菩薩戒と摩訶止観ー慈雲と天台思想の関係をめぐってー秋山 学 著転記

 さ て, 以下『摩訶止観』 の検討に入る 前に, そ の前提と して『妙法蓮華経』をめぐる 智顗の思想を確認しておかねばならない。

○教門と 観門
 智顗は, 竜樹著『中論』 (鳩摩羅什訳) の縁起説に基づき 天台固有の「三諦」説を展開した. 上掲の「天台三大部」 のう ち , 『法華玄義』 は法華経の経題を解釈したも の, 『法華文句』 は法華経の文・ 句に註釈を施したも の, 『摩訶止観』は法華経の実践法を記したも のである . かく してこ の三大部により , 天台宗の教門(教理) と 観門(観法, 修行法) が明ら かにさ れた. 『摩訶止観』 は, 智顗が荊州の玉泉寺で講説したも のを, 第2 祖であ る 章安灌頂(561 - 632) が聴記し, 後に整理したも のである。

 こ のよう に, 『摩訶止観』 は『妙法蓮華経』 そ のも のを実践する ための方法を述べ明かした著作である . 『妙法蓮華経』 から 『摩訶止観』 に読み進むと き ,内容的に, なぜ後者が前者の実践法である と いえる のか, 当初はいぶかしみたく なる のが自然かと 思われる が, その当惑が次第に納得へと 変容してゆく のが不思議なと こ ろである .

○五時八教
天台智顗による 教相判釈を表す表現である . 五時と は, 釈尊一代の説法を華厳時(乳味:「華厳経」) , 鹿苑時(酪味:「阿含経」) , 方等時(生酥ショウソ味:「維摩経」「勝鬘経」) , 般若時(熟酥ジュクソ味:「般若経」) , 法華涅槃時醍醐味:「法華経」「涅槃経」) に分けたも のである . 智顗はそれら を, 教えの形式から 頓教(「華厳経」) , 漸教(「阿含経」「方等経」「般若経」) , 秘密教, 不定フジョウ教の「化儀四教」 に配しまた教理の面から解体して三蔵教小乗) , 通教(基礎的大乗仏教) , 別教(高度な大乗仏教) , 円教(もっとも優れた完全な教え) の「化法四教」 を立てた こ のう ち 蔵教は小乗仏教を意味し, 声聞すなわち 四諦〔苦集道滅: ふつう 苦集滅道と さ れる が,『摩訶止観』 では一貫してこ の順序である 〕を聞いて悟り を得た人のための教えを指す. こ れは, 現象の世界において, 現象を実際に生じ, 滅する と 見る 考え方である . 次に通教は三乗に共通する 教えを意味し, 縁覚, すなわち 十二因縁〔無明・ 行・ 識・ 名色・ 六入(眼耳鼻舌身意)・触・ 受・ 愛・ 取・ 有・ 生・ 老死〕 によっ て悟り を開いた人のための教えで, 空観を明ら かにする こ れは, 生・ 滅が互いに縁起であり , 空である がゆえに生滅ではないと 見る 考え方である ま た別教は, ただ菩薩だけのための教えを意味し, 六度〔菩薩に課せら れる 実践徳目: 布施・ 持戒・ 忍辱・ 精進・ 禅定・ 智慧〕を修する こ と によっ て悟り を開いた人のための教えを指す. こ れは, 現象を真実の理性の現われと 説き ながら も , なお絶対善を予定する 考え方である . そして円教は, 蔵通別の教えを包摂する 最も 完全な教えを意味する . こ れは, 諸種の現象がそのま ま 中道で, 諸法実相そのも のだと みる「無作」 の立場であり ,「煩悩即菩提」「生死即涅槃」 などの考え方がこ の立場を表すも のである

○二処三会
 さ て, 『妙法蓮華経』 の初め十四品を迹門後の十四品を本門と する こ と は,その力点の置き 方の相違こ そあれ, 天台大師・ 伝教大師最澄ある いはその後継者を自認した日蓮(1222 - 1282) において広く 行われてき たと こ ろである が,本稿で特に注目したいのは『妙法蓮華経』 を「二処三会」 に分割する 観点である . 『法華経』 は, 行われる 説法の場所によ り , 全編が前霊山会, 虚空会, 後霊山会の「二処三会」 に分かたれる . こ のう ち 虚空会と は見宝塔品第 11 から嘱累品第 22 ま でを指す.

 序品に続き , ま ずすべての衆生を平等に成仏さ せる 一仏乗が説かれ〔方便品第2 -授学無学人記品第 9〕 , 次いで釈尊滅後の『法華経』 の受持・ 弘通の主体者が地涌の菩薩であ る こ と が説かれ〔法師品第 10 -従地涌出品第 15〕 , さら に釈尊のも つ永遠の生命が説かれ〔如来寿量品第 16〕 , そ れを 信受する 者の功徳が説かれ〔分別功徳品第 17 -法師功徳品第 19〕 , 地涌の菩薩と そ の他すべての菩薩に『法華経』 が付嘱さ れる 〔常不軽菩薩品第 20 -嘱累品第 22〕以上が「前霊山会」 およ び「虚空会」 ま での内容であ り , 『法華経』 の主たる内容は, こ の「虚空会」 ま でで尽く さ れている と さ れる . こ れに続く 薬王菩薩本事品第 23 から 普賢菩薩勧発品第 28 ま での残り 6 品が後霊山会である .

<参考情報>

 法華経は28品で構成されている。品は「ほん」と読む。ただし28品であることにはそれほどの意味がない。あれこれ書き換えや着替えをして入念に仕上げてみたらこうなったというものだ

 次のようになっている。ふつうは「序品第一」「方便品第二」「薬草喩品第五」というふうに示すのが日本の仏教学の慣習になってはいるが、上記でもそうしてきたように、わかりやすく算用数字をあてた。

 1「序品」、2「方便品」、3「譬喩品」、4「信解品」、5「薬草喩品」、6「授記品」、7「化城喩品」、8「五百弟子受記品」、9「授学無学人記品」、10「法師品」、11「見宝塔品」、12「提婆達多品」、13「勧持品」、14「安楽行品」、15「従地湧出品」、16「如来寿量品」、17「分別功徳品」、18「随喜功徳品」、19「法師功徳品」、20「常不軽菩薩品」、21「如来神力品」、22「嘱累品」、23「薬王菩薩本事品」、24「妙音菩薩品」、25「観世音菩薩普門品」、26「陀羅尼品」、27「妙荘厳王本事品」、28「普賢菩薩勧発品」。

 この構成が大きくは前半と後半に巧みに分かれるのである。前半の1~14品までを「迹門」(しゃくもん)、後半の15「従地湧出品」からを「本門」(ほんもん)というのだが、ここに法華経の最も特徴的な構造があらわれる。図解をすると次のようになる。

法華経の構成

出典:サブタイトル/梵漢和対照・現代語訳 法華経 [訳]植木雅俊~松岡正剛の千夜千冊より転記~ 

「虚空会」 に置かれる 品のう ち , 最初の「見宝塔品第 11」 では, 七宝の大宝塔が地より 湧出して虚空に懸かり , その塔中から , 舎利身と なっ た多宝仏が「釈迦牟尼世尊の説く 所は皆是真実である 」 と 述べて迹門の所説を真実である と 証明する . それと と も に, 大楽説菩薩が多宝仏を拝したいと 願い出たのを転機に,釈尊の十方分身諸仏の招集が行われ, 娑婆世界が清浄と なる ばかり でなく , 八方に清浄世界が拡張さ れ, 多宝仏塔が開かれて多宝仏の全身が示さ れる . さ らに, 釈尊が塔中に入っ て二仏並坐と なり , 大衆も ま た虚空に住し, 「虚空会」の説法が開始さ れる . 一方, 「虚空会」 が終了する 嘱累品第 22 においては, 多宝如来の塔を開く ために集めら れた釈尊の分身仏たち がそ れぞれ本国に帰り ,多宝如来の塔も その扉が閉ざさ れて帰還する こ と を勧めら れる .

こ の「虚空」 と 訳さ れる 原語はサンス ク リ ッ ト の ākāśa である が(本稿第9章で後述する ) , こ の語彙は, 大空と いう 空間と , 一種のエーテル(霊気) の性格を併せ兼ね備えており , 遍在しかつ微細である . 先に述べた蔵通別円・ 四教各々 の仏の座は, それぞれ草・ 天衣・ 七宝・ 虚空と さ れる が, その典拠は『摩訶止観』 巻9 下の記述に求めら れる . 「道場に四あ り . も し十二因縁の生滅を観じて究竟する は, すなわち 三蔵の仏の坐道場にして, 木樹の草の座なり . もし十二因縁の即空を観じて究竟する は, 通教の仏の坐道場にして, 七宝樹の天衣の座なり . も し十二因縁の仮名を観じて究竟する は, 別教の舎那仏の坐道場にして, 七宝の座なり . も し十二因縁のを観じて究竟する は, こ れ円教の毘盧遮那仏の坐道場にして, 虚空を座と なす」(岩波文庫版〔岩文〕 下 292 頁) .こ こ では草地に七宝の樹木が生えている 場面が想定さ れ, そこ に現れる 草・ 天衣・ 七宝・ 虚空が四教各々 の仏の座と さ れて, 円教における 仏の説法は虚空会に置かれる こ と になる . こ の点は, 『妙法蓮華経』 のみなら ず, 『摩訶止観』 ,ある いは『法華三昧』 などの懺法においても 通底する が, 本稿ではさ ら に, 菩薩戒の場も 「虚空界」 に置かれる こ と に注目しよう と 試みる も のである

○三身四土
 「仏国土」(buddha-kṣetra) については, すでに上掲の「二処三会」 でも 若干触れたが, こ れは菩薩の誓願と 修行によっ て建てら れた仏の国, 仏陀が住む世界を指す語彙である . 諸経典に説かれている 仏国土はさ ま ざま であり , 阿弥陀如来の国土である 西方極楽浄土, 東方の薬師如来の住ま う 浄瑠璃世界などを含むが, それら は総称して「十方浄土」 と 呼ばれる . 一方, 仏国土論と 密接な関連を有する も のに「仏身論」 がある . 天台の理解による 仏身論の基本は, 法身・ 報身・ 応身, ある いは毘盧遮那・ 盧舎那・ 釈迦と いう 三身説であり法身=毘盧遮那, 報身=盧舎那, 応身=釈迦と いう 三仏が即一である と する 「三身即一」 が強調さ れる . 智顗はこ の仏身論に, 独自の解釈である 「四土」 論を重ねる . 「四土」 と は, 凡聖同居土〔染浄土〕 , 方便有余土〔方便土; 阿羅漢, 辟支仏, 地前の菩薩の所居の土〕 , 実報無障碍土〔初地以上の菩薩の所居の土〕 ,常寂光土〔妙覚所居の土〕 を指す. いま , 菩薩戒の際の戒本尊を考えてみる と ,戒壇の本尊と して掲げら れる 画像の釈迦牟尼如来は応身の姿である が, 久遠来の修行に酬報して覚悟したのである から 報身仏であり , 覚悟する と こ ろは法性である から 法身仏である . したがっ て釈迦牟尼仏は応身の相であり ながら 三身即一の応身仏であり , 結局一身即三身と なる と さ れる。

