■『中論』の註釈書
・『中論』の否定の論理を解明するあたって、
⇒まずその書の立場の原意を知るためにどの註釈(ちゅうしゃく)によるべきか、ということが問題になる。
⇒現在出版されている『中論』の註釈が六種あるが、それを順次に考察しよう。
・そのうちで、『大乗中観釈論』一八巻はスティラマティ(安慧:あんね)の著であるが、
⇒かれはヨーガ行派の人であるから、独自の立場から解釈していて、必ずしもナーガールジュナの原意を伝えているとはいえないのではないか、という懸念がある。
⇒その上に『中論』の詩句は後世に至るまで変化を受けることが僅少であるにもかかわらず、その漢訳をみると前半(惟浄釈:ゆいじょうしゃく)も後半(法護訳:ほうごやく)ももとの原文を思い切って意訳しているしまた脱落もあるので、これにのみよることは適当ではない、といわねばならぬ。
・さらにバーヴァヴィヴェーカ(あるいはバヴィヤ。清弁(しょうべん)、490ころー570年ころ)の『般若灯論釈』は詳しい註釈であるから非常に参考となるが、
⇒かれは新たに独自の説を主張して、スヴァータントリ派とよばれる学派の始祖となったと伝えられているから、この註釈のみにたよってナーガールジュナの原意を知ろうとすることは極めて危険である。
⇒かつ、このチベット本は始めの二章のみ批評的に刊行されたにすぎず、また漢訳はチベット訳に比して訳本の原形が非常に乱雑であるから漢訳のみにたよることは適当ではない。ただ参考として言及するのみとどめたい。
・バーヴァヴィヴェーカ(清弁)がその論争の相手として攻撃の鉾を向けているのは、
⇒ブッダバーリタ(仏護、470ころ-540年ころ)である。ブッダバーリタは、アーリャデーヴァ(提婆:だいば、170ころー270年ころ)、ラーフラバトラ(羅睺羅:らごら、200ころ―300年ころ)以後約200年近くふるわなかった中観派を復興した人であるが、
⇒ブッダバーリタの考えは大体においてナーガールジュナの原意を得ているであろうということは、すでに諸学者の認定するところである。
⇒故にブッダバーリタの註釈は信頼しうるのであるが、そのチベット文は始めの部分(第一二章まで)が批評的に出版されたのみで、
⇒重要な思想を含む後半の部分は未出版であるから、これも出版された部分を参考にとどめるという程度とせざるをえない。
■最も重要なチャンドラキールティの註釈と採用する理由
・ブッダバーリの弟子であるチャンドラキールティ(月称)の書いた註釈である『プラサンナバダー』のサンスクリット文が残存し出版されている。
⇒諸学者の説にしたがってブッダバーリの解釈が大体においてナーガールジュナの原意を得ているとするならば、
⇒それを受けついだチャンドラキールティの註釈も大体においてナーガールジュナの原意に近いであろうと思われる。
⇒ただ現存サンスクリット本の詩句は元来の古形を多少改変した跡が見られるので、その点が気づかわれるが、しかしそれも枝末に関することで『中論』の思想全体を動かすほどの改変はなされていない。
・チャンドラキールティの註釈は『中論』研究におそらく最も重要であろうと思われる。その理由は、
①詳しく註釈を施してあるために思想を充分に理解しうる。
②サンスクリット文であるために思想を明白に理解することができるので、従来クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)び訳にのみよっていた解釈の誤謬を訂正し、不明な箇所の文章の意義を明らかになしうる。
③年代は後になるが、大体においてナーガールジュナの原意に従っていると思われる。
⇒上述の理由によって、『中論』の思想解釈にあたってはもっともチャンドラキールティの註によらねばならぬと思う。
■古註の扱い
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■諸註釈の解釈の相違
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