南都仏教(学問仏教)は知のワンダーランド「法相宗と華厳宗の世界観」~荒木重雄(元桜美林大学教授)仏教に親しむシリーズ転記~

出典:https://www.youtube.com/watch?v=84Yzp_IUVsc

使用テキスト:『日本の仏教とお経』廣澤隆之 監修(青春出版社 青春新書版) 

飛鳥・奈良時代の仏教―律令国家大成のもとで庇護された護国仏教

仏教を受け入れるにあたっての態度世俗的生活のうちにおいて絶対の真理を体得すべきこと

聖徳太子が世俗生活を肯定する立場で選定した三教とその「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」

聖徳太子の「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」とは、

①勝鬘経(しょうまんぎょう)

②維摩経(ゆいまぎょう)

③法華経(ほっけきょう)

⇒とに対する注釈であるが、数多い仏教の諸経論のなかからとくにこの三経が選ばれたということは、

まったく日本人的な思惟方法にもとづいてされたことである。

①勝鬘経(しょうまんぎょう)は、

国王の妃であり在俗信者でもある勝鬘夫人が釈尊の旨を受けて教えを説いたものであり、

②維摩経(ゆいまぎょう)は、

在俗信者(資産家)である維摩居士が逆に出家修行者たちに対して教えを説くという戯曲的構想のもとに、在俗生活のうちにおける真理の体得を教えている。

③法華経(ほっけきょう)によれば、

仏の教えに帰依するいっさいの衆生が救われるということになっている

⇒太子自身も終生一個の在俗信者であった。太子みずから「仏子勝鬘」と称したことが伝えられている。

ゆえに聖徳太子の意図は、

世俗生活のままで具体的な人間結合関係のうちにおいて仏教の理想を実現しようとするほうに重点が置かれていたのである

聖徳太子の「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を通じて見ると

日常生活の上の個々の実践的行為に絶対的な意義を見いだそうとしている

人間結合関係における活動を重視するゆえに

ひとたび仏教的反省を経たならば

汚濁苦悩の世界がそのまま楽しみの境地となる。

「物(もつ)<衆生>を(教)化せんとするのがゆえに

生死(しょうじ)を観(み)ること国のごとし」。

生死輪廻(しょうじりんね)の世界において実行するところのあらゆる善が

やがては人びとをして仏の位にいたらしめる原因となる。

「無量の万善(まんぜん)は同じく成仏(じょうぶつ)に帰す」

⇒ここで注目すべきは、宗教的な究極の境地は、

人間を超越した神的存在によって授けられるのではなく

人間結合関係における実践を通じて実現されるのである

「仏としての果(報)は万(よろず)の善によって起こる」

大乗仏教においては利他行を強調するが

聖徳太子はとくにこの点を強調し

仏や菩薩たる者は、一切衆生を供養すべきであると考えた

⇒そのため、ときには経典の文句に対して無理な解釈を施してある

・法華経の経文では

「常に座禅を好んで閏(しず)かなるところにあって、その心を修摂(しゅしょう)せよ」と一般に読み下されており、諸注釈書もそのように解釈している。

⇒ところが「法華義疏では

常に座禅を好む小乗の禅師に親近するな。・・・その意味は、間違った(顚倒した)分別の心があるから、世の中を捨てて、かの山間に入り、常に座禅を好む」ことは、親近してはならない境に入れるべきである」としるされている