 智顗の著述『法華玄義』 巻7 上の最初には, 円教の仏すなわち 毘盧遮那が虚空を座と しつつも , 「三仏相即」 である こ と が説かれている . 「或いは言く , 道場に虚空を以て座と 為し, 一成一切成なり . 毘盧遮那は一切処に遍じ, 舎那・釈迦の成も 亦, 一切処に遍ず. 三仏具足して欠滅有る こ と なく , 三仏相即して一異有る こ と なし」(大正蔵 33, 766 頁下) 12. そして上述のよう に,『摩訶止観』にも 仏の座に関してこ れと 同趣旨の記述が認めら れた. さ ら に智顗は「四土」について, 最晩年の『維摩経義疏』 巻一において次のよ う に述べている . 「此の四国は, 前二国は並びに是れ応にして応仏の所居なり . 第三の土は亦応亦報にして報仏〔※大久保良峻師の提唱する 読みに従う 〕 の所居なり . 最後の一土は, 但是れ真浄にして応に非ず報に非ず, 是れ法身仏の所居なり 」(続蔵 1 -27, 432 丁) . ま たそれに続く 箇所には「常寂光土は玅覚極智の照ら す所の如し」(同 433 丁右下) と ある . 本稿では, 三仏が相即して座と する のは虚空界であり ,それが「常寂光土」 に他なら ないと いう 点に, 特に注目してみたい

 かく して本稿は, 天台円頓思想の中心をその「虚空会観」 に置く も のであるが, 渡辺照宏氏は『妙法蓮華経』 そのも のの中心思想を, そのス ト ゥ ーパ信仰,すなわち 「見宝塔品」 を中心と する 一連の段のう ち に見出している 13. こ の点は注目さ れてよいであろう .

3.『摩訶止観』の円頓止観思想

 次に, 『摩訶止観』 に見ら れる 天台固有の思想を見る こ と にしよう . 『摩訶止観』 は, 天台大師智顗の著述である が, 弟子の灌頂が筆記したも のである . 以下, 本稿における 『摩訶止観』 から の引用は, 関口真大師による 岩波文庫版の書き 下し文にしたがっ ておこ なう .

○一心三観
 「一心三観」 と は, 三観〔空観執われの心を破す 仮観: すべての現象が仮のも のながら 存在する こ と を 悟る 中観空かつ仮と 悟る 〕 を 一念のう ちに おさ めと っ て観ずる こ と を 言う . 上掲の別教が『菩薩瓔珞本業経』 (大正24,1014 中) に基づく 「次第の三観」 すなわち 従仮入空観・ 従空入仮観・ 中道第一義諦観の次第修行を行う のに対し, 円教では一心一念に三観が具足さ れると いう こ の「一心三観」 の観法をおこ なう . その根拠は, 円融三諦, すなわち空・ 仮・ 中の三諦が円融し, 即空即仮即中である と いう 理解に求めら れる . なお蔵教は析空観, 通教は体空観と も 言われる

○十如是
 諸法の実相が, 相・ 性・ 体・ 力・ 作・ 因・ 縁・ 果・ 報・ 本末究竟等の十範疇において知ら れる こ と を言う〔『妙法蓮華経』 方便品第二に出る . サンス ク リ ット 原典には見ら れず, 鳩摩羅什(344 - 413) が漢訳の際に補っ た一節であ るこ と はよ く 知ら れる が, 本稿ではこ れについては触れない〕 . 相と は外面的特徴, 性と は内面的特徴, 体と は実体, 力と は潜在的能力, 作と は顕在的な活動,因と は原因, 縁と は条件・ 間接的原因, 果と は結果, 報と は果報・ 間接的結果,本末究竟等と は相から 報に至る ま での 9 つの事柄が究極的に無差別平等であるこ と を意味する

○一念三千
一念に三千世間が具足さ れている こ と を言う . 「一念 と は, 凡夫が日常に起こ す一瞬一瞬の心を指す 一方「三千」と は十界地獄界・ 餓鬼界・ 畜生界・阿修羅界・ 人間界・ 天上界・ 声聞界・ 縁覚界・ 菩薩界・ 仏界 のそれぞれが互いに他の九界を具足しあ っ ている (十界互具ゴク ために百界そ の百界のそれぞれの十如是〔前述〕 がある ために千如是そして千如是は三種世間〔国土世間, 衆生世間, 五蘊世間〕 のそれぞれにわたる , と いう こ と を意味する . したがっ て「三千世間」 と なる . 極小と 極大の相即した統一的宇宙像を示すと とも に, 実践的には, 自己の心の中に具足する 仏界を観る こ と を言う

4.『摩訶止観』における五略十広の組織

 ではこ れから 『摩訶止観』 全体の概要を見る こ と にしよう . 適宜, 岩波文庫版による 該当頁数を指示する こ と にする .

 ま ず, 巻1 上「序章」 において重要なのは, 「三種止観」 およ び「円頓章」であろう .

1 . 三種の止観について(岩文上 23 頁) . こ の三種と は, 漸次止観, 不定止観, 円頓止観を言う . ま ず漸次止観と は, 浅き より 深き へ, 低き より 高き へと漸次に次第して至上の証悟を成満しよう と する 修証法を指し, 次に円頓止観とは, 実践観心の当初から 最も 高く 最も 深い心境と 取り 組んでゆく 修証法を言い不定止観と は, こ れら の頓・ 漸の諸法門を自由に活用する と いう 趣旨のも のを意味する . こ のう ち「漸次止観」 を説いたも のが智顗の著述になる『次第禅門』 ,「円頓止観」 を説いたも のが同じく 『摩訶止観 , さ ら に「不定止観」 を説いたも のが同じく 『六妙法門』 である

2 . 『摩訶止観』 の本質と も 言う べき「円頓止観」 については, こ の序章に「円頓章」 のかたち で現れる . 「初めよ り 実相を縁じ, 境に造れば即ち 中なり . 真実なら ざる こ と なし. 縁を法界に繋け, 念を法界にひと しう す. 一色一香も 中道にあら ざる こ と なし. 己界および仏界, 衆生界も ま た然り . 陰入みな如なれば苦の捨つべき なく , 無明塵労即ち こ れ菩提なれば集の断ずべき なく , 辺邪みな中正なれば道の修すべき なく , 生死即ち 涅槃なれば滅の証すべき なし. 苦なく 集なき が故に世間なく , 道なく 滅なき が故に出世間なし. 純ら 一実相にして実相のほかさ ら に別の法なし. 法性寂然たる を止と 名づけ, 寂にして常に照らすを観と 名づく . 初後をいう と いえども 二なく 別なし. こ れを円頓止観と 名づく 」(岩文上 24 頁) . こ の一節は, 天台宗の読経要文の一つと なっ ている . 止観と は, 「止」〔śamatha: 心を外界や乱想に動かさ れずに静止さ せる 〕 と 「観」〔vipaśyanā: それによっ て正しい智慧を起こ し対象を観ずる 〕 の合成語であるが, その語義がこ の箇所に明示さ れている

 つづいて「総叙」 に移り (岩文上 31 頁) , 大意, 釈名, 体相, 摂法, 偏円以上発心 , 方便, 正観(=正修止観)修行 , 果報感果 , 起教裂網 , 旨帰帰処 のいわゆる 「十広」 が示さ れる . 一方〔〕 内に示した項目は, 併せて「五略」 と 称さ れる

 ま ず第1 章「大意」 では, 上記「発心」「修行」「果報」「起教」「旨帰」 の「五略」 が示さ れる (岩文上 35 頁) .

 五略の第1 発心」 では, ま ずわれわれの正しき 発心のある べき 様相が説かれる (岩文上 36 頁) . 続いて修行」 では常坐三昧, 常行三昧, 半行半坐三昧,非行非坐三昧のいわゆる 「四種三昧」 が紹介さ れ(岩文上 72 頁) , 方法〔身・口・ 意〕 と 勧修について説明が行われる . なお, 後に述べる 「法華三昧」 はこのう ち 「半行半坐三昧」 に(岩文上 85 頁) , ま た阿弥陀仏の称名念仏は「常行三昧」 に分類さ れる (同 78 頁) .

 続いて巻1 下では「発心」 のう ち , 四諦〔苦集道滅〕 , 四弘誓願〔衆生無辺誓願度 煩悩無量誓願断 法門無尽誓願学 無上仏道誓願成〕 , 六即〔初発心から 仏果に到る ま での六階位〕 について説明がある その六即と は理即(本来的に成仏している ) , 名字即(こ れを概念と して理解する ) , 観行即(体験しよう と する 観心修行) , 相似即(六根清浄と なり , 真の悟り と 相似する ) , 分真即(真如の部分を体現する ) , 究竟即(完全なる 悟り )6 種であ る . 四弘誓願については, 後に『摩訶止観』 巻 10 下(岩文下 346 頁) で, ま た本稿で後にみる 「授菩薩戒儀」 でも 第五発心のと こ ろで唱えら れる .

 巻2 上では「修行」 の説明に移る . 上記の「四種三昧」 のう ち , 半行半坐三昧に「法華三昧」 が含ま れる . こ の行法は, 厳浄道場・ 浄身・ 三業供養・ 請仏・礼仏・ 六根懺悔・ 遶旋ニョウセン・ 誦経・ 坐禅・ 証相の十段階より 成る (岩文上 85頁) . 本稿でも 後に検討する こ と になる .

 巻2 下では「感果」「裂網」「帰処」 の説明がある . こ れら 五略の後半三項目については, 以下の本文中では触れら れないため, 「五略」 を説く こ の「大意」部分にしか該当する 説明が見当たら ない(巻2 下, 岩文上116- 122頁) . ま ず「感果」 と は, 止観の結果と して証得する も のである . 続いて, 止観の修行の結果と して証得した果報の上に教化能力が発揮さ れ, 煩悩や邪見の網に覆われ囚われている 衆生を救う こ と を意味する 裂網」 が述べら れるそして涅槃に入るこ と を意味する 帰処 と なる

 そして巻3 上では十略のう ち , 釈名」 と 「体相」 について説明が行われる 「釈名」 と は, 止観と いう 名目の語義の解釈を意味し, 「体相」 と は, 止観の本質と 様相と の解説を内容と する .

