■ブッダのことば
・「世間を空なりと観ぜよ」(スッタニパータ)
⇒仏陀(釈迦)が説いた「空」の教えは、仏教の中心的な思想の一つ。
⇒仏陀は、すべての現象は「空」であり、実体が存在しないと説いた。
【概要】
1. 四諦(しったい)と十二因縁(じゅうにいんねん): 仏陀の教えの基盤には、四諦と十二因縁がある。
四諦とは、苦(く)、集(しゅう)、滅(めつ)、道(どう)のことで、苦しみの原因とその克服の方法を示している。
十二因縁は、因果関係を説明し、すべての現象が相互に依存していることを示しています。
2. 無我(むが:諸法無我)と縁起(えんぎ:縁起の法):
諸法無我:仏陀は、自己(アートマン)が存在しない「無我」を説いた。
つまり、それ自体として存在する確固不動の実体はない。
縁起の法:すべての存在は、他の存在との相互依存によって成り立っているため、独立した実体は存在しません。これが「縁起」の教えです。
つまり、すべてのものは相互依存関係にある。
3. 空(くう): 空の教えは、すべての現象が実体を持たず、常に変化し続けることを示しています。
物質的なものや精神的なもの、すべては本質的に空であり、固定された存在ではないという理解です。
これにより、執着や欲望から解放され、悟りに至る道を示します。
■世界四大宗教の開祖と成立年代

出典:https://miraiecosharing1.com/page-28238/
注)ブッダ:仏教では、絶対的な存在を否定し、
■大乗仏教:中間学派(空の思想)、唯識学派(唯識思想)

