出典:https://1000ya.isis.ne.jp/1802.html
私は、私たちの中に流れ込んでいる思想的伝統を
分析し、解明し、そして批判的に新たな思想形成を
準備してゆく、その最善の手がかりとして
仏教を考えてみたい。私はそれをかりに
「方法としての仏教」と呼んでいる。——『思想としての仏教入門』
あれは慈円(624夜)、山崎闇斎、清沢満之(1025夜)を続けさまに読んでいたころだった。ある確信がやってきた。日本の思想史や文化史はできるかぎり「抜き型」で語られるのがいい!
「抜き型」というのは知覚環境学のフォン・ユクスキュル(735夜)の生態学的な用語なので、知らない諸君も多いかもしれないが、たとえば昆虫には昆虫独自の触覚などの知覚があるわけだが、昆虫はそういった独自のフィルターを抜き型にして環境世界を捉えている(ユクスキュルは「環世界」と呼ぶ)。それが昆虫にもコウモリにもキツネにもチンパンジーにもおこっている。抜き型によって動物の知覚環境は異なってくる。「抜き型で語る」とはそういうことをいう。ユクスキュルは抜き型が世界に関する「トーン」をつくっていると考えた。
おそらく、われわれの文明文化にも「抜き型」がある。技術文明という抜き型、進化と淘汰という抜き型、王制や国民国家という抜き型、ジェンダーという抜き型、キリスト教という抜き型、グローバル資本主義という抜き型、「おたく」という抜き型、オリンピックという抜き型、メキシコやロシアという抜き型、いろいろだ。これらによって世界はトーンを変える。
二つ以上の抜き型で抜き合うことも少なくない。いやむしろそういうほうが多い。西欧文明はもともとユダヤ・キリスト教という大きな抜き型で象られていて、そこにいくつもの抜き型が組み合わさって出来てきた。
では、仏教という抜き型によって日本を眺めるとどうなるのか。また仏教を日本という抜き型で射貫いていくと、どうなるのか。日本仏教にはインド仏教や中国仏教や東南アジア仏教と異なる「トーン」があるはずだが、それをどう語ればいいのか。今夜は末木文美士(すえきふみひこ)を選んだ。
日本思想の大きな特徴は、
常に外来思想に決定的に規定されながら、
その中でどのように独自なものを打ち出せるかということが
求められてきたところにある。その外来思想は、
前近代においては中国思想であり、
近代においては西洋思想であった。——『日本思想史』
日本を眺めるための仏教は、インド的な原始仏教やシルクロード仏教や中国仏教を通してスクリーニングされてきた。これが日本仏教というものだ。スクリーニングというのは、さまざまな抜き型によって日本仏教が編集されてきたことをいう。
6世紀の半ば、仏教は欽明天皇の時代前後に中国や朝鮮半島からやってきた。日本人には「蕃神」(あだしくにのかみ)に見えた外来宗教である。それを受けた蘇我馬子や一部の豪族や仏師らは氏族仏教をプレゼンテーションした。
すぐさまそれなりの日本化をおこして、ひとつは聖徳太子の「世間虚仮・唯仏是真」に象徴されるややニヒルな信仰論に、もうひとつは大仏開眼や南都六宗に象徴される鎮護国家型の仏教になっていった。そこには北魏仏教・新羅仏教・隋唐仏教のフィルターがかかっていた。
大きな転換点のひとつは、聖武天皇が行基から菩薩戒を受け、鑑真を招聘して「仏門プロ」をつくることにしたことだ。本格的戒律の導入だ。これで六宗型(倶舎・成実・律・三論・法相・華厳)の奈良仏教が伽藍を並べて栄えたが、いくぶん大雑把になったり、道鏡の登場などで偏向したりもした。王法と仏法もくっつきすぎていた。
そのため最澄・空海による戒律と即身成仏思想と密教による革新がおこり、そこからは黒田俊雄(777夜)のいう「顕密体制」(顕教と密教のダブルスタンダード)が作動するようになるのだが、また専修念仏や鎌倉新仏教の動向が興っていったのだが、さあ、大筋、こんな説明でいいのかということが問われる。
そこを問うたのが末木文美士だった。歴史の中の日本仏教だけでなく、近代仏教や今日の仏教の在り方まで、日本語や神祇神道との関係から生死の哲学としての仏教まで、いろいろ問うた。とくに宗教史を通しては、「顕と密」よりも「顕と冥」を問うた。このことについては今夜の最後に説明する。

