NN2-5-5.『中論』:『論争の意義』~『中論』における否定の論理の歴史的脈絡~

■実念論思惟の排斥

・以上「八不」を中心として、

⇒『中論』におけるいわゆる「破邪」の論法の根本的態度を論じたのであるが、

⇒『中論』の論法が一見独断的であり、また詭弁を弄しているかのような印象を与えるにもかかわらず、

⇒その議論をしさいに考察すれば、それぞれ思想的意義をもっているものであることがわかる。

⇒その痛烈な論法は誤解を招きやすいが、

⇒『中論』はけっして従前の仏教のダルマ(法)の体系を否定し破壊したのではなくて、

⇒法を実有とみなす思惟を攻撃したのである。

⇒概念を否定したのではなくて、

⇒概念を超越的実在と解する傾向を排斥したのである。

⇒「であること」(essentia)を、より高き領域における「があること」(existentia)となして実体化を防いだのである。

⇒西洋中世哲学史における類例を引いてくるならば、

⇒実念論(realism、Begriffs realismus)的な思惟を排斥しているのである。

■中観派と経部

・次の問題として

⇒『中論』のこのような論法はどの系統から得られたものであるか、という歴史的脈絡を考えてみたい。

⇒全くナーガールジュナの独創であろうか。

⇒あるいは他派からの暗示を得たのであろうか。

⇒『中論』のある部分は疑いもなくナーガールジュナの独創であるにちがいない。

⇒しかしすべてがそうであるといえるであろうか。

⇒西洋の学者は経部と中観派とを唯名論者(Nominalist)と呼んでいる。

⇒両者が共に概念を超越的実在とみなす傾向に反対しているからである。

⇒そうだとすると両者の関係如何が問題となる。

⇒両者の論法に類似点の認められることはすでに部分的に言及したが、もっと著しい類似を発見したい。

・しかしこの問題を全体的に扱うにはいま余裕がないから、

⇒ここでは『中論』の中で当時の小乗仏教との関係が最も密接であるように思われる第七章(つくられたもの〔有為〕の考察)を扱い、

⇒また経部の思想を知るには『俱舎論』によることとする(前に言及したようにヤショーミトラに従って著者ヴァスバンドゥ(世親:インド仏教瑜伽行唯識学派の僧)の立場をひとます経部としておく)

⇒もちろん両者を同一平面上に置いて取扱うことはできないかもしれない。

⇒何となれば『俱舎論』においては、

⇒この問題に関してはもろもろの事象(つくられたもの〔有為〕のダルマ)は生・住・異・滅という四つの特質があるとと解する説一切有部の四相説が主として攻撃されているのに、