 巻3 下では, 同じく 十略のう ち「摂法」 と「偏円」 についての説明がある 「摂法」 と は, 止観の一行のなかには一切の教法が洩れなく 統摂包含さ れている こと を明ら かにする 段であ り , 「偏円」 は止観につき , 偏狭なる 止観を去り 円満なる 止観を取る べき 基準を示す箇所である . こ こ で「小乗の帰戒は菩薩の戒を離れず, 菩薩戒の力はよく こ れを成就す」(岩文上 193 頁) と 語ら れる のは,円教が一乗三乗を総合した包括的菩薩道である こ と をよく 表す句である

 巻4 上下では十略の第六「方便」 について語ら れる こ れは, 止観の修行に入る 前の準備や用意を示すも ので あ わせて 25 か条よ り 成り 通常「二十五方便」 と 呼ばれる . こ れは, 一具五縁〔①持戒清浄 ②衣食具足 ③閑居静処④息諸縁務 ⑤得善知識〕 二呵五欲〔色声香味触〕 三棄五蓋〔貪欲 瞋恚睡眠 掉悔 疑〕 四調五事〔食眠身息心〕 五行五法〔欲 精進 念 巧慧一心〕 の計二十五を指す「五縁」 の最初である 「持戒清浄」 の段では, 「順流・ 逆流の各十心 と 呼ばれる 行法が紹介さ れる (岩文上 216 頁) . 本稿で後に見る 「授菩薩戒儀」 の第4 「懺悔」 では, こ れが如法と さ れる . そのう ち まず「順流の十心」 と は, 1 妄計我人 2 外加悪友 3 不随喜他善 4 縦恣三業5 悪心遍布 6 昼夜相続 7 覆諱過失 8 不畏悪道 9 無慙無愧 10 撥無因果を意味し, 一方「逆流の十心と は 1 正信因果 2 自愧剋責 3 怖畏悪道 4 発露瑕玼 5 断相続心 6 発菩提心〔「虚空界に遍く して他を利益す」〕7 修功補過 8 守護正法 9 念十方仏 10 観罪性空を指す

 そして巻5 上以下では, こ の『摩訶止観 の最も 主要な内容である正修止観 について述べら れる ま ず「十境」 について語ら れる が, それは「陰入界オンニュウカイ」「煩悩」「病患ビョウゲン」「業相ゴウソウ」「魔事マジ」「禅定ゼンジョウ」「諸見」「増上慢」「二乗」「菩薩」 の十個を指し, それら が順に「観陰入界境」(巻5 上下巻6 上下巻7 上下) のよう に名づけら れ, 「止観」 の境位と さ れる .

 ま ず「陰入界」 と は, 五陰十二入十八界を意味し, 「観陰入界境」 では, われわれの現在の一刹那一刹那の陰妄の心を, そのま ま に十乗観法の対象と すべき こ と が説かれる . 五陰〔五蘊〕 と は, 人間の5 つの構成要素を意味し, 色シキ蘊, 受蘊, 想蘊, 行蘊, 識蘊の五個である . 蘊 skandha は「全体を構成する 部分」を意味する . こ のう ち 色は, 感覚器官を備えた身体・ 肉体を意味し, 受は苦・ 楽・不苦不楽の 3 種の感覚ないし感受を, 想は認識対象から その姿かたち の像や観念を受動的に受ける 表象作用を, 行は能動的に意志する はたら き ある いは判断を, そして識は認識ある いは判断を意味する . 十二入〔十二処〕 と は知覚を生じる 場・ 条件を意味し, 眼耳鼻舌身意六根 および, それぞれの対象である色声香味触法六境 を合わせたも のを言う . āyatana と は領域・ 場所の意である そして十八界と は, 十二処に, 眼耳鼻舌身意の六識を合わせたも のを指す. 界 dhātu と は要素の意である

 最初に「Ⅰ 端座陰入観」 が述べら れる が, こ のなかで「十乗観法」 が詳述される . 「十乗」 と は, 観不思議境, 真正発菩提心, 善巧安心, 破法遍, 識通塞,道品調適, 対治助開, 知位次, 能安忍, 無法愛の計十個である

 巻5 上ではま ず「観不思議境」 が語ら れる こ れは, 一念三千の悟修が進まない場合に, その原因を探求して, 初発心に弛緩が生じている のではないかどう かを確認する 境位である こ こ で「一念三千」 の説が説かれる . その本質は次のく だり に明ら かであ ろ う . 「そ れ一心に十法界を具す. 一法界に又十法界を具して, 百法界なり . 一界に三十種の世間を具し. 百法界は即ち 三千種の世間を具し, 此の三千は一念の心に在り . 若し心無く ば已みなん, 介爾にも 心有れば即ち 三千を具す. ま た, 一心は前に在り 一切の法は後に在り と いわず. また, 一切の法は前に在り 一心は後に在り と いわず」. 「も し一心より 一切の法を生ぜば, こ れすなわち こ れ縦なり , も し心が一時に一切の法を含ま ば, こ れすなわち こ れ横なり . 縦も ま た不可なり , 横も ま た不可なり . ただ, 心はこ れ一切の法, 一切の法はこ れ心なる なり 」(岩文上 286 頁) .

 続いて「真正発菩提心」〔広大なる 慈悲心を奮い起こ して切実なる 弘誓の心を発せしめる こ と 〕 , および「善巧安心」〔心を法界に安んぜしめる こ と 〕 が述べら れる .

 巻5 下および巻6 上下では「破法遍」 が説かれる . こ れは, 法にと ら われるこ と を厳しく 誡める 段である

 巻7 上では「識通塞」 が説かれる こ れは, 法門自体に通塞がある のではなく , 己の情智の得失によっ て知ら ずに通塞が生じている こ と を油断なく 検討する 段である

 さ ら に「道品調適」〔自分が用いている 法門や修行法が, 自分に適合していないのではないかと の反省を試みる 必要がある こ と を教える 段〕 および「助道対治」〔止観の悟修が進むと こ ろ に自ずから 身口の正業が発揮さ れてく る のではある が, むしろ意識的に誦経・ 礼拝・ 持戒・ 布施などの行為に努力する こ とによっ て止観の悟修を助けてみる こ と を教える 段〕 が続く .

 巻7 下では「知位次」 が語ら れる こ れは, 自分の修証の分際をつねに反省し分別しつつ, 進歩向上つねに休むこ と なく 努むべき こ と を教え る 段であ る .こ の「知位次」 の中で, 五悔〔懺悔, 勧請, 随喜, 回向, 発願〕 と 五品位〔随喜品(三諦の妙理を聞いて喜ぶ) , 読誦品(『法華経』 を読誦して味わう ) , 説法品(読誦し人に説く ) , 兼行六度品(理観がよ う やく 熟して六度の事行を兼ね行ずる ) , 正行六度品(六度の事相が直ち に理観と なっ て観法が円熟し, 自行化他が円満する ) 〕 について説明が行われる . こ こ に, 懺悔から 勧請, 随喜,回向, 発願と いう 五悔の詳細, そ れを基にした五品位が詳細に記さ れて, 「兼業六度」 から さ ら には「正行六度」 に向けての真の菩薩行の階梯が示さ れる こと になる (岩文下 145 - 146 頁) . 五品位自体は『法華経』 分別功徳品第十七に記さ れている . なお凝然(1240 - 1321) の『八宗綱要』 では, こ れら「五品位」が, 上述の「六即」 のう ち 「第四・ 観行即」 のう ち に含ま れている .

 さ ら に続いて「能安忍」〔修行が進むと 名誉や利益が身辺に集中し, 自ら の向上を妨げる こ と が多く なる が, それに災いさ れぬよう 教える 段〕 , および「無法愛」〔坐禅の修行がき わめて高度に進んでく る と , そ れについての自信と 自己満足が生じ(こ れを法愛と いう ) , そ こ で進歩と 向上が止ま る (こ れを頂堕と いう ) こ と がある が, その法愛を誡め, 頂堕を離れて, 向上の一路さ ら に止ま ざる べき こ と を教える 段〕 が展開さ れる .

 そして巻7 下では, 上の「Ⅰ 端座陰入観」 に対する 「Ⅱ 歴縁対境観」 が述べら れる 「歴縁」 と は六縁〔行住坐臥語作〕 に歴る こ と を意味し, 「対境」 の六境〔眼色/耳声/鼻香/舌味/身触/意法〕 に対峙する 捉え方である

 巻8 上では「十境」 の 2 番目に戻り 観煩悩境〔悟修が進むに当たっ てかえっ て俄然と して猛烈な煩悩が激動してく る 場合, こ れを現前陰妄の一念の最も 具体的なも のと してこ れをと ら える こ と によっ て, 最も 有効に一念三千の妙趣を 発揮すべき こ と を 教え る 段〕 , およ び観病患境〔修行を 進めつつあ ると き に当たっ て意外の病患に襲われる 場合, その病患をも 己の悟修を進める 絶好の機会と すべき こ と , それゆえに病患の種類と 発病の原因および治病の方法などについて的確な知識を有すべき こ と を教える 段〕 の説明が行われる . 続く「観業相境」 の説明は巻8 下にま で及ぶが, こ れは過去の善悪の業の果報が忽然と して現起してく る 場合, こ れをも っ て現前陰妄の現実と し, それについて十乗観法を進める べき こ と を教える 段である .

 続く「観魔事境」 と は, 修行中に種々 の魔障や奇怪な現象が現れてく る 場合,予めそれら を承知していれば, 悩ま さ れずに済み, ま た対処して有効な十乗観法を進める こ と も でき る と 教える 段である .

 巻9 上下では「観禅定境」 が説かれる . こ れは, 仏教全般にわたっ て示さ れる 諸種の禅定についての常識と , それら についての邪正浅深を弁別する 能力を前提と した上で, 諸般の禅定の発現の状況を明ら かにし, それら を個々 に吾人現前陰妄の心と なし, さ ら に一念三千の対境と して悟修を誤ら ざる こ と を教える 段である . こ のう ち に「五停心観」〔数息観, 不浄観, 慈心観, 因縁観, 念仏観〕が説かれている

 そ して巻 10 上下では「観諸見境」 が提示さ れるこ れは, 修証の結果, 心眼が開けて識見が強固で鋭利なも のと なっ た際, 自他を傷つけ損なう こ と のないよう , 絶えずその邪正を反省し検討すべき 心がけを教える 段である

5.『摩訶止観』と「十二門戒儀」

 では以下, 上に概観した『摩訶止観』 に認めら れる 天台の思想が, 天台宗に関わる それ以外の次第等にどのよう な形で表れている かを検討してゆく こ と にしよう . ま ず日本天台宗の開祖・ 伝教大師最澄が, 悲願と した大乗戒壇の設立に伴っ て依経と した『梵網経』 を軸と して行われる 「授菩薩戒儀」 を取り上げよう . 天台大師智顗自身の撰と しては, 『菩薩戒義疏』 (ないし『菩薩戒義記』 ) 二巻(大正蔵 no.1811) が知ら れる が, こ こ には. 後に中国天台第六祖妙楽大師荊渓湛然(711 - 782; 慈雲の言に前出) が『授菩薩戒儀』 (『十二門戒儀』 と も いう ) 一巻(大日本仏教全書第 24 巻所収) において整備したよ うな「十二門」 のかたち は認めら れない. 湛然の『授菩薩戒儀』 に対しては, 最澄がこ れを 基に同名と も 言う べき 『授菩薩戒儀式』 (大正 No. 2378) を 著し,そ れを日本天台第五祖智証大師円珍(814 - 891) が朱書添註したも のが『伝教大師全集』 第一巻に収めら れている ので, こ れを用いる こ と にする