出典:https://miraiecosharing1.com/pag
■龍樹(ナーガールジュナ)
一切は空である。
あらゆるものは真実には存在せず、見せかけだけの現象にすぎない。
仏教思想の核心をなす「空」の思想は、龍樹(2世紀頃)により理論化された。
インド・中国思想に決定的影響を与え、奈良時代の南都六宗・平安時代の真言宗、天台宗の「八宗の祖師」とされる。
注)八宗の祖師:1.龍樹(中観派)、2.天親(大乗仏教)、3.道邃(華厳宗)、4.善珠(法相宗)、5.慧文(律宗)、6.恵灌(天台宗)、7.空海(真言宗)、8.最澄(天台宗)
◆龍樹(Skt. Nāgārjuna, 150-250 CE):クシャーナ朝のカニシカ1世(144年~171年)と同時代
・大乗仏教の重要な哲学者であり、中観派(Madhyamaka)の創始者として知られている。
⇒大乗仏教の経典である『般若経』に没頭。
⇒仏陀の教えである『縁起の法(それ自体として存在する確固不動の実体はない)』を難しく言い換えたもので、『諸法無我の法(すべてのものは相互依存関係にある)』の発展系とも言われる。
⇒彼の思想は、特に「中道」(Madhyamaka)と「空」(Śūnyatā)の概念に焦点を当てています。
龍樹の主要な思想
- 中道 (Madhyamaka):
- 龍樹は、真理は「中道」にあると説いた。
- つまり、極端な二元論や一元論を排し、すべてのものは相互に依存して成り立っているという立場。
- 空 (Śūnyatā):仏教の根本的な教義の一つ。
- 彼は「空」の概念を強調し、すべての存在は本質的に空であり、固定された実体を持たないと主張した。
- これは、現象の相対性と非絶対性を示唆している。
- 龍樹は、この空の概念を「中観(ちゅうがん)」として体系化し、論理的な方法で説明した。
- 空の思想は、人々が執着や煩悩から解放されるための道として重要視されている。
龍樹の影響
龍樹の思想は、大乗仏教の多くの伝統に影響を与えた。特に、チベット仏教や中国の禅宗など、多くの宗派で中観派の教えが取り入れられている。
龍樹の著作
彼の代表的な著作には、「中論」(Mūlamadhyamakakārikā)がある。この書物は、中観派の基本的な教義を述べており、仏教哲学の中で非常に重要な位置を占めている。
・中観の基本的な考え方
- すべてのものは変わり続ける:
- 例えば、あなたが今持っている鉛筆を考えてみましょう。鉛筆は、使えば短くなり、削れば形が変わります。
- つまり、鉛筆は常に変わり続けていて、決して同じ形のままではない。
- 実体がない:
- 龍樹は、この世界のすべてのものは「実体がない」と考えました。これは、「本当の自分」というものがなくて、すべてが他のものとつながり合っているということです。
- 例えば、鉛筆も木やグラファイトなど、いろんな素材が組み合わさってできています。それ自体で存在するわけではなく、他のものと関係しあって存在している。
- 空(くう):
- 「空」は、「何もない」という意味ではありません。むしろ、「すべてはつながっていて、固定された実体はない」という意味。
- つまり、空は「すべてが変わり続け、他のものと関係しあって存在する」という考え方。
・日常生活での例
この考え方を日常に当てはめると、たとえば友達との関係がわかりやすい。友達との関係は時間とともに変わることが多い。ある日仲良くしていた友達とも、意見の違いで少し距離ができることもある。また、新しい友達ができて、その関係がまた変わることもある。
このように、中観の思想は「すべてがつながり、変わり続ける」ことを理解することで、物事に対して固執しない心の持ち方を教えてくれる。
・執着と煩悩
- 執着:何かに強くこだわってしまうこと。例えば、大好きなゲームがうまくいかないと、ずっとそのことが気になってしまう状態のこと。
- 煩悩:心の中でわき上がる欲望や感情。例えば、友達と比べて自分がダメだと感じる嫉妬や、欲しいものが手に入らないとイライラする気持ち。
・再度、空の思想とは?
空の思想は、物事に実体(じったい)がなく、すべてが変化し続けるという考え方。つまり、すべてのものや出来事は一時的で、いつか必ず変わるということである。
・どうして執着や煩悩から開放されるか?
- 実体がないと理解する: 例えば、友達との関係がうまくいかなくて悩むことがあるとする。でも、空の思想を理解すると、友達との関係も変化し続けるもので、一時的なものだとわかる。これにより、その問題に対する執着が和らぐ。
- すべてが変わることを受け入れる: 嫉妬や欲望も、一時的な感情です。空の思想を学ぶと、これらの感情もいつか変わることを受け入れることができる。これにより、煩悩が軽減されます。
・実際にどうすればいいの?
空の思想を理解し、実践するためには、次のような方法がある。
- 瞑想(めいそう):心を静かにして、自分の感情や思考を観察することで、物事に対する執着や煩悩を客観的に見ることができる。
- 日常生活での意識:何かにこだわりすぎていると感じたら、空の思想を思い出して、「これは一時的なものだ」と自分に言い聞かせること。
まとめ
空の思想を理解することで、物事に対する執着や煩悩から解放され、心が軽くなることができる。すべてが変わり続けると認識することで、心の平安を得ることができるのである。
注)クシャーナ朝のカニシカ1世(144年~171年):仏教の保護者としても知られ、彼の治世下でガンダーラ美術が発展し、初めて釈尊(ブッダ)の像、仏像がつくられた。
マウリヤ朝は、アショーカ王(紀元前304年~紀元前232年)の死後、急速に衰退。
紀元1世紀頃には、「クシャーナ朝」がインダス川流域を支配していた。
仏教は、クシャーナ朝でも保護された。
しかし、“出家した者のみが救われるという考えは、利己的である”という批判が出始めます。
その考えのもとに生まれたのが、大乗仏教でした。
インダス川の上流域は、中央アジアとつながる東西交易の重要な拠点でした。
そのため、大乗仏教は、中央アジアを経て中国へ、そして、朝鮮半島、日本にまで伝わった。

出典:https://www.kawai-juku.ac.jp/spring/pdf/text201958-535673.pdf


出典:左図)https://butsuzou.themedia.jp/posts/7717652/ 右図)https://www.louvre-m.com/collection-list/no-0010 下図)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
出典:https://miraiecosharing1.com/pag

