NN5-1-2-x.『中論』:『縁起』~アビダルマの縁起説~(龍樹:中村元著より転記)

■縁起説の変遷

小乗アビダルマ(法の研究〔対法〕)の縁起説は

生あるもの(衆生:しゆじょう)が三界を輪廻する過程を時間的に十二因縁の各支にひとつひとつあてはめて解釈する

すなわち三世両重(さんぜりょうじゅう)の因果によって説明する胎生学的解釈である、と普通にいわれている。

⇒しかし詳しく考察するならば、その間に発展変遷があり、また種々の解釈が併設されていたことに気づく。

説一切有部の諸論の中で

縁起を時間的継起関係とみなして解釈する考えが最初に現れたのは『識身足論』においてであろう(三巻、大正蔵、二六巻、547ページ上)。

⇒そこには二種の縁起の解釈が説かれている。

⇒初めの解釈は諸支の関係を同時の系列とみているようであるが、

⇒後の解釈はそれを時間的継起関係とみなしている

しかしいまだ三世両重の因果による解釈は見られない

⇒ところが同じ有部の『発智論(ほつちろん)』によると、

無明と行とを過去に、生と老死とを未来に、その他の八つを現在に配当して、

ほぼ輪廻の過程を示すとみる考えがかなり明瞭にあらわれている(一巻、大正蔵、二六巻、921ページ)。

⇒しかしまだ胎生学的には解釈されていない。

⇒次いで同じく有部の『大毘婆沙論』になると

「刹那」「連縛(れんばく)」「分位(ぶんい)」「遠続(おんぞく)」の四種の縁起の解釈が示されており(二三巻、大正蔵、二七巻、117ページ下ー118ページ)、

⇒それが『俱舎論』、『順正理論』等にも言及されている。

これらの解釈は結局時間的継起的説明であるが、

その中でただ刹那縁起のみは一刹那に十二支すべてを具するという説明であり、いちじるしく論理的あるいは存在論的立場から解釈がほどこされているし、

⇒また『中論』の縁起説と一脈相通ずるところがあり注目に値する。

故に縁起を時間的継起関係とみなす考えと一致しないから

上座部のごときは種々理由をつけて刹那縁起を排斥している

分位縁起(ぶんい縁起)

有部が最も重点を置いているのは分位縁起の説」である。

分位とは語義的にいえば、「変化発展の段階」をいう。

これこそ三世両重の因果によって説く有名な胎生学的解釈である

⇒有部の綱要書をみるに、『阿毘曇甘露味論』巻上、『阿毘曇心論』四巻、『阿毘曇心論経』五巻は、

全く分位縁起のみを説いて他を無視し、

⇒『雑阿毘曇心論』八巻は大体分位縁起を主として説いている

⇒サンガバドラは『順正理論』において「対法(アビダルマ)の諸師は咸(みな)此の説を作(な)す。仏は分位に依りて諸縁起を説く」と明瞭に断言している(『順正理論』二七巻、大正蔵、二九巻、494ページ中)

⇒故にアビダルマの縁起説といえば、

⇒衆生の輪廻転生の過程を説く分位縁起のみをさすかのごとくに一般に考えられているが、

分位縁起の説が出たのは比較的後世であり

⇒後にこの説が有力となったために、有部の綱領書においては他の説はほとんど駆逐されているほであるが、

⇒これと異なる解釈も当時存在していたことは注意する必要がある。

分位縁起は

生あるもの有情:うじょう)が輪廻転生する過程を示すものであるから

縁起はもっぱら有情に関して説かれることになる

⇒しかし小乗アビダルマに紹介されている説をみると、

⇒必ずしも有情という類に入るもの(有情数:うじょうしゆ)のみに限っていない。

上座部は<有情>と<非有情>とにそれぞれ縁起を認めているらしい

⇒『順正理論』によると、「上座曰く、縁起に二つあり。一つに有情数、二つの非有情」二五巻、大正蔵、二九巻、482ページ上)とある。

■「品類足論(ぼんるいそくろん)」の縁起説とその影響

■有部による縁起無為の説の排斥

■有部の解釈

最初期仏教における縁起

縁起の種々なる系列が説かれ

何故かくも多数の縁起の系列の型が説かれたのか

現在のわれわれにははなはだわかりにくくなっている

それらの縁起説に通ずる一般的な趣意は

「これがあるとき、かれがあり、これが生ずることから、かれが生じ、これがないときかれなく、これが滅することから、かれが滅する」ということであり、

これが種々の縁起の系列に共通な思想であるといわれている

⇒有部も上述の句が縁起の根本思想を表現しているということを承認している。

此の縁起の義は、即ち是れ説く所の、此れ有るに依るが故に彼有り、此れ生ずるが故に彼生ず」(『俱舎論』九巻、18枚左、『順正理論』二五巻、大正蔵、二九巻、481ページ中)