聖徳太子(574年~622年)は、「聖」と「俗」を区別する考えはなく、

世にあって仏教の理想の実現する道をくりかえし説いている

ここに聖徳太子の仏教の受容と普及における社会への積極的な姿勢を見ることができる

⇒つまり、「法華経(ほっけきょう)では

⇒「常に座禅を行え」と勧めているのに、

聖徳太子はその文書を

「常に座禅を行うような人に近づいてはならぬ」という意味に改めている

その趣意は、つねに座禅ばかり行っていたのでは利他行が実践できないからというのである

■仏教思想にもとづく政治の実践

◆一定の方針に従って、独自の見識にもとづいて選び講義した聖徳太子の『三経義疏

世俗生活を肯定する立場で選定した三経

三つの経典の意義を解説した書物で、日本風漢文で書かれているので、日本人が書いたもに違いない。

おそらく今残っている日本の本の中でいちばん古いものである。

日本の古典というと「古事記」とか「日本書記」をいうが、まとめられたのは奈良時代になってからである。

聖徳太子が書いた「三経義疏」はそれ以前のもであるから、非常に古く、日本最古の古典である。

注)義疏とは:伝統的な中国文化において、経典の本文(または注釈を含む)の内容を詳細に解説した書物を指す。「義」は意義を示し、「疏」は疏通の意味。経義を疏通することを目的としている。

 尚、「疏通」は、直訳すると「通じること」を意味する。一般的には、コミュニケーションや理解が円滑に行われることを指す。 例えば、人々が意見を交換し、理解し合うプロセスは疏通の一例。

・三つの経典の解説書

①勝鬘経(しょうまんぎょう)義疏(ぎしよ)

維摩経(ゆいまぎょう)義疏(ぎしよ)

③法華経義疏(ほっけきょうぎしよ)

■勝鬘経(しょうまんぎょう)義疏(ぎしよ)

・如来蔵:tathāgata-garbha:タターガタ・ガルバ

⇒聖徳太子は人間の現実を成立せしめる根底として「勝鬘経(しょうまんぎょう)」の説く「如来蔵」の概念を採用し想定していた

如来蔵は如来の母胎という意味である。

生きとして生けるものは、いつかは如来すなわち仏となりうるものであるが、

⇒しかし煩悩の汚れにまつわられていて、仏となりうる本性が現れていない。

⇒だが仏となりうる可能性を否定することはできない。

汚れにまつわられている状態のうちにある真実そのもの<在纒位(ざいでんい)の法身(ほつしん)>を「如来蔵」と呼ぶ

⇒これは「勝鬘経(しょうまんぎょう)」その他の経典に説くところであるが、

聖徳太子は、この概念を自分の思想の根幹にすえたのである

注)勝鬘経(しょうまんぎょう):仏教における中期大乗仏教の経典であり、勝鬘とは国王の妃の名である勝鬘夫人という在家の女性信者が仏教の教えを説くのを釈尊が横で聞いて、「その通りだ、その通りだ」と言って承認されたという筋書きである。

一乗真実と如来蔵の法身が説かれている。

これも仏典として、世界の宗教史上においても珍しいことであり、在家の女性が教えを説いたものが経典として伝えられるというこは、歴史的事実であったかどうかわからないにしても驚くべきである