出典:Wikipedia 左図)世親 右図)北円堂
【法相宗大本山興福寺】
ヴァスバンドゥの思想を受け継ぎ、その教えを実践している。特に、興福寺は瑜伽行派の教えを重んじており、ヴァスバンドゥの影響を受けた仏教の伝統を継承している。
【ヴァスバンドゥ(4世紀頃)】
説一切有部の教義を批判し大乗仏教に転向。特に瑜伽行派の教えを発展させた。転向は、彼の哲学的探求と内面的な覚醒を追求。
【阿頼耶識と内面的な覚醒の関係】
記憶と経験の蓄積: 阿頼耶識は、私たちの経験や記憶を蓄える場所とされており、過去の経験が現在の自己認識に影響を与える。
自己の探求: 内面的な覚醒は、阿頼耶識に蓄えられた経験や記憶を通じて、これにより、自己の本質を探求するプロセス。自己の真の姿を見つけ出すことができる。
心の浄化: 内面的な覚醒を通じて、阿頼耶識に蓄えられた負の経験や記憶を浄化し、これにより、心の平和を得ることができる。
<参考情報>
■六境(対象物)・六根(感覚器官)・六識(感覚作用)・意識(こころ)に収険される

■唯識の肝:八識
・前五識 (眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)
・第六 意識
⇒上記六識に以下2識を加える(認識の深化)
・第七 未耶識(マナシキ:自己中心化⇒外界から入る情報を自分の都合の良いように解釈する)
■第七 未耶識(マナシキ:自己中として外部情報を屈折させるプリズムの如く)

◆第八 阿羅頼耶識(アラヤシキ:記憶情報を詰め込む領域=記憶媒体装置=種子:未耶識の働きによる記憶領域)=経験認識
・個々人の見聞、経験等の情報が全て書き込まれ、ため込まれる
⇒良くも悪くも「ため込まれた情報」は更新される
⇒次第に個々人の倫理観が形成される「心の働き」の領域

・何を第八 阿羅頼耶識(アラヤシキ)にため込む事が大事か
⇒七仏通誡偈(ひちぶつつうかいげ)
⇒自らその意を浄めよ(第七 未耶識との衝突(矛盾))
※第七 未耶識(マナシキ:自己中として外部情報を屈折させるプリズムの如く)
■仏の教え(何を第八 阿羅頼耶識に蓄えるか)
・第八 阿羅頼耶識(アラヤシキ:記憶情報を詰め込む領域=記憶媒体装置(ハードディスク)=種子:未耶識の働きによる記憶領域)=経験認識
⇒自らその意を浄めよ