⇒『中論』においては生・住・滅の三相をとる説が論破されている(『十二門論』『大智度論』およびアーリヤでーヴァの『四百論』も同様に三相説を論破している)。

⇒また『俱舎論』は有部を相手としているが、

⇒『中論』の第七章が有部を攻撃しているかどうかは問題とされている。

⇒しかしながら有為相およびその付随的特質(隋相)を立てるという根本立場は同様である。

・四有為相と有部

・そこでここでの問題点はこうである。

⇒たとえば、われわれの身心が軽やかな気持(軽安:きょうあん)になることがある。

⇒その軽やかな気持というはたらき(ダルマ)が生起するやいやな、次の瞬間には消滅するけれども、細かく分けていうと、その間に、

⇒(1)生起し、(2)生起したその状態をたもち、(3)その状態が変化し、(4)消滅する、という四つの段階がある。

⇒それぞれの漢訳では(1)「生」、(2)「住」、(3)「異」、(4)「滅」とよぶ。

⇒これらは有為のダルマの無常の姿を示す特質であり、四有為相(しういそう)とよぶ。

⇒ところで説一切有部の教学によると、

⇒これら四つは独立の原理(ダルマ)であって、

⇒人に「軽やかな気持」が起きるときには、

⇒「生」という独立の実体としての原理がはたらくから、それが生ずるのである。

⇒それがとどまるのは「住」という原理がはたらくからで、

⇒またその軽やかな気持が変化すのは「異」という原理がはたらくからであり、

⇒またそれが消滅するのは「滅」という原理がはたらくからである。

・ところで「生」という原理が「軽やかな気持」にはたらいてそれを生ずるためには、

⇒「生生」(生を生起させるもの)という別の原理がはたらく。

⇒それを漢訳で「随相(ずいそう)」という。

⇒では、「生生」(生を生起させるもの)を生ぜしめる原理は何か、というと、

⇒もとの「生」という原理(本生)がはたらく。

⇒したがって無限遡及にはならない。

⇒「住」と「住住」、「異」と「異異」、「滅」と「滅滅」とのあいだにも同様の関係があるという。

⇒こういう見解をナーガールジュナは批判するのであるり、経部もまた批判していた。

⇒したがって『中論』および『俱舎論』においてこのような思想を攻撃する論法を比較することは無意味ではないと思う。

「大毘婆沙論」と「俱舎論」との対比

・さて、『中論』第七章の第一詩には、

⇒「もしも生ずること(生:しょう)が<つくられたもの>(有為)であるとするならば、

⇒そこ(すなわち生)には三つの特質(〔相〕、すなわち生、住、滅)が存在するであろう。

⇒もしもまた生がつくられたないもの(無為)であるならば、

⇒どうしてつくられたものをつくられたものとする特質(有為相)があろうか」とあるが、

⇒前半は「俱舎論」に

⇒「諸行の有為なることは、四つの本相(ほんそう)による。本相の有為なることは、四つの随相(ずいそう)による」あるのに対応し、

⇒後半は「大毘婆沙論」によると

⇒分別論者は、「四有為相は無為であり、性強盛であるが故に有為相でありうる」(三八巻、大正蔵、三七巻、198ページ)と説いていたと伝えられているから、あるいはこのような説にあたっているのかもしれない。

⇒第二詩は次のようにいう。

⇒「生などの三〔相:すなわち生、住、滅〕がそれぞれ異なったものであるならば、

⇒有為〔のもの〕の〔生・住・滅という〕特質をなすのに充分ではない。

⇒それらが合一するならばどうして同一時に同一のところにあることができるであろうか」

⇒「俱舎論」では主として後半が問題とされている。後半をピンガラの註釈では、

⇒「もしも〔それらが〕和合すとせば、それらは共に相違(矛盾せる)法なり。

⇒何んぞ〔同〕一時に俱(とも)にあらんや」というのみであるが、

⇒「俱舎論」をみると説一切有部が

⇒「もし有為なる色等の自性を離れて、生等の物(生起の原理などの実体)が有ることは、また何の非理かあらん」と反論しているのに対して、経部(上座部仏教の一派)はそれを論難して、

⇒「〔同〕一の法が〔同〕一時に、即ち生と住と衰異と、俱に有りと許すべきか」(「俱舎論」五巻、一六枚右ー左)と前置して、

⇒「また住等の三つの用(ゆう:はたらき)は俱に現在ならば、まさに一つの法の体が一つの刹那の中に、即ち安住と衰異と壊滅と有るべし。

⇒もしも時に住相が能(よ)くこの法を住せしめ、即時に異滅が能く衰壊せば、

⇒その時にこの法を安住と名づくとせんや。衰異と名づくとせんや。壊滅名づくとせんや」と論じ、

⇒また後の方では、

⇒「〔同〕一の法が〔同〕一時の中において亦(また)住し亦滅せば、正理(しょうり)に応せず」

⇒というからこの論法は『中論』と同じである。

・第三詩は次のようにいう。

⇒「もしも生・住・滅に、さらに〔それらを成立せしめたるための〕他の有為相があるならば、

⇒こういうわけで無限遡及(無窮:むぐう)となる。

⇒もしも〔これらの生・住・滅に、さらに他の有為相が〕存在しないならば、

⇒それら(生・住・滅)は有為ではないことになってしまう」

⇒この詩の前半と同じことを第一九詩の前半でもいう。

⇒「もしも他〔の<生>〕がこ〔の生〕を生ずるとするならば、そこで<生>は無限遡及となってしまう」

⇒この第三詩の前半や第一九詩の前半と同じ意味のことを、ヴァスバンドゥは「俱舎論」において論じている。

⇒「この生等の相は既に是れ有為なり、応(まさ)に更に別に生等の四相有るべし。

⇒もしもさらに相あらば、すなわち無窮(むぐう)を致すべし。かれに復(ま)た余の(他の)生等の相有るが故に」(五巻、一二枚左)

⇒また他のところでも、

⇒「豈(あ)に本相が、所相の法のごとく一々に応じ四種の隋相あるべく、これも復た各々四ならば、展転して無窮(むぐう)なるにあらざらんや」という。

・この議論はすでに「大毘婆沙論」に見えている(三九巻、大正蔵、二七巻、200ページ下)