この概念が述べられている一節を原文の漢文の書き下し

⇒生死は即ち是れ顚倒(てんとう)なり、如来蔵即ち是れ真実なり。

⇒今ま一切衆生に皆な真実の性有(あ)るを明かす。

⇒もしこの性が無くんば、即ち一化便(すなわ)ち尽きて草木と殊ならず。

⇒この性が有るに由(よ)るが故に、相続し断ぜずして終(つい)に大明を得(とく)す。

⇒故に生死は如来蔵に依(よ)ると云う。

⇒この中の如来蔵は、

もし理を正因と為(な)さば、皆な理を如来蔵と為し、

若(も)し神明を正因と為(な)さば、皆な当(来)の果を如来蔵と為す。

上記を現代語に直す

⇒「生死」というのは、真実を不真実と見る逆さまの見解たる顚倒(転倒)であり、

「如来蔵」というのは、まさに真実そのものである。

いまここでは、すべての生けるものたちはみな真実という本性をもっていることを明らかにしている。

⇒もしも人びとにこのような本性がなかったならば、

⇒人間としての迷いの生存がひとたび尽きてしまうと、草木となんら異なるところがないものになる。

このような本性があるからこそ、それがずっとつづいて、ついには最高のさとりを得ることができるのである

だから「生死は如来蔵に依る」というのである。

⇒このうちの「如来蔵」というのは

もしも普遍的な真理である道理そのものをさとりの正しい原因とするならば、

すべてその道理自体が如来蔵であり、

もしも人びとの心をさとりの正しい原因とするならば、

その心によって報われた結果が如来蔵である。

如来蔵の本体は仏そのものである

⇒大乗仏教一般の見解によると、仏には三つの身体がある。

①法身(ほつしん:仏そのもの)。これはすがたや形をもたず、不可説である。

②報身(ほうじん:仏としての果報、すなわちあらゆる美徳を享受する身体)。これは円満な相好(そうごう)を具有する。

③応身(おうじん)または化身(けしん)。衆生を導くために仮にすがたを現した仏の身体。

⇒法身はいかなるはたらきをも起こすことなく、不可説であり、静止していて、仏の応身または化身が衆生を救うというはたらきをするのである。

法身(ほつしん:仏そのもの)について、聖徳太子は次のようにいう

法身そのものは生ずることはないが、しかしただ衆生を導こうと欲するがゆえに、やはり生を受けるすがたを現ずる。(勝鬘経義疏)

法身そのものがはたらきを起こすのである

根源的なものは静止しているのではなくて、流動的なのである。

■聖徳太子は、実践の目標についていう

さとりを得る因としての行いは種々に異なっているけれども

体得する結果は「法身」というただ一つの結果である。(勝鬘経義疏)

これも仏教一般の見解とは異なっている

・大乗仏教一般によると、

修行の結果到達するものは仏の報身である。

報身としては修行の果報として得られる身体で、あらゆる美徳をそなえていて

法身とは異なっている

法身はすがたを離れたものである

・太子によると

仏道の実践はわれわれを究極的なものに到達せしめるものである。

出典:サブタイトル/聖徳太子(地球志向的視点から)~④万巻の経典から選んだ三経とその解説書(三経義疏)~中村元著より転記

<参考情報>

出典:サブタイトル/空海の死生観-生の始めと死の終わり-(土居先生講演より転記:仏陀と大乗仏教&密教の見取り図)

維摩経(ゆいまぎょう)義疏(ぎしよ)