■禅観
・入力情報を屈折させない仕掛け
⇒呼吸を整えて

出典:第741回花ホテル講演会 タイトル:「法相宗は面白い ~こころを観る唯識~」 講師: 高次 喜勝 氏(YouTube)
<参考情報>
紀元1世紀前後、ブッダ以来の数世紀にわたった原始仏教教団のいくつかの部派活動の中から、いわゆる大乗グループが登場した。大乗グループはそれまでの部派仏教時代の活動を「小乗」と貶称して、小さな乗りもの(乗=教法)に乗っている連中だとみなした。そのうえで大乗グループは小乗グループとの区別をあきらかにするため、新たな経典(大乗経典)をつくろうとしていた。
その手の試みはすでに般若経の編纂グループが先行していたのだが、それに続くもので、できれば決定版にしたい。『法華経』である。
ひるがえって、もとからの小乗グループは、仏教の教えを伝え導くことができるのはブッダただ一人、釈迦仏だけだと考えてきた。それゆえ修行者はブッダを理想のモデルとして、一人ひとりがさまざまな執着を断ち、輪廻から解脱するために阿羅漢(あらかん)をめざす。なかで、その境地にかなり近づいた者は菩薩、すなわちボーディサットヴァ(菩提薩埵、略して菩薩=悟りを求める人)と称ばれるところにまでは達するが、とはいえブッダになるわけではない。そう、考えてきた。
これに対して大乗グループは、釈迦仏以外にもブッダ(覚者)はありうると主張した。菩薩もブッダをめざしつつ、自分だけではなく衆生(多くの他者)を悟りに導こうとしているのなら新たに「菩薩乗」とみるべきだと主張し、たんに教えを聞く修行者はブッダになろうとしていないのだし、自分だけの覚醒にこだわっているのだから「声聞乗」(しょうもんじょう)にすぎないとみなした。また、教えを聞くことなく独力で解脱をめざす者たちもふえてきたようだが、かれらは別して「縁覚乗」(えんがくじょう)などと称ばれるべきだとした。
こうして、修行者を教えを聞いて悟ろうとする声聞乗(小乗)、自身の悟りを求める縁覚乗(中乗)、一切衆生のために仏道を広める菩薩乗(大乗)という「三乗」の見方ができあがっていったわけである。このうち声聞・縁覚乗を「二乗」とも名付け、大乗を進む者を「一乗」と名付けた。
大乗グループは、これらのことがブッダの語りによって展開されている経典が存在するべきだと考えて、かなり長い時間をかけて『法華経』を仕上げた。そこではブッダは「私が小乗や二乗の道があると説いたのは、大乗に導くための方便だった。本来の道は一乗なのだ」と語っているようにした。前半の迹門で二乗を重視しておきながら、後半の本門では一乗を重視させたのである。
出典:サブタイトル/HL1.最澄と天台教団 木内堯央~松岡正剛の千夜千冊より転記~
<参考情報>
法華経は28品で構成されている。品は「ほん」と読む。ただし28品であることにはそれほどの意味がない。あれこれ書き換えや着替えをして入念に仕上げてみたらこうなったというものだ。
次のようになっている。ふつうは「序品第一」「方便品第二」「薬草喩品第五」というふうに示すのが日本の仏教学の慣習になってはいるが、上記でもそうしてきたように、わかりやすく算用数字をあてた。
1「序品」、2「方便品」、3「譬喩品」、4「信解品」、5「薬草喩品」、6「授記品」、7「化城喩品」、8「五百弟子受記品」、9「授学無学人記品」、10「法師品」、11「見宝塔品」、12「提婆達多品」、13「勧持品」、14「安楽行品」、15「従地湧出品」、16「如来寿量品」、17「分別功徳品」、18「随喜功徳品」、19「法師功徳品」、20「常不軽菩薩品」、21「如来神力品」、22「嘱累品」、23「薬王菩薩本事品」、24「妙音菩薩品」、25「観世音菩薩普門品」、26「陀羅尼品」、27「妙荘厳王本事品」、28「普賢菩薩勧発品」。
この構成が大きくは前半と後半に巧みに分かれるのである。前半の1~14品までを「迹門」(しゃくもん)、後半の15「従地湧出品」からを「本門」(ほんもん)というのだが、ここに法華経の最も特徴的な構造があらわれる。図解をすると次のようになる。

