場合、その抗がん剤はもう使えなくなる。数週間で耐性ができることもあり、再発しても使えない。

原因の多くは、がんが変異することにある。

がん細胞は正常細胞の100~1000倍の頻度で遺伝子に変異を蓄積していく。

結果的に、過酷な環境を生き抜いたがん細胞だけが増えていき、投与できる抗がん剤の選択肢も減っていく。

「がん免疫療法」のメリット&デメリット

「第四の治療法」とも言われる「がん免疫療法」にも触れておこう。

がん免疫療法とは「患者の免疫力を高めてがん細胞への攻撃力を強化する治療法」だ。

標準治療でも、免疫細胞が作るインターフェロンやインターロイキンといったタンパク質を投与して免疫細胞を活性化する治療法を「サイトカイン療法」と呼んだり、膀胱がん治療に使われる「BCG膀胱内注入療法」を「膀胱がん免疫療法」と呼んだりして、がん免疫療法の一種とする場合もあるのでややこしいが、国立がん研究センターの区分では、現在、保険適用となっているがん免疫療法は次の2つだ。

「免疫チェックポイント阻害薬」を使うものと

「エフェクターT細胞療法」(キメラ抗原受容体=CARの遺伝子を用いるCAR-T療法)である

(ネットで検索すると大量に出てくるこれ以外の「○○免疫療法」は保険外診療、つまり自由診療なのでご注意を)

前者はがん薬物療法の一種とも言える。

「免疫チェックポイント阻害薬」はがん細胞を攻撃する免疫細胞のいわばブレーキを外し、

CAR-T療法はその数を増やす。いずれにせよ「免疫の力を強める」治療法だ。

まだ治療の対象となるがんは限られており、

免疫チェックポイント阻害薬を使えるがん種でも効果が出るのは2割ほどというのが現状だ。

どちらも免疫細胞ががん以外の場所でも活性化しすぎることで重症化したり死亡したりするといった重篤な副作用の例も報告されている。

患者自身の免疫細胞の性質に左右される面もあり、まだまだ発展の途上にあると言っていいだろう。

「がんの消滅」

では光免疫療法のメリットとはなんだろうか。

まずオバマの言葉を借りれば、光免疫療法は「がん細胞だけを殺す」ことだ。従来の三大療法はどうしても正常細胞を傷つけてしまう。

どんな天才外科医でもがん細胞だけを摘出するのは不可能だ。

どれだけピンポイントに放射線を当てようと、がん細胞の周囲の正常細胞も傷ついてしまう。

抗がん剤治療は、ざっくり言えば「毒」をもってがんを制する治療法だ。がんだけでなく正常細胞にも「毒」の影響が出てしまう。

がん免疫療法はがん細胞を直接殺すわけではない。がん細胞を殺す免疫細胞を活性化するものだ

光免疫療法は、近赤外線照射のスイッチを押せば、がん細胞だけが狙われ、選択的に壊される。

次に、これは「がん細胞だけを殺す」ことと同義とも言えるが、

「体への負担が少ない」点がメリットだ。

つまり、何度でも治療することができる。

医学的には「低侵襲」という言い方をするが、人体には安全な薬剤を体内に注入し、安全な光を照射し、がん細胞が選択的に殺せるなら、体への負担はないはずだ。

しかも、治療後には正常細胞が残る。がんがあった場所は元のきれいな状態に戻るに違いない。

それに対して、外科手術を行って切除した臓器や組織が戻ってくることはないし、切開したところは傷痕として残るかもしれない。

放射線治療は当てられる線量が決まっており、放射線を浴びた通常の組織は元に戻らないことがある

抗がん剤治療の場合、がん細胞に耐性ができる場合があり、これも投与できる上限が決まっている。

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最後に、「汎用性の高さ」だ。

本章の冒頭で、「がん細胞の表面には他の正常細胞にはないタンパク質が多数、分布している。がん細胞を移植されたマウスの体組織内に、このタンパク質とだけ(特異的に)結合する物質を送り込んでやれば、がん細胞にだけその物質がくっつくことになる」と述べた。

この〈物質〉は免疫学では「抗体」と呼ばれる。後に触れるが、光免疫療法は抗体医薬の原理でがんだけを攻撃する。

この抗体が特異的に結合するタンパク質(免疫学では「抗原」)は、一般には「腫瘍マーカー」として知られている。がんの種類によって作られるタンパク質が異なるため、がんの診断の際に利用されている。

EGFRというタンパク質は、多くのがんに発現する。頭頸部がん、皮膚がん、卵巣がん、乳がん、肺がん、胃がん、すい臓がん、胆管がん、大腸がん、子宮がん、膀胱がんなどだ。

HER2(ハーツー)というタンパク質は、乳がんや胃がん、すい臓がん、胆管がん、膀胱がんなどで発現が見られる。

こうしたタンパク質(抗原)はすべてのがん患者で同様に発現するわけではないのが難しいところだが、

この抗原に合わせて抗体を変えてやれば、

がんの種類ごとに抗体が

IR700を

がん細胞のもとに運んでくれ、

がんを殺すことができる。

原理的には、9割のがんをカバーできるのだ。

つまり光免疫療法は「がん細胞だけを狙って殺す」「何度でも治療できる」「9割のがんをカバーする」ということになる。

光免疫療法が広く実用化されたら、そんな未来が待っているのだ。

がん検診でがんと診断されたとする。自分のがんが光免疫療法のカバーする9割のがんだということがわかり、光免疫療法での治療を選択したとする。

私たちはまず病院に行き、IR700を含む薬剤を点滴される。

薬が患部に充分に行き渡る時間が必要だが、その間はただ待っていればいい。

その上で医師の元に行き、患部に近赤外線を照射してもらう。

強い光で細胞を焼くわけではないのに、がん細胞は照射の瞬間から壊れ始める。

3センチ程度のがんであれば4~5分の照射で施術は終わるだろう。

その後は体内に残った薬剤と壊れたがん細胞の排出を待つだけだ。

さらに普及が進めば、私たちはがん検診すら必要なくなるかもしれない。定期的に病院に行って薬剤を飲み、近赤外線の照射を受けておけば微小なうちにがんを退治できる。

そんな未来が来たならば、それは私たちががんという病から解放されることを意味しないだろうか。

かつて結核は「死の病」だった。

だが医学の進歩はその恐怖の記憶を遥かな過去に追いやった。

がんはどうだろう。

光免疫療法は実際にがん細胞を殺し、消滅させるだけでなく、私たちの「がんの記憶」さえ消すかもしれないのだ。それは「がんの消滅」と言ってもいいのではないか。