仏教伝来の地図。仏教の伝播は南伝・北伝・チベットという系統に大別されるが、インド・中央アジア・インドネシアなどでは、ヒンドゥー教やイスラム教などの影響で教えが衰えた。
「仏教新発見・法隆寺」(朝日新聞社)より
イラスト:ヨシザワスタジオ
既知の世界とそれを超えた領域とを結ぶ
中間的なところに立って、
我々をもう一つ広い世界に導いていくのが、
仏ではないかと思います。——『日本仏教の可能性』
末木さんは甲府の出身で(中沢新一と同じ高校)、東大のインド哲学科に学んで大学院では天台の安然(あんねん)を突っ込んで研究した。その成果が『平安初期仏教思想の研究』(春秋社)である。最澄・円仁・円珍を継いだ安然の研究に本格的に取り組んだのは末木さんが初めてだったようだ。東大、東方研究会、京都の日文研で教鞭をとった。
最もよく知られた本で、多くの読者がいるであろう本は、1992年刊行の『日本仏教史』(いまは新潮文庫)だろう。あの本には痺れましたという知人が何人かいる。日本仏教の特色をどう書くか、何かが極端に欠けているところや薄いところがあるのではないか、それらを加味してどんな通史になりうるのか、そこを彫塑した。
ぼくも『日本仏教史』から読み始めた。とくに天台本覚については末木さんのものをずっと追った。しばしば目から鱗が落ちた。あのころは後に「失われた十年」と言われたほど不毛の時期で、世界は湾岸戦争が、日本はバブル崩壊がおこったあとの十年で、グローバリズムに擦り寄る日本の姿があまりに醜悪だったので、ぼくはできるかぎりメディアから遠ざかり、ひたすら沈潜して「世界と日本の関係を新たに観相するための8つほどの視軸」をたて、それらを解読するにあたって読み込むべき数十冊のキーブックにとりくんでいた。
文化人類学系のもの、複雑系に関するもの、遺伝科学や脳科学の本、チューリングマシンもの、グノーシスから神秘主義に及ぶもの、いろいろな著作や問題作を選んだが、そのうちの一冊が『日本仏教史』だった。サブタイトルは「思想史としてのアプローチ」。日本思想史を日本仏教のボラタリティでフィルタリングするという見方だ。『図説日本の仏教』全6巻(新潮社)の思想解説を担当執筆したものも散りばめられていた。論考版は『日本仏教思想史論考』(大蔵出版)にまとまっている。
その後、多くの著作をものされたが、末木さんの本はできるだけいろいろ読んだほうがいいように思う。仏教思想の網目が歴史的かつ俯瞰的に見えてくるだけではなく、日本思想の骨法がわかる。シンタクスとセマンティクスの両方がわかる。『草木成仏の思想』(サンガ)、『日本仏教の可能性』(新潮文庫)、『浄土思想論』(春秋社)、『中世の神と仏』(山川出版社)、『近代日本と仏教』(トランスビュー)など、お勧めだ。
もっと複合的に通史をマッピングしたいなら『日本仏教史』とともに、『日本宗教史』『日本思想史』(いずれも岩波新書)、『日本思想史の射程』(敬文社)、『仏教:言葉の思想史』(岩波書店)を併読するのがいいだろう。
ちなみに末木さんの父上は論理学者の末木剛博で、「遊」創刊前後のころ、ぼくはこちらの末木さんの『東洋の合理思想』(講談社→法蔵館)の影響を受けた。ヴィトゲンシュタイン(833夜)、分析哲学、西田幾多郎(1086夜)、東洋思想にとりくんでおられた。父子ともに短歌や茶道に明るい。
ついでながら弟の末木恭彦は東海大・駒沢大の中国哲学の研究者で、子供時代は兄ともどもに「ガロ」や少女マンガに夢中になっていたらしい。兄貴はタカラヅカのファンでもある。
今夜はそうした末木さんの試みを、比較的最近の『日本仏教入門』を通して、ざっと紹介したい。その話に入る前に、ぼくが日本仏教を考えなおすきっかけになった少しエピソディックな話を挟んでおく。

HCU(ハイパーコーポレートユイニバーシティ)11期で講義する末木文美士さん。天台本覚、菩薩とケアの関係、田中智学と国体のこと、政教分離論まで、日本仏教の行方をめぐって話した。

末木さんの仏教本の数々。千夜千冊のために社内にある末木本をかき集めたところ、30冊以上になった。
僕は、「お釈迦様はこんなことを言っています。
やはり仏教はすばらしい」というお説教は絶対にしない。
仏教もまた疑ってかかるべきだ。——『反・仏教学』
こんなことがあった。80年代はじめにニューヨークのスーザン・ソンタグ(695夜)の書斎にいたときのことだ。「セイゴオねえ、日本人はせっかく仏教をソフィスティケーションしたのに、なぜにまたジョン・レノンやヨガブームなどに煽られて野卑なインド仏教などにこだわったの? 中国の漢字仏教より日本の仮名仏教をちゃんとやったほうがいいんじゃないの?」。そう言われたのだ。
ソフィスティケーション? そう見えるのか、なるほどと思ったが、さてその理由をうまく説明するのは至難の業だろうとたじろいだ。たとえば法然の「専修念仏」や一遍の「遊行」が易行(いぎょう)という意味ではソフィスティケーションだったとしても、そこに併存する「他力本願」はソフィスティケートされているとは思えない。
でも、中世の無常観と結びついた「草木悉皆成仏」という感じ方はいかにも日本的でこまやかなだ。『沙石集』の無住は畿内の寺々で修行を積んで、そのうえであんなに柔らかい説話集を編んだ。浄土教系や神仏習合を許容してきたところにもソフィスティケーションがあらわれてはいるとは思うけれど、とはいえそこが日本仏教の特色とどのように関係づけられるのか、実はあまり研究されてこなかった。ソンタグは日本の中世に詳しいわけではなかったが、その勘はわれわれの虚を突いていたわけだ。
虚を突かれてみると、それが気になって、あれこれ考えるようになったのだが、とはいえ分け入る竹薮は密生する熊笹で切り傷が絶えず、けっこう険しい。そんなとき、こういう問題を拾えるスクリーニング・フィールドが末木文美士の中に用意されていたと気がついたのである。
たとえば、丸山真男(564夜)が日本では「古層」のホモジェニティ(等質性)が何度も蘇るようにくりかえされてきたと主張したことに疑問をぶつけて、日本の「古層」は歴史の中でじょじょに形成されてきたとみるべきで、そこに神祇信仰と仏教思想との頻繁な交流と相互の解釈と変換がおこって、その後はそれらを古代に発生していた「古層」とみなすようになったのだと説明した。
このような見方は、記紀神話や万葉歌謡に日本思想の原型を見いだそうとする潮流に抗しているように見えるけれど、こういうふうに組み立てなおしたほうがずっと説得力に富んでいた。