 こ こ で「十二門」 と は, 1 開導・ 2 三帰・ 3 請師・ 4 懺悔・ 5 発心・ 6 問遮・7 正授戒・ 8 証明・ 9 現相・ 10 説相・ 11 広願・ 12 勧持の計十二を指す. ま ず1 開導は, 大乗戒の信仰, 授戒の形式内容の完備のための6 条件を記す. 2 三帰では, 三宝〔仏法僧〕 への帰依を表明する . 3 請師では, 伝教師と しての大徳と , 授戒師と しての五聖を請う . 4 懺悔は, 懺意と 運心と 三品の方法について示す. 5 発心は, 四弘誓〔上掲〕 を内容と する . 6 問遮は『梵網経』 の七遮を問う . 7 正授戒はこ の次第の頂点に位置する も ので, 三聚浄戒〔摂律儀戒・摂善法戒・ 饒益有情戒〕 を授ける こ と によっ て, 受者のう ち に戒体が発得さ れる . その際, 「能く 持つや否や」「能く 持つ」 と いう 問答が繰り 返さ れる 「白四羯磨」 形式が採ら れる . 8 証明では, 十方一切の諸仏に受戒の証明を請う . 9現相では, 十方の仏土に瑞相が生ずる こ と を述べる . 10 説相は, 上掲三聚浄戒の摂律儀戒についてその相を示す段で, 十重波羅夷〔十個の大罪・ 禁〕 についてやはり 「能く 持つや否や」「能く 持つ」 と いう 問答が行われる . 11 広願では, 所生の功徳を衆生に回向し, 離苦し成仏し, 共に極楽界弥陀仏前に生ま れんこ と を願う . 12 勧持では, 自行化他に戒徳を成就すべく , 四弘六度, 妙観正助, 十乗十境の天台宗の実践を修すべしと 説かれる .

 上で『摩訶止観』 の五略十広の組織を概説した中にも 触れたが, こ の「十二門戒儀」 のう ち には『摩訶止観』 由来のも のが随所に見ら れる . そ れは, 第四懺悔において唱え ら れる 如法懺悔文と しての「順流十心」(『摩訶止観』 の二十五方便中第一「具五縁」 の第一縁「持戒清浄」 に説かれる ) , そ して第五発心で唱えら れる 「四弘誓願」(『摩訶止観』 の「五略」 中, 第一「発心」 において説かれる ) によく 現れている . なお最澄は「順・ 逆流十心」 について, 湛然が『摩訶止観』 から その項目を掲げ, 内容のみを示して略示する のに対し,『摩訶止観』 の当該箇所から , 原文を省略せずに全文引用している .

 ちなみに, 天台真盛宗の「重受戒灌頂」 では, その外道場・ 伝法授戒の場で「十二門戒儀」 が取り 上げら れる . そ の次第は上に記した「授菩薩戒儀」 における 「十二門戒儀」 と 同様である が, その総括と しては, 次に挙げる よう な,『摩訶止観』 「円頓章」 の「附文」 と 呼ばれる も のが用いら れる .

  当知身土 一念三千 故成道時 称此本理 一心一念 遍於法界当に知る べし.

  身土は一念三千なる が故に, 道を成ずる 時, 此の本理にかない, 一心一念, 法界に遍し

 と こ ろ で, 上掲の7 正授戒の段にあ っ ては, 「白四羯磨」 と 呼ばれる 問答形式が採ら れる こ れは, 案件が一度述べら れ, こ れに三度同意のための確認が行われる も のである . ま ず三聚浄戒の相が示さ れ, 後に正しく 授戒する . すなわち , 摂律儀戒・ 摂善法戒・ 摂衆生戒について, 「汝等今身従り 未来際を尽して其の中間に於いて犯ずる こ と を得ざれ, 能く 持つや否や」 と 問い, 能く持つと 答えさ せ, こ れを三問三答する も のである . 戒師は第一羯磨について「十方法界一切境の上に微妙の妙法悉く 皆動転し, 久しから ず汝が身中に入るべし」 と 言い, 次いで第二羯磨には「此の妙戒法は即ち 法界諸法の上より 起りて虚空の中に遍し, 汝が頂上に集ま る . 微妙にして愛すべき こ と 光明雲台の如し」 と 述べる . そして第三羯磨には, その初めに「此の妙戒法は汝が身中に入り て清浄円満なる こ と 正に此の時に在り . 戒法を納受して余覚余思に戒を満たさ ざら しむこ と を得ざれ」 と 述べ, 後に「即ち 是の菩薩を真の仏子と 名づく 」と 告げる .

 上に引用したよう に, こ れら 三羯磨のう ち , 第二羯磨のと き に, 振動する 戒法が戒場の上に来たっ て虚空に集中し, 次いで第三羯磨のと き に, 集中せる 戒法が虚空から 降り , 受者の頂から 流入して胸間に充満する と 言われる . こ のよう に, 正式な僧侶が誕生する 「戒体発得」 の瞬間と は虚空界に充満する 戒法が受戒者の身中に充満する 時点に置かれている と いう こ と に, こ こ で注目しておき たい. こ のよう な次第は「授菩薩戒儀」 における も のである が, こ れが中国天台から 日本天台を経て, 広く 鎌倉仏教諸宗にも その基礎的部分を提供したも のである こ と は, 改めて注目さ れてよいであろう .

<参考情報>

第1期(8世紀後半)では法相宗と三論宗が論争し第2期(9世紀はじめ)になると、最澄と南都が論争した。最澄がすべての教えは「唯一の仏になるための教え」に帰着するという一乗主義を唱えたのに対して法相宗の徳一(とくいつ)が「声聞・縁覚・菩薩の悟りはそれぞれ別々のものだ」という三乗主義をぶつけてきた権実論争という

 徳一は空海にも絡んだ。若い空海のことはおもしろがっていたようなのだが、その即身成仏による密教論の展開にあなたには慈悲が欠けている」と指摘し、『真言宗未決文』をもって疑義をはさんだ空海は得意のレトリックで徳一を捌いたが、長引く対立もあった。

<背景情報> 

 ひるがえって、もとからの小乗グループは、仏教の教えを伝え導くことができるのはブッダただ一人、釈迦仏だけだと考えてきた。それゆえ修行者はブッダを理想のモデルとして、一人ひとりがさまざまな執着を断ち、輪廻から解脱するために阿羅漢(あらかん)をめざすなかで、その境地にかなり近づいた者は菩薩、すなわちボーディサットヴァ(菩提薩埵、略して菩薩=悟りを求める人)と称ばれるところにまでは達するが、とはいえブッダになるわけではない。そう、考えてきた。

 これに対して大乗グループは、釈迦仏以外にもブッダ覚者はありうると主張した菩薩もブッダをめざしつつ、自分だけではなく衆生(多くの他者)を悟りに導こうとしているのなら新たに「菩薩乗」とみるべきだと主張し、たんに教えを聞く修行者はブッダになろうとしていないのだし、自分だけの覚醒にこだわっているのだから「声聞乗」(しょうもんじょう)にすぎないとみなした。また、教えを聞くことなく独力で解脱をめざす者たちもふえてきたようだが、かれらは別して縁覚乗」(えんがくじょう)などと称ばれるべきだとした。

 こうして、修行者を教えを聞いて悟ろうとする声聞乗小乗)、自身の悟りを求める縁覚乗中乗一切衆生のために仏道を広める菩薩乗大乗という「三乗」の見方ができあがっていったわけである。このうち声聞・縁覚乗を二乗」とも名付け大乗を進む者を一乗」と名付けた。

 大乗グループは、これらのことがブッダの語りによって展開されている経典が存在するべきだと考えて、かなり長い時間をかけて『法華経』を仕上げた。そこではブッダは「私が小乗や二乗の道があると説いたのは、大乗に導くための方便だった。本来の道は一乗なのだ」と語っているようにした。前半の迹門で二乗を重視しておきながら後半の本門では一乗を重視させたのである

 こちらは最澄が延暦寺に大乗戒壇を設けようとして南都を難じたことに始まった。最澄は東大寺の戒壇院は小乗戒だと批判し、そんな言いがかりをつけられた南都が反撃した。これで比叡山と東大寺が全面対立状態になった(最澄には対立する気はなかったが)。

最澄が著した『顕戒論(けんかいろん)』。最澄を批判する奈良の仏教者たちへの反論。人々を導き、国を護ることのできる菩薩としての僧侶を育成することを主張した。
図:延暦寺(叡山文庫蔵)

 最澄は近江の生まれである。琵琶湖のほとりの大津の古市郷、いまの生源寺のあたりに俗姓を三津首(みつのおびと)、俗名を広野として育った。
 14歳(宝亀11年)で近江の大国師であった行表(ぎょうひょう)のもとで出家して、近江国分寺で得度、延暦4年4月に東大寺で具足戒を受けた。行表が器量の大きい人だったようだ。

 仏教では本格的な僧尼になるためには、「自分は戒律を守ります」(持戒)という約束を果たさなければならず、そのための授戒を受けなければならない」(シーラ)は仏教三学の「戒・定・慧」の必須要件のひとつで、仏法に帰依する者の大前提のことだ。具足戒はその戒の中の小乗戒で、200項目ほどの規則が示されている日本には請われて鑑真が具足戒をもたらし、東大寺にそのための戒壇院ができた

 最澄も授戒してもらったものの、小乗戒では満足できなかった。「一乗に帰すべし」がないように感じられたのだ。そこで授戒後の7月、意を決して比叡山に入ると草庵を結び、山林修行を始めた。座禅に励み、四恩(父母・衆生・国王・三宝への恩)のために『法華経』『金光明経』『般若経』などを読誦し、自身の覚悟をしるすべく「願文」を認(したた)めた。

 これが名文だ。「悠々たる三界はもっぱら苦にして安きことなく、擾々たる四生はただ患いて楽しからず」に始まり、「生けるとき善を作(な)さずんば、死するの日、獄のたきぎとならん」とあって、「我いまだ六根相似の位を得ざるよりこのかた、出仮(しゅっけ)せじ」と顧みる。出仮は現実の世界にはたらき出ることを言う。

 このあと次のように決意を述べる。「願わくは、かならず、今生の無作無縁の四弘誓願(しぐせいがん)に引導せられて、周(あま)ねく法界を旋(めぐ)り、遍(あま)ねく六道に入り、仏国土を浄め衆生を成就して、未来際を尽すまで、恒に仏事を作さん」

 最澄は何を願ったのか。木内さんはこの願文はまさに「菩薩の発願」で、「法華一乗」に向かってすべての仏事を仕上げたいという決意に願いを懸けたのだと説明する。

 なるほど、菩薩たらんとする決意ではあったが、たんに理念的な願文ではなかった。実践プランがいくつもあった。一切経(主要なすべての経典)を書写し、大乗戒のための戒壇をこしらえ、もっと天台法門を広く実践したい。そういう思いが募っていた。延暦7年(788)、最澄は山中に一乗止観院を建てると、自刻の薬師如来像を安置した。この一乗止観院を本堂とする寺院の総称が比叡山寺でそれが弘仁14年に延暦寺と改称された。

