菩薩戒と摩訶止観ー慈雲と天台思想の関係をめぐってー秋山 学 著転記

 さ て, 以下『摩訶止観』 の検討に入る 前に, そ の前提と して『妙法蓮華経』をめぐる 智顗の思想を確認しておかねばならない。

○教門と 観門
 智顗は, 竜樹著『中論』 (鳩摩羅什訳) の縁起説に基づき 天台固有の「三諦」説を展開した. 上掲の「天台三大部」 のう ち , 『法華玄義』 は法華経の経題を解釈したも の, 『法華文句』 は法華経の文・ 句に註釈を施したも の, 『摩訶止観』は法華経の実践法を記したも のである . かく してこ の三大部により , 天台宗の教門(教理) と 観門(観法, 修行法) が明ら かにさ れた. 『摩訶止観』 は, 智顗が荊州の玉泉寺で講説したも のを, 第2 祖であ る 章安灌頂(561 - 632) が聴記し, 後に整理したも のである。

 こ のよう に, 『摩訶止観』 は『妙法蓮華経』 そ のも のを実践する ための方法を述べ明かした著作である . 『妙法蓮華経』 から 『摩訶止観』 に読み進むと き ,内容的に, なぜ後者が前者の実践法である と いえる のか, 当初はいぶかしみたく なる のが自然かと 思われる が, その当惑が次第に納得へと 変容してゆく のが不思議なと こ ろである .

○五時八教
天台智顗による 教相判釈を表す表現である . 五時と は, 釈尊一代の説法を華厳時(乳味:「華厳経」) , 鹿苑時(酪味:「阿含経」) , 方等時(生酥ショウソ味:「維摩経」「勝鬘経」) , 般若時(熟酥ジュクソ味:「般若経」) , 法華涅槃時醍醐味:「法華経」「涅槃経」) に分けたも のである . 智顗はそれら を, 教えの形式から 頓教(「華厳経」) , 漸教(「阿含経」「方等経」「般若経」) , 秘密教, 不定フジョウ教の「化儀四教」 に配しまた教理の面から解体して三蔵教小乗) , 通教(基礎的大乗仏教) , 別教(高度な大乗仏教) , 円教(もっとも優れた完全な教え) の「化法四教」 を立てた こ のう ち 蔵教は小乗仏教を意味し, 声聞すなわち 四諦〔苦集道滅: ふつう 苦集滅道と さ れる が,『摩訶止観』 では一貫してこ の順序である 〕を聞いて悟り を得た人のための教えを指す. こ れは, 現象の世界において, 現象を実際に生じ, 滅する と 見る 考え方である . 次に通教は三乗に共通する 教えを意味し, 縁覚, すなわち 十二因縁〔無明・ 行・ 識・ 名色・ 六入(眼耳鼻舌身意)・触・ 受・ 愛・ 取・ 有・ 生・ 老死〕 によっ て悟り を開いた人のための教えで, 空観を明ら かにする こ れは, 生・ 滅が互いに縁起であり , 空である がゆえに生滅ではないと 見る 考え方である ま た別教は, ただ菩薩だけのための教えを意味し, 六度〔菩薩に課せら れる 実践徳目: 布施・ 持戒・ 忍辱・ 精進・ 禅定・ 智慧〕を修する こ と によっ て悟り を開いた人のための教えを指す. こ れは, 現象を真実の理性の現われと 説き ながら も , なお絶対善を予定する 考え方である . そして円教は, 蔵通別の教えを包摂する 最も 完全な教えを意味する . こ れは, 諸種の現象がそのま ま 中道で, 諸法実相そのも のだと みる「無作」 の立場であり ,「煩悩即菩提」「生死即涅槃」 などの考え方がこ の立場を表すも のである

○二処三会
 さ て, 『妙法蓮華経』 の初め十四品を迹門後の十四品を本門と する こ と は,その力点の置き 方の相違こ そあれ, 天台大師・ 伝教大師最澄ある いはその後継者を自認した日蓮(1222 - 1282) において広く 行われてき たと こ ろである が,本稿で特に注目したいのは『妙法蓮華経』 を「二処三会」 に分割する 観点である . 『法華経』 は, 行われる 説法の場所によ り , 全編が前霊山会, 虚空会, 後霊山会の「二処三会」 に分かたれる . こ のう ち 虚空会と は見宝塔品第 11 から嘱累品第 22 ま でを指す.

 序品に続き , ま ずすべての衆生を平等に成仏さ せる 一仏乗が説かれ〔方便品第2 -授学無学人記品第 9〕 , 次いで釈尊滅後の『法華経』 の受持・ 弘通の主体者が地涌の菩薩であ る こ と が説かれ〔法師品第 10 -従地涌出品第 15〕 , さら に釈尊のも つ永遠の生命が説かれ〔如来寿量品第 16〕 , そ れを 信受する 者の功徳が説かれ〔分別功徳品第 17 -法師功徳品第 19〕 , 地涌の菩薩と そ の他すべての菩薩に『法華経』 が付嘱さ れる 〔常不軽菩薩品第 20 -嘱累品第 22〕以上が「前霊山会」 およ び「虚空会」 ま での内容であ り , 『法華経』 の主たる内容は, こ の「虚空会」 ま でで尽く さ れている と さ れる . こ れに続く 薬王菩薩本事品第 23 から 普賢菩薩勧発品第 28 ま での残り 6 品が後霊山会である .

