出典:https://mag.nhk-book.co.jp/article/13232
■植木雅俊さんによる、『法華経』読み解き
「あなたは尊い存在である」——その、貫かれた「人間観」に迫る。
古くは『源氏物語』から宮沢賢治まで、日本人を魅了し続けてきた法華経。「諸経の王」と呼ばれる経典には、いったい何が書かれているのでしょうか。また仏教の原点に還ることを説く経典に内蔵された、ブッダがほんとうに伝えたかったこととは何なのでしょうか。
『NHK「100分de名著」ブックス 法華経』では、「対立」という壁を乗り越えて「平等思想」を説いた法華経が提示する、「分断」がはびこる世界への「融和」という処方箋について、植木雅俊さんが解説していきます。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全4回)
■思想として『法華経』を読む(はじめに)
以前、明治学院大学で日本文化論の授業を担当していた先生が急病で倒れ、ピンチヒッターを頼まれたことがありました。主に留学生向けの授業だったため、『法華経』と『維摩経』の一部を英訳して朗読し、解説するという授業を行なったのですが、英訳したことで経典に書かれている内容を理解したのでしょう。授業が終わって日本人の学生が近づいてきて言うのです。「仏教っておもしろいんですね」と。「何だと思っていたの?」と聞くと、「葬式のおまじないかと思っていました」。「違います。仏教の経典は文学であり、詩であり、思想だから、おもしろいですよ」と私が言うと、その学生は感心していました。
そのとき私は、仏教に関しては日本人はかわいそうな国民だな、と思ったのです。インドではお経の内容はみんな理解できました。釈尊はマガダ語で教えを説きましたが、弟子たちがサンスクリットに訳して広めた方がよいかと問うと、釈尊は「その必要はない。その地域で語られているめいめいの言葉で語りなさい」と言っていたからです。中国ではそれが漢訳されました。中国語になったわけですから、たとえ字が読めなくても読んで聞かせてもらえばみんな理解できたことでしょう。
ところが日本では、お経は漢訳の音読みという形で広まりました。ですからほとんどの人にとって意味は分からない。六世紀の仏教伝来以来、私たちはその内容を知らずに千五百年ほどを過ごしてきたわけで、これは本当にもったいないことです。お経は現代語訳してもっとみんなに知られるべきだ。私はそう考えました。
その授業に先立つ二〇〇二年、私は「仏教におけるジェンダー平等思想」についての研究で博士号を取得しました。学位論文執筆の過程で、『法華経』のサンスクリット原典、中国魏晋南北朝時代の訳経僧・鳩摩羅什による漢訳とあわせて、岩波文庫から出ていた岩本裕による和訳を読み比べてみたのですが、岩本訳に多くの疑問を感じました。
例えば、「転輪王たちは、幾千万億の国土をひきつれて来ており」という表現があります。王が「国土を引き連れてくる」というのはどういうことなのでしょうか。私はサンスクリット原典に基づいて、「多くの国土からやってきた転輪王たち」と翻訳しました。また、釈尊が過去世において仙人の奴隷として仕えた場面は、岩本訳では「寝床に寝ている聖仙の足を支えた」とありました。仙人というのは、足を他人にがっちりと支えられて、安眠できるのでしょうか。サンスクリット原典を見ると「足」は複数形になっています。実はサンスクリットで複数は三以上のことで、岩本訳では、仙人に足が三本以上あったことになります。しかし、ここは釈尊が四つん這いになって、仙人が寝ている寝台の脚の代わりを担ったという意味なのです。ちなみに鳩摩羅什はこれらをいずれも正しく訳しています。
そこで私は、八年をかけて、サンスクリット原典からの『法華経』の和訳に取り組みました。そうして上梓したのが『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(上下巻、二〇〇八年、岩波書店)です。左頁の上段にサンスクリット原典、同下段に鳩摩羅什による漢訳の書き下し文、右側の頁に私の現代語訳を対照させて並記し、なぜ私の訳になったのかを説明した詳細な注釈を付けました。その後、その本が重厚で持ち歩くには不便なため、ハンディーで「耳で聞いただけで分かる訳を」という要望に応える形で訳文を大幅に見直し、普及版の『サンスクリット原典現代語訳 法華経』(上下巻、二〇一五年、岩波書店)を出しました。