⇒「問う、生相に復(ま)た余の(そのほかの)生相有りや、いやな。

⇒もししからば、何の失かあらん。

⇒もし有らば、これに復(ま)た余の(他の)〔生相〕有り、

⇒かくのごとくして、展転して応に無窮(むぐう)を成(じょう)すべし。

⇒もし無くば誰かこの生を生じて、しかし他の〔生を〕生ぜんや」

⇒「答う、応にこの説を作(な)すべし。生も復(ま)た生有り」

⇒「問う、もししからば、生相は応に無窮(むぐう)を成(じょう)すべし」

⇒無限遡及になりはしないか、という疑問に対して次のような返答がなされている。

⇒「〔一〕この説を作(な)すもの有り。この無窮(むぐう)を許すとも亦た過〕失有ること無し。

⇒三世寛博なるに豈に住する処無からんや。

⇒この因縁に由って生死(しょうじ)は断じ難く、破し難く、越え難し。

⇒また同一刹那の故に無窮(むぐう)の〔過〕失無し。

⇒〔二〕余師有りて説く。諸行の生ずる時に三法が俱(とも)に起こる。

⇒一には法、二には生、三には生生。この中にて生は能く〔過〕二法を生ず。

⇒謂(い)わく、法および生生なり、生生は唯だ一つの法を生ず、〔それは〕謂(い)わく生なり。

⇒この道理に由って、無窮(むぐう)〔過〕失無し」

⇒このように「大毘婆沙論」には二種の答えが述べられているが、そのうちで後者が「俱舎論」に採用され、また『中論』にも述べられている。

⇒「俱舎論」(五巻、一二枚左ー右)においても、

⇒「応に更に有りというべし。しかれども無窮(むぐう)には非ず。所以は何ぞ。頌にいわく。これに生生等有り。大と一とにおいて能く有り」という。

⇒すなわち生生が本生を生じ、本生が生生を生じるから、無限遡及(無窮:むぐう)の難点はありえないということを詳しく論じている。

・『中論』もこの議論を受けて第四詩において、

⇒「生を生起させるもの(生生)〔と称させらるる生〕はたんに生というもとの原理(本生)の生にすぎない。さらに本生は生生を生じる」という反対派の議論を紹介している。

⇒第一三詩では次のようにいう。

⇒「この未だ生ぜざる生がどうしてそれ自体を生ぜしめるであろうか。

⇒もしもすでに生じたものが生ぜしめるのだとすると、

⇒すでに生じたのにどうしてさらに生ぜられるであろうか」

⇒これと全く一致しているのではないが、類似した議論が「俱舎論」にみえている。

⇒「たとい未来の生に作用(さゆう)ありと許すとも、如何んが未来を成(じょう)ぜんや。

⇒応に未来相を説くべし。法の現在する時には生の用(はたらき)はすでに謝す(消え失せている)。

⇒如何んが現在を感ぜやん」(五巻、一六枚右)

・第一九詩では次のようにいう。

⇒「もしも他〔の<生>〕がこ〔の生〕を生ずるならば、そこで<生>は無限遡及となっていまう。

⇒またもし不生であるのに生じたのだとするならば、一切はみなこのようにして生ずるであろう」

⇒前半はすでに論じたから省略する。後半は「俱舎論」の

⇒「もしも生が未来に在って、生の法を生ぜば、未来の一切の法は何ぞ俱に生ぜざる」(五巻、一七枚左)に相当するのであろう。

・第一三詩では次のようにいう。

⇒「いま現に消滅しつつあるものが住するということはありえない。

⇒またいま現に消滅しつつあるのではないものはありえない」

⇒これは生住滅の三相または生住異滅の四相を立てる有部の痛いところを突いている。

⇒仏教によれば一切は無常であるはずなのに住(続)という原理を立てるのは何故であろうか。仏説に背反するおそれはないか。

⇒これも「大毘婆沙論」少なからず問題となっていることであって、

⇒住を有為相のうちに入れない学者も当時存在していたほどである(「大毘婆沙論」三九巻、大正蔵、二七巻、201ページ中ー下)

⇒『中論』のこの主張もこの系統を受けているのかもしえない。

■論法の独創性と共通性

・このように第七章だけについてみても『中論』の主張は、「大毘婆沙論」および「俱舎論」にみえているところの、

⇒有部を攻撃する学者たちの説(とくに経部)と共通なものが少なくない。

⇒もちろんすでに述べたように『中論』は経部をも含めて論破しているから中観派と経部とをただちに一括して論ずることはできないが、

⇒その論法に共通なものがあるという事実は否定できない。

⇒したがって三世門破・一異門破のような一般的な、また『中論』の根本となる論法はナーガールジュナ自身の独創になるらしい、またナーガールジュナ自身もそれを誇示しているようであるが、

⇒第七章のように、ある特定の派の体系を相手としているところでは、

⇒中観派以外のある派(たとえば経部)がその派(有部)に対して向けた攻撃の論理と共通のものが少なからず存在する。

⇒故に将来、各種仏典および仏教外の諸派の典籍から『中論』と同じ論法を取り出してきたんらば、

⇒中観派の部派的関係および歴史的意義が一層明白なるであろう。

⇒いまその余裕がないからここではたた結論として、

⇒『中論』における論争の論法には

⇒ナーガールジュナ自身の独創になるものと、ナーガールジュナが他派から学んだものとの二種類あるという事実を指摘するにとどめておく。