<参考情報>

 法華経は28品で構成されている。品は「ほん」と読む。ただし28品であることにはそれほどの意味がない。あれこれ書き換えや着替えをして入念に仕上げてみたらこうなったというものだ

 次のようになっている。ふつうは「序品第一」「方便品第二」「薬草喩品第五」というふうに示すのが日本の仏教学の慣習になってはいるが、上記でもそうしてきたように、わかりやすく算用数字をあてた。

 1「序品」、2「方便品」、3「譬喩品」、4「信解品」、5「薬草喩品」、6「授記品」、7「化城喩品」、8「五百弟子受記品」、9「授学無学人記品」、10「法師品」、11「見宝塔品」、12「提婆達多品」、13「勧持品」、14「安楽行品」、15「従地湧出品」、16「如来寿量品」、17「分別功徳品」、18「随喜功徳品」、19「法師功徳品」、20「常不軽菩薩品」、21「如来神力品」、22「嘱累品」、23「薬王菩薩本事品」、24「妙音菩薩品」、25「観世音菩薩普門品」、26「陀羅尼品」、27「妙荘厳王本事品」、28「普賢菩薩勧発品」。

 この構成が大きくは前半と後半に巧みに分かれるのである。前半の1~14品までを「迹門」(しゃくもん)、後半の15「従地湧出品」からを「本門」(ほんもん)というのだが、ここに法華経の最も特徴的な構造があらわれる。図解をすると次のようになる。

法華経の構成

出典:サブタイトル/梵漢和対照・現代語訳 法華経 [訳]植木雅俊~松岡正剛の千夜千冊より転記~ 

「虚空会」 に置かれる 品のう ち , 最初の「見宝塔品第 11」 では, 七宝の大宝塔が地より 湧出して虚空に懸かり , その塔中から , 舎利身と なっ た多宝仏が「釈迦牟尼世尊の説く 所は皆是真実である 」 と 述べて迹門の所説を真実である と 証明する . それと と も に, 大楽説菩薩が多宝仏を拝したいと 願い出たのを転機に,釈尊の十方分身諸仏の招集が行われ, 娑婆世界が清浄と なる ばかり でなく , 八方に清浄世界が拡張さ れ, 多宝仏塔が開かれて多宝仏の全身が示さ れる . さ らに, 釈尊が塔中に入っ て二仏並坐と なり , 大衆も ま た虚空に住し, 「虚空会」の説法が開始さ れる . 一方, 「虚空会」 が終了する 嘱累品第 22 においては, 多宝如来の塔を開く ために集めら れた釈尊の分身仏たち がそ れぞれ本国に帰り ,多宝如来の塔も その扉が閉ざさ れて帰還する こ と を勧めら れる .

こ の「虚空」 と 訳さ れる 原語はサンス ク リ ッ ト の ākāśa である が(本稿第9章で後述する ) , こ の語彙は, 大空と いう 空間と , 一種のエーテル(霊気) の性格を併せ兼ね備えており , 遍在しかつ微細である . 先に述べた蔵通別円・ 四教各々 の仏の座は, それぞれ草・ 天衣・ 七宝・ 虚空と さ れる が, その典拠は『摩訶止観』 巻9 下の記述に求めら れる . 「道場に四あ り . も し十二因縁の生滅を観じて究竟する は, すなわち 三蔵の仏の坐道場にして, 木樹の草の座なり . もし十二因縁の即空を観じて究竟する は, 通教の仏の坐道場にして, 七宝樹の天衣の座なり . も し十二因縁の仮名を観じて究竟する は, 別教の舎那仏の坐道場にして, 七宝の座なり . も し十二因縁のを観じて究竟する は, こ れ円教の毘盧遮那仏の坐道場にして, 虚空を座と なす」(岩波文庫版〔岩文〕 下 292 頁) .こ こ では草地に七宝の樹木が生えている 場面が想定さ れ, そこ に現れる 草・ 天衣・ 七宝・ 虚空が四教各々 の仏の座と さ れて, 円教における 仏の説法は虚空会に置かれる こ と になる . こ の点は, 『妙法蓮華経』 のみなら ず, 『摩訶止観』 ,ある いは『法華三昧』 などの懺法においても 通底する が, 本稿ではさ ら に, 菩薩戒の場も 「虚空界」 に置かれる こ と に注目しよう と 試みる も のである