法華経の構成
図で示してあるように、このうちの前半が「迹門」、後半が「本門」だ。そのほかいろいろ複雑な“幅タグ”がついているけれど、いまはこれらの区分けは無視しておかれたい。
大事なことは全体が15「従地湧出品」のところで劇的に分かれるようになっているということだ。そのため16「如来寿量品」からが後半の本論になる。
ブッダ存在学になる。
こうすることによって、前半の迹門で説いたブッダは歴史的現実のブッダだが、
後半の本門のブッダは理念的永遠のブッダだというふうになった。
そこがまことにうまくできている。これがもし詭弁的構成でないのなら、まさに超並列処理というものだ。
ぼくはこの絶妙を知ったときには、心底、感嘆した。キリスト教がマリアの処女懐胎やイエスの復活を説いたことには、たとえその後の三位一体論などの理論形成がいかに精緻であろうと、どうにも釈然としないところがのこるのだが、このブッダの歴史性と永遠性を“意図のカーソル”によって跨いだところには、それをはるかに勝るものがある。なにより、語り手のブッダが聞き手の菩薩たちにこのことを自身で説いているというドラマトゥルギーとしての根性がいい。
いったい誰がこういう文巻テキスト編集作業ができたのか。もはやその当初の着手者の名はのこらないけれど、おそらくは当初の文巻というものが下敷きになって、そこに多くの“加上”と“充填”が加わっていったにちがいない。
出典:サブタイトル/LS1-3.梵漢和対照・現代語訳 法華経 [訳]植木雅俊~松岡正剛の千夜千冊より転記~
<参考情報>
大乗グループはその後も大乗経典のヴァージョンをいろいろ編纂し、しだいに大乗仏教という大きな仕組みをつくりあげた。アショーカ王やカニシカ王がこれを採用し、大乗仏教は菩薩乗を広げるムーブメントになっていった。
やがて時代がたって、大乗仏教にもいくつかの考え方の差異が出て、宗派がいくつも分立していくと、新たな問題が出来(しゅったい)してきた。いったい『法華経』に語られた「三乗は方便、一乗が本当」というメッセージは文字通り受け取っていいのかどうかということだ。とくに中国に入って経典が次から次へと漢訳されていったことで、解釈のちがいや混乱が錯綜した。
漢訳経典に混乱が出てきたのは致し方がなかった。インドでの経典成立の順に漢訳されたわけではないからだ。ただし混乱したままではまずい。どの経典を原型とみなし、どの経典がそれに続いたのかを判定する必要が出てきた。これを仏教史では「教相判釈」(きょうそうはんじゃく、略して教判)という。
竺道生や慧観による教判が試みられ、天台智顗の「五時八教」説でおよその流れが確立した。ブッダは「華厳→阿含→方等→般若→法華」という5段階で説いていったとみなすのがいい、それが仏教を最も深く理解していくのにふさわしい順番であるという説だ。これは歴史的な経典成立の順ではなく、仏説を理解する認識の順によるもので、そこがユニークだった。
智顗の五時八教説によって、『法華経』を学修するすべての信仰者が「法華一乗」になっていくというスコープが提出されたのである。智顗はそのように認識するためのベーシック・テキストにあたる『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』も書いた。天台三大部だ。ここに天台法門が確立した。
この見方が日本にも踏襲され、最澄はこの説に従って日本の天台をまとめたいと決断した。法華一乗である。しかし法相宗では、それとは別に「五姓各別説」を唱えて、一乗でまとめるのではなく、あくまで三乗それぞれの悟りを追求するべきだとした。ここにおいて法相の徳一から「天台の法華一乗の解釈は納得できない」というクレームが投げかけられたのである。
論争のいきさつは猖獗をきわめるのでここでは省くけれど(師茂樹『最澄と徳一』を読まれたい)、最澄は徳一の掲げた疑問にかなり対応して、自身の天台教学の形成に与かった。それは、青年最澄が仏教に向かうにあたって発願した思いと一致するものだった。

「三乗が方便、一乗が本当」ということを説明する物語では、【一乗】は「大白牛車」(大きな白牛が引く牛車)によって喩えられる。この白牛はコブウシと考えられ、古い時代からインド周辺で神聖視されてきた。バビロニア南部のウルの遺跡の記録や、インダス文明の印章(図版)にもコブウシの姿が見える。

