■三世の区別の成立
・有部の根本思想は、
⇒中国、日本では昔から「三世実有法体恒有(さんぜじつうほったいごうう)」とまとめられているが、
⇒これはきわめて不明確な表現であるから、
⇒「てにをは」を補えば「三世において実有なる法体(法そのもの)が恒に有る」という意味である。
・法体が過去・現在・未来の三世において有るならば、
⇒三世の区別はいかにして成立するか、という問題に関して、
⇒ダルマトラータ(法救:ほつく)、ゴーシャカ(妙音)、ヴァスミトラ(世友)、ブッダデーヴァ(覚天)という四人の学者の間に異説のあったことを伝えているが、
⇒『大毘婆沙論』『雑阿毘曇心論:ぞうあびどんしんろん』『俱舎論』などによれば、
⇒第三のヴァスミトラ(世友)の「位の不同」によると解する説が正統説(正義:しょうぎ)であるとされている。
⇒すなわち作用の異なるに従って三世の区別が立てられる、という説である。
・なお、『俱舎論』では尊者ダルマトラータ(法救:ほつく)の「類の不同」という説はサーンキヤ説に類似しているといって斥けられているが、
⇒サンガバトラによればその説もけっして有部の正統説と矛盾せず、ヴァスミトラ(世友)の説と同趣意であるという(『阿毘達磨顕宗論』五二巻、大正蔵、二九巻、631ページ中。同二六巻、大正蔵、二九巻、902ページ上)。
⇒『大毘婆沙論』からみても、元来、有部は
⇒サーンキヤ説のような現象的存在の本質の変化である自体転移変を否定しているが、
⇒はたらきによる変化である作用転変(さゆうてんぺん)または可能力による変化である功能転変(くのうてんぺん)は承認している(『大毘婆沙論』三九巻、大正蔵、二七巻、200ページ中)。
・したがって、ダルマトラータ(法救:ほつく)の説が、作用転変または功能転変の意味ならば、
⇒サンガバトラのいうように必ずしも排斥する必要はないであろう。
⇒要するに有部としてはヴァスミトラ(世友)の説を正統説とし、
⇒ダルマトラータ(法救:ほつく)の説をこれと同趣意に解してよいかどうかに関しては後世の諸学者の間に二説があったのであろう。
⇒ただいずれの説についても言えることであるが、
⇒ここではもろもろの事象の生起および消滅を
⇒意識の流れにおいてとらえているのであって、
⇒輪廻の問題から切りはなされている。
⇒ここではもろもろの法が時間的様態において存すると考えられているのである。
■三世においての恒有
・次にしからば何故に三世において恒有であるか、
⇒という理由に関しては有部の諸論書に種々説明されている。
⇒これを根拠づけて主張しているのはおそらく『識身足論(しきしんそくろん)』が最初であろう。
⇒同論巻一では、マウドガリヤーヤナ(目乾連:もくけんれん)が唱えた、
⇒過去と未来とは無であり現在と無為は有であるという説を、
⇒はぼ九節に分けて排斥している。
⇒そののち種々の理由によって「三世実有法体恒有」を主張している(『大毘婆沙論』七六巻、『俱舎論』二〇巻、『阿毘達磨顕宗論』五〇巻、同二六巻など)。
⇒いまその理由をいちいち検討する余裕はないが、それぞれの理由に共通な根本的論拠は次のようにまとめられると思われる。
⇒すでに述べたように法とは
⇒われわれが経験的に知覚するものではなく、
⇒したがって自然的存在ではなく、
⇒自然的存在を可能ならしめているありかたである。
⇒自然的存在としてのものは
⇒現在一瞬間でなくなってしまうが、
⇒われわれの意識においては志向されているありかたはけっしてなくならない。
⇒すなわち「かた」としての純粋の法が先なくて後にあり、
⇒先にあって後になくなるということはありえない。
⇒自然的存在は過去未来においては存在しないが、
⇒「法」は三世において存する、という意味であろうと思われる。
⇒このように解釈すれば、「三世実有法体恒有」の証明のために用いられているあらゆる論拠をことごとく説明しうと思うが、
⇒いまここでは余裕がないので省略しておく。
・「三世に実有である」ということに関して日本では古来体滅説と、用滅説とが行われた。
⇒両派ともそれぞれ有部の論書から典拠を集めてきて論じているが、
⇒これは結局「体」という文字の解釈如何による。