維摩(ゆいまぎょう):Vimala-kirti:ビィラマラ・キールティという長者(富貴の人)を主題とした経典である。

ビィマラとは「穢れがない」、キールティとは「誉れ」という意味で、

⇒「穢れがなき誉れ」という意味で、その音を写して維摩という

⇒「維摩経」のテーマはこうである。

⇒釈尊の弟子たちが維摩のところに行くと、いろいろ質問されてやっけられる。

⇒そして自分の至らぬことを悟らされる。

⇒最後に維摩が本当の教えを説く。

⇒そして、最後のぎりぎりの境地まで達すると、

黙然無言(もくねんむごん)であったというのである

⇒文殊菩薩は最高の真理というのは言葉では説かれないもので、「文字もなく説もなし」という。

⇒そして維摩さん、あなたはどう考えですかといって促すと、

⇒維摩はただじっと座って黙然無言であった。

文殊は「言葉にはいえない」ということを言葉に出していってしました

ところが維摩は身をもって体現している。無言の行を行っている。

⇒「話してはいけない」といったとすると、これはも無言を破ってしまったことになる。

⇒維摩はこの無言を実践して、

⇒絶対の真理というものは概念化を超えたところにあるもので

対立の彼方にあるということを表現しているのである。

・対立を超えたということになると

⇒世俗の世界の外に宗教があるとすると、もうそこに対立を認めたことになる。

⇒世俗と宗教、俗なるものと聖なるものと対することになる。

対立していることにおいて、宗教的な聖なるものは絶体ではない

⇒もしも本当の絶対であるならばすべてを含んだものでなければならない。

⇒すると宗教の真理の境地というものは世俗の彼方にあるものではなく、

⇒われわれが毎日起きて顔を洗い、ご飯をいただき、茶を喫し、歩いて出かける、

この平凡な日常生活の中に偉大な真理があるわけで、

それを超えたところに宗教の境地があると思ってはならない

だから、維摩居士は世俗の長者なのである。出家した僧ではない

・普通であると、僧が信者に向かって教えを説くのであるが、

⇒「維摩経」のテーマはまったく逆である。

⇒その筋書は、世俗人である維摩が、

⇒出家者である僧たちに教えを説いて聞かせるということである。

これは世俗の宗教、在家仏教の主張である

⇒聖徳太子は、ここに思いを馳せた。

⇒聖徳太子の生涯を見ると、太子は出家した僧ではなく、あくまでも世俗の政治家として天皇を補佐したのである。

⇒その理論的根拠がここにある。

・十七条憲法における維摩経義疏との関係

⇒「維摩経義疏」のなかの「仏国品」のに、

⇒「万善これ浄土の因なることを明かす中に凡(およ)そ十七事あり」(万善がすべてさとりにいたる原因であることを明かすなかに十七の善行がる)とある一説に姉崎正治氏は注目し、

⇒この十七事と十七条の関係を強調して、聖徳太子が我が国に仏教の思想をひろめようとした意図の所産として、十七条を考えている。

「維摩経」

・(一説によると)紀元前二世紀から1世紀前半に成立を見た「般若経」の思想を受けてはぼ紀元後二世紀ごろまでにインドで成立した。

⇒この経典のサンスクリット語原文は他の典籍に引用されている断片のはかは散佚(さんいつ)して現存せず、

⇒外国語訳には漢訳三本(支謙(しけん)訳、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳、玄奘訳)、チベット訳一本(チョエニッルチム訳)が残っている。

⇒とくに鳩摩羅什の漢訳した「維摩詰所説経(ゆいまきっしょうせつきょう)」は名訳の誉れ高く、過去のシナ・日本の伝統的文化に大きな影響を与えた。

・「維摩経」の趣旨は、

大乗仏教の精神を日常生活の中に生かすことを主張しており、戯曲的構成の妙をもって知られている。

⇒大乗仏教の根本思想である「空観」によると、

輪廻(現実)と涅槃(理想)はなんら異なるものではないと教えている。

⇒理想の境界はわれわれの迷いの日常生活と離れては存在しなし、

⇒空の実践としての慈悲行は行動を通じて実現される。

この立場が徹底されて、ついに出家生活を否定して、

在家の世俗生活のうちに仏教の理想を実現しょとする宗教運動が起こったが、

⇒その所産の代表的経典が「維摩経」であり、「勝鬘経」なのである。

■法華経義疏(ほっけきょうぎしよ)

法華経とは、アジアの至る所で尊崇されている経典

⇒南アジアは伝統的保守的仏教の国、いわゆる小乗仏教(上座部仏教)の国であるから違うが、

その他のネパール、チベット、蒙古、シナ、朝鮮、日本という国々では「法華経」は尊崇されている。

聖徳太子から始まり、最澄、日蓮、今日のいわゆる新興宗教とつながっている。

注)「法華経」

  1. 成立と特徴:
    • 大乗仏教の初期に成立した経典であり、法華経絶対主義、法華経至上主義が貫かれている。
    • 28章から成り立っており、あらゆる仏教のエッセンスが凝縮されています
  2. 名前の意味:
    • 梵語での原題は『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』で、「正しい・法・白蓮・経」という意味。
    • 「白蓮華のように最も優れた正しい教え」とも訳される。
  3. 内容:
    • 法華経は、人々が平等に成仏できるという新しい仏教思想を説いている
    • 菩薩(悟りへの修行者)や如来(悟りを得た人)の存在が描かれており、密教にも影響を与えた。