「五時」とは、教化方法などを判釈した順序に従って、華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五期に分類したものである。「八教」は、理解の仕方で分類された「化儀の四教」と、教えの内容と対象を示した「化法の四教」を指す。例えば「化儀の四教」の「頓」は一瞬で理解することで、「漸」は段階を経ての理解にあたる。また「化法の四教」の「蔵」は、二乗(声聞と縁覚)の教えであり、「別」は菩薩乗の教えを示した。
出典:サブタイトル/HL1.最澄と天台教団 木内堯央~松岡正剛の千夜千冊より転記~
<参考情報>
■三一権実論争(三乗が権(仮り)で一乗が実(真)であるとの論争
一方、一三権実論争(一乗が権(仮り)で三乗が実(真)であるとの論争とも言われる
※『法華経』の読み方をどうするか、どこに注目するかということをめぐったのである。結果、三乗説と一乗説が対立した。なぜ、そうなるのか。話はインドまでさかのぼる。(松岡正剛氏の見解)
■玄奘三蔵
7世紀後半にインドに旅し、仏教の経典を集めて中国に持ち帰りました。
その中でも特に般若心経は、仏教の核心を示す重要な経典とされている。
般若心経(はんにゃしんぎょう)は、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ=ブッダ)が弟子たちに説いたとされる経典で、仏教の教えの中でも特に重要なものの一つ。
この経典は、人々が自分の心を観察し、無常観(すべては変化する)を持つことで悟りを得ることを説いている。
◆般若心経
⇒大般若経(600巻)から抜粋され、要約された。
⇒つまり大般若経全体の長さは非常に膨大であり、
⇒その教えの中から最も重要な部分を抽出したものであり、
⇒その要約が265文字版となっている。
⇒般若心経は大般若経のエッセンスである。
※玄奘三蔵(602年~664年)が訳したバージョンは265文字で知られているが、他にも鳩摩羅什(くまらじゅう:344年~413年)が訳したバージョンがある。訳者によって微妙に語句や表現が異なることがある。
注)玄奘三蔵:彼の唯識(ゆいしき)については、仏教の中でも特に重要な思想の一つ。
唯識とは、「唯一の心」を意味し、すべての存在や現象は心から生まれるという考え。
玄奘三蔵は、インドの大乗仏教の唯識学派の教えを中国に伝え、これを発展させた。彼の著作「大乗起信論」(だいじょうきしんろん)は、唯識思想を詳しく説明している。
玄奘三蔵の唯識思想の特徴
- 心の本質:すべての存在は心から生まれるという考え。
- 現象の仮性:現象は仮に存在し、本質的には無常である。
- 真理の探求:仏教の教えを通じて真理を追求し、解脱を目指す。
唯識思想の基本
- 阿頼耶識(あらいやしき): 唯識思想の中心的な概念であり、すべての現象の根源となる「第八識」とも呼ばれます。阿頼耶識は、潜在的な記憶や習慣を蓄える場所であり、これが原因となって様々な現象が生じるとされます。
- 心の三分: 玄奘は心を三つの部分に分けました:
- 現量: 直接的な知覚
- 比量: 推論
- 非量: 誤った知覚
- 八識: 人間の意識を八つの層に分け、目、耳、鼻、舌、身、意識、末那識(まなしき)、阿頼耶識の八つの識がすべての経験を構成するとしました。
玄奘の影響
玄奘の唯識思想は、彼の弟子である慈恩(じおん)を通じて広まり、法相宗(ほっそうしゅう)として日本にも伝えられた。

出典:左図)https://www.koumyouzi.jp/blog/902/右図)https://www.youtube.com/watch?v=_4VUaJ8b6x4&t=16s インドお釈迦様の聖地を玄奘三蔵法師と辿る Part1


出典:https://yakushiji.or.jp/guide/garan_genjyo.html
◆「大乗仏教」と「上座部仏教」が分かれた理由とそれぞれの特徴及び時期
・主に仏教の教えや戒律の解釈の違い
⇒釈迦(紀元前563年~紀元前483年頃)の死後、弟子たちは釈迦の教えをどのように解釈し、実践するかについて
⇒紀元前3世紀(紀元前300年~紀元前201年)頃に意見が分かれた。
⇒仏教の教えを広く大衆に広めることを目指した大乗仏教と
⇒仏教の戒律を厳格に守ることを重視する上座部仏教に。
⇒この分裂は『根本分裂』と呼ばれている。

http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/bukyoframe.html
【大乗仏教のアウトライン】
大乗仏教は他者の救済と慈悲の実践を重視
- 目的:他者の救済を重視(利他行)。
- 修行方法:六波羅蜜の実践(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若)。
- 広がり:中国、朝鮮、日本(北伝仏教)
<大乗仏教の特徴>
大乗仏教は、初期仏教(上座部仏教)とは異なり、より広範な救済を目指す教えとして発展した。
- 普遍的な救済:大乗仏教は、すべての生きとし生けるものの救済を目指します。出家者だけでなく、在家者も含めた一切の衆生の救済を掲げています。
- 菩薩の道:菩薩(Bodhisattva)という概念が重要で、菩薩は自らの悟りを求めるだけでなく、他者の救済をも目指します。菩薩は修行を通じて他者を助けることを重視します。
- 空(くう)の教え:万物が本質的には無常であり、独立した永続的な自己を持たないことを指します。この「空」の概念は、大乗仏教の中心的な教義の一つです。
- 大乗経典:大乗仏教には独自の経典があり、代表的なものには『般若経』、『法華経』、『浄土三部経』、『華厳経』などがあります。
- 如来蔵思想:すべての衆生が仏性を持ち、修行を通じて仏となる可能性があるとする教えです。
- 地域的な広がり(北伝仏教):大乗仏教は、インド、中央アジア、中国、朝鮮、日本などの国々で広く信仰されている。
日本の仏教の多くの宗派も大乗仏教に分類されており、戒律は宗派ごとにさまざまに解釈。