この定義は原始仏教聖典における定義と一致しているのみならず、大乗における定義とも一致している

⇒したがってこれがあるとき、かれがあり、これが生ずることから、かれが生ずる云々という文句が、

縁起の根本思想を要約しているということは仏教各派が一様に皆承認するところである

しかしならがこの文句をいかに解釈するかによって各派の説が相違してくる

有部の解釈

⇒サンガバトラによると、

「『此れ生ずるが故に』とは、過去現在の諸縁生ずるが故に

⇒『彼生ず』と言うのは、未来の果生ず

⇒未来に於いてもまた縁の義ありといえども、分位に約するが故に、但(た)已生(いしょう:生じたもの)を説く。

⇒或いは『此れ有るは依りて彼有り』とは、是れ前生の因に依りて現在の果有り」『順正理論』二五巻、大正蔵、二九巻、483ページ中)といい、

⇒また「有の輪、旋環して始無きこと」を示すともいう(同右)。

⇒『俱舎論』には当時の種々の解釈が集約されてる。ヴァスバンドゥ(世親(せしん))自身はほぼ四説を説いている。

一 「縁起に於いて決定(けつじょう:確定している説)を知らしめんがための故なり」(『俱舎論』九巻、1枚右)

二 「また諸支の伝生(でんしょう:順次に生じること)を顕示せんがためなり」(同右)

三 「三際(さんざい:過去・現在・未来の三世の伝生順次に生じることを顕示せんがためなり(同右)

四 「また親(しん:直接的)と伝(でん:一つおいた間接的)との二縁をを顕示せんがためなり」(同右)

⇒われわれはこれらの諸解釈に共通なある傾向を見出しうると思う。

⇒すなわち「これがあるとき、かれがあり、これが生ずることから、かれが生ずる」云々という句を、

時間的生起の関係を意味するものとみなしていることである

⇒このように解す傾向が強かったことは疑いがない。

これを中観派の相依説と比較すると、そこに著しい相違がみられる

したがって<縁起>とは時間的生起関係と解されている。たとえば、

「問う。何の故に縁起と名づくや。縁起とは是れ何の義なるや。

答う。縁に侍して起するが故に縁起と名づく。何等の縁に侍するや。謂く因縁等と」(『大毘婆沙論』二三巻、大正蔵、二九巻、481ページ上)

⇒故に<縁起>の直接の語義は、

実有なる独立の法が縁の助けを借りて生起することと解されていた。

⇒小乗アビダルマに現れている縁起観は諸説紛々として帰一するところを知らぬ状態であるが、次にように要約しておこう。

一 有部においては『大毘婆沙論』以降四種の縁起が認められていたが、有部が最も力説したのは「分位縁起」であり

後世になれば、縁起とは衆生の生死流転する過程を述べるこの胎生学的な解釈がほんど他の説を駆逐するに至った。

二 『品類足論(ほんるいそくろん:有部の七論の一つであるきわめて重要な根本聖典)において、縁起とは一切有為法をさすために

後世、問題の中心となり、種々の方面に影響を及ぼしている。

三 これに反して縁起を無為法なりと主張する派もあった。

 「これがあるとき、かれがある。これが生ずることから、かれが生ずる」という縁起説の共通趣意を示すこの文句は有部においても保存されていたが、

ただしこれは「縁によって生ずること」という時間的生起関係を意味しているとされていた。

注)分位縁起

十二縁起の各支(無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死)の力によって、異なる段階分位に区別して解釈するもので、例えば識支は母胎に着床した初刹那の五蘊を指す

つまり、分位縁起は有情生命体の各段階で発現するさまざまな条件因縁によって成立する縁起

出典:https://www.tama-bushi.jp/%E4%BB%8F%E6%95%99%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%A0%B8%E5%BF%83%E3%80%81%E7%B8%81%E8%B5%B7%E3%81%A8%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%9B%A0%E7%B8%81%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%8B%E9%99%8D%E9%AD%94%E6%88%90%E9%81%93/

注)三世両重と胎生学的解釈

出典:http://kotobanotsumugishi.seesaa.net/article/bukkyougenron20190705.html

<参考情報>

出典:http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/bukyoframe.html