・これは何を頼りしているかというと

⇒ただひたすら「南無妙法蓮華経」を唱え、ここに日蓮の生命があると考えている。

⇒このように、「法華経」は現在に生きている教典である。

・聖徳太子(574年~622年)の「法華経」に対する捉え方

⇒シナの長水(ちょうずい)という学者が、その文句を少し書き変えて伝えたものに、

治生産業はみな実相に違背せざるを得」という有名な言葉がある

一切の生活の仕方、産業、これはみな仏法に背かない

どんな世俗の職業に従事していようとも、みな仏法を実現するためのもので

山の中にこもって一人自ら身を清うするのが仏法ではない

⇒聖徳太子はここだ!と思ったわけである。

⇒こういう考え方が、日本の仏教においては顕著に生きている。

出典:サブタイトル/聖徳太子(地球志向的視点から)~④万巻の経典から選んだ三経とその解説書(三経義疏)~中村元著より転記

法華経は

西暦紀元前後にインド西北で成立したサンスクリット語原本ののち、やがて昼は灼熱、夜は厳寒の砂漠や埃まみれのシルクロードをへて、ホータンやクチャ(亀茲)に、そして長安に届いた。ここで法華経が漢訳されるとこれには中国的解釈が徹底して加えられ、東アジア社会の法華信仰の場に向かって大きく変貌していった

 法華経の漢訳にとりくんだ鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)は、344年にクチャに生まれた。父親はインド出身の高貴な出家者で、母親はクチャの国王の妹だった。幼少期から仏法の重要性を教えられて育った鳩摩羅什は、やがて自身でもカシュガルに出向いて小乗仏教を修め、さらにはサンスクリット本の初期大乗経典を読むようになった。

さて、この鳩摩羅什の法華経が一挙に広まるとその弟子の道生(どうしょう)はさっそく注釈書をあらわし、それを法雲がうけつぎ、さらに随の天台智顗が徹底的に分析を始めた『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』などが著述され(これを天台三大部という)、漢訳法華経にひそむ迹門・本門の構造がこのとき発見されたのだ。智顗はそのうえ、かなりハイパーロジカルな思索をもって、法華経こそが大乗仏教最高の経典であるとのお墨付きをつけた

 法華経の構成

 図で示してあるように、このうちの前半が「迹門」、後半が「本門」だ。そのほかいろいろ複雑な“幅タグ”がついているけれど、いまはこれらの区分けは無視しておかれたい。大事なことは全体が15「従地湧出品」のところで劇的に分かれるようになっているということだそのため16「如来寿量品」からが後半の本論になる。ブッダ存在学になる。

 こうすることによって、前半の迹門で説いたブッダは歴史的現実のブッダだが、後半の本門のブッダは理念的永遠のブッダだというふうになったそこがまことにうまくできている。これがもし詭弁的構成でないのなら、まさに超並列処理というものだ

一方、知られるように、日本の法華経信仰はまず聖徳太子に始まっているその『法華義疎は法雲の注釈からの引用が多い。ついで最澄による『法華秀句』が出て、さかんに法華八講や法華十講がおこなわれるようになると、ここに日本独特の法華美学のようなものが立ちあらわれてきた

出典:サブタイトル/梵漢和対照・現代語訳 法華経 [訳]植木雅俊~松岡正剛の千夜千冊より転記~

<参考情報>

出典:https://www3.pref.nara.jp/miryoku/narakikimanyo/secure/4309/syoutokutaishi.pdf

出典:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44138660U9A420C1000000/

■護国仏教を継承し、繁栄の頂点をもたらした聖武天皇

<参考情報>

仏教では本格的な僧尼になるためには、「自分は戒律を守ります」(持戒)という約束を果たさなければならず、そのための授戒を受けなければならない。「戒」(シーラ)は仏教三学の「戒・定・慧」の必須要件のひとつで、仏法に帰依する者の大前提のことだ。

具足戒はその戒の中の小乗戒で、200項目ほどの規則が示されている日本には請われて鑑真が具足戒をもたらし、東大寺にそのための戒壇院ができた

出典:サブタイトル/最澄と天台教団 木内堯央~松岡正剛の千夜千冊より転記~

<参考情報>

【Copilot回答】

◆奈良仏教の戒律(=具足戒)

Copilotの回答

奈良仏教における具足戒(ぐそくかい)とは、出家者が正式に僧伽(サンガ)の一員となるために受ける「比丘戒・比丘尼戒」のことであり、四分律を中心に 比丘は250戒、比丘尼は348戒 を守るべきとされた厳格な戒律体系のことです。

🧘‍♂️ 具足戒とは何か(奈良仏教の文脈)