出典:https://president.jp/articles/-/42220?page=6
【上座部仏教のアウトライン】
上座部仏教は個人の修行と戒律の遵守を重視
- 目的:個人の悟りを目指す(自利行)。
- 修行方法:戒律を厳格に守る。
- 広がり:スリランカや東南アジア(南伝仏教)
<上座部仏教の特徴>
釈迦の教えを忠実に継承し、厳格な戒律と個人の修行を重視する仏教の一派で、スリランカで大成した。
- 戒律の重視:上座部仏教では、出家者(比丘)に対する戒律が厳格に守られている。これはセックスしない、酒を飲まない、金銭に触れないなど、227の戒律が含まれている。
- 個人の修行:上座部仏教は、個人が修行を通じて悟りを開くことを目的としている。これは、大乗仏教が他者の救済を重視すうのとは対照的である。
- パーリ語仏典:上座部仏教は、パーリ語で書かれた仏典を使用し、これを通じて釈迦の教えを伝えている。
- 口伝の伝統:仏典は「読む」書物というよりも「詠む」書物として、声を介して身体に留める伝統が培われている。
- 地域的な広がり(南伝仏教):上座部仏教は、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、スリランカなどの国々で広く信仰されている。
上座部仏教は、釈迦の教えを純粋な形で保存し続けることを目指しており、その厳格な戒律と個人の修行を重視する姿勢が特徴。
■華厳(けごん)宗大本山東大寺
仏教の一派であり、大乗仏教の一つである華厳宗の教え。華厳経(けごんきょう)という経典に基づいており、その教えは「大宇宙の真理」や「仏性の普遍性」を強調している。
「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」と音写される。毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と概念的に同一の仏である。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
【華厳の考え方の特徴】
- 大宇宙の真理:華厳経は、宇宙の全てが仏性を持ち、すべてのものが仏であると説いている。この考え方は、すべての存在が相互に関連し合い、一つの大きな仏性の体系の一部であるというもの。
- 仏性の普遍性:すべての人間や物質は仏性を持っており、その仏性を開花させることができるとされている。この考え方は、すべてのものが悟りを得る可能性を持っていることを示唆している。
- 無量義:華厳経は、宇宙の無限性や無量義を強調している。すべてのものが無限に存在し、無限に変化するという教え。
- 絶対平等:すべての存在は絶対平等であり、差別や優劣の概念は存在しない。すべてのものが平等に存在し、平等に尊重されるべきだとされている。
華厳の考え方は、宇宙の真理や仏性の普遍性を強調し、すべての存在が平等であり、無限に変化するという深い教えを持っている。
※「華厳経」十地品(じゅうじぼん)の注釈書である「十住毘婆紗論(じゅうじゅうびばしやろん」の著者でもある龍樹。「十住心」は、修行者が悟りに至るための10段階の心の変化を指し、それぞれの段階で修行者の心がどのように変化し、成長していくかを詳述している。この論書は、仏教の教理を深く理解し、実践するための重要な文献とされている。
◆盧舎那仏(るしゃなぶつ)
・大日如来(だいにちにょらい)と同一視されることがよくある。
⇒特に密教において、盧舎那仏は大日如来の別名として理解されている。
⇒大日如来は、宇宙の中心的存在であり、すべての仏の本質を表す仏とされている。
注)毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)≒盧舎那仏(るしゃなぶつ)
■東大寺 華厳宗総本山

出典:https://www.todaiji.or.jp/information/daibutsuden/