 最澄にはどうしても生前に成就したかったことがあった大乗戒のための戒壇院を造立すること、そのための専門の大乗寺を創建することその大乗戒を受けた未来の学生たちが挑むべき「忘己利他(もうこりた)」のルールブックをつくること、このことだ

 大乗寺建立のことは弟子の光定から藤原冬継を通じて嵯峨天皇に奏上する予定だったが、南都の僧綱たちの反対にあってしばらく待たされることになった。十二年籠山を規定したルールブックは六条式、八条式、四条式というふうにドラフトを重ねていったので、文書としての仕上げはまにあった。これらを束ねたものが有名な『山家学生式(さんげがくしょうしき)』である日本仏教の「戒」を代表する。山家は比叡山のことをいう。

 学生式の認定についても光定らが南都にはたらいた。すぐに裁可は降りなかった。どうも僧綱トップの護命が反対しているらしい。最澄は『顕戒論』を綴って断乎たる意図を奏上するものの、このときすでに体が危うくなっていた。死期が迫っていた。

 弘仁13年(822)、「我、鄭重に此の間(けん)に託して一乗を習学し一乗を弘通(ぐつう)せん。若(も)し心を同ぜん者は、道を守り、道を修し、相い思うて相待て」と言い残し、また「心形久しく労して、一生ここに窮(きわ)まれり」と言うと、右脇を下にして示寂した。

 享年、いまだ57歳。その7日後、大乗戒壇の独立、山家学生式が勅許された。翌年に比叡山寺が延暦寺になった。さぞかし無念であったろう。

出典:サブタイトル/最澄と天台教団 木内堯央~松岡正剛の千夜千冊より転記~

<参考情報>

円珍(智証大師)。空海の甥にあたる。15歳のとき比叡山に登り、延暦寺座主の義真に就いて天台を学び、20歳のとき、菩薩戒を受ける。その後、12年間籠山して修行を続け、延暦寺の学頭となった。園城寺(三井寺)では宗祖として寺門派の象徴的存在となっている

   日本の仏教の大部分では、他の仏教圏の仏教と違って、
   基本的に部派の律を採用しません。
   何を採用するかというと、
   日本の仏教の大部分が採用しているのは、
   大乗戒だったのです。
   そして、この大乗戒を採用したのは誰かというと、
   実は最澄でした
   その意味で、最澄こそ、日本仏教の戒律観を
   根本からひっくり返した人だと言えます。——『浄土思想論』

出典:サブタイトル/日本仏教入門 末木文美士~松岡正剛の千夜千冊より転記~

『摩訶止観』と「大乗戒(菩薩戒)」の関係(Google AI 回答)

『摩訶止観』と「大乗戒」は中国天台宗の智顗(ちぎ)が体系化した実践と、その教えを基に日本で最澄が推進した理念として密接な関係にあります

『摩訶止観』の止観(坐禅・瞑想)実践は、十善戒や円頓戒といった「大乗戒菩薩戒)」を基礎として成立しており、行動と心理の両面から仏となることを目指すものです。

1. 『摩訶止観』と戒律(大乗戒)の関係

  • 修行の基礎としての戒律: 『摩訶止観』では、正しい止観(止=心を止める、観=見つめる)を行うための前提として、戒律を重視します。特に大乗の精神に基づく十善不殺生、不与取、不邪婬、不妄語、不両舌、不悪口、不綺語、不貪嫉、不瞋悩、不邪見)が説かれています。
  • 次第禅門の構造: 『摩訶止観』の思想的背景には、小乗戒(出家者中心の戒)から大乗戒(菩薩戒)へと向かう二層構造があり、最終的に心を三徳(法身・般若・解脱)に満たす「円頓戒」へとつながります。 toutetsu.gakkaisv.orgtoutetsu.gakkaisv.org +2

2. 円頓戒(最高の大乗戒)

  • 天台宗で極重とされる「円頓戒(えんどんかい)」は、法華経の精神に基づく大乗戒です。これは、すべての人が仏になることができる(一乗)という教えに基づき、具体的な行動規範(十重四十八軽戒など)を守りながら、心と行為が直ちに仏の徳(三徳)を具足するものです
  • この戒は「円戒」「一乗戒」「一心戒」などとも呼ばれます。

3. 日本における最澄と大乗戒壇

  • 比叡山での実践: 最澄は『法華経』の精神に基づいて「一乗の教え(すべての人を仏に)」を根本とし、大乗戒の受戒制度を確立しようとしました。
  • 大乗戒壇の設立: 最澄はそれまでの小乗戒具足戒)を形式的と批判し、真の大乗仏教徒を育てるために「大乗戒壇」の設立を悲願としました。1200年遠忌を迎えた伝教大師最澄は、12年間の籠山行を通じてこの大乗の思想を体現しました。
  • 没後の達成: 最澄の没後、その弟子光定らの奔走により、嵯峨天皇から念願であった「大乗戒壇(一乗止観院)」の設立が許可され、天台宗が独自に僧侶を養成する道が開かれました。 日蓮宗妙覚寺日蓮宗妙覚寺 

まとめ

『摩訶止観』は、大乗戒(円頓戒)という規範(規律)を土台として、十境・十乗観法という心の修行を体系化したものです。最澄はこの理念を日本で実践し、国家の統制から自立した大乗戒壇を設けることで、天台法華の教えを根付かせました

6.慈雲の法統と「授菩薩戒正儀」

 こ こ で慈雲に眼を転ずる こ と にしよう . 慈雲も ま た, 上下二巻より 成る 『授戒法則』 の上巻末尾に, 「授菩薩戒正儀」 なる 一編を遺している . 慈雲によ るこ の「授菩薩戒正儀」 は, 慈雲が天台系ではないために, 上掲の天台のも のとは異なっ た次第を伝える も のである . 慈雲の率いる 正法律一派では, 鑑真に遡る 「三師七証」 形式によ る 具足戒授受の方式を復興さ せ, こ れを用いていた.したがっ て, 日本天台が最澄によっ て『梵網経』 による 大乗菩薩戒の受戒をも って足れり と したのと は異なっ た主張に立つ. そ の内実は本稿第1 章において,『仏弟子の意得』 より「戒律」の項を引いて確認したと こ ろである . しかしながら ,慈雲の『授戒法則』 は, 下巻の末尾にそのよう な鑑真由来の具足戒の次第を伝える 「授大戒儀」 なる 一編を収める も のの, 同書の上巻末尾には「授菩薩戒正儀」 が収めら れている . 以下,『慈雲尊者全集』 第六巻に収めら れる『授戒法則』上下巻の内容を確認してみよう .

上巻:「授三帰法則」「授五戒法則」「授八斎法則」「同自誓法則」「授十善法則」「授菩薩戒正儀」

下巻:「出家作法」「同結縁」「形同沙弥附五徳十数」「法同沙弥」「授大戒儀」

 こ の表から , 上巻に収めら れる も のがいわゆる 「在家」 の授戒次第, 下巻に収めら れる も のが「出家」 の授戒次第であ る こ と が理解さ れる . したがっ て,慈雲の一派にあっ て「菩薩戒」 は, おそら く 在家門徒を対象と して授けら れるも のであっ たと 思われる . しかしながら , 鑑真その人は, 具足戒を受ける 前に菩薩戒を, すなわち 具足戒の前段階と して菩薩戒を受けていたこ と が知ら れている . いま こ のあたり の次第をめぐっ て少しく 検討してみよう

 鑑真の天台学への寄与については, 天台の伝承から も 特筆さ れる と こ ろである . 鑑真をめぐっ ては「天台の三大部をはじめ, 多く の天台宗章疏をも たら したばかり でなく , 弘景について天台宗を学んだ人で, 天台宗第四祖の地位を占めていた」 と さ れる . こ の弘景(恒景と も 記す; 634 - 712) と は泉州南泉寺の律師で, 708 年長安実際寺の戒壇にて鑑真に具足戒を授けた人物であ る弘景は律学を学んだ後, 天台宗の開祖智顗の道場・ 荊州の玉泉寺で天台学を学び, こ の頃上京して実際寺に住持していた. 天台宗の初祖は既述のと おり 智顗(538 - 597) , 次祖は章安灌頂(561 - 632) であ る が, 第三祖の智威(? -680) は, 宗勢の衰え を反映して蒼嶺普通山の法華寺に本拠を移したため, 弘景が玉泉寺に入っ たと いう こ と をも っ て, 弘景を章安につづく 「第三祖」 と する こ と も 可能であろう し, 実際に弘景を「第三祖」 と する 伝承が存在する . 弘景は, 宗祖智顗が根本道場の一つと した荊州当陽の地方に生ま れ, その天台宗祖が宣教した玉泉寺の僧と なっ た人であ り , 天台宗の宣揚者・『法華経』 の信奉者と なっ たのは事実であろう . 鑑真はその弘景から「具足戒」を受けたわけで,東大寺に住持した凝然(1240 - 1321) の『三国仏法伝通縁起』(1311) 下でも「鑑真和上是天台宗第四祖師」 と さ れている . だが, 上記のよう に鑑真に具足戒を授け, かつ天台学を教授した弘景を第三祖と する と , 上掲の生没年では章安と弘景の間で法統が途切れる . 灌頂から 弘景が直接教えを受けた可能性はあり 得ず, 弘景は智威の次の第四祖慧威(634 - 713) と 同年と なる ため, 志盤の『仏祖統記』 巻第二十四を援用し, 灌頂の弟子に伝記不明の玉泉道素を補う などの必要がある . 実際には, 弘景も 智威ら から 教授さ れたと 考えら れよう . ふつう天台の伝承は智威から 慧威, さ ら に第五祖玄朗(673 - 754) , そして第六祖湛然(711 - 782) へと 辿ら れる . なお最澄(767 - 822) は第七祖道邃(生没年不詳) から 菩薩戒を授かっ ている . したがっ て, 最澄が大乗戒と しての菩薩戒授戒の必要性を強調した背景には, 自ら の受けた大陸での授戒を強く 主張する狙いも あっ たかと 思われる

 一方, 弘景から 鑑真へと 連なる 法統は, やはり 凝然著『八宗綱要』 (1269)によれば, わが国における 律宗の法統と さ れる , その場合弘景の師は道宣南山律師(596 - 667) と さ れる . こ の道宣も 智顗を大いに崇敬したと 伝え ら れる が, 鑑真は, 弘景から 具足戒を受ける 以前, 705 年に道岸禅師より 菩薩戒を受けている .

 こ の道岸禅師(654 - 717) は, 江南(揚子江南部) の律を十誦律から 四分律に改めた人物と して知ら れ, 弘景と と も に, 四分律宗祖道宣の門下文綱から 戒律を受けている . すなわち 道岸と 弘景と は文綱下で同門にあり , 弘景が20 歳年長であ る . かく して鑑真は, 道宣の孫弟子であ る 道岸と 恒景の二人に随い, ま ず 705 年道岸より 菩薩戒を, 続いて 708 年恒景より 具足戒を受けたという こ と になる . 残念ながら , 鑑真がこ のと き 受けた「菩薩戒」 の内実は不明である . ただし「大乗戒」 と しての菩薩戒であっ たこ と だけは動かないであろう

 本稿第1 章で既に確認したよう に, 慈雲は, 鑑真そして覚盛から 戒律を, 空海そして叡尊から 密教を受けたと 自認している戒律については, 鑑真が伝えた南山律宗に基づく 『四分律』 の「三師七証」 形式による 授具足戒を復興させる こ と を目指した. その経緯は, 慈雲自ら の手になる 「伝戒列名」 に, 次のよう に綴ら れている .

