■問題の所在
・伝統的保守的仏教(いわゆる小乗仏教)諸派のうちで、最大の社会的勢力をもっていた」「説一切有部」は、
⇒「一切が有る」と主張したといわれる。
⇒「一切が有る」という主張は
⇒すでに経蔵の中にあらわれ(『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』一三巻、『大正新修大蔵経』(以下、大正蔵)、二巻、91ページ中)、
⇒さらに南方に伝わったセイロン上座部の『論事』の中でも紹介批判されている。
⇒そののち有部は仏教の中でもきわめて有力な一派となり、後世まで存続し、多くの文献を残している。
⇒漢訳大蔵経のうちに伝えられている小乗仏教の論書はたいてい有部のものである。
⇒仏教教団の諸派に対する寄進の旨を記した金石文が現在多く残っているが、有部に対するものが最も多い。
⇒だから社会的にも最も有力であったといいうるであろう。
・ところでその有部の根本思想は
⇒昔から日本ではふつう「三世実有(さんぜじつう)、法体恒常(ほつたいごうう)」であるといわれている。
⇒「一切有」という句とあわせていうと、
⇒「一切の実有なる法体が三世において恒有である」といいうる。
⇒この句の意義を解明すれば有部の根本思想を知りうるはずであるから、いまこれを分けて考察したい。
第一「法」および「法体」を有部はいかの解したか
第二「実有」とはいかなる意味か
第三「一切」とはいかなる意味か
第四「三世において恒有である」とはいかなる意味か
<参考情報>
■説一切有部
・従来の中国・日本の仏教(大乗仏教)において説一切有部は、
⇒小乗仏教(上座部仏教の一派)の代表的な学派として、仏教の中で最も低級な教えのように思われていた。
⇒しかしそれは、その思想が大乗仏教の思想と正反対の点があり、
⇒またた社会的には説一切有部(小乗仏教の諸派のうちで)が最も有力であったので、
⇒大乗仏教側から盛んに論難しまた貶したわけである。
⇒説一切有部の思想はそれ自体として深い哲学的意義をもっているから、
⇒それをもっとよく理解し、正当に評価する必要がある。
<参考情報>

出典:http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/bukyoframe.html