○三身四土
 「仏国土」(buddha-kṣetra) については, すでに上掲の「二処三会」 でも 若干触れたが, こ れは菩薩の誓願と 修行によっ て建てら れた仏の国, 仏陀が住む世界を指す語彙である . 諸経典に説かれている 仏国土はさ ま ざま であり , 阿弥陀如来の国土である 西方極楽浄土, 東方の薬師如来の住ま う 浄瑠璃世界などを含むが, それら は総称して「十方浄土」 と 呼ばれる . 一方, 仏国土論と 密接な関連を有する も のに「仏身論」 がある . 天台の理解による 仏身論の基本は, 法身・ 報身・ 応身, ある いは毘盧遮那・ 盧舎那・ 釈迦と いう 三身説であり法身=毘盧遮那, 報身=盧舎那, 応身=釈迦と いう 三仏が即一である と する 「三身即一」 が強調さ れる . 智顗はこ の仏身論に, 独自の解釈である 「四土」 論を重ねる . 「四土」 と は, 凡聖同居土〔染浄土〕 , 方便有余土〔方便土; 阿羅漢, 辟支仏, 地前の菩薩の所居の土〕 , 実報無障碍土〔初地以上の菩薩の所居の土〕 ,常寂光土〔妙覚所居の土〕 を指す. いま , 菩薩戒の際の戒本尊を考えてみる と ,戒壇の本尊と して掲げら れる 画像の釈迦牟尼如来は応身の姿である が, 久遠来の修行に酬報して覚悟したのである から 報身仏であり , 覚悟する と こ ろは法性である から 法身仏である . したがっ て釈迦牟尼仏は応身の相であり ながら 三身即一の応身仏であり , 結局一身即三身と なる と さ れる。

 智顗の著述『法華玄義』 巻7 上の最初には, 円教の仏すなわち 毘盧遮那が虚空を座と しつつも , 「三仏相即」 である こ と が説かれている . 「或いは言く , 道場に虚空を以て座と 為し, 一成一切成なり . 毘盧遮那は一切処に遍じ, 舎那・釈迦の成も 亦, 一切処に遍ず. 三仏具足して欠滅有る こ と なく , 三仏相即して一異有る こ と なし」(大正蔵 33, 766 頁下) 12. そして上述のよう に,『摩訶止観』にも 仏の座に関してこ れと 同趣旨の記述が認めら れた. さ ら に智顗は「四土」について, 最晩年の『維摩経義疏』 巻一において次のよ う に述べている . 「此の四国は, 前二国は並びに是れ応にして応仏の所居なり . 第三の土は亦応亦報にして報仏〔※大久保良峻師の提唱する 読みに従う 〕 の所居なり . 最後の一土は, 但是れ真浄にして応に非ず報に非ず, 是れ法身仏の所居なり 」(続蔵 1 -27, 432 丁) . ま たそれに続く 箇所には「常寂光土は玅覚極智の照ら す所の如し」(同 433 丁右下) と ある . 本稿では, 三仏が相即して座と する のは虚空界であり ,それが「常寂光土」 に他なら ないと いう 点に, 特に注目してみたい

 かく して本稿は, 天台円頓思想の中心をその「虚空会観」 に置く も のであるが, 渡辺照宏氏は『妙法蓮華経』 そのも のの中心思想を, そのス ト ゥ ーパ信仰,すなわち 「見宝塔品」 を中心と する 一連の段のう ち に見出している 13. こ の点は注目さ れてよいであろう .

3.『摩訶止観』の円頓止観思想

 次に, 『摩訶止観』 に見ら れる 天台固有の思想を見る こ と にしよう . 『摩訶止観』 は, 天台大師智顗の著述である が, 弟子の灌頂が筆記したも のである . 以下, 本稿における 『摩訶止観』 から の引用は, 関口真大師による 岩波文庫版の書き 下し文にしたがっ ておこ なう .

○一心三観
 「一心三観」 と は, 三観〔空観執われの心を破す 仮観: すべての現象が仮のも のながら 存在する こ と を 悟る 中観空かつ仮と 悟る 〕 を 一念のう ちに おさ めと っ て観ずる こ と を 言う . 上掲の別教が『菩薩瓔珞本業経』 (大正24,1014 中) に基づく 「次第の三観」 すなわち 従仮入空観・ 従空入仮観・ 中道第一義諦観の次第修行を行う のに対し, 円教では一心一念に三観が具足さ れると いう こ の「一心三観」 の観法をおこ なう . その根拠は, 円融三諦, すなわち空・ 仮・ 中の三諦が円融し, 即空即仮即中である と いう 理解に求めら れる . なお蔵教は析空観, 通教は体空観と も 言われる

○十如是
 諸法の実相が, 相・ 性・ 体・ 力・ 作・ 因・ 縁・ 果・ 報・ 本末究竟等の十範疇において知ら れる こ と を言う〔『妙法蓮華経』 方便品第二に出る . サンス ク リ ット 原典には見ら れず, 鳩摩羅什(344 - 413) が漢訳の際に補っ た一節であ るこ と はよ く 知ら れる が, 本稿ではこ れについては触れない〕 . 相と は外面的特徴, 性と は内面的特徴, 体と は実体, 力と は潜在的能力, 作と は顕在的な活動,因と は原因, 縁と は条件・ 間接的原因, 果と は結果, 報と は果報・ 間接的結果,本末究竟等と は相から 報に至る ま での 9 つの事柄が究極的に無差別平等であるこ と を意味する