

■第一段階の心のあり方:異生羝羊(いしょうていよう)住心(顕教)
・倫理以前の状態
⇒自己中心の心のあり方
⇒生き物レベル(=動物)

※以下の<参考情報>の出典:サブタイトル/日本における比較思想の展開ー弘法大師から始まる(中村元先生 秋季特別大会公開講演より)/■十住心(じゅうじゅうしん)
<参考情報>
(1)異生羝羊心(いしょうていようしん)
⇒異生(凡夫のこと)や羝羊(おひつじ)のように動物的な本能に支配されている愚かな者の段階
■第二段階の心のあり方:愚童持斎(ぐどうじさい)住心(顕教)
・儒教思想による
⇒自己規律
⇒他者と関係において調和する心のあり方

<参考情報>
(2)愚童持斎心
⇒愚かな童子のように人倫の道を守り、五戒・十善戒をたもつ。善いことをしょうとする段階
■第三段階の心のあり方:嬰童無畏(ようどうむい)住心(顕教)
・道教思想。インドの外道(仏教以外の思想)による
⇒人間を超えた存在の気付き
⇒神への信仰心
⇒人間を超えた世界の信仰という心のあり方
※インドで仏教の事を『内道』という

<参考情報>
(3)嬰童無畏心(ようどうむいしん)
⇒嬰児にも似た凡夫や外道が人間世界の苦悩を厭って、天上の楽しみを求めて天上に生まれたいと思って修行をする段階。
⇒凡夫や外道はいかにすぐれていても、偉大な仏に比べれば劣弱で愚かであることは、あたかも嬰児のごとくである。
<参考情報>
以上は、仏教外の教えを奉じている人々の段階である。
・次に、仏教内部の人々が奉ずる異なった思想段階が登場する。
■第四段階から第十段階の心のあり方:仏教のあり方

■第四住心(唯蘊無我住心)ー小乗仏教・声聞の立場(顕教)
<参考情報>
・五蘊(ごうん)の諸法は実在するが、固体としての人間は仮のものであり、我は存在しないと考える段階。
⇒法有無我の説を奉ずる声明がこれに相当する。
⇒つまり小乗仏教のうちの最大の学派である切一切有部の思想である。
注)五蘊(ごうん)とは:色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)の五つを指します。色は肉体、物質のこでです。あとの四つは、人間の精神作用です。人間存在のありようを、からだとこころに分けて見すえて、端的に示したものです。煩悩のおこるもととということです。(出典:温かなこころ 東洋の理想 (仏教の四つの真理)中村元:春秋社)
■第五住心(抜業因種心)ー小乗仏教・縁覚の立場(顕教)
<参考情報>
・悪業を抜き去ってのがれて、煩悩の原因である無明の種子(潜在的な可能性)を断ち切る心。
⇒すなわち十二因縁の相を観じ。生死の苦しみを離れる段階。
⇒縁覚がこれに相当する。つまり山林に籠って修行している孤独な修行者の思想である。
■第六住心(他縁大乗心)ー法相宗・唯識思想の立場(顕教)
<参考情報>
・「他」とは、
⇒自分の主観に対する他のものであり、法界(宇宙)のあらゆるものを縁(対象)とする。
⇒教化の対象とする。
⇒一切衆生をさとりに連れて行く乗りものであるから、大乗という。
⇒人無我と法無我をさとる段階。
⇒いかなる固定的なものも認めないのであるが、
⇒まだ対象を見る認識主観というものを認めている。
⇒大仏教の初門。法相宗がこれに相当する。つまり唯識説の立場である。
注)法相宗の総本山は奈良県奈良市にある薬師寺と興福寺。
■第七住心(覚心不生心)ー三論宗・中観思想の立場(顕教)
<参考情報>
・さとった心の立場から見ると、
⇒何ものも新たに生ずるということは無い。
⇒心も対象も不生、すなわち空あると観ずる段階。
⇒三論宗がこれに相当する。
⇒つまり前の段階である唯識説では、心の対象は空であるが、認識作用の主体である心は実在すると考えていたのに、
⇒この段階では心も空であると考えるのである。
⇒「覚心」という語についての説明は序文には出ていない。
⇒しかし空海は「大日経」の住心品(大正蔵。18巻3ページ中)の文章を引用しているので、その文句と符合するから、
⇒「さとりを開いた心」または「本来さとっている心」の意に解する。
注)三論宗:大乗仏教宗派の一つで、インドの中観派の龍樹の著作「中論」「十二門論」、及びその弟子である提婆(だいば)の著作「百論」を組み合わせて「三論」としている。この宗派は空を唱えることから「空宗」とも呼ばれ、無相宗、中観宗、無相宗大乗宗とも言われている。日本仏教においては、何都六宗の一つとされている。
以上はインドで成立した思想体系であるが、
・シナにおいてはさらに、上記のものを凌駕する思想体系が成立した
■第八住心(一道無為心)ー天台宗・法華思想の立場(顕教)
<参考情報>
・宇宙には唯だ一つの道理があるだけであり、無為である。
⇒「無為」とは、あさはかな人間の智慧によって何ものかが人為的につくり出されることは無いさとる心の境地である。
⇒一実中道を説く一乗思想の段階。天台宗がこれに相当する。
⇒この立場においては、仏教の種々の実践方法がみな仏と成るための道であるということを認める。
注)天台手宗の総本山は比叡山延暦寺。伝教大師最澄によって開かれた。延暦寺は日本仏教の母山とも称され、多くの祖師がここで学び、出家得度している。本尊は薬師如来。
■第九住心(極無自性心)ー華厳宗・華厳思想の立場(顕教)
<参考情報>
・「無自性」とは孤立した実体は無いということである。
⇒究極においては無自性・縁起であるということをさとる段階。
⇒華厳宗がこれに相当する。
⇒この立場によると、宇宙における一切の事物は互いに依存し条件づけ合って成立しているのあり、
⇒宇宙の中に孤立して存在するものあり得ないということを明らかにする。
注)華厳宗の総本山は東大寺。東大寺は日本仏教の歴史的な寺院であり、華厳思想を伝える重要な場所。本尊は、歴史上の仏を超えた絶対的な毘慮遮那仏(びるしゃなぶつ=大日如来の別名)と一体になっている。華厳宗の教学には「十地品」や「入法界品」などが含まれており、修行者の階梯を説いている。
■第十住心(秘密荘厳心)ー真言宗・両部大経の立場(密教)
<参考情報>
・「荘厳」とは美しく飾られ、みごとにととのえられているということである。
⇒秘密の隠れた究極の真理をさとった境地。
⇒真言宗の立場。
⇒それはまた空海自身の説く真言密教の究極の立場である。
⇒ここにおいては宇宙の一切の事物が密教浄土のすがにほかならぬということになる。
⇒すばらしい浄土であるというのである。
■九顕一蜜:密教との対比