⇒漢字の「体」のインド原語は一定していないので、
⇒多義的解釈が可能ならしめる。
⇒体を抽象的一般的な「ありかた」「本質」と解するなら、
⇒それは滅びないが、
⇒時間的制約を受けているものであるならば滅びざるをえない。
⇒ともかく体滅説も用滅説も有部の思想の一面をとらえているということができるであろう。
<参考情報>
注)三世両重と胎生学的解釈


出典:http://kotobanotsumugishi.seesaa.net/article/bukkyougenron20190705.html
<参考情報>
・分位縁起(ぶんい縁起)
⇒有部が最も重点を置いているのは「分位縁起の説」である。
⇒分位とは語義的にいえば、「変化発展の段階」をいう。
⇒これこそ三世両重の因果によって説く有名な胎生学的解釈である。
⇒有部の綱要書をみるに、『阿毘曇甘露味論』巻上、『阿毘曇心論』四巻、『阿毘曇心論経』五巻は、
⇒全く分位縁起のみを説いて他を無視し、
⇒『雑阿毘曇心論』八巻は大体分位縁起を主として説いている。
⇒サンガバドラは『順正理論』において「対法(アビダルマ)の諸師は咸(みな)此の説を作(な)す。仏は分位に依りて諸縁起を説く」と明瞭に断言している(『順正理論』二七巻、大正蔵、二九巻、494ページ中)
⇒故にアビダルマの縁起説といえば、
⇒衆生の輪廻転生の過程を説く分位縁起のみをさすかのごとくに一般に考えられているが、
⇒分位縁起の説が出たのは比較的後世であり、
⇒後にこの説が有力となったために、有部の綱領書においては他の説はほとんど駆逐されているほであるが、
⇒これと異なる解釈も当時存在していたことは注意する必要がある。
⇒分位縁起は
⇒生あるもの(有情:うじょう)が輪廻転生する過程を示すものであるから、
⇒縁起はもっぱら有情に関して説かれることになる。
⇒しかし小乗アビダルマに紹介されている説をみると、
⇒必ずしも有情という類に入るもの(有情数:うじょうしゆ)のみに限っていない。
⇒上座部は<有情>と<非有情>とにそれぞれ縁起を認めているらしい。
⇒『順正理論』によると、「上座曰く、縁起に二つあり。一つに有情数、二つの非有情」二五巻、大正蔵、二九巻、482ページ上)とある。
出典:サブタイトル/NN2-4.『中論』:『論争の相手』~説一切有部の立場~(龍樹:中村元著より転記)
■西洋哲学との相違
・以上、法空の思想に対比させるべきものとして
⇒有部の根本思想を略説したのであるが、
⇒このように解するならば、有部の哲学がきわめて複雑な内容をもっていることが明らかである。
⇒普通一般に有部は実在論を説いたといわれるが、
⇒しかし有部は、瓶や衣のような自然的存在の実在を否定し、
⇒これを「仮有」なりとし、
⇒五蘊・十二処・十八界のような法の体系のみ「実有」を説いたのであるから、
⇒西洋哲学でいう普通の実在論とは著しく意味を異にするものではなかろうか。
・すでにローゼンベルクは有部も観念論的であると主張している。
⇒また諸学者によってプラトーンの哲学との類似が指摘されているほどであるから、
⇒たといこれをrealismとよぶにしても実在論と訳するよりも実念論(唯名論nominalismに対する)と訳したほうがよいかもしれない。
⇒インド学者の中でもこの点にすでに気づいている人、たとえばシャイルは有部を「概念の実在論」(Begriffsrealismus)とよんでいる。
・ところがこのシャイルの命名も厳密にいえば正しくない。
⇒すでに述べたように、有部によれば不相応行法の中の「句」は概念でなく命題である。
⇒概念のみならず命題の自体有(Ansich-sein)を認めているから、
⇒「実在論」「概念の実在論」という語がぴったりと適合しない。
⇒むしろ現象学の先駆思想、たとえばボルツァーノの哲学と類似している点がある。
⇒ボルツァーノ、トワルドフスキーの哲学では
⇒「円い三角」のような矛盾した概念、
⇒あるいは「青い徳」のような意味をなさなね概念
⇒も問題とされたが、
⇒有部は「第十二処」などは実有ではないという。
・結局、有部の思想に西洋哲学の『何々論」という語をもち込むことは不可能なのではなかろうか。