慧遠法師(333 - 416) -竺道生法師-法達(法穎? ) 禅師(415 - 482)-僧祐律師(445 - 518) -道洪律師-智首律師(567 - 635) -南山徴照法慧大師(道宣, 596 - 667) -恒景律師(634 - 712) -招提鑑真大師(688- 763)

 こ の次第は南山律宗の法統を辿る も のであり , したがっ て慈雲が鑑真から 伝わる も のと して理解していたであ ろ う も のは, 『四分律』 に基づく 南山律宗による 具足戒である と 考えて差し支えないだろう . も っ と も 先述のよう に, 慈雲の『授戒法則』 の上巻末尾には「授菩薩戒正儀」 が載る . その次第は, 天台系に伝わる 「十二門戒儀」 と は異なる も のであり , 起源については明ら かでない.ただし慈雲は, 鑑真が菩薩戒をも 受けていたこ と を当然知悉しており , かつ自ら の『授戒法則』 のう ち に「授菩薩戒正儀」 を盛り こ んでいる のであ る から ,その次第についてはおそら く , 鑑真が 705 年に道岸から 受けた授菩薩戒の次第を忠実に留める べく 意図したであろう も のだと いう こ と は想像して差し支えないだろう . 実際, こ の菩薩戒法則の末尾には「唐招提寺能満印寂然拝誌」 と あり , 唐招提寺伝承の律宗の式次第と 相違する も のではなかっ たこ と がう かがわれる .

 では慈雲による 「授菩薩戒正儀」 の次第を検討してみる こ と にしよう . ただし「白四羯磨」 の形式, ある いは戒相と して「十重四十八軽戒」 すなわち 「梵網戒」 が用いら れる などの点に関しては, 上記の天台の授戒の場合と 変わら ない. 以下『全集』 から , 主要部分のみ書き 下し文にして紹介する こ と にする .

123 頁) 「汝某甲善男子聴け. 汝今, 我が所に於いて諸の菩薩の一切学処を受け, 諸の菩薩の一切浄戒を受けんと 欲す. 謂ゆる 律儀戒. 摂善法戒. 饒益有情戒なり . 是の如く の学処, 是の如く の浄戒は, 過去の一切の菩薩は已に具し,未来の一切の菩薩は当に具すべし. 普く 十方に於いて現在の一切の菩薩は今具す. 是の学処に於いて是の浄戒に於いて過去の一切の菩薩は已に学し, 未来の一切の菩薩は当に学すべし. 普く 十方に於いて現在の一切の菩薩は今学す」.「汝能く 受く る や不や. 受者答えて言はく , 能く 受く 」.

「告げて曰く , 此れは是れ第一の羯磨なり . 今十方法界の善法普く 皆動転す.当に欣心を起こ し怠意を生ずる 勿る べし」.「汝某甲善男子聴け. 云々 」

(124 頁) 「此れは是れ第二の羯磨なり . 今十方法界の善法あま ねく 挙げて空中に集ま る , 雲の如く 葢の如し」.「第三羯磨の竟に至る 時. 法界の功徳汝が身心に入る . 余に一羯磨在り . 汝当に虚空界を総ずる 心を発し三有の衆生を救済し, 并びに三世の仏法を護持せんと 縁ずべし」.

 細かい文言こ そ先の天台授大乗戒の場合と 異なっ ている も のの, 第一羯磨の際に「十方世界の善法が皆動転し」, 第二羯磨の際に「十方法界の善法があ まねく 空中に集ま り 」, 次いで第三羯磨のと き に「法界の功徳が受者の身心に入る 」 と いう 経緯に関しては, 先述の天台授戒式の次第と 何ら 変わる と こ ろはない. そして「余に一羯磨在り . 汝当に虚空界を總ずる 心を発し三有の衆生を救済し, 并びに三世の仏法を護持せんと 縁ずべし」 の部分では, 「虚空界」 の語が明確に現れており , 虚空界に充満する 戒法が受戒者の身中に充満する 瞬間が「戒体発得」 の瞬間と 捉えら れている と いう 点で, 「菩薩戒」 が先述の天台のものと 同じ次元にある こ と が確認でき る だろう

7.「重授戒灌頂」における宝塔の意義

 次に, 天台真盛宗固有の次第と も いえる「重授戒灌頂」について触れておこ う .

 「重授戒灌頂」(も しく は略して単に「戒灌頂」) については, そ の大略を既出の拙稿において紹介したため, 本稿では再説を控える . こ こ にその大枠のみを述べる なら ば, こ の「戒灌頂 と いう 儀礼は, 比叡山上の戒壇院における 円頓授戒に重ねて授ける 円頓菩薩戒を意味し, 天台宗僧侶であ れば, 入山 12 年を経た後に受ける こ と ができ る と さ れる ただし現在では, ほぼ真盛派に固有の儀礼と 化している 模様である . ま たその天台真盛宗にあっ ても , 得度式の際に「十善戒」 が授けら れ, こ の「戒灌頂」 をも っ て正式の僧侶と しての受戒と解する のが現状のよう である。

 さ て「重授戒灌頂」 の次第は, 密教灌頂に特有の「五瓶灌頂」 を中心に編まれた「外道場伝授壇」, およ び「合掌授与」 と 「宝塔涌現の儀式」 を頂点と する 「内道場正覚壇」 と の二部より なり , 現行のかたち と してはほぼ次のよう に概括さ れる .

外道場: 入道場 正面往立 礼佛 戒師登高座・ 礼師 塗香 着座讃 乞戒偈 散華 唄 三礼・ 如来唄 神分・ 霊分・ 祈願・ 表白 十二門戒儀(一~六)開塔 第七正受戒 大壇立瓶 表白 五薬中瓶 五宝中瓶 五穀中瓶 発願白払 曩祖大師願文 正灌頂 神供 印文 四重合掌 閉塔 第八段証明乃至第十二段勧持・ 回向 後唄 補欠分 血脈加持・ 下座三礼 中憩内道場: 入道場 吉慶梵語の讃 遶壇行道 登壇 三十二相 合掌秘訣 初重・ 理即の合掌 第二重・ 名字即の合掌 第三重・ 観行, 相似, 分証(真) 即の合掌 第四重・ 究竟即の合掌 合掌戒体 師資坐禅 袈裟掛替 如来心水文嘱累摩頂 三衣授与 五条授与 七条授与 九条授与 鉢授与 坐具授与明鏡 法螺 法瓶 説三衣等功徳 袈裟掛戻 覚超僧都の鉢頂戴 吉慶漢語の讃 血脈朱印 南岳大師の袈裟頂戴 師資坐禅 伽陀 下壇行道 出道場

 こ のう ち , 実際に菩薩戒が重授さ れる のは外道場における 「十二門戒儀」 以下の部分であり , 十二門の内実は先に「授菩薩戒儀」 の内容に関して記したものと 同一である . したがっ て「戒灌頂」 の儀礼は, 密教的な装いのう ち に,「菩薩戒」 の授戒儀礼を包み込んだも のと なっ ており , 単なる 「菩薩戒」 の繰り 返しではなく , 四度加行および伝法灌頂と いう プロセス に続く 儀礼に相応しい密教的な色彩を帯びたも のに仕上げら れている .

 さて, 上に挙げた戒灌頂における 正覚壇は宝塔, 師資の同座は法身多宝仏と報身釈迦仏と の並坐である . こ れは, 先に本稿第2 章でも 紹介した『妙法蓮華経』「見宝塔品第十一」 に記さ れる 場面であっ て, ま さ しく 「虚空会のク ラ イ マック ス と も 言いう る 場面であるこ の際, 戒灌頂が即身成仏を目指すも のであるこ と が銘記さ れ戒灌頂は密教的儀礼のも と に法華円戒即身成仏と を和合さ せる 狙いを持つ. 以上のよう な「重受戒灌頂」 の式が目指すも のは, 天台宗における 授戒の式と して, あ く ま でも 円頓戒の文脈に合致した, 『法華経』 と戒律の一致, すなわち 円戒一致の義である と いえる だろう . したがっ てこ の重授戒灌頂をめぐる 論考は, 『法華経』 のなかに戒律を読み込むプロ セス を展開したも のと なる . こ の「円戒発得」 のプロセス で設定さ れる 場は, ま さ しく「虚空会」 なのである

8.『摩訶止観』と「法華三昧」

 次に, 天台宗の勤行と して一般的な法華三昧」 ないし「法華懺法」 についても 本稿で触れておかねばなる ま い. こ れら についても 旧稿において考察を施し ,「普賢行願讃」 と「法華懺法」 の間に「五悔」 と いう 共通性のある こ と が,慈雲と 天台僧たち と の交流の共通基盤を形成したのであろう と 結論づけた. 本稿では必要な部分に関してのみ再説する .

 「法華三昧」 については, 先述したよ う に『摩訶止観』 の「大意」 中の「修行」, そのう ち の「半行半坐三昧」 に説かれており , 別に一巻あり て法華三昧行法と 名づく . こ れは天台(大) 師の著すと こ ろにして世に流伝す. 行者はこれを宗と せよ. こ れすなわち 説黙を兼ぬれば, ま た別しては論ぜず と 締めくく ら れる . こ の一節に続いて「意の止観」 と して「専ら 大乗を誦して三昧に入ら ず, 日夜六時に六根の罪を懺す」 と ある . 従っ て, こ の「意の止観」 と は,「法華懺法」 のこ と を指すと 考えてよい. 「法華懺法」 は, 昼夜六時に五悔を修し,六根清浄を得る こ と を目的と した次第と さ れる が(岩文下 361 頁参照) , 『摩訶止観』 巻7 下(岩文下 141 頁) には「四種三昧の修習の方便は, 通じて上に説ける がごと し, ただ法華懺のみ, 別して六時・ 五悔に約して重ねて方便をなさん」 と ある .

 法華三昧」 の概要・ 骨格を記すなら , 次のよう になろう .1 . 勧修法 2 . 行法前方便 3 . 正入道場一心精進方法 4 . 正修行方法 5 . 証相

 こ のう ち , 4 「正修行方法」 のう ち に「法華懴法」 が含ま れる . こ れを略記する こ と にする.

第1 厳浄道場 第2 浄身 第3 三業供養(三礼, 供養文) 第4 奉請三宝(奉請段) (法則・ 咒願) 第5 讃歎(讃仏段) 第6 礼仏(敬礼段)第7 五悔〔懺悔段, 六根段〕 ・ 四悔〔勧請・ 随喜・ 回向・ 発願〕 第8 行道 〔半行〕 (十方念仏) 第9 誦経 『法華経』 安楽行品(第十四) 第 10坐禅正観 〔半坐〕 (後唄)

 現行の天台宗の勤行式次第書では, 上記4 に含ま れる 「奉請三宝」 の「法則」に当たる 段に, 事実上 3 種類が併記さ れている . 冒頭部・ 般若心経および大般若経名に続き , 「慎敬白」 に始ま る 一連の句があ る が, そ の 3 種を順に, 以下に掲げてみよう .