今回はその後に出版した『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』(角川ソフィア文庫、二〇一八年)の訳文を引用しつつ、『法華経』にはいったいどんなことが書いてあるのか、なぜそんなことが書いてあるのかを、皆さんにお話しできればと思います。
『法華経』は「諸経の王」と言われます。これは、『法華経』が「皆成仏道」(皆、仏道を成ず)、つまりあらゆる人の成仏を説いていたからです。誰をも差別しないその平等な人間観は、インド、ならびにアジア諸国で古くから評価されてきました。
日本でも仏教伝来以来、『法華経』は重視されてきました。飛鳥時代、奈良時代を見ても、聖徳太子は『法華経』の注釈書『法華経義疏』(六一五年)を著し、七四一年に創建された国分尼寺では『法華経』が講じられました。尼寺ですから、女人成仏が説かれた経典として注目されたのでしょう。鎌倉時代に入っても、道元が『正法眼蔵』の中で最も多く引用している経典は『法華経』ですし、日蓮は、『法華経』独自の菩薩である「地涌の菩薩」「常不軽菩薩」をわが身に引き当て、「法華経の行者」として『法華経』を熱心に読みました。
『法華経』はまた、文学や芸術にも影響を与えています。『源氏物語』には、八巻から成る『法華経』を朝夕一巻ずつ四日間でレクチャーする「法華八講」の法要が光源氏や藤壺、紫の上などの主催で行なわれる場面が出てきます。『法華経』の教えを分かりやすく説いた説話集や、『法華経』の考え方を根拠にした歌論、俳論も多く書かれていますし、近代では宮沢賢治が『法華経』に傾倒していたことはよく知られています。美術の分野でも、長谷川等伯、狩野永徳などの狩野派の絵師たち、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳など、安土桃山時代から江戸時代の錚々たる芸術家たちが法華宗を信仰していました。
『法華経』には、一見すると非常に大げさな、現代人の感覚ではつかみがたい巨大なスケールの話が次から次へと出てきます。しかし、その一つひとつにはすべて意味があります。私は『法華経』をサンスクリット原典から翻訳する中で、その巧みな場面設定に込められた意味、サンスクリット独特の掛詞で表現された意味の多重性、そして、そこに貫かれた平等思想を改めて発見することができました。そうした表現が持つ意味を解説しながら、あらゆる人が成仏できると説いた『法華経』の思想を読み解いていくことにしましょう。
#2 インド仏教史の概要——植木雅俊さんが読む『法華経』
出典:https://mag.nhk-book.co.jp/article/14910
■インド仏教史の概要
『法華経』は、釈尊(お釈迦さま)が亡くなって五百年ほど経った頃(一世紀末~三世紀初頭)に、インド北西部で編纂されたと考えられています。『法華経』の説く思想は、この時代、特に当時の仏教界が直面していた課題と密接に関係しています。そこで、まずはインド仏教史の概略からお話しすることにしましょう。これを知っておくと、『法華経』という経典の位置づけが分かり、内容もより理解しやすくなります。
最初は原始仏教の時代です。原始仏教とは初期仏教とも言い、釈尊在世(中村元先生によると、前四六三~前三八三)の頃、および直弟子たちがまだ生きている頃の仏教を指します。
紀元前三世紀頃、インド亜大陸をほぼ統一したアショーカ王の命により、息子(あるいは弟)のマヒンダによってセイロン(現スリランカ)に仏教が伝えられました。アショーカ王の妻の出身地が西インドで、マヒンダはそこで話されていたパーリ語の仏典をセイロンに伝えたため、ここにパーリ語で原始仏教が保存されることになりました。釈尊の生の言葉に近いものが残ったわけで、これは後世の我々にとって本当に幸運なことでした。
釈尊滅後百年ほどが経った頃、紀元前三世紀に第二回仏典結集が行なわれ、そこで仏教教団は保守的な上座部と進歩的な大衆部に分裂します(根本分裂)。それがさらに枝分かれし、二十の部派にまで広がります(枝末分裂)。その中で最も有力だったのが、説一切有部という部派です。権威主義的で資金も豊富であり、後に「小乗仏教」と批判されるのはこの部派のことを指します。小乗仏教という言葉は、一般的には大乗仏教以外の仏教すべてというようなかなり曖昧な使われ方がされていますが、龍樹の著とされる『大智度論』によると、厳密にはこの説一切有部のことです。以下、本書で小乗仏教と言う場合は、この説一切有部のことを指します。
こうして、紀元前三世紀末頃までに、仏教は説一切有部を最有力とする部派仏教の時代に入りました。
<参考情報>