■後世の空海思想の評価:九顕十蜜
・九っの顕教もまた密教
⇒九顕もまた悟りの境地である
⇒よって九蜜+密教で十密
※密の定義:最も優れたもの


■九顕十密
・九顕一密があっての『九顕十密』
⇒まず一密が基盤となって
⇒九顕が九密に転じて
⇒十密になる

■九顕とは砥石、一密は優れた刃物
・一密(優れた刃物)は九顕(砥石)を必要とする
⇒砥石は優れた刃物に転じる

<参考情報>
■日本における比較思想の展開ー弘法大師から始まる(中村元先生 秋季特別大会公開講演より転記)
◆比較思想を「我が国」で最初に行ったのが弘法大師
◆比較思想の体系的論述を『世界』で最初に行ったのも弘法大師
◆弘法大師の最初の比較思的想労作『三教指揮(さんごうしいき)』
・三教すなわち儒教と道教と仏教の究極にあるものを解明するというものである。
⇒遣唐使(第18次)として留学する以前のもので24歳の時である。
■空海の比較思想の体系学はさらに発展を示すことになる
⇒かれは804年に遣唐使(第19次)の一行に従って長安に入り、
⇒805年に青龍寺の恵果に師事し、806年10月帰国した。
⇒ときに空海は33歳であった。
⇒すばらしく大規模な活動を展開したのち830年に勅命により
⇒『秘密曼荼羅十住心篇』10巻を撰述して献上した。
⇒ときに空海は57歳であった。
⇒ただこの書はあまりにも膨大であったため、
⇒多くの引用文を省いて3巻にまっとめたのが『秘蔵宝鑰(ほうやく)』である。
⇒撰述年代はさほど隔っていなかったらしい。
⇒ここには、かれの多年の研鑽が盛り込まれて、体系的に詳論されている。
⇒段階的な比較思想論である。
⇒かれの知り得たあらゆる思想類型を十種にまとめ、
⇒それらが逐次、後のものが前のものを凌駕優越しているという構造をも持っている。
⇒それらを【十住心(じゅうじゅうしん)】と呼ぶ。
⇒心の境地の十種類のあり方で、空海が定めたものである。
⇒それらを順次に経由して高い境地に達するという。
出典:サブタイトル/日本における比較思想の展開ー弘法大師から始まる(中村元先生 秋季特別大会公開講演より)