ま ず「法華三昧法則」(①) である

 「慎敬白  常寂光土第一義諦久遠実成多宝塔中釈迦牟尼世尊過去証明多宝善逝  現在雲集分身諸仏超八醍醐一乗妙典八万十二権実聖教  普賢文殊等諸大薩埵  舎利弗目連等諸大声聞  乃至盡空法界一切三宝而言  方今娑婆世界一四天下南閻浮提日本国於何国何郡何寺  今此道場信心施主某為追福令修法華懺放軌事」

 続いて「天台会法華三昧法則」(②) である .

 謹敬白  大恩教主釈迦世尊証明法華多宝如来  東土上願医王薄迦  西方能化弥陀種覚一乗妙法真浄法宝八万十二権実聖教  文殊観音諸大薩埵内秘外現諸声聞衆分者懺法教主普賢薩埵乃至盡空法界  一切三宝而言方今於娑婆世界一四天下南瞻セン浮州日本国何国何山何寺  今此道場」.

 続いて「山家会法華三昧法則」(③) である .

 「謹敬白  大恩教主釈迦世尊過去証明多宝善逝  現在雲集分身諸仏超八醍醐一乗妙典 普賢文殊諸大補処舎利弗目連諸声聞衆  総者盡虚空界一切三宝而言方  今於南閻浮提日本国於何国何山何寺  今此道場一結浄侶奉為宗祖大師法楽荘厳修法華三昧厳儀」.

 こ れら 3 つの次第には, 相互に若干の異同はある も のの, こ の懺法の舞台が「常寂光土」 であ り (①) , そ れは「虚空界」 であ っ て(③) , 久遠実成の多宝塔中にて行われる も のであ り (①) , 釈迦牟尼世尊が多宝如来を過去の証明者と して為すも のである こ と (①) , を明ら かにする も のである .

 かく して「法華三昧」 の行われる 場所は「虚空会」 であり , それは「常寂光土」 なのであっ て, こ れは本稿で検討してき た『摩訶止観』 に見ら れる 円教の場と も , 「授菩薩戒儀」 における 「戒体発得」 の場と も 一致する こ と になる

9.「虚空会」における受戒の意義

 本稿でのこ れま での考察によっ て, 天台関連の「授大乗菩薩戒儀」 や「重受戒灌頂」, あ る いは「法華三昧」 と いっ た次第の場は, そ の典拠と なる 経典が『妙法蓮華経』 ないし『摩訶止観』 であれ, ある いは『梵網経』 であれ, 一律に「虚空会」 に置かれる こ と が明ら かと なっ た. それは「虚空会」 に属す『妙法蓮華経』 「見宝塔品第十一」 での「多宝・ 釈迦二仏並坐」 の場面に典拠を見出す理解ではある が, すでに天台大師智顗の解釈により ,「円教」 の説かれる 場が「常寂光土」 と さ れる こ と で, 『摩訶止観』 の中にも 十全に洗練さ れた形で認められる 理解と なっ ていた.

 一方慈雲に関しても , その「授菩薩戒正儀」 において確認さ れたよう に, やはり 「菩薩戒」 が授けら れる 場を「虚空界」 に置いていた. 慈雲が解する 「菩薩戒」 と は, 彼が遡源を目指した鑑真のも のがおそら く 想定さ れていたと 思える . 自ら の法統に関して, 慈雲は鑑真を, 四分律宗を本朝に伝えた高僧と して捉えていたも のと 推察さ れる . しかし鑑真の法統を意識すればする ほど, 鑑真が「法華三大部」 をも 請来した事実を直視せねばなら なく なっ たはずであ る .天台の諸学僧たち , たと え ば園城寺法明院の学匠敬光(1740 - 1795) ら と は1770 / 1 年あたり から 交友が開始さ れる . 敬光は 1770 年京に出て相国寺に寓し, 慈雲について悉曇を 学び, 兼ねて密教灌頂を 受けている . 続いて敬光は1771 年6 月, 播磨西岸寺の請に応じて『観経妙宗鈔』 を講じ, 冬には洛東源宗院に『摩詞止観』 を講じている . 敬光の著書は『梵学津梁』 にも 収めら れており , 慈雲はま ずは彼ら と の交友を通じて, 次第に天台ないし『摩訶止観』 への造詣を深めてゆき , その結果が最晩年の『法華陀羅尼略解』 に現れたと は考えら れないだろう か。

 禅と の関係では, 慈雲が信州正安寺で修した大梅禅師下での禅行が知ら れ,慈雲にあっ ては通例曹洞宗の禅行のみが注目さ れる . しかしながら , その際に慈雲は, 本稿第1 章にも 記したよ う に, 「師と 見解を異にした」 と 述懐している . その傍ら , 慈雲は晩年に至る ま で禅行に勤しみ, 「戒・ 禅・ 密・ 梵」 のう ち ,梵学はと も かく と して, 実は「戒」 と 「禅」 に専修する 傾向を持っ ていたと される . ただ「戒」 は唐招提寺系, そして「密」 は西大寺系である と して, 「禅」が大梅禅師系のも のでないと すれば, 慈雲の禅行の内実は, やはり 鑑真に遡源さ せう る『摩訶止観』 に拠る「円頓止観」 を旨と する も のではなかっ ただろう か。

 と こ ろで「虚空」 は, サンス ク リ ッ ト に遡源して対応する 語彙を求める ならば, 上述のよう におそら く ākāśa が想定さ れよう . こ の語彙は『バガヴァ ッ ド・ギータ ー』 にも 次のよう な形で見出さ れる。

 yathākāśa-sthito nityaṃ vāyuḥ sarvatra-go mahān / tathā sarvāṇi bhūtāni matsthāni ity upadhāraya

 「いたる と こ ろ に行き 渡る 強大な風が, 常に虚空の中にあ る よ う に, そ れと同様に, 万物はわたしのう ち にある , と 理解せよ」(『バガヴァ ッ ド・ ギータ ー』 9, 6)

 こ こ に現れる ākāśa が「虚空」 である . こ の ākāśa いう 語彙は √kāś「現れる ,輝く 」 を語根と する . 虚空は, 大空と いう 空間と , 一種のエーテル(霊気) の性格を併せ兼ね備えており , 遍在しかつ微細である . 最高神は遍在しかつ微細である と こ ろから , 虚空になぞら えら れる . 「常寂光土」 と いう 語彙は, 『妙法法華経』 の結経たる 『観普賢経』 の「釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と 名づけ, その仏の住処を常寂光と 名づく 」(大正蔵 9, 392 頁下) と いう 言葉から 取ら れ, 久遠釈尊の本身(法身) の世界(本土) に当てたも のと さ れる (『岩波仏教辞典』 ) . ākāśa が √kāś を語根と する なら , 「常寂光土」 は「虚空」 の訳語と して, 非常に的確な理解にその基盤を置いている と 考えら れよう .

 慈雲は, 主唱する「十善戒」 の授戒の際にも , その場を「虚空会」 に置いている .『授戒法則』 の中, 「授十善戒法則」 の「懺悔」 段にあっ ては, 次のよう に述べら れる . 「弟子某甲等. 尽虚空遍法界の一切諸仏両足中尊, 一切諸法離欲中尊,一切僧宝諸衆中尊に白す. 我某甲等, 無始劫の中より 今日に至る ま で, 貪瞋痴に依り て身語意を発し, 諸の悪業を現に行ずる こ と 無量無辺なり . 謂く , 殺生,偸盗, 邪淫. 妄語, 綺語, 悪口, 両舌, 貪瞋, 邪見等なり . 若し此く 悪業体相有ら ば, 尽虚空界も 容受する 能わず. 我今日此の道場に於いて, 諸仏菩薩及び現前諸大衆の前に対して発露懺悔す. 一懺以後永く 相続の心を断じ, 尽未来際更に敢えて作さ じ. 願わく は, 一切三宝慈悲摂受せんこ と を」(全集版 114 頁) .

 こ の一節にも 「虚空界」 の語が出る . こ こ では, 自己の心中が「虚空界」 になぞら えら れている と 考えら れる だろう . 一方, 既述のよう に, 天台真盛宗では現在, 沙弥戒に相当する も のと して「十善戒」 が用いら れている . 慈雲の「正法律」 の行き 着く 地平は, 『十善法語』 等で主張さ れたよ う に「十善戒」 の普遍性であっ た. 1749 年編述の『根本僧制』 には, 「其れ正法律十善の法は, 万国におし通じ, 古今に推し通じて差異なし」 と 記さ れている . かく して慈雲の主唱する 「十善戒」 をはじめ, 彼が取り 入れた「菩薩戒」 も ま た, 天台の主張であ る 「円教仏の在<虚空会>性」 すなわち 「在<常寂光土>性」 と の間に,『妙法蓮華経』 そして『摩訶止観』 における 共通の基盤を見出すのであっ た.

結.『法華陀羅尼略解』の照射する地平

 晩年の慈雲が, 梵学を基軸と して戒・ 禅・ 密, さ ら に神道の融和を目指したこ と はよく 知ら れている . 慈雲最晩年の直筆本と して『法華陀羅尼略解』 の存在が知ら れる よ う になっ た今, こ のう ち の「梵」 あ る いは「密」 の部分を補いう る 典拠と して「法華経陀羅尼」 を掲げう る だけでなく , 『妙法蓮華経』 を通じて, こ れま でわれわれの射程には入っ ていなかっ た「円」 をも , 上記の諸学に加え る こ と が可能になっ たと 言え る だろ う . と なる と われわれは, 「梵・円・ 戒・ 禅・ 密」 の統合が慈雲において為さ れよう と していた, と 考える こ とができ る . こ の総合性のう ち に, 天台律僧たち と の交遊も 成立したのであろうし, 慈雲の側から は, 「禅」 を「円」 のう ち に解決しう る 『摩訶止観』 が, 鑑真への遡及の延長線上に, 次第に立ち 現れる こ と になっ たのではないだろ うか. そしてこ れら 仏教の諸学は, 本稿での考察により 「常寂光土」 において統合さ れる こ と が明ら かと なっ たと 考えたい.