奈良時代の日本仏教は 律令国家の保護のもと、戒律を重視する「南都六宗」 が中心でした。 その根幹にあったのが 具足戒=比丘戒(声聞戒) です。

  • 原語:upasampadā(ウパサンパダー)=「成就・到達」 → 正式に出家者として認められる資格を得ることを意味する。
  • 内容:出家者が守るべき生活規範(波羅提木叉) → 比丘250戒、比丘尼348戒(四分律)
  • 性質:破れば追放となる重罪(波羅夷)から細則まで、極めて詳細。

奈良仏教では、これらの戒を守ることが 僧侶としての正統性の条件 でした

🏯 奈良時代における具足戒の歴史的役割

1. 鑑真の来日と「正式な戒壇」の成立

奈良時代以前の日本には正式な戒壇がなく、私度僧(勝手に出家した者)が多かった。 そのため、唐から 鑑真和上 を招き、754年に東大寺に戒壇が設置され、初めて正式な具足戒が授けられた

2. 具足戒を受けるための厳格な儀式

具足戒は「三師七証」と呼ばれる厳格な儀式で授けられる。

  • 戒和上(和尚)
  • 羯磨阿闍梨
  • 教授阿闍梨
  • 立ち会う僧7名 → 計10名の僧侶が戒壇に揃うことが必須

この儀式を経て初めて「正式な僧」と認められた。

📜 具足戒の内容(奈良仏教で重視された戒)

具足戒は250〜348戒と膨大ですが、特に重視されたのは 四波羅夷(破れば即追放)

  • 婬戒:性行為の禁止
  • 盗戒:盗みの禁止
  • 殺戒:殺生の禁止
  • 妄語戒:嘘の禁止

奈良仏教ではこれらを破ることは僧としての資格を完全に失う重大な罪とされた。

🧩 具足戒の理解のズレ(奈良仏教と後代)

● インド仏教の本来の意味

具足戒=「僧伽に加入する資格を得ること」 → 戒そのものではなく「入団資格」だった。

● 中国・日本での理解

具足戒=「比丘戒そのもの」 → 戒律(規範)と入団資格が混同され、戒の総称として理解されるようになった。

奈良仏教は中国伝来の理解を踏襲しており、具足戒=比丘戒として扱われた。

🏯 奈良仏教における具足戒の意義

1. 僧侶の身分を国家が管理する制度的基盤

具足戒を受けた者だけが正式な僧侶として認められ、免税などの特権を得た。 → 国家と仏教の密接な関係を支える制度。

2. 戒律中心の仏教(南都六宗)の特徴

法相宗・三論宗・律宗などは戒律を重視し、具足戒は僧侶の根本規範だった

3. 後の日本仏教との断絶

平安時代に最澄が具足戒声聞戒ではなく菩薩戒のみで出家できる」と主張し、比叡山に大乗戒壇を設置。 → 奈良仏教の戒律中心主義から大乗的倫理中心主義への転換点となった

🧭 まとめ

  • 具足戒=比丘戒・比丘尼戒(声聞戒)
  • 奈良仏教ではこれを守ることが僧侶の絶対条件
  • 鑑真によって正式な戒壇が成立
  • 四波羅夷を中心とする厳格な戒律体系
  • 後代の日本仏教では菩薩戒が主流となり具足戒は律宗などにのみ残存

出典:Copilot

■学問仏教として成立した南都六宗

・僧侶は

一つの特定の宗派に属していたわけではない

各宗にまたがって学ぶことができた

⇒これが「学問仏教」とよばれる所以

<参考情報>

■大乗仏教:中観学派(空の思想)、唯識学派(唯識思想)

出典:https://miraiecosharing1.com/pag

出典:サブタイトル/NN2-6-2.『中論』:『縁起』~アビダルマの縁起説~

<参考情報>

・龍樹(ナーガールジュナ)を大事にしている宗派

⇒三論宗、華厳宗、天台宗、真言宗

出典:サブタイトル/「龍樹菩薩の生涯とその教え(縁起=無自性=空=中道)」~2022年度 仏教講座⑪ 光明寺仏教講座『正信偈を読む』の転記~