⇒それと同時に、それに反対した中観派も「何々論」として簡単に規定することは困難であると思われる。
⇒従来中国・日本の仏教では、有部は、小乗仏経の代表的な学派として、仏教の中で最も低級な教えのように思われていた。
⇒しかしそれは、有部の思想が大乗仏教のそれと正反対の点があり、
⇒また社会的には有部が最も有力であったので、
⇒大乗仏教の側から盛んに論難しまた貶(けな)したわけなのである。
⇒有部の思想はそれ自体として深い哲学的意義をもっているから、
⇒われわれはそれをもっとよく理解し、正当に評価する必要があるであろう。
<参考情報>
初期仏教の時代の教えのうち、代表的な要素説に、五蘊・十二処・十八界があります。五蘊というのは、『般若心経』に「色即是空、空即是色、受想行識亦復如是」とあるように、色・受・想・行・識ですね。色は人の物質的な要素、受想行識は四つの精神的な要素です。なかなか五蘊説は人を知情意の観点からよく捉えています。
色というのは狭い意味でいえば人間の身体、広い意味でいえばその対象となっている色形や音声も入ります。
それから受想行識、この中で一番重要なのは行ですね。行は端的に言うと意思です。意思が表に現れると身口意の三業になりますから、のちに行は意思を基礎にした体と言葉と心による活動、ないし行為という意味になります。行があって初めて対象の事物のイメージが湧いてくる、焦点が合うわけです。
われわれは焦点を合わせて日常的な活動をしています。例えば、焦点を合わせないと文字を理解することさえできません。どこかに焦点を合わせることで初めて文字も図像も理解できます。これは音でもそうですね。必ずどこかに焦点を合わせているから、雑音を排除しながら特定の音に耳が向くわけです。私の家も少し離れたところに環七が通っていますから、最初の頃は車の音が気になっていましたが、住み慣れてくると次第にその雑音に焦点が合わなくなり、気にならなくなるということがあります。
行(意思)によって焦点を合わせ、特定のイメージをつかむ作用を想と言います。
想によって識、つまり認識や意識が生まれます。
識が生まれると同時に、苦や楽、快・不快の感覚を覚える、これが受です。意思作用があって目や耳をそばだてるという行為をしますね。そうするとある特定の像が浮かび上がってきて、これはうちの犬だ、これは美しい花であるというような感覚を覚えるというわけです。これが、人が直接的に経験できる五つの要素である、ということです。
出典:サブタイトル/空の考え方こそが、ブッダが縁起という言葉で表したものに直結すると主張(龍樹)~『縁起と空』より転記/斎藤明 国際仏教学大学院大学教授・東京大学名誉教授~
<参考情報>

出典:https://www.eel.co.jp/aida/lectures/s4_4/ Season 4 第4講「脳科学×ブッダ」から見えて来たもの 2024.1.13 編集工学研究所
十二因縁の段階
- 無明(むみょう、Avidyā): 無知や無明。真理を知らないことから苦しみが始まる。
- 行(ぎょう、Saṃskāra): 意志や行為。無明によって生じた意識や行動の種子。
- 識(しき、Vijñāna): 識別の意識。行によって生じる意識の芽生え。
- 名色(みょうしき、Nāmarūpa): 心身。識によって生じる心と身体の結合。
- 六入(ろくにゅう、Ṣaḍāyatana): 六根。名色によって生じる感覚器官(眼、耳、鼻、舌、身、意)。
- 触(そく、Sparśa): 接触。六入によって生じる感覚の接触。
- 受(じゅ、Vedanā): 感受。触によって生じる感覚の受け取り(苦、楽、中性)。
- 愛(あい、Tṛṣṇā): 渇愛。受によって生じる欲望や執着。
- 取(しゅ、Upādāna): 取著。愛によって生じる執着や取り込み。
- 有(う、Bhava): 存在。取によって生じる存在や生存の状態。
- 生(しょう、Jāti): 生まれ。存在によって生じる生まれの過程。
- 老死(ろうし、Jarāmaraṇa): 老化と死。生まれによって生じる老いと死。