最澄の入唐と大乗菩薩戒の相承 

出典:浄土宗ネットワーク https://jodoshu.net/files/hikkei/h25/info_03.html

(ⅰ)入唐留学で相承したもの

 浄土宗が伝承する戒は大乗菩薩戒であり、それは円頓戒
えんどんかい
と称される菩薩戒です
。またその菩薩戒の具体的な内容は『梵網経』に説かれる十重四十八軽戒です。この菩薩戒は浄土宗の開祖、法然上人(以下敬称略します)より脈々と現代に至るまで相伝されていますが、その源流をたどれば天台宗ですすなわち法然が比叡山において師の叡空より相承した菩薩戒であり、さらには最澄が中国に留学して、かの地において円頓戒としての大乗菩薩戒を相承し、日本に帰国しました

 ここでは最澄(七六六‐八二二)が中国の唐に留学し、帰国後に天台宗を開くまでを概観したいと思います。最澄は近江の国分寺で出家得度し、二十歳のときに東大寺の戒壇院で具足戒を受けます。時代は平安遷都の九年前になります。当時は東大寺での受戒が義務づけられており、最澄はそれにならって具足戒を受け一人前の僧として認められます。受戒の後間もなく、彼は比叡山に登り草庵を構え、山林修行と仏教の学問に専念するようになります。二十二歳のとき、比叡山に一乗止観院(延暦寺の前身)を創建し、自刻の等身大の薬師如来を安置したと伝えられます。

 延暦十三年(七九四)、桓武天皇は平安遷都を実施し、いよいよ平安時代が幕を開けます。最澄は出家して以来、かつて天平時代に鑑真が請来した中国天台の「天台三大部」と称される智顗(五三八‐五九七)の『法華玄義』、『法華文句』、『摩訶止観』の学習を通じて『法華経』の思想に造詣を深めていったと言われています。一乗止観院もこれに
ちな
んだ寺院名です。最澄は次第に天台教学、『法華経』の思想の学僧として世に知られるようになり、やがて朝廷にも注目されるようになります。

 延暦二十一年(八〇二)、最澄三十七歳のとき、桓武天皇の意向もあり、還学生
げんがくしょう
として天台教学の相伝を受けるために唐への留学が認められます。
還学生とは短期留学のことです。実際に唐へ出発したのは三十九歳のときで、彼は遣唐使船の第二船に乗り肥前を出発します。なお、このときの第一船には三十一歳の空海(七七四‐八三五)が留学生
るがくしょう
(長期留学のこと)の資格で乗船していますが、両者は顔を合わせてはいません。最澄は台州の天台山に向かい、空海は密教を求めて長安に向かいます。

 最澄はかの地で四宗を相承したと、一般には言われています。四宗とは、円・密・禅・戒を指します。最澄が晩年、自らの仏教相承の正当性を主張した書に『内証仏法相承血脈譜』があり、ここに相承した内容が整理されています。

円……天台法華宗相承
密……胎蔵金剛両曼荼羅相承、雑曼荼羅相承
禅……達磨大師付法相承
戒……天台円教菩薩戒相承

 これがいわゆる円・密・禅・戒ですが、この順序は相承した順ではありません。この中、「密」は密教のことで、越州(現、紹興)龍興寺の順暁
じゅんぎょう
阿闍梨より密教の秘奥を伝える灌頂を受けたことです。「禅」は天台山禅林寺の翛然
しゃくねん
より、インド伝来の達磨の付法である牛頭
ごず
禅の相承です。これらの密と禅以外の円と戒こそが浄土宗の伝法に関係してくるのであり、最澄が開いた天台宗の主要をなしている相承です

 」は最澄の入唐留学の目的でもあった相承です。入唐した翌年、台州龍興寺の道邃
どうずい
から、また同門の行満から、天台教学に基づいた『法華経』の奥義を付与されます。因みに道邃の師は中国天台の中興の祖である湛然です。湛然は智顗の「天台三大部」に詳細な注釈をほどこしています。また、かの地で書写等により日本にもたらされた典籍は『伝教大師将来台州録』にリストアップされ、法華部、止観部、禅門部、維摩部、涅槃部等、百二十部三百四十五巻になります。

 さて「は大乗菩薩戒の相承です。天台法華宗の相承にひきつづき、同年に師の道邃より「円教の菩薩戒」を受けます。『内証仏法相承血脈譜』は次のように記します。

 大唐貞元三十一年歳(八〇五)春三月二日初夜二更亥の時、台州臨海県龍興寺西廂の極楽浄土院において、天台の第七伝法の道邃和上を奉請し、最澄、義真等、大唐の沙門二十七人とともに、円教の菩薩戒を受く。 (『伝教大師全集』一・二三六頁)

 ここに最澄とともに名前が見える義真は、日本から同行した通訳の僧です。最澄はすでに日本において正規の作法により東大寺で具足戒を受けていますが、中国でそれに加えて大乗菩薩戒を受けたのです。大乗菩薩戒としての『梵網経』の菩薩戒は、天台の智顗が最初に注目して以来、中国僧は徐々に具足戒を基本としながら大乗菩薩戒をも受戒するようになります。最澄もこれにならったのですが、ここでは円教の菩薩戒とあります。

 円教の菩薩戒とは『梵網経』の菩薩戒、すなわち十重四十八軽戒のことです。道邃の師の湛然は梵網戒は円戒であるとし、円教の菩薩が受持すべき戒と言っています。また智顗にも円教の菩薩の戒の意味がくみとれます。また円教とは大乗仏教の最高最上の教えのことで、具体的には『法華経』を言います。そしてその『法華経』の真髄をさとるのが円教の菩薩です。このことはすでに平成二十四年度版本書の「授戒編2」で述べたとおりです。また湛然には梵網戒の授戒作法を著した『授菩薩戒儀』(通称『十二門戒儀』)がありますから、弟子の道邃も当然これによって最澄に円教の菩薩戒を授けたと思われます。

 なお『血脈譜』の天台法華宗相承には久遠実成
くおんじつじょう
の多宝塔中の釈尊から直々に南岳慧思
なんがくえし
(五一五‐五七七)と弟子の智顗に『法華経』が説かれたとあります。智顗の伝記に、慧思が法華三昧を得て霊鷲山における釈尊の『法華経』の説法を直々に聴聞し、智顗も同様であったと記されていますが、これもふまえての天台法華宗の相承です

 さらに天台円教菩薩戒相承には最澄自身独自の内証とも言える相承が見られます。梵網戒は蓮華台蔵世界の盧遮那仏が閻浮提
えんぶだい
の釈尊に伝えたものですが、智顗の『菩薩戒義疏』には盧遮那仏から釈尊、そして弥勒等の二十余の菩薩への相承が述べられています。最澄はこれに加えて、慧思と智顗は蓮華台蔵世界の赫々天光師子座上の盧遮那仏から直々に相承したことを記しています。

 つまり天台法華宗相承も、円教菩薩戒相承も、ともに慧思と智顗が仏から直々に相承したとすることです。また天台法華宗は天台円教菩薩戒があってはじめてその存在意義が生まれるものですから、は表裏一体の関係でもあります最澄はおそらく天台円教の菩薩戒が仏からの直授であることを強調することで、大乗菩薩戒を授ける戒壇の建立の必要性をアピールしたのだと思います。

(ⅱ)小乗戒の棄捨と大乗戒壇の建立

 最澄は入唐した翌年の延暦二十四年(八〇五)、遣唐使船にて帰国します。そしてその翌年に天台法華宗の年分度者二名の勅許がおります。年分度者とは、各宗ごとに一年間に得度できる定員のことです。この年には華厳宗二名、律宗二名、三論宗三名、法相宗三名であり、これに加えて天台法華宗は二名でした。したがって、当時は年間に得度可能な人数は各宗合わせて十二人だったことになります。さらに天台法華宗二名の内訳は、遮那業
しゃなごう
一名、止観業
しかんごう
一名でした。遮那業とは密教の『大日経』を学業とすること、止観業とは天台の『摩訶止観』を学業とすることで、天台宗は天台教学と密教の抱き合わせで認められました。これについてはさまざまな見解がありますが、空海の帰国直前にあって、南都六宗にはない新しい仏教、つまり天台と密教が最澄によってもたらされたのは事実です。

 さて大乗菩薩戒という視点から見ると、最澄にとって転機となったのは、弘仁九年(八一八)です。最澄の伝記『叡山大師伝』によれば、

 今より以後、声聞の利益を受けず、永く小乗の威儀に
そむ
くべし。即ち自ら誓願して二百五十戒を棄捨し已れり。
 (『伝教大師全集』五・三二‐三三頁)

と誓って、小乗戒を棄捨したと言われます。ここに言う小乗戒とは、最澄がかつて二十歳のときに東大寺の戒壇院で受けた具足戒(二百五十戒)のことです。東大寺での具足戒の受戒は、天平の時代の鑑真に始まり、出家得度して修行を積んだものが一人前の僧となるときの義務でした。具足戒が小乗戒であるという意識はインドにはなく、中国にも多少の意識はありましたが、中国の出家僧は当然として具足戒を受持しました。だからこそ鑑真の来日もあったのですが、最澄は、具足戒は小乗仏教の戒であり、大乗仏教の日本にはふさわしくないとして、これを棄捨したのです。

 天台宗は毎年二名の年分度者が認められましたが、彼らが修行を積んで一人前の僧として認められるには、東大寺での具足戒の受戒が必要でした。最澄は中国で天台円教菩薩戒を相承したのですが、自らが比叡山で育成した修行僧に大乗菩薩戒を受けさせて、一人前の僧として世に送り出すことはできなかったのです

 最澄が小乗戒を棄捨するにあたっては、そこに至るさまざまな事情があったようですが、最澄の基本的な考えは、比叡山における僧侶養成とは、大乗仏教の国にふさわしい菩薩を養成し、国家に有為な一人前の菩薩を誕生させて世に送り出すことでした。それには具足戒ではなく大乗菩薩戒が必要でした。また前述のように、天台法華宗と天台円教菩薩戒は表裏一体なのですから、天台法華宗の設立が認められたのであれば、大乗菩薩戒である円教の菩薩戒を授けるための戒壇の建立が認められなければならないことになります。最澄はとにかく比叡山の中に大乗戒壇を建立し、自前で育成した修行僧を大乗菩薩戒の授戒のみで、国が認める僧として誕生させたかったのです。

 最澄はそのために、一連の『山家
さんげ学生式
がくしょうしき
』と称されるものを国に提出します。「山家」とは比叡山のことで、「学生」とはそこでの修行僧のことです。
この動きは最澄、五十三歳のときです。

  弘仁九年(八一八)
    三月 小乗戒棄捨の宣言
    五月 『天台法華宗年分学生式』(六条式)
       『天台法華院得業学生式』
    八月 『勧奨天台宗年分度者学生式』(八条式)

  弘仁十年(八一九)
    三月 『天台法華宗年分度者回小向大式』(四条式)
       『顕戒論』三巻 

 年分度の学生は比叡山で独自に大乗菩薩戒の受戒ができるようにしたいという主張で、これによって国が認める戒牒を出し、以後、十二年間の籠山
ろうざん
修行をさせる内容です。
この主張は従来の僧制に変更を迫るものでしたから、僧綱をはじめ奈良の仏教界がこぞって反対したため、認可はされませんでした。

 弘仁十三年(八二二)、国の認可が下されないまま最澄は生涯を閉じます。五十七歳でした。しかし弟子たちは懸命に朝廷と折衝をつづけ、滅後七日にして最澄の生涯の願いが実現します。大乗菩薩戒による得度受戒の制が勅許されたのです。その翌年、新制による大乗菩薩戒による授戒会が一乗止観院で行われました。