出典:http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/bukyoframe.html

そして前二世紀頃、「覚りが確定した人」を意味する「菩薩」の概念が現れます。これは覚りを得る前、ブッダになる前の釈尊を意味するものとして、小乗仏教が発明した言葉です。釈尊滅後、その言動を記したさまざまな仏伝が書かれるようになりますが、「あれだけ偉大な釈尊なのだから、過去にはきっと遙かな長い時間をかけて修行されたに違いない」という思いから、長い修行のある時点で、燃燈仏(ディーパンカラ)という仏が「あなたは将来、仏になるだろう」と釈尊に予言(授記)した、という物語が作られました。そこで、仏になることは確定したが、まだ仏になっていない状態の釈尊を何と呼ぶかということで、覚り(bodhi)と人(sattva)をつなげてbodhi–sattva(菩提薩埵、略して菩薩)とし、「覚りが確定した人」という意味の言葉ができたのです。
これに対して、紀元前後頃、菩薩という言葉の意味を塗り替える動きが興おこります。すなわち、bodhi-sattvaを「覚り(bodhi)を求める・・・・人(sattva)」と読み替え、覚りを求める人は誰でも菩薩であると考える大乗仏教が興ったのです。小乗仏教では菩薩と呼べる存在は釈尊と未来仏の弥み勒ろく(マイトレーヤ)だけでした。それをあらゆる人に解放したのです。
しかし、大乗仏教が興ったからと言って小乗仏教がなくなったわけではありません。勢力としてはむしろ小乗仏教の方が大きく、大乗仏教の方はまだ小さな勢力でした。こうした大小併存の時代の中で、まず、大乗仏教の側から小乗仏教の出家者たちを痛烈に批判する『般若経』が成立します。そして紀元一~二世紀頃には、保守的で権威主義的な部派仏教を糾弾する『維摩経』が成立しました。
こうした流れに対し、紀元一~三世紀頃、小乗と大乗の対立を止揚(アウフヘーベン)する、つまり対立を対立のままで終わらせず、両者を融合させてすべてを救うことを主張するお経が成立しました。それが『法華経』なのです。
■釈尊滅後の仏教の変容
このように、仏教は釈尊滅後五百年の間に大きく変容しました。何がどう変わったのか、具体的なポイントを五つ指摘しておきます。
①修行の困難さの強調と釈尊の神格化
原始仏教の経典『スッタニパータ』では、覚りは「まのあたり即時に実現され、時を要しない法」とされていました。生まれ変わって長年修行する必要などなく、〝今〟と〝ここ〟でこの〝我が身〟を離れることなく、あなたは覚ることができます、という即身成仏、一生成仏が説かれていました。
ところが部派仏教の時代になると「歴劫修行」という言葉が出てきます。「劫」というのは天文学的に長い時間の単位のことで、非常に長い時間をかけて修行をしてやっとブッダになれることを意味する言葉です。その長さは具体的には「三阿僧祇劫」とされ、これは現代の数字に換算すると、私が計算したところでは3×10(の59乗)×10(の24乗)年、すなわち3のあとに0が八十三個続くという膨大な年数でした(植木雅俊・橋爪大三郎著『ほんとうの法華経』三一〇頁参照)。そんな、想像を絶するような長い時間をかけて修行したからこそ、釈尊は仏になれたのだと神格化したのです。さらに、釈尊を祭り上げることによって、自分たち出家者を、それに次ぐ者として権威づけたのです。
②釈尊の位置づけの変化
原始仏教の経典を読むと、釈尊自身が「私は人間である」「皆さんの善知識(善き友)である」と言っています。「ブッダ」はサンスクリットで「目覚めた」という意味の言葉ですが、原始仏教の経典では複数形でも出てきます。つまり、ブッダは釈尊だけではなかったのです。また弟子たちも、釈尊に「ゴータマさん」と気軽に呼びかけ、「真の人間である目覚めた人」とも呼んでいました。そこにあるのは人間としてのブッダ=釈尊の姿です。
ところが、説一切有部の論書ではそれが「私は人間ではない、ブッダである」という言葉に変わります。部派仏教においては、釈尊は三十二相という特徴を持つとされます。例えば眉間白毫相(眉間に白い巻き毛がある)、手足指縵網相(手足の指を広げると指の間に水かきがある)、正立手摩膝相(気をつけの姿勢で指先が膝より下まで届く)などで、そうやって釈尊を人間離れした存在に祭り上げたのです。また、説一切有部の論書には「私を長老やゴータマなどと呼ぶ輩は激しい苦しみを受けるであろう」という言葉を、釈尊が語ったかのようにして書き足しています。説一切有部が「菩薩」という言葉を発明し、それを釈尊に限定したのは、さきほど説明した通りです。