出典:メインタイトル/NN.龍樹(ナーガールジュナ)/中村元著から転記~原始仏教へのルネサンス~/■原始仏教聖典(ブッダが述べたこと)に遡る
<参考情報>
■「大乗仏教」と「上座部仏教」が分かれた理由とそれぞれの特徴
◆分かれた理由と時期
・主に仏教の教えや戒律の解釈の違い
⇒釈迦(紀元前563年~紀元前483年頃)の死後、弟子たちは釈迦の教えをどのように解釈し、実践するかについて
⇒紀元前3世紀(紀元前300年~紀元前201年)頃に意見が分かれた。
⇒仏教の教えを広く大衆に広めることを目指した大乗仏教と
⇒仏教の戒律を厳格に守ることを重視する上座部仏教に。
⇒この分裂は『根本分裂』と呼ばれている。
<参考情報>

出典:http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/bukyoframe.html

出典:https://www.koumyouzi.jp/blog/902/
<参考情報>

出典:サブタイトル/空海の死生観-生の始めと死の終わり-(土居先生講演より転記:仏陀と大乗仏教&密教の見取り図)
【大乗仏教のアウトライン】
大乗仏教は他者の救済と慈悲の実践を重視
- 目的:他者の救済を重視(利他行)。
- 修行方法:六波羅蜜の実践(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若)。
- 広がり:中国、朝鮮、日本(北伝仏教)
<大乗仏教の特徴>
大乗仏教は、初期仏教(上座部仏教)とは異なり、より広範な救済を目指す教えとして発展した。
- 普遍的な救済:大乗仏教は、すべての生きとし生けるものの救済を目指します。出家者だけでなく、在家者も含めた一切の衆生の救済を掲げています。
- 菩薩の道:菩薩(Bodhisattva)という概念が重要で、菩薩は自らの悟りを求めるだけでなく、他者の救済をも目指します。菩薩は修行を通じて他者を助けることを重視します。
- 空(くう)の教え:万物が本質的には無常であり、独立した永続的な自己を持たないことを指します。この「空」の概念は、大乗仏教の中心的な教義の一つです。
- 大乗経典:大乗仏教には独自の経典があり、代表的なものには『般若経』、『法華経』、『浄土三部経』、『華厳経』などがあります。
- 如来蔵思想:すべての衆生が仏性を持ち、修行を通じて仏となる可能性があるとする教えです。
- 地域的な広がり(北伝仏教):大乗仏教は、インド、中央アジア、中国、朝鮮、日本などの国々で広く信仰されている。
【上座部仏教のアウトライン】
上座部仏教は個人の修行と戒律の遵守を重視
- 目的:個人の悟りを目指す(自利行)。
- 修行方法:戒律を厳格に守る。
- 広がり:スリランカや東南アジア(南伝仏教)
<上座部仏教の特徴>
釈迦の教えを忠実に継承し、厳格な戒律と個人の修行を重視する仏教の一派で、スリランカで大成した。
- 戒律の重視:上座部仏教では、出家者(比丘)に対する戒律が厳格に守られている。これはセックスしない、酒を飲まない、金銭に触れないなど、227の戒律が含まれている。
- 個人の修行:上座部仏教は、個人が修行を通じて悟りを開くことを目的としている。これは、大乗仏教が他者の救済を重視すうのとは対照的である。
- パーリ語仏典:上座部仏教は、パーリ語で書かれた仏典を使用し、これを通じて釈迦の教えを伝えている。
- 口伝の伝統:仏典は「読む」書物というよりも「詠む」書物として、声を介して身体に留める伝統が培われている。
- 地域的な広がり(南伝仏教):上座部仏教は、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、スリランカなどの国々で広く信仰されている。
上座部仏教は、釈迦の教えを純粋な形で保存し続けることを目指しており、その厳格な戒律と個人の修行を重視する姿勢が特徴。
出典:サブタイトル/聖徳太子(地球志向的視点から)~②普遍的国家への建設と十七条憲法■「大乗仏教」と「上座部仏教」が分かれた理由とそれぞれの特徴~中村元著より転記
<参考情報>
日本の仏教の多くの宗派も大乗仏教に分類されており、戒律は宗派ごとにさまざまに解釈。
